舎弟頭は忙しい
「ダフニアさんチィーッス!」
「ダフニアさん、シャス!」
繁華街なんてものは大抵そうなんだけど、朝からゲロのニオイが立ちこめている。
そんな表の入口から階段を上がり、タバコの煙が廊下にまで流れ出ている「蜥蜴とピッケル」の事務所に顔を出す。
10人も入ったらいっぱいになりそうな小さい事務所だ。異常なまでにゴミが散らかっており、正直、1秒でも長くここにいたくない。
奥への扉は3つあり、1つは貴重品金庫もあるボスの部屋。
もう1つはナンバー2である
ナンバー2に限らず役職の呼び名は裏ギルドによって様々なんだけど、うちの若頭はこの古くさい「若頭」という呼び名を好んでいる。
で、最後の1つは本部長の部屋だ。「ゴリラの檻」とも言う。
そんな事務所に足を踏み入れた俺へと、ガラの悪い
ピッ、と背筋を伸ばして、腰を折った挨拶である。
昨日まではお互い、
(ガラの悪い男だなぁ……近寄らんどこ)
(うだつの上がらねえ野郎だなぁ。近寄ったらダセェのがうつりそうだ)
とか思い合っていたというのに、この態度の変わりようである。
それもこれも俺が舎弟頭にランクアップしたからだ。ちなみに「舎弟頭」という役職名も古くさい。よそだと「リーダー」とか「チーム長」とか、せめて「隊長」なんて言われている。
とはいえ、ここにいるチンピラたちより頭ひとつ抜きんでたのが俺ってわけ。
「シェアアアアッス!」
「ダフニアァァッス!!」
他の連中の挨拶はなんだこれ。バカにしてんの? と思わないでもないけど、ひょっとしたら「精一杯礼儀正しくやろうとしてこれ」なのかもしれない。
だってコイツらバカだから。
後で見てみたら、本部長相手にも「シェアアアアッス!」「本部チョァァッス!!」って言ってたからやっぱりコイツらなりの精一杯だったらしい。
本部長のチョップが脳天にめり込んでたけど。
それはさておき。
「ダフニアの兄貴、舎弟頭への昇進おめでとうございやす」
頭の真ん中だけ髪の毛を残しておっ立てて、左右はつるつるにそり込んだ——いわゆるモヒカンの、言葉だけは礼儀正しいがどこからどう見ても頭の悪そうな男がオイルライターに火を点けて差し出してくる。
「い、いや、朝はタバコやらないんだよね」
「失礼しやしたッ!」
そもそもタバコ自体カッコつけで持ってるだけだから吸わないけど。たまにくわえるだけの代物だ。
それに例の爆薬騒ぎのせいで火は見たくない。
「そーだぞ。ニアは舎弟にタバコの火を点けさせるようなクソダサ舎弟頭じゃねーんだぞ」
なんでフェリは訳知り顔でそんなこと言ってるのかな?
「なあなあニア! 昨日のカチコミの話聞かせてくれよ! なんかすっげーことしたんだろ!?」
フェリは詳細は知らないらしい。
いや、まあね?
確かにね?
三下構成員だった俺がいきなり出世したんだから、そりゃ何事かって話になるよね?
ふむ……。
しょうがねーな、ここは舎弟頭の俺様がビッとした話をしてやっか?
「たいしたことはしてねえよ。だけど聞きたいってんなら、聞かしてやってもいいけどな。昨日のことだ。魔導爆薬をクソゴリラから託された俺は——」
「おい、ダフニアァ!」
事務所に入ってきた本部長に、俺は10センチくらい飛び上がった。
「舎弟頭になったからには、いろいろ仕事があんだよ。説明するからついてこい」
「へ、へい……」
本部長はピカピカの革靴でゴミを踏み散らしながら「片づけとけェ!」と雄叫びを上げて自分の部屋へと入る。
ちなみにその部屋は昨日、魔導爆薬を手渡された部屋だ。
入りたくねぇなぁ……。
「さっさとしろ、ダフニア!」
「へ、へい……」
「……あとお前、俺のことクソゴリラって言わなかったか?」
「とんでもありません」
俺は精一杯の神妙な顔つきで本部長の部屋へと入った。
魔導爆薬はなかったが、舎弟頭とかいうポジションの説明を受けた。
あれから10日間、俺は「舎弟頭」として過ごした。
控えめに言っても「舎弟頭」はクソッタレだった。
「蜥蜴とピッケル」は様々な仕事を抱えている。
借金の取り立て。
権力者にアゴで使われる使いっ走り。
酒場のケンカの仲裁。
人のやりたがらない仕事の斡旋(ゴミの再利用、ドブ掃除、死体運び、等々)。
風俗街のパトロール(嬢への手出し厳禁)。ちなみにこの仕事は、親組織である裏ギルド「
そういった面倒なしきたりや、そもそも仕事自体が面倒なことばかりではあるのだが、それらの現場を監督し、構成員を派遣して仕事を回すのが——「舎弟頭」の仕事だった。
朝6時に起床。
残り物の固いパン(多少カビているがまぁ問題はない)をかじりながら無人の事務所へと出勤。
ボス、若頭、本部長が好きな茶をいつでも出せる準備をし、どうやったら1日でこんなになるわけ? と思える散らかった事務所内を片づける。
朝7時、新聞が届くので先に目を通しておく。これが1日の楽しみ。むしろこれしか楽しみがない。あ~~文字が読めてよかった。
朝8時、本部長が出勤してくる。何人いるかわからない女のところからやってくる。もちろん事務所内にはバカどもは出勤していないので俺が相手をしなければならない。
前日の売上について聞かれ、目標に到達しない、あるいは単に機嫌が悪いだけでケツを蹴り飛ばされる。
この辺りからぽつりぽつりとバカどもが出勤してくる。
朝9時、ボスが一瞬顔を出す。ドワーフ種族であるボスは、元は筋肉質な豆タンクみたいな身体だったのだろうけれど、今は縮んでしまってただの小さいお爺ちゃんだ。
頭頂部が禿げていて、長いひげも真っ白だ。
右目は傷で塞がっており、それは過去の栄光らしい。ただ最近はボケつつあるのでなにか話しかけても「アァ!?」とバカデカい声で聞き返してくる。
大抵は一瞬だけ顔を出して帰るのだが、たまに長居するのでそういうときに茶を準備するのが俺の仕事だ。バカどもに任せるととんでもなく渋い茶を出し、小さいお爺ちゃんが、小さい鬼に大変身する(そのときはさすがの俺も生きた心地がせず、ぼろぼろのデスクの下に隠れて過ごした)。
それ以降、俺が茶を淹れ、フェリに出させることにした。
ボスはフェリに甘いのだ。フェリがボスの孫にそっくりらしいが、全員信じていない。
ボスは本部長に厳しい。
ボスが本部長の尻を蹴っ飛ばしているのを見て「ザマァ」と俺は思うのだが、その後にとばっちりで俺も本部長から蹴られることを学んだ。
朝9時半、残りのバカどもが出勤してくる。
今日やるべきノルマ、仕事について俺が説明し、ヤツらは欠伸しながら事務所を出て行くのだが、その内容を理解できているのは半分もいない。
朝10時、元「赫牙」本部長である若頭が出勤してくる。この人はボスがいないときにしかやってこないという特徴がある。
長めの金髪を7:3で分けており、前髪ははらりと一房落ちてくる。
いつも真っ白、染みひとつないシャツに、チェックのチョッキを着て、グリーンのジャケットは小脇に抱えていることが多い。
切れ長の瞳は深いブルーで、声色は背筋が凍るほどに冷たい。
なるべく関わり合いになりたくないタイプ。というか、関わり合いになりたい人がこの事務所にはひとりもいない。
「ダフニアくん。ダフニアくん」
この人は出勤すると、なぜか俺にこうして声を掛ける。心臓を氷でなでられたような気分になり、そのたびに俺の寿命は1日縮む。
「昨日、うちのシマで3人殺されました。詳しい話を聞きたいですか?」
絶対聞きたくない。俺の寿命が追加で1日縮んでしまう。
「そうか、それなら教えてあげましょう」
こちらが答える前に、嬉々として身の毛もよだつ話をしてくる。誰が朝っぱらから人の死に様なんて聞きたがるんだよ……。
そんなこんなで朝10時半から、俺の仕事がようやく始まる。