ひとつのベッドで
旅支度を整え直すべく、借りっぱなしになっていたギルド宿の自室に戻る。
フェレは早速水屋へ飛び込む。長旅の後だ、さすがに汗を流してさっぱりしたくなっているのだろう。
ファリドはタブリーズ伯領へ持っていく小道具を選び始める。小物を納めていたキャビネットを開けようとして、眉を寄せた。
「やっぱり、開けられてるな……」
ファリドはキャビネットの引き戸に細い糸を挟んで出かけるのを習慣にしている。その糸がない……とうことは害意のある者が中を漁ったということだ。宿の女中は掃除に入っても、キャビネットを開けたりしない。慎重に中を確認するが、無くなっているものも、怪しい仕掛けもないようなので一安心していると、
「……ひゃうっ!」
というような変な悲鳴が水屋から発せられた。
「どうしたフェレ!」
ファリドが水屋の扉を開けると、そこには手の平ほどもある赤いサソリが三匹。猛毒を持っているやつだ。手近にあった長柄の掃除用ブラシをとっさに手に取り、手早くサソリを叩きつぶす。
「フェレ大丈夫か、刺されてないか?」
瞬間の判断で壁に張り付いたらしいフェレを見ると、さすがに怖かったようで青い顔でこくこくとうなづいている。どうも大丈夫であるようだ。
「……急に天井から落ちてきた。びっくりした……」
「天井からだと?」
見ると天井に穴が開いている。水屋の引き戸には糸が結び付けられており、戸を開けると穴をふさいでいた紙が剥がれて、サソリが落ちてくる仕掛けになっていたようだ。極めて陳腐な手口だが、人並外れた反射神経を持つフェレでなければ避けられなかったのではないか。
「う~ん、無事でよかったが、本拠地でこれだけ直接的に攻められるとはなあ。三都ギルドの中にも奴の手先がいるわけか、難儀だなあ。この部屋返して街の宿を取るか……」
ふと顔を上げると、そこにはフェレの白い身体があった。
手拭いで本当に大切な部分だけは隠れているが、すらっと伸びる長い脚、適度に筋肉がついていながらなお細い肩から腕、白く引き締まった腹部、残念ながら余分な脂肪が少ない胸……ほとんどすべてが見えている。
「うわっ、これは、すまん……見えてない、いや少しは見えたけども……じゃない、申し訳ない……」
謝りまくるファリドだが、
「……見られて困るようなものは持ってないけど」
平然として、色気も恥じらいも欠ける返答をするフェレであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
サソリのトラップについてはギルドに訴えたが、予想通り反応が鈍かった。何だかんだと理由をつけて調査するのを避けようとする。死んでもおかしくないトラブルなのだがと職員を脅し、さらに一ケ月の部屋代無料を勝ち取ったのがせいぜいのところ。
何を仕掛けられているか分からない部屋でゆっくりするのは、さすがに無理がある。二人は旅に必要な荷物をまとめると、早々に単なる荷物置き場と化した本拠地を後にした。
「……水浴びの後は、昼寝がしたかった」
「今日は街の宿に泊まろう。ギルドの息のかかったところは、当分無理だ」
「……うん」
ここ一週間というもの、交代で不寝番をしていたこともあり、二人ともとにかく睡眠に飢えている。明日はアリアナたちとタブリーズ伯領に向かわねばならないが、今日はとにかく寝たかった。宿を吟味するのももどかしく、最初に空き部屋のあった宿屋に何も考えず転がり込む。
その部屋にあったのは……ふかふかのダブルベッドだった。
「う、これは……」
そういえば宿の女将が
「あらあ、素敵な若夫婦さんですこと! お二人にぴったりの部屋をご用意いたしましたからね!」
と言ってたのは、このことか……と今更気付くファリドだが、もう宿や部屋を変わる元気は……ない。
「仕方ないな」「……仕方ないよね」
二人ともためらいなく下着だけになると、素早くベッドにもぐりこみ、百を数えないうちに意識を失っていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
溜まっていた睡眠負債をある程度返済したファリドが目を覚ましたのは、真夜中……おそらく日付の変わる頃。
隣のフェレは目覚める気配がないが、なぜかファリドの右腕をつかんで離さない。そして、寝息が肩にかかって暖かい。
昼間は睡眠欲が圧倒的で「それ」どころではなかったのだが、睡眠欲を満たして落ち着いてみれば、これはなかなかに若いファリドにとっては厳しいシチュエーションだ。考えてみればこの二ケ月、同室で寝る機会は山ほどあって今更何も感じなくなっていたものの、同じベッドで寝るのは……初めてだ。そして目を閉じると、昼下がりに水屋で見た、フェレのみずみずしくも白い裸身が浮かんでくる。
―――う、これは、まずい……。こういう時は、難しい考えごとをして気をそらさないと・・
―――第百七十八次互助会の残りは四人になった。俺と、フェレと、クーロスと、そしてあと一人。俺とフェレはクーロスの企みを概ね把握してあらかじめ警戒し、協力して身を守っている。実際、少なくとも三回の……ひょっとしたら四回かな……仕掛けを全部跳ね返している。奴の立場からすれば、残る一人を先に片づけて、最後に面倒な俺達と決戦するのが常道だろう。
―――そうなると、奴は遠征中だろう。ネーダの村には今なら、奴が不在である可能性が高い。クーロスがいないうちに、信者になっちまっている村人の目を覚まさせる。そして安全地帯と心理的余裕を失った奴と、直接対決というのがおそらく上策だ。奴は魔術の天才だが、フェレの「細かい粒なら何でも、いくらでも」動かせる念動は、条件さえ整えば最強クラスだ、戦えるだろう。できるならば、今フェレが練習してる魔術を完成させて……そうすりゃまず、勝てる可能性がある。
―――しかしそれは、あくまで奴が単独ならば、だ。クーロスには明らかにギルド内に協力者が……ある程度幹部に近い者が……いる。協力者の姿がいまだに見えないのが、俺たちにとって最大のウィークポイントだ。こればかりは、協力者をあぶり出す手段が思いつかない。相手が手を出してきて初めてわかる、ってやつだ。受け身の対応は好きじゃないが、どうしようもないか……
答えの出ない問題をああでもないこうでもないと行ったり来たりしていると、名案が浮かぶ前に思考が鈍ってきた。昼から寝ていたとはいえ、まだ溜まりに溜まった寝不足解消には程遠い。いつしか隣で眠るフェレのことも意識から遠ざかり、ファリドはまた深い眠りに落ちた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
鳥のさえずりで、ファリドは二度目の眠りから覚める。なぜか、右半身が重い。その「重し」は、やっぱりフェレだった。
夜中までは右腕をホールドしているだけだったフェレは、もう完全に頭をファリドの胸に乗せて、相変わらず気持ちよさそうに眠りの妖精に身をゆだねている。そのすらっと長く筋肉質の右脚がファリドの右脚に絡みついて、全く身動きが取れないのに苦笑してみるが、少し動こうとしてフェレの内腿がしっとりと自分の大腿に密着している感触に思わずうろたえてしまう。
―――いや、この状態、どうしろと?
ファリドの身体がぴくっと反応したのを感じて、フェレがようやく目を覚ます。
「……む……ん?」
フェレも自分がファリドに抱きついた形になっているのに気付いたようだ。
「あ、いや、気が付いたらこういう体勢になっていてだな……」
あわてて言い訳に走るファリド。
「……別にいいよ?」
平常運転のフェレだが、上目遣いの瞳がちょっと潤んでいる。
―――これは「その先もいいよ」なのか? その先に行ってもいいのか? う~ん、もうなるようになれ……
ようやっとアグレッシヴな気持ちになり、フェレの後頭部に手を添えつつ、自らの顔を近づけようとするファリドであったが……
「……あ、トイレっ!」
飛び起きたフェレは一散に用を足しに行ってしまった。考えてみれば、昨日の陽が高いうちから、寝っぱなしだったのであるから仕方ないとも言える。
それにしても、つくづく残念な魔女である。
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