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女神降臨!

何だかアブない流れにw

「全軍、突撃せよ!」


 不在のファリドに代わって部族軍総指揮を任されたシャープールの号令一下、五千の騎兵が一気に動き出した。


 第一軍団の歩兵は漸くにして林を抜けたものの、煙をたっぷり吸いこんでパニック状態だ。味方に踏み潰された兵も多く、指揮系統は崩壊し、騎兵対策として組んでいた密集陣形も、当然ながら解けている。大混乱の中、武装を失った者も多い。


 ほうほうのていで草原に出てきた数百ばかりの歩兵群に対し、部族軍の騎兵が東西方向に走り抜け一気に蹂躙した。ほとんど無抵抗に槍先に貫かれ、シャムシールで斬られ、馬蹄に掛けられる第一軍団の歩兵たち。部族軍は一旦走り抜けた後再集結し、反転してふたたび敵の群れを突き抜ける。最初に林を抜けた千人ほどは、二回の突撃でほぼ全滅した。


 殺されるのを免れた兵はもう一度煙火に満ちた林に隠れようと試みるが、新たに必死で煙から逃れようとする味方の兵とぶつかり合って、煙で視界もままならぬ状況下で、さらに混乱を拡げる。その混乱をひきずったまま草原にのこのこ出てくる兵は、いとも簡単に部族兵の餌食になってしまうのだ。


 それを繰り返すこと一時間ほど。第一軍団側の主たる将帥は七千ばかりの兵とともにほぼ討ち取られ、アミールと親交があった若手将校が何とかまとめた三千の残兵が、部族軍に対し降伏の意思を示した。


「むう。これはまさに、一方的だな……」


 シャープールが唸るのも無理のないこと。五千騎の寡兵で一万の敵軍に打ち勝った部族軍の損害は、五十騎足らず……イスファハン王国の歴史をひもといてもこんな圧倒的戦勝は、恐らく見当たるまい。


「まさに。『軍師』殿の策よろしきを得たと言うべきか、『大魔女』殿の魔王のごとき……いや神のごとき奇跡の業と言うべきか……」


「いや、今回軍師殿の立てた策は確かに理にかなっておれど、大魔女殿の偉大な能力あって始めて実現できたこと。やはりこれは、大魔女殿の功績と言うべきものなのではないかな。いずれにせよ『軍師』と『大魔女』が揃って我が陣営にいることは、幸いとしか言いようがないな」


 部族軍の長たちは、口々に「大魔女」たるフェレの魔術を称賛し、「軍師」たるファリドは、おまけ扱いである。それほど、彼らの眼に映るフェレの為した魔術は、神にも等しい業であったわけだ。


 だが、彼らはまだフェレを、理解していない。


 フェレがあたかも神のごとき超絶魔術を実現できるのは、完璧な精神の安定あればこそ。その精神安定をもたらしているのが、ファリドに対する絶対的信頼……いやもうすでに、信仰とでも呼ぶべきものであることを。そしてファリドの与える、彼女をひたすら肯定する言葉がもしも失われたならば、フェレはその圧倒的な力を、失ってしまうであろうことを。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 馬を駆って戻ってきたフェレとファリドを、戦勝の興奮まだ冷めやらぬ部族軍の兵たちが、まるで地響きのような歓呼の声で迎えた。馬上で軽く手を上げて応えるファリドと、安定の仏頂面だがその白い頬を桜色に染めるフェレ。


「シャープール殿、予想以上の戦果だったようだね、お疲れ様」


「まったくだ。信じられない完全勝利だ。大魔女殿、軍師殿……部族軍の損害を最小限にして頂いたこと、衷心より感謝申し上げる」


 シャープールを先頭に部族兵の長たちが、ファリドとがっしり握手を交わす。若輩者である指揮官が百戦錬磨の部族軍から信頼を勝ち取るには、何より実績を挙げること。その実績を、思った以上に早く築くことができたなと、ファリドはほっと息をつく。もっとも現時点で彼らが寄せる信頼の七割方以上はファリドではなく、彼の隣に立つフェレに向けるものであろうが。


「林の中に、残敵はどのくらいいるかな?」


「おそらくまだ五百ほどはいると思うが、半分は焼けるか煙に巻かれるかして死んでいるだろう。残る奴らも組織的抵抗はできまい」


 ファリドの問いにホラサン族部隊の長が答える。たしかその名は、サドリと言ったか。


「よし、放っておくとこの乾燥だ、疎林が全部燃えてしまいかねない。フェレ、頼んでいいか?」 


「……わかった……ん……っ」


 フェレが深く一回息を吐き、ごく小さく気合を入れる。ラピスラズリの瞳が輝きを増し、黒髪がふわりと膨らんで、その頭頂と先端が複雑に色を変えていく。部族軍の者たちが彼女の神秘的な姿に見惚れている間に、どこからともなく雲が上空に集まり、やがて厚みを増していく。


「こ、これはっ……」


 やがてフェレが呼び寄せた雲は、激しい降雨を眼前の林「だけ」にもたらした。ものの数分でファリドたちが人為的に引き起こした山火事は鎮火し、そこにはまだ湯気を立ち昇らせている、半ばほどで延焼が止まった木々が。


「まだ青い葉も残っているし、雨も十分降らせたからな。きっと三ケ月もすればそれなりに植生は戻るだろう。この乾燥地に木々は貴重だから、できるだけ残さないとな。さあ、部族軍には、済まないが残敵掃討を頼みたい。出来るだけ殺さず、降伏させてもらいたいが」


 ファリドが長たちに語りかける。が、彼らはファリドの言葉が耳に入っていないかのように、ひたすら呆けた表情で、フェレの姿を見つめていた。


「まさに水の女神……やはり大魔女殿は、水と清浄の女神……アナーヒター様の化身だ!」

「そうだ、生命の源泉、川の女神たるアナーヒター様だ……」

「アナーヒター様は色白のうら若き乙女であるというが……まさに、あの姿だ」

 

 やがて部族兵の中からも次々声が上がる。


「女神様!」「アナーヒター様!」「尊い……」「フェレたん、神……」


 何やら危ない発言も混じっているが、フェレが部族軍の絶対的な信頼、いや信仰を勝ち取ったのは、どうやら確かなことであるようだった。


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