前へ次へ
19/113

アルテミスステークス決着 ~私の相棒~


 スタートから第3コーナーに入るまでの長い直線を、私は3位の位置で進んでいた。


 先頭を走るのは好スタートを切った7番の馬、私の真正面方向2馬身ほど先を進む小柄な葦毛馬である。

 その馬の真横を半馬身差で追走しているのが、現在2位の10番の馬。


 そして私とほぼ横並びの位置にいるのが現在4位、12番の馬。そう、私の前任騎手が乗る、あのみすぼらしい栗毛馬である。


 12番が私の隣に並びかけてきた時は、前任騎手がクビにされた腹いせに何か妨害でもしてくるのかと身構えたが、今のところそのような様子はない。


 私に体当たりしてくることも、東條騎手に暴言を吐くことも、私の名前を馬鹿にしてくることもなかった。


 ただ、わざとか偶然かは分からないが、私の真横というその位置取りはやらしかった。


 今の私は内ラチの柵と12番の馬体に挟まれているような状況である。


 そして私の正面は、先頭を争う2頭の馬で蓋をされている。この2頭を抜くには一度外に出てから抜く必要があるが、真横に12番がいるせいで外側に抜けることが出来ない。


 12番がスタミナ切れを起こして後ろに下がるか、もしくは12番が前に出るのを待ってから動き出す必要がある。


 いずれにせよ12番の動きを待たねばならず、主導権を12番と前任騎手に握られてしまっている状況だった。


 コースの内側を進むのは、東條騎手からの指示だ。


 今のこの状態は東條騎手によって作り出されたとも言えるが、果たしてこれは彼の作戦通りなのか、あるいは思ったようなレース展開になっていないのか。


 レースは前2頭が競り合い、徐々にペースが上がってきていた。

 いつの間にか先頭との差は3馬身差に開いている。直線の終わりが近づき、第3コーナーに差し掛かる。


 レースが動いたのはそのタイミングだった。

 ずっと私の真横に張り付いていた12番が、私を置いて前へ飛び出し、そのまま前2頭に並びかけたのである。


 当然、今まで埋められていた私の隣の空間が空く。


 チャンスだった。今ならば誰にも邪魔されず前に出ることが出来る。


 大きく外を回り、前三頭に並びかけることが出来る。


 前回のレースもそうだった。前回も同じように隣を走っていた馬の動きに合わせて前に飛び出し、最後には先頭を勝ち取った。


 今回もそれに(なら)えと、横に飛び出そうとした、その時、


『待て』


 ぐっと、私の進みたい方向の逆方向に手綱が引かれ、騎手から待ったを掛けられた。


 何故と(いぶか)しむ。ようやく隣に張り付いていた邪魔者がいなくなったのだ。

 ようやく前に出るチャンスを得たのだ。ここで前に出ずどうやって勝つ?


『まだだ。まだこのまま。このままでいい』


 このレースが始まってから、初めて私の中で迷いが生じた。


 騎手からの指示を無視し、横に飛び出すか。指示に従い、このままここで大人しく走るか。


 このレースはGⅠの前哨戦だ。あまりにひどい結果を出せば、GⅠ挑戦自体を取りやめることにだってなりかねない。


 当たり前だが、勝たねばならない大事なレースなのだ。レースの結果に命が掛かる競走馬にとって、負けてもいいレースなどない。


 私は悩む。自分の力だけで勝った過去2戦を思い出す。前任騎手を背に乗せていた時の、自分一人の力だけで戦ってやろうという決意を思い出す。


 初めて会った日の、東條騎手がしてくれた約束を思い出す。


 悩んで悩んで、私は決めた。今日は、今日だけは、東條騎手の言うことを聞いてやる。

 絶対に負けたくはないが、いざとなれば指示を無視して飛び出すつもりだが、それはまだ今ではない。


 今はまだ、私の騎手を信じてみよう。


 そうこうしている内に、私の真横にまた別の馬がやって来た。ゼッケンは4番。これでまた私の横が塞がれた。横から外を回り前に並びつけるルートが封鎖された。


 これ本当に大丈夫なのか。大丈夫なんだろうな?


 もはや半信半疑になりながら、第4コーナーに差し掛かる。


 鞍上からはペースを上げろとの指示。ただし進路は正面。


 その指示のタイミングと内容に、色々言いたいことはあったが、一度信じると決めたのだ。私は指示に従い、前との距離を詰めた。


 先頭を走る7番の真後ろに付ける。私の目の前に、7番の葦毛の尻と尻尾がくる。


 で、ここからどうするんだ東條騎手。前を並んで走る7番と10番が壁になって、これ以上は直進できない。


 それどころか私と並ぶように位置を上げた4番と、ずるずる下がって来た12番で、すでに横も封鎖されている。


前2頭、横2頭、内ラチの柵で、私は『コ』の字に閉じ込められてしまっている状況だ。


 閉じ込められたまま第4コーナーを曲がり終え、東京の長い最終直線に出る。


 後ろの馬達の足音が大きくなってくる。私の大嫌いな、後方の馬達が速度を上げて襲い掛かってくる音が聞こえてくる。


 この音を聞くとどうしたって焦る。前と横を封鎖されて先頭に出られないのに、後ろから馬の大軍が迫ってきている。


 焦りは一瞬で苛立ちに変わった。自分の頭の中が沸騰するのが分かった。


 どうすんだ東條騎手。どうするんだ東條!


 お前はこのまま何もせず、閉じ込められたままレースを終えるつもりなのか。それでは勝てない。前2頭にフタされたままでは、どんなに頑張っても3位までにしかなれない。


 それとも東條騎手は、今日のレースは3位や4位でも別にいいと思っているのだろうか。勝つ気はそもそもなく、負けてもいいと思っているのだろうか。


 頭の中が怒りで煮えたぎる。東條に対する様々な感情が噴き上がる。


 裏切られたという思い、騙されたという怒り、騎手なんて信じるのではなかったという後悔。

 それでも負けたくないという、意地。


 こうなれば破れかぶれだと、横を塞ぐ4番や12番に体当たりしてでも前に出ようとしたその時。


 グイっと、進路を変えさせられた。


 私が行こうとした、外へ向かう方向とは逆方向。コースの内側へ寄る方向に体を引っ張られる。


 初めての感覚だった。頭では外側へ向かおうとしているのに、気づいたら体が内側へ操作されていた。


『行け』


 行くってどこへだ。前は塞がれている。


『正面だ。真っすぐ進め』


 正面、正面!? 


 今私の前にあるのは、7番の尻と内ラチの柵だ。


 まさかこの、7番の尻と柵の間にある、この狭い隙間に突撃しろというのか。


『行け』


 いや、さすがに無茶だ。人間じゃないんだ。私の大きな馬体があの隙間を通れるとは思えない。


『行けぇ!』


 バシーン! と、騎手からの鞭が飛んだ。


 訓練で身に付けた習性で、思わず加速してしまう。


 東條―――東條!


 この野郎ッ、これで柵にぶつかって怪我でもしたら、お前を蹴り殺してやるからな!


 恐怖を押し殺し、一か八かと柵と7番の隙間に飛び込んだ。


 ……!? …………。

 あ、意外と通れる。突っ込んでみると全然広い。いける。……いける!


 内ラチを通り、7番に並びかける。

 すると並ばれた7番は、邪魔するように私に幅寄せをしてきた。


 なんだそれは、威嚇のつもりか。私はたった今、お前と柵に激突するつもりで前に出て来たところだぞ。そんなんでこの私がビビるとでも思っているのか。


 邪魔だ。7番、お前はレースが始まってからずっと邪魔だった。ずっと私の前を走り続け、ただひたすらに目障りだった。


 だからどけ。どけよ。私の視界から消えろ。どけぇぇぇ!


 7番の幅寄せを一切無視し、ただただ前へ真っすぐに進む。

 

 まったく動じない私に恐れをなしたのか、7番は逆に怯えたように外側へよれ、私から離れていった。


 その隙に半馬身、7番より私の体が前に出、私が先頭になる。


 鞍上の東條から更なる鞭が飛ぶ。


 鞭で打たれる度に、私の身体が前へ前へと押し出される。


 痛くはない。分厚い筋肉に守られた馬の肉体には、非力な人間の鞭ごときでは痛みなど与えられない。

 与えられるのは何かの合図か、もしくは『驚き』程度だ。


 でも東條の鞭は違う。東條の鞭は、私を前へ前へと押し出してくれる。面白い、楽しい、前へ進むのが気持ちがいい。


 これが本物の騎手の鞭。これが本物の騎乗。これが、私の騎手の本気。


 7番と、その隣にいた10番の馬を完全に抜き去り、突き放す。

 遠くから、後方に控えていた馬達の足音が近づいてくる。


 だが分かる。迫力が足りない。


 新馬戦の時に感じたものよりも、札幌で牡馬達から感じたものよりも、足音に力を感じない。


 私が男達に混ざって戦ってきたからだろうか。今日のレースに出ている女たちは、どいつもこいつも迫力に欠ける。


 その程度の勢いでは、私には追い付けない。私と東條には敵わない。


 前へ前へとぐんぐん後ろを突き放し、そのままゴール板の前を駆け抜ける。


 私は初めて、レースを『圧勝』したのだった。



---



 終わってみれば楽勝だった。2着と3馬身差をつけての危なげない勝利。


 ゴール後に観客席の前をウィニングランし、拍手と歓声を浴びる。


 正直、前のレースまではこのウィニングランというやつが私はあまり好きではなかった。


人間達から勝利を称えられるのは気分がいいが、役立たずの騎手まで声援を受けるのが釈然とせず、不愉快に思っていた。


 だが今日は違う。今日の私の騎手は役に立った。東條は確かに私と一緒に戦い、私を助け、一緒にゴールしてくれた。


 初めて知った。一緒に戦った相手と共に喝采を浴びるというのは、なんとも気分が良く、嬉しさも誇らしさも2倍以上になるのだということを。


 今日のレースを振り返ってみれば、終始東條の作戦通りに進んでいたと言える。


 東條には私が最後に飛び出した内ラチの道が、最初から見えていたのだ。


 閉じ込められていたと思っていたのは私だけで、東條は初めから出口を見据え、飛び出す最良のタイミングをずっと窺っていた。


 もし私が東條の指示を無視し、12番と一緒に外を回って前に出ていたら、少なくとも圧勝することは出来なかっただろう。


 単純に外を回る分距離をロスしていたし、私が通った内ラチの道を後続の馬に使われて、逆転される可能性もあった。


 またあのタイミングで飛び出せば、12番と一緒にまだ体力の残る前2頭と競り合うこととなり、余計な体力を消耗してしまったはずだ。


 結果を見れば、東條は体力的にも距離的にも最もロスがない、安全かつ確実に勝つルートへ私を導いてくれたのだ。


 そしてそのルートは、私だけでは存在に気づくことすら出来ないものだった。


 もう言うことなしである。東條には私を勝たせる力がある。東條は私の知らないレースの勝ち方を知っている。東條は私を勝たせてくれる。


 レース本番でここまでやってくれた以上、最早文句のつけようはない。


 東條は私の騎手だ。私の騎手に決定だ。


 ウィニングランを終え、レース後の検量を行うため、検量室前で東條を降ろす。


「これで俺は、お前に相棒として認めて貰えたかな?」


 答えなんて分かっているくせに、はにかんだ顔で東條が尋ねてきた。


 当たり前だと、私は東條の胸に、自分の頭をぐりぐりしたのだった。



明日も朝6時と昼12時投稿です。


藤木「『馬にまたがっているだけで何の仕事もしていないお前などクビだ!』と言われて追放されたが、その後しばらくしても誰も帰ってきてくれと言いに来てくれない。おまけに俺の代わりに主戦騎手になった奴は普通に俺より優秀で大活躍していている件」



「面白い!」と思っていただけた方は、下にある☆マークから作品への応援をお願いします!


ちょっとでも「続きが気になる」と思っていただけた方は、是非是非ブックマークをお願いいたします。


何卒よろしくお願いいたします。

前へ次へ目次