故郷への帰省と久々のお母さん
阪神JFで勝利した翌週。私は馬運車に乗せられ、故郷の巴牧場に一度帰省することとなった。
私が次に走るレースは春になるそうで、冬の間は放牧で私の身体を休ませるというスケジュールであるらしい。
実は夏にも一度放牧で帰ってきているので2度目の帰省になるが、今回は牧場スタッフ総出で私のことを迎えてくれた。
ちょっとした王様待遇である。
友蔵おじさんだけは、私が最優秀何とかという賞に表彰されるかもしれないとかで、何やらブツブツと言っていたが、なんにせよ暖かく出迎えてくれた。
その証拠に、帰って来た最初の日のご飯にはバナナやリンゴなど、私の好物がたくさん入っていた。
これもGⅠ馬に対するビップ待遇という奴なのだろう。
「娘よ、久しぶりだな。随分大きくなった」
「お母さん!」
でも、一番嬉しかったのは母と再会できたことだ。夏に帰省した時は会えなかった母だったが、私のことを忘れずしっかり覚えてくれていた。
嬉しくて首と首を重ね合い、お互いの身体をグルーミングする。人間でいうところのハグだ。
一頻りの抱擁の後、私は母にたくさんのことを話した。
仔離れで母と離れ離れにされてから、郷田厩舎へ行き、郷田先生や東條と出会い、レースで戦ってきたことを。
競走馬として駆け抜け、戦い抜いたこの1年間を、私は一気に母に話した。
随分長いこと話し続けた気がするが、母は時々相槌や質問を挟みながら、嬉しそうに私の話を最後まで聞いてくれた。
「最近、牧場の人間達に笑顔が増えていたのは、お前の仕業だったんだねぇ」
しみじみと、母が言った。
その言葉で私の中に阪神JFを勝った時の誇らしい気持ちが湧いてきて、それから私はもっともっとたくさんのことを母に話した。
自分でも、随分たくさんのことを一度に話し過ぎてしまったように思う。
でも、仕方ないではないか。何せ母と離れて以来、私には言葉が通じる話し相手がいなかったのだから。
今更だが、人間に私の言葉はもちろん通じない。東條とはレース中は何となく意思疎通出来ている気がするが、あれも会話とはちょっと違う。
そして残念なことに、母以外の馬達にも私の言葉は通じない。
仔馬だった頃から、母以外の牧場の馬達がしゃべらないことには一応気付いていた。
母と離されてからは、同じ群れの仔馬達との会話も試みてみたが、皆私の言葉を理解しなかったし、私に何がしかの言語で話しかけてくるような馬もいなかった。
郷田厩舎の馬達も、パドックで出会った馬達も、話しかけてみたことはあるが誰もしゃべらないし、やっぱり私の言葉は通じない。
仔馬の頃は毎日母とおしゃべりして過ごしていた私にとって、話し相手がいないというのは結構なストレスだった。
東條と出会えてからはそのストレスも大分和らいだが、それでも会話が出来る母は私にとって唯一無二の存在だ。
「馬の中でも言葉を使う者は滅多にいないよ。特別賢い馬にしか言葉は分からないのさ。私も、私の母以外に私の言葉を分かってくれる馬とは、お前が生まれてくるまで出会えなかった」
「え、そうなの!?」
「そうだよ。ああ、だが、前の前の春に産んだ娘は賢かった。最初は言葉が分からなかったが、話しかけてやっていたら徐々に私の言葉を覚えた。だから私が出会った言葉の分かる馬は、お母さまとお前とあの子の3頭だね」
え、前の前の春に生んだ娘って、私の妹ってこと? 私に妹いるの? というか、そいつもしゃべれるの!?
ちょっと待って欲しい。前の前の春に生まれたということは、その馬は多分私より1歳年下の妹ということだ。
おそらくまだギリギリこの牧場にいるか、あるいは調教師に預けられてしまった位の時期だろう。
まだこの牧場にいるなら是非会ってみたいが、どうだろうか。
母がここにいる以上、仔離れさせた馬がここに連れられてこられるとは思えない。少なくとも私は、仔離れさせられてから今日まで母に会わせて貰えなかった。
母と一緒に過ごすなら巴牧場でその妹とはまず会えない。会えるとしたら、どうだろう。
美浦トレーニングセンターの厩舎の所属になれば、どこかですれ違うこともあるかもしれないが。
栗東という関西のトレーニングセンター所属なら、出会える場所は多分レース場位だ。もし地方馬主に売られてしまっていたら、どこで会えるのか見当もつかない。
姉妹とはいえ、出会う可能性は随分低そうである。
「……ちなみに私の妹って、どんな馬?」
「鹿毛の馬だな。お前によく似た可愛い顔をしている」
鹿毛かぁ。大して珍しくもない毛色だ。私や母と同じ栃栗毛なら、もう少し探すのも簡単だったろうに。
年下の鹿毛の牝馬を見つけたら、なるべく話しかけてみようと思いつつ、その日の母との会話は終わったのだった。
そうして私は、巴牧場での冬の放牧をのんびりと満喫した。
事件らしい事件と言えば、12月最後の日曜日に『なんで今年に限って牝馬がホープフルを勝つんだあああああ!?』という友蔵おじさんの絶叫が牧場に響いたくらいで、至って平和だった。
ストレスのない、最高の環境での休暇だ。
何せ、前世の記憶を取り戻してからずっと私を悩ませてきた、『レースで勝てなければ殺処分される』という恐怖が、綺麗さっぱりなくなったからだ。
なんてったって私は、晴れて母と同じGⅠ馬になったのだから、流石にもう処分される心配はない。
後は怪我にだけ気を付けて競走馬としての現役生活を終えれば、母のような牧場でののんびりスローライフが私を待っている。
この楽しい、何にも怯えなくていい休暇のような毎日が、これからはずっと続くのだ。
もう死に物狂いで走る必要は私にはない。肺がつぶれそうになっても、脚がちぎれそうになっても、限界まで走り抜く必要はもうないのだ。
……ほんの少しだけ。ゴール前で競り合うあの熱さを、勝った時に浴びる歓声を、もう味わえなくなることに寂しさを感じたが、きっとこれは気の迷いだろう。
そうして私はぬくぬくと、本当にだらだらと、巴牧場での放牧期間を過ごした。
以前のように、牧場の中を走り回るようなこともしなかった。
少し太ってしまい、友蔵おじさんにご飯の量を減らされたりしたが、断食されたわけではないので特には困らない。
「ダイ子、あんまり気を抜いちゃいけねえぞ。お前の本番は、春から始まるクラシックなんだから」
友蔵おじさんはそんなことを言う。まあ、2歳でGⅠ獲ったから、3歳でも獲って欲しいって気持ちは分かるけどね。
そんな人間の事情、私の知ったことではない。私はもうやり遂げたのだ。もう頑張らなくていいはずなのである。
そんな風に思っていたのだが、私がだらだらしていることを、友蔵おじさんは郷田先生に告げ口してしまったらしい。
その結果、私は当初の予定よりも早めに放牧を切り上げられ、郷田厩舎に帰らされる破目になったのだった。ちくしょう。
明日は朝6時と昼12時の2回更新予定です。朝6時投稿分は短めになる予定です。
入れるタイミングを中々見つけられなかった主人公のおしゃべり事情。ようやく説明出来ました。
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