新馬戦 ~初めてのレース 初めての勝負 初めての決着~
好スタートを切り一瞬だけ先頭に立った私だったが、すぐさま横から飛んできた2頭の馬に抜かされ、3番手につけた状態で私の新馬戦は開始された。
先頭の馬から後ろ2馬身ほど空いて2位の黒毛馬が走っている。そのすぐ斜め後ろを私が走っている。
私の視界だと、自分のすぐ右斜め前に2位の黒毛の尻があり、正面やや距離をあけた先に一位の背中が見える形だ。
そして私含む先頭3頭からやや離された後方に、5~6頭ほどの馬がかたまって走っている。
その更に後ろがどうなっているかは、私の視界からは見えない。
なんだか凄く競馬っぽく走れている、という他人事のような感想が浮かびつつ、果たして自分の走る位置はこのままでいいのかという不安がよぎった。
何せ初レースなのだ。競馬の知識なんて前世でやったアプリゲームしかないのだ。
東京芝1400のレースで3位の位置、先頭と約3馬身、後ろの集団とも約2馬身。
この自分の位置取りが良いものなのか悪いものなのか分からない。
鞍上の騎手からの指示は、ない。
スピードを上げろとも、落とせとも、何の指示もなく、騎手はただ私に乗っているだけである。
後ろの集団が気になっていた。大勢が後ろに集まっているのだから、ひとまず自分もそこに加わった方がいいのではという気がしてくる。
こんな風に思うのは群れで暮らす馬の本能なのか、前世の頃の多数派にとりあえず加わろうという日和見の習性なのか。
一方で、自分の前を走る2頭のことも気になっていた。このまま前を走らせておいていいのか、抜くとしてどのタイミングで抜くのか、2位の馬くらいは今の内に抜いておいたほうがいいのか。
レースの正解が分からなかった。どう行動すれば勝てるのかが分からない。正解を知っているはずの騎手からも何の指示もない。
いや、だが指示がないのなら、きっとこのままでいいということなのだろう。多分。
少なくともレースにはついていけている。私の脚が遅すぎて、最後尾をポツンと走るという様な事態にはなっていない。
私は沸き上がる不安を押し殺し、今の位置とペースをキープするつもりで走り続けた。
レースが動いたのは、スタート直後にあった坂を上りきった時である。
まず、私の斜め前を走っていた黒毛馬が突然やる気をなくし、ずるずると下がっていった。私は2位に浮上した。
坂を上り切った先はカーブになっていた。いわゆる第3コーナーというやつだろう。
走る距離を節約するつもりで、私は内ラチのスレスレを走った。
一方、先頭の馬はカーブが苦手だったようで、もたもたとよろつき明らかにスピードを落とした。
結果、私はペースを上げたわけでもないのに、先頭の馬の真後ろに付けてしまった。
ぶつからないよう走る速度を落とさざるを得なかったほどである。
そして迎えた第4コーナー、先頭の馬はまたももたつき、大きく外に逸れていってしまった。
必然、私の前が空く。気づけば私は先頭に立っていた。
その時コースの端にある、『6』と書かれた看板が前方に見えた。
確かあれは、ゴールまでの残り距離を示す看板だったはずだ。
残り600mでゴール。つまり、残り3ハロン。
行ける!
私は騎手の鞭も待たず、全速力で駆け出した。
3ハロン。3ハロンだ。競争馬として訓練を受けた私は、メートル表記でなくともハロンで距離の感覚を明確にイメージ出来るようになった。
その感覚が、訓練で身に付けた感覚が言っている。
残り3ハロンならば、ここから全力で走ってもバテずにゴールまでたどり着けると。
アッという間に6と書かれた看板を超える。直線に出た。
最終直線だ。この先がゴールだ。もう位置取りなど関係ない。ゴールまで先頭を譲らなければ私の勝ちだ。
ドドド……!
後方から聞こえる馬の足音が大きくなる。音だけで分かる。ライバル達も全力で私を追いかけてきている。
大丈夫だ。息は続く。このまま行く。このまま勝つ。
4と書かれた看板を越えた。
ドドドドドド……!
足音が近くなっている。迫ってきている。私は全力で走っているのに、後ろとの距離がどんどん縮まっている。
それは私の脚が後ろの馬達より遅いということで、最高速度において劣っているということ。
嫌だ。負けたくない。あとほんの2ハロン。来るな、来るな、来るな!
2と書かれた看板を越えた。残り1ハロン。
もうこの先に看板はない。あるのはゴールだけだ。
苦しい。息が苦しい。自分の鼻息がうるさい。脚が重い。
ドドドドドド……
けれど、後ろの足音は大きくなっていない。後続の足音の大きさは、さっきから大きくならない。
いける。後ろの馬達の勢いが落ちている。後ろの馬達との差を私はキープできている。
なら、このままだ。どんなに苦しくても、速度を落とさずこのままだ。そうすれば、きっと、
ブフーゥ……
鼻息が、聞こえた。
私の鼻息ではない。
横から後ろにかけてを広く見通す馬の視界。私の右目に、そいつは映った。
後続の馬全員が私に追いつけなかった訳ではなかった。
後続の馬の中で最も脚の速い馬ただ一頭が、集団を飛び出し私を殺しに来た。
鹿毛の牝馬だった。着けたゼッケンは2番。私の隣枠にいたスタートで出遅れたはずの馬が、今は鼻息が聞こえるほど近く、私のすぐ後ろにいる。
こいつは私を殺しに来たのだと、何の違和感もなくそう思った。
嫌だ。嫌だ!
2番の馬から視線を切る。ただゴールだけを見る。
あと少し、あとほんの少しでゴールなのだ。負けたくない。抜かされたくない。ここまで来て譲れない。譲るなどありえない。
2番の鼻息が私の尻に掛かる。
よせ、やめろ。それ以上私に寄るな。私に近づくな。
必死に走る。前へ前へと脚を突き動かす。
抜かせない。抜かせない。抜かせない! 先頭は私のものだ。勝つのは私だ。死ぬのはお前だ。
ゴール板が見える。あと数歩、あとほんの数歩で届く。届け、届け、届け!
瞬間、真後ろから聞こえていた鼻息と足音が遠のき、私の身体は先頭でゴール板を駆け抜けた。
騎手に手綱を引かれ、足を止める。
荒くなった息を整えると、足音と鼻息しか聞こえなくなっていた世界に音が戻って来た。
観客席からの大きな拍手が聞こえてくる。
掲示板を見上げれば、勝者を示す一番上の位置に私のゼッケン番号である『1』が煌煌と輝いていた。
ああ、勝った。
全身の力が抜ける。代わりに、やり遂げたという達成感が全身を包む。
なんとも言えない多幸感。
背中に乗る騎手が、私の首を興奮したように何度も何度も叩いた。
大喜びの騎手を見ながら、ふわふわした気持ちでふと私は思った。
そういえばこいつ、レース中何の役にも立たなかったな、と。
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