連載小説における【第1話】の作法 ★新人なろう小説家が陥りがちなワナと、どうするのが正解だったのかを、あーだこーだ分析してみた結果★
前略、いろいろと失敗に気付き、人気作の『構造』なんかを自分なりに分析してみたわけで……
あたい、面白いアイデアと世界観 思いついたから、いきなりだけど連載小説でも書いてみようかしら……あはっ、これ絶対イケるわー!
こんなスゴい設定ダレも思いつかないし、ゆくゆくはメディアミックスなんかもされちゃったりして、ウハウハな未来が待ってるかもっ♪
――などと甘い夢を見て、連載を始める新人作家は非常に多い。
野心を持つのは良いことだが、それを裏付けるための『土台』が出来ていないと、どれほどの『素晴らしいアイデア』でも、自らの手でそれらを『生き埋め』にしてしまうということを、この時は知りもせずに……
読者の付かない作品は、その内容に関係なく『駄作』である。
そもそも読者が付かなければ、書く方のモチベーションも一向に上がらない。
中には「私は好きで書いているんだから、そんなの関係ない!」とばかりに、ほとんど評価が付いていなくとも『連載第100話』などという剛の者も存在する。
が少なくとも、私こと記憶者Bには全く持って不可能な話である。
(むしろ、その『無酸素状態』でも走れるエンジン、オレにも譲ってくれよ、とも言いたくなるが…)
【第1話の重要性】
前置きが長くなったが、今回お話ししたいのは『第1話』についてである。
自分で「面白いネタを考え付いた!」と思っている人間ほど、やらかしてしまう話。かくいう私も、御多分に漏れず、同じヘマをやらかしている。
第1話に重要なのは『つかみ』と『テンポ』である。
物語の始まり。
さらにその冒頭部分とは『物語の開幕』を告げるものでなければならない。
ここでまず新人なろう作家たちが、やらかしがちなのが
『冗長な説明』『説明のための説明』である。
まず自分の好きな作品の『導入部分』、その『構造』について自分なりに分析してみて欲しい。
これは各々の趣味・嗜好にも関わる部分なので、もちろん異論は認めるが、概ね「いったい何が始まろうとしているのか(始まっているのか)」という期待感を持たせるものとなっているはずだ。
『名作』と呼ばれるものの中でも、ドラマティックな作品ほど、この部分が非常に優れている。
落語でいうところの『枕』、漫才でいうところの『つかみ』であるが、ここで失敗してしまうと、本来は面白いネタでも、スベリ散らかすこと受け合いである。
【冒頭部分における『つかみ』について】
わずか5~20分程度のネタにおいても、この部分は必ず設定されている。
よほどのテクニシャンならば、敢えてそれをぶち壊すというのも、ひとつの手。
だがアイデアを思い付いただけで、書き始めたばかりの我々素人には、そんな技術もセンスもない。
――ならば、どうすれば良いのか?
それはずばり巧い作品の『構造をパクる』である。
ここでいうパクるとは、ネタそのものではなく、あくまでも『構造』の話。
いくつか自分が描こうとしている作品の世界観に類似する人気作を『分析』してみればいい。
まずは『書くための筋肉』を付けるための『トレーニング』だと思って。
初動の段階でまったく反応(評価)が得られない作品というのは、そもそも根本的に、この『筋肉が足りていない』はずなのだから。
【具体的な『つかみ』一例】
最初のうちは『ベタ』でかまわない。
特に異世界モノなどを書く場合は、少年マンガの方式を採用し、第1話の『ハイライトシーンの少し手前』をド頭に持っていき、そこから少し前の時間へと遡り、第1話の中盤あたりで最初のシーンに追いつく、という塩梅でも構わないだろう。
(いわゆる『緊張と緩和』における『緊張』の部分の冒頭設定)
他にも、説明のない段階では訳が分からない『意味深なシーン』を冒頭でぶつけるのも有効だ(これは少しだけ最初の例よりもレベルが上がる=説得力のある伏線回収などにおいて、書く技量が問われる)。
どのようなジャンルでもちゃんと分析すれば、そのジャンルごとの『雛型』が存在することに気付けるだろう。
構造をパクるというのは、武道などにおける『流派』の初歩的鍛錬みたいなもので、後はいろいろな流派をかじり、自分なりのオリジナル流派を作ればいい。
(ただし、設定そのものをパクって『元祖オレ流』を名乗ると、後に禍根を生むこととなるので注意)
【テンポ】
最後にテンポの話。
テンポというのは、ひとそれぞれで、それ自体がその作者の『味』ともいえる。
しかし『会話術』などと同様に、たどたどしいだけで『何も伝わらない』というのなら、早急に改善すべき項目でもある。
ならば、どうすればいいのか?
手っ取り早い対処法としては『ワンセンテンス(一文)を短くする』という手法ではないだろうか。
『句読点だらけ』でダラダラと続く文章は、読むに耐えない。
これは会話における「あの~、その~、あ~、う~…」と同じで、話している本人ですら『自分が何を伝えたいのかが正確には分かっていない』状態を現している。
「話しながら考えている」「書きながら考えている」という状態は『相手(=読者)の貴重な時間』を無意味に奪う行為でもある。
ワンセンテンス、最大でも30~40文字程度に抑え、その直後に続く言葉は簡潔に――これは読者に対する読みやすさの『最低限の礼儀』ではないだろうか。
いわゆる『丁々発止』の漫才などでは(…漫才の喩えが多いな)、ベース部分となっている一文がとにかく短い。
長くなるのは勝負をかける部分(畳み掛ける部分)くらいで、他は簡潔に、さらには間なども使い、巧みにテンポをコントロールしている。
【まとめ】
そのひとが本当に面白いひとかどうかも分からぬ、見知らぬ人間(新人作家)の冗長な話など、途中で読み捨てられるのが関の山。
ならば初っ端の礼儀として、やはり「これから面白い話をさせていただきます」くらいの『ご愛想(=筋トレの成果)』は身に着けておいて然るべきだろう。
十分に冗長に、テンポ悪くここまで述べてしまったが、これがこのコラムの筆者である『記憶者B』の現時点での分析結果である。
「第1話目でやらかしたな、オレ…」という反省も踏まえ(了)
追記:とりあえずショートショート枠にて、物語の第1話 or プロローグになるような短編を実験的に書き下ろしながら、筋トレ中……反応を見る限り、やはりまだまだ筋力不足のようで…う~ん(苦笑)