魔術の才能がないって、嘘じゃね?
病は気から、という。
フェレが帰って来てから明らかに気分がアガっている妹アレフはかなり体調がよいようで、その日の夕食は両親とフェレ、そしてファリドと一緒に摂ることができた。
たとえ一時的なものだとしても、フェレや両親の喜びがファリドにも伝わってくる。
「ねえお姉様……久しぶりにあれ見たい、やって欲しい」
「あれって何だい、フェレ?」
ファリドがいぶかしげに聞くと、
「……前に言ってた、子供が喜ぶテーブルマジックみたいな……もの」
「やだお姉さま、私は子供なの?」とアレフ。
「うむ、私も久しぶりに見たいのである」と言うのは父ダリュシュ。
「……仕方ないな。塩は……あるよね」
母ハスティがすかさず、
「はい、どうぞ。私も楽しみだわあ」
何もわかっていないのはファリドだけのようだ。ハスティが持ってきたのは真っ白な塩が満たされた、陶器の壺だ。山がちの連邦では塩と言えば桃色を帯びた大粒の岩塩だが、長い海岸線を持つイスファハン王国で塩といえば、海水から造る細かい、白い塩だ。
「海塩で、何をするんだ?」
「……まあ見てて……んっ!」
テーブルに着いたまま塩壺の蓋を開けて、フェレが短く気合を入れる。身体強化を使うときのようにフェレを蒼いオーラが包み、ラピスラズリの瞳が妖しく輝く。その美しさに目を奪われるファリドだが、今日の見せ場はそこではなかった。
壺の中から、白い……蛇か? いや竜だ、竜が顔をのぞかせる。小さいながらも精緻に造形された白い竜は、よく見るとすべてが細かい塩の粒でできている。竜は壺からするっと抜け出すと、やっと得た自由を全身で喜ぶかのようにテーブルの上を自由に、螺旋や渦巻きを描きながらしばらく飛び回った後、アレフの手にちょこんと乗って、愛撫を要求するかのように身をゆすっている。アレフが竜の頭をそっと撫でると、満足そうにうなづいた竜は、大きな弧を一回描いて飛ぶと、名残を惜しむかのようにいっとき壺の縁でとどまった後、ゆっくりと陶器の壺に戻っていった。
ファリドは仰天して壺をのぞき込むが、そこには均一な、細かい塩の結晶が存在するのみ。
「わぁ~。何度見てもお姉さまの魔術には驚かされますわ。本当にきれいなんですもの」
「うむ、実に見ごたえがあるのである」
「……『かくし芸』だけどね」
ファリドはしばらく言葉を失っていたが、我に返る。
「フェレ! これがフェレの魔術なのか? すごいじゃないか! こんなことが出来る魔術師はほとんどいないぞ!」
フェレはほめられて多少嬉しかったらしく、頬をやや桜色に染めている。
「……やろうとする魔術師がいないだけだと思う」
「そんなことないぞ。これはかなり高度な念動魔術のはずだ。フェレは魔術学校で念動が出来なくて……って話だったんじゃなかったか?」
「……そう。カップも、スプーンも動かせなかった。だけど、うんと小さいものなら動かせる。塩粒みたいに……」
「しかし、あの竜を造るのに、何千粒もの塩が必要だろ? それを集団化して、しかも複雑な造形を崩さないで動かすなんて、上級魔術師でもできるもんじゃないぞ!」
「……そうかな? 『これはちっちゃい粒だ』と意識できれば、別に数がいくら多くなっても難しくない……よ?」
「う~む……」
ファリドは考え込んでしまった。
―――カップも動かせないというのだから、確かに魔術学校で求められる念動の才は、ないのだろう。しかし、何千もの微粒子に統一した動きをさせるフェレの「隠し芸」は、卓越した魔術制御能力を必要とするはずだ。やはりフェレは魔術の才能がないわけじゃない、既存魔術の枠にはまらないだけだ。この才能を実戦レベルにするにはどうすれば……
「あの……お兄様、どうなさいましたの?」
「うん、何でもないんだ。やっぱり君の姉さんは、すごいなと思ってさ」
「あら、そんなこと、私はずっと昔から知っていますのよ」
アレフは、フェレに似て貧弱な胸を張る。ファリドはダリュシュの方に向き直った。
「領主様」
「うむ、領主じゃなくて父と呼んで欲しいのである。なんであるか?」
「三日ほどでお暇する予定だったのですが、しばらくお邪魔してよろしいですか?」
「あら、何日でもいいのよ~、何なら、一生でも?」
ハスティが突っ込んでくるのは丁重に無視する。
「もちろん歓迎なのであるが、ギルドの仕事が忙しいのではないのであるか?」
「それなんですが……実は仕事と直接関係ない命の危険が、フェレにも俺にも降りかかっていまして」
ファリドは、王都で知ったギルドの「互助会」の問題をできるだけ簡略に説明した。
互助会メンバーが異常なペースで減少……ようは死に続けていること。数少ない生き残りメンバーの中に、偶然フェレとファリドがいること。メンバーの死は、おそらく配当の独占を狙う者による作為的なものであること。おそらくギルド内に犯人の協力者がいるため、ギルドにかかわっている限り二人の命は狙われること。
「正直なところ、俺たち二人で生き抜けるのかどうか、自信がありませんでした。しかしさっきフェレが見せた魔術を見て、考えが変わりました。フェレはきちんと訓練さえすれば、大魔術師になれると。そして俺が盾となってフェレが魔術を操れば、大抵の敵は打ち破れると思うのです」
「うむ……そのような状況であったのであるか。しかし、この村への滞在がなんでそれと関係するのであるか?」
「フェレの魔術は、確かに今は見世物でしかありませんから。これを戦闘に役に立つものにできるかどうか、いくつか試行錯誤をしないといけません、それには少々期間がかかるかと」
「本当にフェレの魔術が、ものになるのかは疑問であるが……確かに修練には時間が掛かるであろうな」
「修練の間、ギルドに動きを知られると、いつ我々を狙う者がやってくるかわかりません。この村にいれば、ギルドと関わりを持たずにすみますから、派手な動きをしない限りは襲われることはないかと」
「ふむ、確かに……街道に出ない限り、外部の者にはフェレたちがいるとはわからんだろうな」
「というわけなので、申し訳ないのですがしばらく……」
「やはり、しばらくでなく、一生にせんか?」
「フェレは、教団への寄進を稼ぐのを諦めていませんよ。俺もです」
「二十万ディルハムなんて、いくら冒険者でも無理よ……」とハスティ。
「いえ、あと二年たって満期になれば、先ほど申し上げた『互助会』のプール資産……最低でも三十万ディルハム……を生き残りで山分けです。俺たちだけが生き残って、二十万以上を稼げる可能性も、とても少ないですけど、あります。少なくともあと二年は冒険者で頑張るのが、受給資格になりますから、納得いく修練が出来たらギルドに戻りますよ」
「……うん、戻る」
それまで黙っていたアレフが、真剣な眼をしてフェレとファリドを見た。
「お姉様、お兄様、やめてください。今のお話をうかがった限りでは、その『互助会』に入っている限り、お命が危ないのでしょう? そこから抜けてしまえば、お二人とも安全になるのでは?」
「……それでは、カーティスの奇跡を願うことができない。おカネが必要」
「私のことはもう、いいのです……。お姉さまはこれまで私のためにギルドで働いて下さいました。その気持ちはよくわかっています、もう十分です。カーティスの奇跡など、ごく一部の選ばれた上流の方だけが願えるもの。私には、その価値はありません」
「……アレフの価値は、アレフが判断するものじゃない……アレフが生きていてくれることが私の幸せ……だから努力する」
「お姉様……」
「うむむ……わかったのである。とりあえずは、好きなだけいなさい。そういう話なら領民には、旅の者がいるところでフェレたちの話をしないよう、言っておかないといかんな」
「ええ、よろしくお願いします。この村に刺客が来られては困りますからね」
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