稼げる領地に
母ハスティが賞賛した出来事は、初めてファリドがフェレの故郷へ連れてこられた一年ちょっと前のこと。
領地の半分近くが水利の良くない扇状地であるのに、農作物が小麦ばかりなのを不思議に思ったファリドが、食卓を囲みつつ領主たるダリュシュ夫妻に理由を聞いた。
「先代の頃、不作で飢饉になったのだが、それ以来主食を優先する……というより主食ばかり作付けするように決めたのが、そのままになっているのである」
「しかし小麦ばかりでは、現金収入にならないのでは?」
「毎年、村で食い切れない分を小麦商人に卸すのであるが……」
「その売り方では買いたたかれてしまうでしょう? ただでさえ西方小麦の価格には勝てませんし……」
「その通りなのである。最近は商人から前借りすることも多く、さらに値下げをせざるを得なくなってしまうのである」
ダリュシュとの会話に、考え込んでしまったファリド。農機具を誂えるにも、病人を治すにも、子弟に教育を与えるのにも、何をするにも先立つものが多少は必要なはず。この村は単純に食うだけなら困らないが、「余分なこと」をするために必要な現金収入が、ほとんどないということなのだ。
「領主様、奥様、領地経営について少々提案があるのですが」
ファリドは、静かに切り出す。
「うむ、いずれは婿殿の領地となる村である、なんでも言って欲しいのである」
「おカネは本当に足りないのよね。いい手段があったら教えて欲しいわ」
ダリュシュの不気味な発言はともかくとして、二人とも柔軟に話を聞いてくれるらしい。
「では、聞いてください。小麦は命をつなぐためには必要ですが、必要以上にたくさん作っても商品としての効率が悪い作物なんです。領民が食べる分だけに抑えて、あとはこの村の強みを活かした作物にするべきです」
「この村の強み、とは何であるかな?」
「王都に馬車で数時間……こんなに大消費地に近いこと、それです。だから作物は、日持ちせず遠方から運べないようなものにして競争を避け、さらに商人を通さず直接王都の市場で売るのです」
ファリドの言葉に、ダリュシュもハスティもかなりの関心があるようだ。
「日持ちしないものとは、例えば何であるか?」
「まずは野菜ですね、根菜は長持ちするのでダメなので……葉物とかキュウリみたいな奴の方がいいでしょうか。それと果物ですけど、リンゴやナツメなんかは日持ちするのでダメで、イチジクとかモモとかアンズとか、汁たっぷりの傷みやすいやつがいいはずです。あとは家畜の乳や、ヨーグルトですかね。これは家畜を仕入れる元手がかかるので、最初は無理ですが」
「んっ……ファリドくんの話、よくわかるわ。ちょっとアルザングを呼んで来るわね」
やがて現れた、家令であり領地の作付けを采配しているという頭頂のあたりが寂しい中年の男にも、ファリドが同じ説明をする。男はしばらく黙って説明を咀嚼していたが、はたと手を打った。
「ふむ、婿殿のお話、たいへんよくわかります。最終的には果樹を中心とするのがよろしいようですな。この土地は水はけがよいですから、甘い果物が出来ますから。豊かに実るには何年かかかるでしょうが、まずスモモでも植えてみましょうかな。野菜もさっそく始めましょう、領民が自家で食べるために作っていた畑を、拡げればいいだけです。この村は若い者が大勢居りますから、売り子も問題ありませんな」
ファリドは感心していた。田舎に来ると従来のやり方を頑固に変えない相手にぶつかることが多いが、領主夫妻とこの中年男は、非常に柔軟な考え方を持っているらしい。アルザングというその男は、さっそく領民を差配するべく、鼻息も荒く飛び出していった。
「あの……期待させすぎちゃったかもしれませんが、必ずしも儲かるとは……」
「いいのいいの、ダメだったらやめちゃえばいいんだし、ね」
控えめなフォローを入れたファリドに、母ハスティがおおらかに応じる。何かにつけゆったりしつつ前向きなこの村の雰囲気に、心が和む。
「では、もう一つ、より手っ取り早くカネを稼ぐ提案なんですが……」
「聞きたいわっ!」
食い気味にハスティがかぶせてくる。現金収入不足問題に対しては、奥方のほうがより深刻に受け止めているらしい。
「街道沿いに旅行用品なんかの売店を出してましたよね?」
「ええ、少しでもおカネになるかと……でも、全然売れなくて、赤字続きなのよ」
「それは当たり前です。王都と馬車で数時間。そんな近い距離にあるこの村で旅の消耗品を買い足す必要なんか、ありませんからね」
「言われてみれば、そうかもね。で、その売店をどうするの?」
「さっさとやめてしまいましょう。その代わり、今日の昼飯で食ったみたいな、この村自慢の生パスタだけを出す店をつくるんです。それも、昼だけ開ければいいんですよ」
ファリドはあえて割り切った提案をしてみる。その方がこのさっぱりしてこだわりのない人たちには、理解し易いと思ったからだ。
「確かにここの生パスタは美味しいと思うけど、私達にとっては普段食べてるものよ。おカネを出してくれるようなものなのかしら? それも昼だけ?」
「生ってのはアフワズでは当たり前でもこの国では珍しいですから、他所から来た旅人ならちょっと食ってみたくなるでしょう。それに、王都と数時間の距離というところがミソです。王都を朝出たら、この村で丁度お腹がすくでしょう? だから『昼だけ』なんですよ」
「それは、わかるわ」「理にかなっておるな」
領主夫妻が息の合った返答をするのを聞いて、思わず顔がほころぶファリド。
「そして、用品売店と違って、小麦にしろソースにしろ材料が村で採れるものだけですから、仕入れにカネがかかりません。調理や接客は農作業に出られない年寄りでも良いので人件費も安いですし。夜の酒席ではありませんから、若い娘を置く必要もないのですよ」
「素晴らしいわっ! 早速やらせるわ! 街道沿いに一軒空き家があるから、片づけて一週間以内にお店をだせるようにする。まずはバジル味とニンニク味の二種類で行ってみようかしら……」
母ハスティがまたも食い気味に反応すると、勝手に話を具体化させて、何やら領民に指示するために勢いこんで飛び出していった。さっきの農作物の件と言い、つくづく柔軟で前向きな人たちであった。
そして……
提案の効果が現れるのは、ファリドの予想よりもかなり早かった。ハスティが五日という極めて短い準備期間でバタバタと開けたパスタ店は街道をゆく旅人達の目に留まり、ファリドとフェレが魔術訓練のため村に滞在していた三週間ほどの間に、かなりの売り上げをあげたのだ。
農作物の方はもう少し時間がかかったが、一年たった今、野菜はすっかり軌道に乗って、果実も少ないながら出荷でき、小麦とは比較にならない高い利益を上げている。作付けを差配するアルザングは、上がった利益で新たな果樹の苗を買いそろえ、来年に向け鼻息が荒い。
何よりも、自分達の労働がカネを生み出すと自覚した領民達が、目に見えて活き活きと働き始めた。そして皆、これがファリドの発案によるものだと知っており、親しさと尊敬の混じった賞賛を向けてくれる。
「若殿のお陰で、母ちゃんの病気に薬師を呼ぶことができましただ!」
「婿殿が作った店で婆ちゃんも働くことができて、腰もしゃんと伸びてきたよ!」
呼び方が「ファリド」や「ファリドさん」ではなく「若殿」とか「婿殿」なのが、ファリドとしては苦笑せざるを得ないところなのだが……ここは素直に、喜ぶべきところであろう。
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