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こいつは誰だ? 馬主登場


 この数カ月間で私の身に起きた最大の変化といえば、生まれてからずっと一緒だった母と別々に暮らすようになったことだろう。


『仔離れ』というものらしい。生後半年ほど経ち、母馬からの母乳が必要なくなった仔馬は、母親から引き離されてしまうのである。

 そして同い年の仔馬だけで集められ、馬の群れの中で生活することを覚えさせられるのだ。


 仔離れ当日、突然母と引き離された私は、恥も外聞もなく思いっきり泣いた。

 人間のように涙を流した訳ではないが、涙の代わりにノドよ枯れよと全力で鳴き叫んだ。


 私と同じ日に仔離れした同い年の三頭の仔馬たちも、最初は私と一緒に自分の母馬を恋しがって鳴いた。


 母を呼ぶ仔馬4頭による泣き声の大合唱である。


 だが、どれだけ呼んでも母親が来ないことが分かると、仔馬達は一頭、また一頭と母親を呼ぶのをやめていき、最後に私だけが残されてしまった。


 それでも構わず私一頭で母を呼び続けると、いつまでもいつまでも鳴き止まない私にドン引きしたのか、気づけば他の仔馬達は私をおかしい奴を見る目で遠巻きに眺めていた。


 同い年の女の子が泣いているのに、なんて薄情な馬達であろうか。


 だが、私がどれだけ大きな声でいなないても、人間達は私をお母さんと会わせてはくれなかった。


『あ、これもうどんなに駄々こねても無理なやつだ』と気づいてからは、お母さんにもう二度と会えないかもしれないという悲しみで、私はさらに泣いた。


 大人の人間だった頃の記憶を思い出したとはいえ、私は仔馬だ。人間になったわけではないし、頭の中身が大人に成長したわけでもない。


 だから仔馬らしく悲しければ泣くし、怖くても泣くし、不安でも泣く。


 私の泣きじゃくり方が尋常ではなかったのだろう。その日の夜は、私を心配した牧場長の友蔵おじさんが、ほとんどつきっきりで私のことをなだめてくれた。


 だが結局私とお母さんは人間達の計画通りに仔離れさせられ、今では私も大人しく他の仔馬達と共同生活を送っている。


 また、共同生活が始まると共に馬房で過ごす時間も極端に減らされ、昼も夜も放牧された状態で過ごすようになった。


 察するに、昼夜を問わず自由に牧場の中を歩けるようにすることで、私達仔馬の運動量を増やそうという目論見なのだろう。

 そうやって少しずつ私達の運動量を増やしていくことで、競走馬として将来活躍するための筋肉を鍛えようという人間の計画なのだ。多分。


 そんな訳で、昼夜を問わない放牧がトレーニングの一環なのだと気づいた私は、それならばと暇さえあれば自主的に走って自分を鍛えることにした。


 牧場内を走り込むだけで本当に足が速くなるのか自信はなかったが、やって無駄になることはないだろうと考えての行動である。人間と同じように、馬だって走れば筋肉や体力が付くはずだ。


 考えてみれば、はなはだ私にだけ有利な話である。前世の記憶を持つ私だけが、自分が将来競走馬としてレースを走ることを知っているのだ。


 他の馬達がのんびり日向ぼっこしている間も、私は歩いたり走ったりしてトレーニングし、将来に備えることが出来るのである。


 馬の身体というのは不思議だ。人間だった頃は運動が大嫌いだったし、マラソン大会の日は地球よ滅べと祈っていた私でも、馬になったら走るのが楽しく感じる。


 楽しいから体力が続く限りいくらでも走れてしまうのである。

 走っても走っても、息が苦しくなっても、それが嫌ではなく、心地良いとさえ感じるのだ。


 また、走っている間は母のことを忘れられるのもよかった。

 母と会えないことは、未だに寂しくて悲しい。

 別れてからしばらくは母を思い出す度恋しくていななき、いなないては走り、走ってはいなないた。


 そうして徐々に寂しさを克服していき、恋しさで母を呼ぶこともすっかりなくなった今日この頃。


 私達巴牧場の0歳馬は、牧場のスタッフさん達に集められていた。


 スタッフさん達に誘導され、柵の前に集まる3頭の同級生達。


 私はというとスタッフさん達の様子を不審に思い、あえて柵から少し離れた場所で様子を窺うことにした。


 いつも私達をお世話してくれるスタッフさんを警戒したわけではないが、どこかソワソワして落ち着きがない彼らの姿に違和感を覚えた為である。


 すると少しして、柵の向こう側から二人の人間がのんびりしゃべりながら歩いてきた。


 一人は私の世話を一番たくさんしてくれている友蔵おじさん。なんと、私が暮らす牧場の牧場主らしい。

 友蔵おじさんは私が前世の記憶を思い出し、人間が一人一人違う名前を持っているということを知ってから、私が最初に名前を憶えてあげた人間である。

 

 そんな友蔵おじさんと一緒に現れたもう一人の人間は、初めて見る人間だった。


 にこにこと楽しそうにしゃべる男だった。年は友蔵おじさんと同じ位。笑うたびに口元から見える、出っ歯が特徴的な中年の男性だった。


 出っ歯の男性が柵の近くにいたスタッフに挨拶する。興奮した様子のスタッフから握手を求められ、慣れた様子でそれに応じる。


 そこでふと、私は出っ歯の男の顔に引っかかりを覚えた。


 既視感、とでも言えばいいのだろうか。どこかでその出っ歯の男性の顔を見たことがあるような、そんな気がしたのである。


 どこで見たのだろうかと、自分の記憶を探ってみる。馬である私が出会った人間の数というのは、実はそんなに多くない。牧場で働く人を除けば、多分10人もいないだろう。

 だがその中にあんな出っ歯は一人もいなかったはずだ。


 牧場で出会っていないなら、前世、人間だった頃に出会った人物だろうか?


 私の前世の記憶は、実は結構な虫食い状態である。

 人間だった頃の知識や常識、趣味や遊びなどに関する記憶はそれなりにあるが、それ以外に関してはモヤが掛かったように判然としない部分が多い。


 特に記憶の欠損がひどいのは人間の名前と顔に関する部分で、例えば人間だった頃の自分の顔と名前を私は思い出せていない。

 人間だった頃の両親や仲が良かった友人達の顔と名前すら、正直言って朧気(おぼろげ)だ。


 そんな状態なので、突然現れた出っ歯男に対する既視感が私はとても気になった。もしかしたら、前世で私と縁があった人物なのかもしれない。


 曖昧な記憶を引っ張り出す取っ掛かりを求めて、私は出っ歯の男をじっと見つめた。


 男は氷砂糖を友蔵おじさんに渡され、それを私の同級生達に与えていた。

 氷砂糖にがっつく馬達を見て、嬉しそうに目を細めている。


「かわいいなぁ。ここの仔馬はずいぶん人懐っこいんやな?」


 出っ歯男が、友蔵おじさんに尋ねた。


「今年生まれた仔馬は、みんな人懐っこい可愛い奴ばっかりだ。素直ないい子達で、この分なら人を乗せて走るのも嫌がらないだろうな」


 言いながら、友蔵おじさんは私の同級生の中で一番身体が大きい仔馬の首を撫でた。


「今年の馬で一番走りそうなのは、こいつだな。見た目からして他の仔馬より一回り大きいだろ? 順調にいけば、2歳の早い段階でデビュー出来る。骨格もがっしりしていて、」


 その馬の首を撫でながら、友蔵おじさんのセールストークが始まった。


 セールストークをするということは、多分この出っ歯男は私達仔馬を買いに来た馬主なのだろう。

 言われてみれば、着ているグレーのスーツは生地が艶やかで高級そうにも見える。


 でもそうなってくると、益々この出っ歯男のことが分からなくなってくる。


 前世の私は中流の家庭で生まれ育った、普通の女の子だったはずだ。


 知り合いに馬主になるようなお金持ちはいないはずである。

 勤めていた会社の社長すら、馬なんて持っていなかった。


 でもそうなると、出っ歯男に対して感じる既視感の理由が分からない。


「ほーん。じゃ、この一番でかいのがトモエロードの子供なんか?」


 出っ歯男に尋ねられ、友蔵おじさんが首を振る。


「いや、トモエロードの子は、ほら、あの一番後ろにいるやつだ。母親に似て、綺麗な栃栗毛だろ?」


 同級生達の影から出っ歯男を観察していた私を、友蔵おじさんが指さした。


 出っ歯男が初めて私の方を向き、目と目が合う。


 出っ歯男は私の顔をじっと見つめた。私もこの機会に出っ歯男が何者なのか思い出してやろうと、じっとその顔を見つめ返した。


 どこか、どこかで見たことあるような顔なのだ。父親や親戚ではない。友人でもない。職場の人間でも、学生時代のクラスメートでもない気がする。


 でも、確かに見覚えだけはある。どこだろう。どこで見た顔なんだ?


 しばし男と見つめ合っていると、出っ歯男は不思議そうに首を傾げた。


「確かにキレイな毛並みの馬やな。額から鼻に真っすぐ伸びる流星も、お母さんそっくりや。せやけど、うーん、なんというか、母親と違って目に迫力がないな」


 その言葉に友蔵おじさんが苦笑する。


「はは、仔馬の頃からトモエロードみたいな迫力を出されちゃ、世話する身としちゃたまらんよ。目力はなくても、まん丸で可愛い目をしてるだろ?」


 うーん、と出っ歯男が唸った。


「いや、俺が言いたいのはそういうことやなくてやな……」


 言葉を探すように、出っ歯男が言い淀んだ。そして、


「この牧場の馬はテレビ見るんか?」


 突然、突拍子もないことを質問した。


「は? テレビ?」


 友蔵おじさんが聞き返す。


「いや、トモエロードの子が俺を見る目がな、俺を街中で見つけた視聴者みたいやねん。『あのおっさん、どっかでみたことある顔だな。ひょっとしてテレビに出てた人かな?』と、不躾に俺をじろじろ見てくる連中と、あの仔馬がおんなじ顔しとんねん」


 だからひょっとしてあの馬も、テレビで俺を見たことあるんじゃないかと思ったのだと、出っ歯男は付け加えた。


 そして、その出っ歯男の発言を聞いた瞬間、バチンと私の中の眠れる記憶が蘇った。


 テレビ。そう、テレビだ!


 私が人間だった時、物心ついた頃から毎日眺めていた四角い箱! あれがテレビだ。


 そして、そのテレビに映し出されていたゲイノウジンと呼ばれる小人たち。そうだ、この出っ歯は芸能人の一人だ。


 私が毎週見ていた、バラエティー番組の司会者だ! 名前は確か、えっと、なんだっけ?


「あいにく、うちの牧場にテレビを見るよう奇特な馬はいないよ。いくら大泉笑平が有名だからって、馬にまで顔を知られている訳ないだろう」


 そう、大泉笑平! 完全に思い出した。お笑い芸人の大泉笑平だ。うわ、うわぁ、本物の大泉笑平さんだぁ!


「……俺の顔も思い出せん一般人の顔から、俺のファンの顔に変わりよった」


「へ? なにが?」


「いや、なんでもないわ。あんまり言うと、俺の頭がおかしいと思われそうやし」


 小さくそう呟くと、笑平さんは私から視線を外し、私以外の馬達のことをあれこれと友蔵おじさんに尋ね始めたのだった。



~大泉笑平という名前が出来るまで~


北海道にゆかりのある面白い芸能人誰かいるかな?→苗字は大泉にしよう


職業がお笑い芸人だから名前に『笑』を入れたい。なるべく覚えやすい名前がいいから笑平とか笑太郎とかそのあたりで→笑平でいいや


作者のネーミングセンスは死んでいることをここに告白します。




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