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騎手から見た主人公


 東條がバインバインボインの主戦騎手になってから、数週間が過ぎたある日。


 東條はマンションの自室で、バインの過去2戦のレースや調教の様子を録画した動画を見ていた。


 東條には現在多くのお手馬がおり、バイン一頭だけに集中できるという環境ではない。

 しかし、それでも東條にとってバインという馬は頭の中を大きく占める馬になりつつあった。


 そしてその存在感は調教をする度に、またバインのレースの動画を視聴する度に、東條の中で少しずつ大きくなっていっている。


 バインは過去2戦を、騎手の力に頼らずほぼ馬の力だけで勝っていた。


 というのも前任の藤木騎手は、レース中バインを馬なりに走らせていただけで、騎手側から馬の走りをコントロールしようという動きをほとんど見せていないのである。


 にも関わらず、バインのレース運びは巧みだった。


 ゴールの位置と馬のスタミナの残りを把握しているような仕掛け。先頭に並びかけるタイミング。先頭を抜いて出るタイミング。


 それらは決して最善という訳ではない。東條の目から見れば、まだまだ荒さを感じる『ベスト』ではないレース運びだ。


 親しい新人騎手が同じレース運びをしたら、勝利を褒めつつもアドバイスの一つや二つを贈ったかもしれない。


 だが、バインの場合はそれを騎手がやっていたわけではない。

 騎手の騎乗ではなく、馬自身が勝手に走ってそのようなレース運びになっている。


 それも1度ではなく2度続けて、もっと言えば、それを生まれて初めてのレースからやってのけている。


 (にわ)かには信じられないような話だった。そしてその事実を受け入れる為に、東條は何度バインのレースの動画を再生し、検証したか分からない。


 なんて賢い奴なのだと、何度目になるかわからないその感想を、東條は今日もバインに抱いた。


 自然と思い浮かぶのはトレーニングコースで初めてバインに乗った時のことだ。


 その背に初めて乗った瞬間は、特に何も感じなかった。


『後の名馬に騎手が初めてに乗った時、背筋に電撃が走った』なんて話をたまに聞くが、そういう特別な感覚はなかった。


 走り出した時も、特に変わったことはなかった。綺麗なスタートと、定規で線を引いたような真っすぐの走り。乗りやすい良い馬だと思った。


 異変、いや、異常が起きたのはその直後。


 突然バインの身体が揺れたのである。正確に言うと、走行中の『揺れ方』が変わった。

 急に縦揺れが大きくなり、しばらくすると今度は横に揺さぶるような動きが加わる。


 まずいと、東條は思った。バインのその動きを暴走の前兆ではと危ぶんだからだ。


 バインが初対面の騎手を振り落とそうともがき始めたのかと思い、東條は身構えた。


 だが、その危惧が杞憂であることはすぐに判明した。

 

 何故ならバインの身体の揺らし方が、必ずしも騎手を振り落とそうとする動きではなく、むしろ、途中からわざと揺れを小さくするような走り方すらしてみせたからだ。


 そして東條が揺れの変化に合わせ自分の重心をコントロールすると、バインはすぐに違う身体の揺らし方をし始める。


 そこでようやく、東條は気付いた。


『馬が騎手の技術を試している』と気付いたのだ。


 東條がその時やっていたのは、モンキー乗りと呼ばれる基本的な騎乗動作である。


 馬の身体は走る時上下に揺れる。騎手はその縦揺れに合わせ、あぶみの上で膝と腕を曲げ伸ばしし、自分の身体を上下させる。

 そうやって馬と縦に同じ動きをすると、騎手の重心は馬の上で動かなくなる。


 騎手の重心が動かなければ動かない程、馬と人の合計重心のブレは小さくなる。

 そのブレが小さくなればなるほど、馬への負担は小さくなり、馬は速く走れるようになる。


 この馬はそれを試している。東條は直感でそう思った。


 東條という騎手がどこまでそれを出来るか、どこまでバインという馬の動きに合わせられるのか、東條薫という騎手の技術はどれほどのものか、今まさに測られている最中なのだと感じた。


 同時、頭の中の常識が、そんなことはありえないと否定する。


 馬は所詮馬だ。騎手の技術のことなど知るはずもないし、走り方をわざと変えて騎手を試す馬など聞いたこともない。


 この馬体の揺れも、きっと何かの偶然か、もしくはこの馬独自の癖のようなもので、人間をテストする馬などいるはずがない。


 だが東條の騎手としての、勝負師としての勘が、その常識に待ったを掛ける。


 自分は今、明らかに試されている。実力を示せと、腕試しを挑まれている。


 一つの確信が東條の胸に去来していた。今ここで自分の力を示せなければ、自分は一生この相手から信用されることはない。


 東條はその降って湧いた確信に従った。レース本番さながらの集中力で、バインとの初騎乗を乗り越えた。


 乗り越えた時、東條の中でバインはもう普通の馬ではなくなっていた。


 テストしていたのはバインだけではない。東條もまたバインをテストしていた。

 バインから出される課題をクリアしながら、東條もまたバインに様々な課題をつきつけ、分かるかと問いただした。


 その問いに、バインは全て正解で応えた。まるで人間のような察しの良さで、バインは東條の騎乗に応え、東條の思う通り、指示通りの走りをしてみせた。


『騎手の意図を完璧に理解し、その通りに走る馬』


 そんな魔法のような馬が実在することを、東條はあの日知ったのである。

 そしてその騎手にとっての夢のような馬は、なんとこれから東條のお手馬になるというのだ。


 喜びと期待で胸をいっぱいにしてコースを一周した後、東條はバインに話しかけた。


 自分がお前の騎手だと、騎手として認めてくれと。

 お前と一緒にGⅠを勝ちたいと、俺がお前を勝たせてみせると。


 興奮しながら、随分恥ずかしいことを口走った気がする。


 だがしかし、と、東條は思う。


 それだけではない。東條が感じるバインという馬の異常性は、『人間のように賢い』というだけではないのだ。


 東條はパソコンで再生されるバインの新馬戦のレースに目を落とした。


 そこには先頭でゴールへ向かうバインと、その一馬身後ろにピタリとつけたゼッケン2番の馬が走っている。


 そしてその動画には、その2番の馬の背に乗る東條の姿も映像には映されている。


 東條はバインの新馬戦で、2着になった馬の騎手だったのである。


 そしてその新馬戦で負けたからこそ、東條はレース後すぐに郷田厩舎を訪ね、バインの騎手になりたいと自らを売り込んだ。


 新馬戦の中で東條がバインに感じたものは『賢さ』ではない。


 賢さがバインの強さの理由の一つであることを、東條は最早疑っていない。しかし、東條がバインに惹かれた理由はそこではないのだ。


(半分だ。俺はまだこのバインバインボインという馬のことを、半分しか理解していない。『賢さ』はこの馬の特別な部分の半分でしかない)


 そして残りの半分は、きっとどれだけバインの調教を進めても、信頼関係を深めても、知ることは出来ない。


 郷田調教師がバインという馬の強さを信じ切れていないのも、おそらくそのあたりが原因だろうと東條は考えていた。


 バインの強さの残り半分を知る方法。それはきっとレースの中にしかない。


 東條には強い予感があった。自分がバインの本当の強さを知るのはきっと、レースの中、ゴールを巡る勝負の最中であるに違いないと。


 東條はもう一度、自分が負けた新馬戦のレースを最初から再生し直した。


 アルテミスステークス本番は、一週間後に迫っていた。



実は新馬戦で登場していた東條騎手。

バインは自分と周りの馬のことで一杯いっぱいだったので、敵の騎手のことはアウトオブ眼中、その存在を認識してすらいませんでした。



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