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主戦騎手登場 ~私を勝たせてくれますか?~


 札幌2歳ステークスが終わってから1週間ほどが過ぎた日の朝。


 私は郷田先生に私の新しい主戦騎手になるという一人の男性を紹介された。


 今まで私の主戦騎手だった青年を今週は見かけないと思っていたが、どうやら彼はクビになったらしい。


 きっと、私の背中の上で何もせずさぼっていたことが郷田先生にバレたのだろう。いい気味である。


 そして私は新しく来た騎手のことを観察した。


 身長は165cmほど。騎手としては背が高めの、痩せ型の男だった。


 髪は天パー気味。眼はタレ目。ニコニコとしたその表情からは、優しそうな印象を受けた。

 顔面偏差値はフツメン以上イケメン寄りといったところか。


 また、立ち姿は背筋が伸びていて、シャンとしていた。これは好感が持てた。

 前の騎手は立ち姿がナヨっとしていて見るからに頼りなく、だらしがない印象を受けたからだ。


 着ている服や靴にシワや汚れがないのも良かった。なんというか人間として『ちゃんとしている』印象である。


 とはいえ、あくまでこれは前世人間だった頃の物の見方でこの騎手を見た時の評価だ。


 馬である私としては、私の背中に上手く乗ってくれるか、私にレースの勝ち方を教えてくれるかが評価の全てだ。


 前の騎手のように、背中に乗るだけで重りにしかならないような奴なら必要ない。


 もし騎手というもの全てが前の騎手のような役立たずなら、私は今後一人でレースを戦っていかなければならない。


 それで今後も勝てるのかは分からないが、人間に言葉が通じない私はないものねだりをすることすら出来ない。


 今あるものでやるしかないのだ。役に立つ騎手がいないのならば、自力だけで戦う以外に道はないのである。


「それじゃ、早速だけどバインに乗ってもらおうか。今日は無理せず、乗り感を掴んでもらうつもりで」


 郷田先生の言葉に新しい騎手が頷き、私に乗ろうと近づいてくる。


 鞍にまたがる前に騎手は私の首にそっと手を触れ、私の目を見ながら話しかけてきた。


「お前がバインか。今日からよろしく頼むぞ」


 ふむ。初対面で私のフルネームを呼ばなかったことは褒めてやろう。『バイン』と呼ぶ時に名前を馬鹿にするような声色がなかったのもいい。好感度+1だ。


 返事の代わりに尻尾を一振りし、早く乗れと鞍が騎手の目の前に来るよう動いてやる。

 それに騎手は少し驚いた様子を見せたが、すぐに気を取り直し、私の背中に跨った。


 乗せた感じとしては、少し重い。前任の騎手より背が高い分体重も重いのだろう。


 これで前任者と同じ役立たずだったら、重りが増えただけで私にはデメリットしかないわけだが、さてどうか。


 増えた背中の重みに不安を感じつつ、私は今日のトレーニングコースのスタートラインに立った。

 騎手からのスタートの合図を受け、すぐさま駆け出す。そして、そし・・・・・・て?


 ん? アレ?


 違和感は、スタートと同時に起きた。私が走り出すと同時、突然背中が軽くなったのである。


 騎手が落馬したのかと思ったが、そうではかった。騎手はちゃんと背中に乗っているし、手綱も持っている。


 だが、背中に人間を乗せているのに、重さを余り感じなかった。

 スタート前には確かにあった人間の体重が明らかに小さい。まるでお化けでも背中に乗せているようだった。


 そして軽く感じる分、前の騎手の時よりもずっと楽に負担なく走れる。


 何が起きているのかと背中に感覚を集中させると、なんとなく理由が分かって来た。


 この騎手、私の身体の揺れに、自分の身体の揺れをピタリと合わせているのだ。

 

 騎乗技術に疎い私には、具体的にどうやっているのかは皆目見当がつかないが、とにかく私の背中に張り付くように自分の体重を移動させることで、私の身体に掛かる負担を小さくしているようだった。


 人間に例えるならば、リュックを背負っている時、リュックの中にある重い荷物が左右に大きく揺れてしまっては、重さに振り回されて歩くのが大変だ。


 逆にリュックの中身が固定されていれば、その分歩くのは楽になる。荷物が左右に揺れている場合よりも、リュックは軽く感じられる。


 多分この騎手は、それをリュックサックの荷物ではなく自分の身体でやっている。


 自分の身体の揺れを小さくし、またその揺れを私の身体の揺れの動きに合わせているのだ。私に『軽い』と思わせるほど徹底的に、それをやっている。


 多分、似たようなことは前の騎手もやろうとしていたのだろうが、あいつの技術は私に『軽さ』を覚えさせるほどではなかった。


 それに比べこの騎手は、走る速度を上げても下げても、わざと左右によれるように走ってみても、背中の重さは軽いままだった。軽さがピタリと私の背中に張り付いてくる。


 凄いことだった。ただスタートし、少し直線を走ったただけで、この新しい騎手は前の騎手との格の違いを私に見せつけてきたのだ。


 やがて直線が終わり、コーナーが見えてくる。私は騎手を試すつもりで、内ラチにぶつかるスレスレを走ってみることにした。


 前の騎手に初めてこれをやった時は、騎手の身体が怖がって委縮するのを背中越しに感じた。なんなら、あいつはその後曲がりながら私を外に膨れさせようとしてきた。


 果たして新しい騎手はどうするか。ぶつかると錯覚するほどあえてギリギリで曲がる。特に背中からは怯えや緊張は伝わってこない。


 私がコーナーのインを攻めるのを止めさせようともせず、何もしてこない。いや、違う。何かしている。何をしているかは分からないが何かをしている。


 何故私がそう思うかと言えば、曲がりやすいからだ。普段よりもコーナーが曲がりやすい。明らかにいつもよりコーナーでスピードが出ている。


 曲がる時どうしてもしなければいけない減速が、いつもより小さく済んでいる。


 なんなのだろう、これは。これも体重移動なのか、それとも手綱さばきなのか、何によるものなのかは分からない。しかしかつてなく綺麗かつ速くコーナーを私は曲がり切った。

 そしてそれが、騎手の何らかの技術による賜物(たまもの)であることは明らかだった。


 信じられない。私って、こんなに速くコーナーを曲がれたのか。騎手がいるとこんなにも走りやすいものなのか。


 感動して走る内、やがて次のコーナーが見えてくる。

 もう一度先ほどの気持ちのいいコーナリングを味わおうと、少しわくわくしながらコーナーに突入した。


 すると、今度は突然走りづらくなった。先ほどの真逆。スピードが乗らず、曲がりにくいことこの上ない。

 何事かと一瞬動揺したが、もしやと思い速度を緩めると、今度は急に走りやすくなった。


 なるほど今の走りにくさは、スピードを緩めろという騎手からの指示なのか。

 スピードを抑えてカーブを曲がりながら、息を入れ脚を休ませる。


 曲がり終え、直線に出た。


『さぁ、行け』


 声ではない。騎手は口を開けておらず、騎乗中一言も発していない。

 しかし私は確かに、騎手からのゴーサインを聞いた。


『お前の速さを見せてくれ』


 コーナーで溜めていた脚を一気に解き放つ。ゴールまでを一息で駆け抜ける。


 今まで何度も何度も走って来たトレーニングコース。けれど私は今日、今までで一番気持ちよくこのコースを走り切った。


 楽しい。


 私の胸が弾む。この私の新しい騎手を乗せて走るのは、とてもとても楽しい。

 

 そして思う。もしこの人を乗せてレースを走ったなら、もしこの人を乗せてレースで勝てたなら、それは一体どれだけ楽しいのだろうかと。


 コースを一周し終えたところで、私の騎手が私の背から降りた。


 そして、私の前にやってくる。最初に乗る時にそうしたように、私の目を見ながら、私の騎手は口を開いた。


東條 薫(トウジョウ カオル)だ。バイン、覚えてくれ。今日からお前の主戦になった、東條薫。お前の騎手だ」


 東條さんが私に話しかけてくる。どうやらこの人も郷田先生と同じ、馬にたくさん話しかけるタイプの人間らしい。


「バイン、お前は凄い馬だ。今日乗って確信した。お前はGⅠ馬になれる。約束するよ。俺が必ずお前をGⅠ馬にしてみせる。俺がお前を、絶対にGⅠで勝たせてやる」


 言って、東條騎手が私の首を優しく撫でる。


「だから、これからよろしく頼むぞ、バイン」


 勝てるのかもしれない。私は競走馬になって初めてそう思った。


 今まで誰も、私にGⅠで勝てると言ってくれる人はいなかった。


『勝てたらいいな』とか、『挑戦してみよう』とか、そういうことを言ってくれる人はいた。


 でも郷田先生ですら、私にGⅠで『勝てる』とは言ってくれなかった。


 けれども今日初めて、私に『勝てる』と言ってくれる人が現れた。

 初めて、私が『勝てる』と信じてくれる人が現れた。

 初めて、『勝たせてみせる』と、約束してくれる人が現れた。


 そして、その誰も私にくれなかった言葉を言ってくれた人は、口だけの人ではない。


 口だけではない、確かな技術と実力を持った人なのだということが、コースをたった1周するだけで分かってしまった。


 何か、言葉に出来ない何かが、私の中から込み上げてくるのを感じた。


 ないものねだりをしても無意味だと思っていた。人間に私の言葉は通じないから、ねだることすら出来ないと諦めていた。


 けれど今日私は、本当はずっと求めていた人に出会えた。


『騎手』のことではない。


 私と一緒に戦ってくれる人に。私と一緒に、私が求める勝利を目指してくれる人に。


 私は今日、そんな人に、生まれて初めて出会ったのである。


 どうかあなたの言葉に、嘘がありませんように。どうかあなたが約束を、違える人ではありませんように。


 あらん限りの願いと期待を込めて、私は東條騎手の胸に、自分の額をぐりぐりと押し付けた。


 東條騎手が、面白そうに私の頭を撫でる。


 私はようやく今日、東條薫という私の騎手と、出会うことが出来たのだった。



明日も朝6時と昼12時更新です。



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