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2歳シーズンの終わりと博打が始まる春の足音


 写真判定などでレース結果が出るまで時間が掛かりそうな時は、ウィニングランをせず負けた馬と一緒に地下馬道へ降りていくという決まりがあるらしい。


 そんな決まりを馬の私が知る訳がない。だって私、今日まで無敗だもの。


 レースが終わったら、ウィニングランするものだって思っていたもの。


 走り出した時東條が妙に慌てていたし、係員のおじさん達が止めに来るから何かと思ったが、走り出したい気持ちを抑えることは出来なかった。


 なんてたってGⅠに勝ったのだ。そう、私はついに、GⅠレースに勝っちゃったのである。


 0歳の頃に前世の記憶を思い出し、苦節2年と数カ月。負けたら殺処分されると怯えながら、死に物狂いで走り続けた日々。


 それが今日ついに、ついに報われた。


 私はGⅠ馬になった。お母さんと同じ、GⅠ馬になったのだ!


「うおおおおおおん。ダイ子ぉ。ダイ子、ダイ子ぉ!」


 阪神JFのレースが終わった後の口取り式。記念撮影の為に私の関係者が一堂に集まったその場所で、友蔵おじさんは私の首にすがりついて号泣し続けていた。


 正直うっとおしいので、いつもなら振りほどいてしまうところなのだが、今日は私がGⅠ馬になっためでたい日である。


 勘弁して気が済むまで泣かせておいてやろう。今日の私は機嫌がいいのだ。


 寒空の下、記念撮影のため友蔵おじさんの号泣が止むのを待たされることしばし。


 私と一緒に友蔵おじさんが泣き止むのを待つ羽目になってしまった騎手の東條や、郷田先生含む郷田厩舎の面々は、文句も言わず和やかに私に縋りつく友蔵おじさんを見守っている。


 この場にいる皆、表情が明るい。全員が誇らしげな顔をしている。


 私が今日勝ったことで、ここにいる全員がこんな表情になっているというのは、何だかとってもこそばゆく、やっぱり誇らしい気持ちだった。


 不意に、ぽんぽん、と背中を叩かれた。振り向けば、大泉笑平が私の背中に手を置いていた。


 私は、これまで私にバインバインボインという不名誉な馬名をつけたこのクソったれの馬主に、隙あらば噛みつこうとしてきた。


 その度に郷田先生や東條に止められるので、ついぞ噛みつけたことは一度もないが、復讐の機会をずっと窺ってきた。


 私の復讐心はすでに大泉笑平にバレてしまっており、そのせいで今では滅多なことでは大泉笑平も私に近づかなくなってしまった。


 しかし、GⅠ勝利というものはそういった警戒心すら鈍らせるものらしい。用心深い憎き馬主は、今、無防備にも私の真横にいる。


 いける。今ならば噛みつける。何という僥倖(ぎょうこう)か。GⅠタイトルを取るのみならず、積年の恨みを晴らす機会までもが、いっぺんに舞い込んでこようとは!


「……お前はほんまに偉い奴やな。おめでとう」


 聞いたことがないほど真面目な声色で、私にしか聞こえないくらいの声で、大泉笑平はつぶやいた。

 そして、労うように私の背を撫でる。


 …………なんだ急に。そんなしおらしい態度なんか取って。


 いつもと違う大泉笑平に動揺するのも束の間、大泉笑平は友蔵おじさんに話しかけ、泣き続けていたおじさんを見事に宥めてみせる。そして、記念撮影のため私から少し離れた位置に移動していった。


 ……。…………。………………。


 まあ、今日のところは噛みつくのは勘弁しておいてやろう。

 今日はめでたい日だし、私の機嫌もいいからな。復讐はまた今度だ。


 関係者一堂が改めて並ぶ。私はそのセンターに立つ。


 パシャリ!


 カメラのシャッター音が鳴り、撮影はつつがなく終わったのだった。



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『JRA最優秀2歳牝馬』という賞がある。


 年度代表馬と同じく、年の終わりに競馬記者達の投票によって決められる、その年最も活躍した2歳の牝馬を表彰するための賞だ。


 ただこの賞は、果たしてその投票に意味があるのかという疑問を呈されることがあった。


 というものも過去20年以上に渡り、最優秀2歳牝馬は必ず阪神JFを勝った馬が選ばれてきたからである。


 これは2歳牝馬に限った話でないが、馬齢、性別問わず過去の最優秀馬はGⅠレースを勝った馬から選ばれてきた。


 そして、2歳馬が出走できるGⅠレースは日本に3つしかなく、その内牝馬限定のレースは阪神JFのみだ。


 牡馬ならば朝日FSとホープフルステークスというGⅠレースが2つあるため、どちらを勝った馬を選ぶかで票が割れる余地がある。


 しかし、牡牝混合レースである朝日FSとホープフルステークスを勝った牝馬は、過去1頭もいない。


 その為、2歳牝馬限定GⅠである阪神JFが創設されてからは、毎年必ず阪神JFを勝った馬が最優秀2歳牝馬の栄光を手にしてきた。


 最優秀2歳牝馬は『阪神JFを勝った馬が選ばれる』ということが半ば決まってしまっており、わざわざ投票する意味が果たしてあるのかという状態だったのだ。


 さて今年、バインバインボインという2歳牝馬が、阪神JFを勝利した。


 テレビタレントがオーナーで、騎手は人気急上昇中の東條薫で、調教師は元トップジョッキーの郷田太。


 話題性も注目度も抜群のこの馬が、記者達の票を集めるのは想像にたやすく、間違いなく最優秀2歳牝馬に選ばれると思われていた。


 阪神JFの2週間後。1年の最後に開催される締めくくりのGⅠレース、ホープフルステークスが始まるまでは、誰もがそう思っていたのである……。





『あっという間に先頭になった! あっという間に先頭になった! 後続を3馬身、4馬身、5馬身、追いつけない。これは誰も追いつけない!


 地の上を滑るように、まるで空を飛ぶように、まだ伸びる、6馬身。更に伸びる、7馬身。強い。強い。強――ぉぉぉい!!


 これはもう大楽勝だ。これが本当に牝馬の走りか。並みいる牡馬を置き去りに、完全なる一人旅。独走のまま今ゴーーール!


 なんということだ。一体何を見せられたのか。凄まじいものを見てしまいました。年の最後、今年最後のGⅠで、日本競馬の歴史が変わりました。


 牝馬による、史上初のホープフルステークス制覇であります。

 GⅠ2000mを、2歳牝馬が牡馬を押しのけ、7馬身差で圧倒です。


 この国の競馬史が、今一つ塗り替えられました。


 史上初の偉業を成し遂げた女王の名は、ニーア アドラブル。


 今年最後のGⅠを制した、ニーアアドラブルです!


 会場からは割れんばかりの拍手。拍手が止みません。今見たレースの興奮が、来年この馬が見せてくれる走りへの期待が、拍手と歓声となって降り注いでいます……』



 ニーアアドラブル。


 スペイン語で『愛らしい娘』という意味の馬名を持つその馬は、今年最後のGⅠレースで、その存在を強烈に競馬ファン達の記憶に焼き付けた。


 史上初めて、ホープフルステークスに勝った牝馬。

 史上初めて、牡牝混合の2歳GⅠに勝った牝馬。

 史上初めて、阪神JFを勝たずにJRA最優秀2歳牝馬を受賞した馬。


 自ずと期待されるのは、翌年のクラシック戦線での活躍。


 東條薫という騎手は言った。“勝てるか分からないレースは全て博打” だと。


 また、こうも言った。“バインにとって阪神JFは博打ではなく、勝利を確信出来る勝負” なのだと。


 勝負は終わった。バインという馬は勝負に勝った。


 博打が始まろうとしている。


 勝てるかどうか分からない、一か八かに賭ける戦いが、始まろうとしていた。


 年末の寒さの向こうから、開戦の春の足音は全ての競走馬たちのもとへ、確かに近づいて来ているのだった。



次回の更新は明日の昼12時になります。朝6時の投稿はお休みです。よろしくお願いします。


2歳戦績4戦4勝、うちGⅠ1勝含む重賞3勝にて2歳シーズンフィニッシュです。




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何卒よろしくお願いいたします。

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