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これが私のご主人様!?

 目の前の人物が前世でテレビで見ていた芸能人だと気づいた私は、改めて大泉笑平さんの横顔を観察した。


 大泉笑平は私が人間だった頃に凄く有名だった芸能人だが、私自身はそこまで熱狂的な大泉笑平ファンという訳ではなかった。


 ただ、私はバラエティー番組が大好きなテレビっ子ではあったので、その顔はテレビで毎週のように見ていた。

 

 そんなテレビの有名人がどうして巴牧場にいるのか、本当に馬主として馬を買いにきているのか、そもそも友蔵おじさんが大物芸能人と親し気にしゃべっているのは何故なのか。


 笑平さんの顔を見ながら、様々な疑問が私の頭の中に浮かんでは消える。


 けれども、馬であり人語をしゃべれない私が、人間にそれらの疑問を問い質すことなど出来るはずもなく。


 友蔵おじさんと笑平さんの会話に聞き耳を立ててみるが、私達仔馬の血統だの、育ち具合だのといった専門用語まみれの会話しか聞こえてこず、私が知りたいことは一切耳に入ってこなかった。


 テレビカメラでもないかと辺りを見回してみるが、いつもののどかな牧場風景が広がるだけで、カメラはもちろんテレビ番組のスタッフらしき姿もどこにもない。


 そこまで観察して、ふと思う。もしテレビカメラが来ていたら、そして私がテレビに映ったなら、前世の家族が私の姿をテレビ越しに見ることもあったのだろうかと。


 そう、前世にテレビで見ていた芸能人が今私の目の前にいる。ならば、私の両親だってきっと今もどこかで暮らしているはずなのだ。


 顔も名前も朧気(おぼろげ)にしか思い出せないが、私はきちんと両親のことを覚えている。


 両親に愛されていたことを、大切にされていたことを、覚えている。

 小さいころにおぶってくれた父の背や、抱きしめてくれた母の手の温もりを、私は確かに覚えているのだ。


 そして、結局親孝行一つ出来ずに死んでしまったことも、私は覚えている。


 不意に『知らせたい』という思いが私の胸に強く湧いた。

 会いたい、ではない。ただ自分がここにいるということを、両親に知っていて欲しいという思いが、何故か急に私の中で湧き上がった。


 もちろん両親が私のことをテレビで見ても、それが自分たちの娘の生まれ変わりだとは思わないだろう。仮に直接会えたとしても、それは同じだろう。

 馬である私が両親に転生を知らせる手段はないし、馬が人間に出来る親孝行なんて何があるのか思い浮かびもしない。


 知らせることが出来たところで、何の意味もないということは明らかだ。


 けれど、それでも知らせたかった。死んでしまったけれど、もう同じ人間ではないけれど、娘だと分からないかもしれないけれど、今こうして生きているということを二人に伝えたかった。


 娘が生まれ変わったことを伝えたいのではない。

『私』という存在がここに在るということを、とにかく知らせたくなったのである。


 知らせたい、という強い強い衝動が私の中に生まれた。


「それじゃ、そろそろ事務所に戻ろうか」


 満足がいくセールストークができたのか、友蔵おじさんが会話の途切れたタイミングでそんなことを言った。


 笑平さんは頷き、側にいた牧場のスタッフに丁寧にお礼を言うと、私達馬に背を向け来た道を帰ろうとする。


 テレビに毎日のように映る有名人が、日本で誰よりもたくさんの人に『知らせる』力を持つ人が、私から遠ざかっていこうとしていた。


 咄嗟、どうしてそんなことをしたのか自分でも分からなかったが、私は柵に駆け寄ってそこから首を伸ばし、大泉笑平のスーツの袖に思いっきり噛みついた。


「な、なんですの!?」


 笑平さんは牧場のスタッフに袖を掴まれたと勘違いしたようで、驚いて真後ろに振り向き、その後視線を自分の腰よりも下におろして、袖に噛みつく私の顔を見た。


 笑平さんの目が驚きで点になっている。


「あ、コラ!」


 友蔵おじさんが慌てて駆け寄り、私をスーツから離そうとする。


 私は自分でもどうしてスーツに噛みついているのか分からなかったが、とにかくこの口を離してはいけないという一心で、がっちりとスーツの生地を噛みしめた。


 高級そうなスーツが、私のよだれでびしょびしょになっていく。


「……なんやお前、そんな必死に俺なんかを引き留めて。俺に買うて欲しいんか?」


 私の口をスーツの袖から離そうとする友蔵おじさんと、必死に袖に噛みつく私の格闘を、しばし呆然と眺めていた大泉笑平が不意に口を開いた。


 そして、にやりと笑う。


「そやな、ホンマに俺に買って欲しいなら、こっちの袖もかんでみいや」


 そして冗談っぽく笑いながら、笑平さんは私が噛んでいる腕とは反対側のスーツの袖を私の前に差し出して来た。


 咄嗟、私は意地でも放すまいとしていた袖から口を話し、すぐさま差し出された袖に噛みつき直す。


 人間の言葉を理解しているかのような私の反応に、友蔵おじさんは驚きであんぐりと口を開けた。


「ぷ、わははははは!」


 そして、大泉笑平が爆笑した。


 反対の袖を噛んだまま上目使いで見やると、笑平さんは笑い声を切り、私に向かいニカっと笑った。


「よし、買った!」


 言って、私の隣で突っ立っていた友蔵おじさんの腕を、手の平で勢いよく叩いた。


「この馬、このトモエロードの娘、俺が買う!」


 凄い笑顔とテンションで、笑平さんが言う。

 事態の成り行きについていけない友蔵おじさんは、何が起きているか分からず明らかに動揺していた。


「か、買うって、一体いくらで?」


 しばしフリーズした後、友蔵おじさんの口から辛うじて出たのは、そんな質問だった。


「お前の言い値でや。好きな値段言えや。その値で買うたる」


 とんでもなく太っ腹な発言に、ざわ、っと、近くで様子を見ていた牧場スタッフまでもが動揺した。


「い、言い値? 言い値って、」


 だが最も動揺していたのは、他でもない牧場主の友蔵おじさんだった。


 普通の馬主がどんな交渉をして牧場から馬を買うのかは知らないが、少なくとも友蔵おじさんは今まで『言い値で買う』なんて言われたことがなかったのだろう。


 見ればおじさんの顔はいつの間にか脂汗でびっしょりで、心なしか顔色も青くなっていた。


 中々『○○円で買ってくれ!』と言い出さない友蔵おじさんに対し、笑平さんは意地悪な笑みを浮かべた。


「なんや俺が金持ってるか心配なんか? ま、確かに俺にも予算っちゅーもんはあるしな。よし、じゃあこうしようや」


 にやにやしながら、笑平さんはピンと一本人差し指を立てた。


「一発勝負や。お前はこの馬の値段を言う。その値段が俺の予算内やったら、そのままその値段で買う。逆にそれが俺の予算をオーバーしてたら、この話はなし。今年この牧場で俺は馬を買わへん。そういう勝負や。面白いやろ?」


 楽しそうな笑平さんと比べ、友蔵おじさんの顔はもう真っ青になっていた。


 馬に買い手がついたと思ったら、いきなり言い値で買うと言われ、かと思えば何故か勝負?に巻き込まれている。


 友蔵おじさんの頭の中は、きっと今絶賛混乱中なのだろう。


 牧場としての希望価格、実際いくらまで笑平さんがお金を出してくれるのか、今私を売って本当にいいのか、これまでのトモエロード産駒の成績、他の当歳馬達がいくらで売れそうか、そもそも勝負ってなんだ何も勝負になっていないじゃないか、様々なことが今、友蔵おじさんの頭をよぎっている筈だ。


「さぁ、巴! いくらや! 言うてみぃ!」


 そこへ追い打ちを掛けるように、笑平さんがはやし立てる。


 やがて友蔵おじさんは真っ青な顔のまま、絞り出すように金額を言った。

 

 私としてはそもそも馬の値段の相場が分からないので、『0歳の馬ってそんな値段で売れるんだ』としか思わなかった。


 とにかく大事なのは、友蔵おじさんの発した『言い値』が笑平さんの予算内なのか、外なのかだ。


 緊張をはらんだ、一拍の沈黙が牧場に流れた。


 大泉笑平は、その沈黙を破るようにニカっとした笑いをもう一度作ると、


「よし、その値段で買った!」


 高らかに私の購入を宣言した。


 緊張から解放され、友蔵おじさんが大きく息を吐きながら自分の膝に両手をついた。


 同時、周りにいた牧場スタッフから控えめな小さい拍手が起きる。


 よく分からないが、私は牧場のスタッフから小さく拍手されるような値段で売れたらしい。それってどういう値段なんだろうか。


「で? お前はいつまでご主人様に噛みついとるねん」


 私の馬主になった大泉笑平が、値段交渉中もずっとスーツに噛みついていた私に尋ねる。


 舌触りが良かったのでもっと噛んでいても良かったのだが、私は快くスーツを私の口から解放してあげた。


 私の一生において、とても重大なことであるような気もするが、なんにせよ本日、私の馬主がお笑い芸人の大泉笑平に決まったのだった。



しばらく朝6時と昼12時に毎日2話ずつ投稿続けたいと思います。




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