小市民の卒業
むちゃくちゃな夜が終わった。
今になってみても現実感がなくて——マーカスのオッサンもたぶん死んだと思うんだけど、あの生首が、どうしても作り物みたく思えて「ひょっとしたらまだどこかで生きてるんじゃね?」なんて考えている自分がいた。
ああ、うん、ただの現実逃避だわな。
正直、帰って寝たらマーカスのオッサンに襲われる夢をみたし(身体はゴリラだった)、5回吐いた。
その後は眠れずに、げっそりして翌早朝に事務所に着くと、
「おいおいおい! おめえなあ、ふつうカタがついたら真っ先に俺に報告に来るもんだろうがよ!」
といつも通りド派手なピンクのシャツを着たゴリラが待ち受けていた。
「……すみません」
「あん? なんでえ、いつもなら這いつくばって謝るくせに。覇気がねえぞ」
這いつくばって謝る姿のどこに覇気があるんだよ。
あとそんなことしてねえよ。口先三寸で誤魔化すんだ、俺は。
「そんじゃ、聞かしてもらうか。お前の昨日の大ゲンカをよ」
早朝の事務所は静かだったが、本部長の笑い声はなかなか止まらなかった。
「ぎゃっはははは! ぶはっ、がはは! おい、おいおい! マジかよ、『青浪鯱々』だけじゃなくてマーカスとかいうヤツも爆発で吹っ飛ばしたのか!? マーカスってのがいねえと、お前が騙されたってことを証明できねえだろ! ぎゃははははは!」
そうなのだ。
忌々しいことにこのクソピンクゴリラの言うとおり、マーカスが死んだ今、俺が「騙され、そうと知らずに麻薬を売っていた」ということを証明できる人間がいないのだ。
まずクソピンクゴリラはフェリが鉄扉を蹴り飛ばしてぶっ壊したことで笑い、ガス漏れに気づかずにタバコを吸おうとしていた俺に笑い、ガス爆発に笑い、マーカスが死んだことで大爆笑になった。
「ひーひー、お前、俺を殺す気か……! 爆笑王の才能があるぞ!」
それでアンタが死ぬんならそれもいいかもな……。
なんてどんよりした目で見てしまうほどには、今の俺は憔悴しきっていた。
だってよお。
俺の罪を軽くする頼みの綱が死んでしまったんだもんよ……。
「青浪鯱々」が「実はウチのマーカスが悪だくみしまして……」なんて証言してくれるわけもねーし。
「そんでお前は、爆発で死んだ連中を思ってうなされて一睡もできなかったってことか?」
「……まあ」
「バカだなァ、お前はよ。んなこといちいち気に病むんじゃねえよ」
「いいんですよ……俺なんて。立派な裏ギルド構成員が、人殺しを楽しんでできるっていうんなら、そうはなりたくないし」
「ちっげーよ。あのなァ、お前はライター投げただけだろ。しかも火ィ点いてないヤツだ」
「それは……そうですけど」
「火ィ点けたのは向こうだ。向こうの自爆だ。自爆にまでいちいち気を遣うんじゃねえよ。お前は、先代の治安本部の部長が麻薬でとっ捕まってもなんとも思わなかったろ? あれはアイツの自爆だって思ったろうが」
そう……なのか?
あれ?
言われてみると、そうかもしれない。
俺がいなければマーカスが死ぬことはなかったけど、大体あんな場所で銃をぶっ放してきたのはヤツらだ。
そう思うと少しだけ心が楽になった。
「お前は
「え」
「わかるか? 自分の幸運度合いがよ」
確かにあそこで火が点いていたら、タバコを吸う時間があってガスが忍び寄ってきていたら、俺の手元で爆発していたら、生首になっているのはマーカスだけではなく俺もだったろう。
ぞわりとして俺は震えた。
(「幸運」スキルか……)
今は、いつも通り冴えない鳶色の髪の毛が、部屋の食器棚のガラスに映っているけども。
「んで、それで終わりじゃねえんだろ?」
「あ、はい……『紺碧の牙』って人が出てきて――」
瞬間、本部長の目が鋭いものに変わった。
「『青々虎々』の本部長が? お前、よく生きて帰ってきたな」
「…………」
やっぱりそういう感想ですよね?
野性の塊(むしろ人間を人間たらしめる知性がめっちゃ足りない)のフェリが冷や汗かいたレベルの相手だもんな。
俺、昨日の夜で何回死にかけたんだ?
「それが……レイチェルティリア様と『七若龍』の3人がいらして」
「ああ、そういうことか」
「納得早いっすね」
「いや……お前の幸運具合にびびってるだけだわ。実は昨晩遅くに『龍舞』から使いが来てな」
「昨晩遅くに?」
よく本部長が事務所にいたな。
「そりゃあ、誰かさんが帰ってくるか、訃報が届くかもしれねえと思ったからよ。待ってるわけだ、この俺様もな?」
「…………」
さりげなく嫌みを言ってくる。
だけど「訃報」ってなんだよ。死んでねーよ。死にかけただけだよ。言うなれば「不発報」だよ。
「『龍舞』が言うには、『青浪鯱々』の一件は見事だったから、その報酬に、お前を
「……へ?」
「マーカスとかいう男が麻薬を作らせていた工房を押さえ、治安本部に情報を提供したとさ。主犯はマーカスで確定。お前以外にも数人、麻薬を売っていた人間がいた。そんで『龍舞』は治安本部と取引をし……情報を提供する見返りにお前への嫌疑は不十分として不起訴にする運びとなった」
え? え? え?
どういうこと?
昨日の大爆発のあとに、いったいなにがあったの!?
「よかったじゃねえか、お前はもう自由の身だ」
理解できん。
理解できん。
理解できんけども……!
「————」
俺は——俺は。
その場に溶けてなくなりそうだった。
「あ、そうそう」
本部長はにやりと笑った——たぶん、笑ったんだろう。俺、ゴリラの表情を読むのが少しだけ慣れてきたかもしれない。
「その代わり保釈金は戻らないことになったとよ。お前が無罪だったら本来『龍舞』には1千4百万が戻るはずだったが……『龍舞』はそれをあきらめてくれたってわけだ。だからお前が筋を通すんなら、『龍舞』に1千4百万イェンを支払うべきだよなぁ?」
俺が自由になるのは、まだまだ遠いということか。
(いや、違う。違うだろ)
俺はクソピンクゴリラをにらみ上げる。
ここで引いてちゃ、いつまで経っても俺は使われて捨てられるだけの立場だ。
びびるな。
コイツはクソピンクゴリラだけど人間の言葉は通じる。
そして理屈も通じるのだ。
「——本部長、『龍舞』のレイチェルティリア様はその1千4百万イェンは、先代治安本部の第4部長を牢獄送りにした『功績』だと仰っていましたよ」
「…………」
痛いところを突かれたせいか、苦々しい顔をするゴリラ。
「あのなあ、ダフニア。そんな大金が『功績』1つに支払われるワケはねえだろ。あれは、ウチが、『蜥蜴とピッケル』が『龍舞』の下部組織であるからそのことも加味されてんだ。お前ひとりに払われたもんじゃねえ。あ? そう考えるとお前はウチのギルドにも借りがあるってことだよな?」
理屈が通じるのは知ってたけど、屁理屈までこねてきやがった。
「……俺だって1千4百万イェンもの大金をもらったまま『ハイサヨナラ』が通るとは思っちゃいませんよ。だから2点、譲ってください」
「あ? 2点だぁ? お前いつから俺様と取引できる立場にいると思ってんだ、童貞野郎が」
すごんでくる。
正直マジで怖い。どうしてこの場にフェリがいないんだよって思ってしまうくらいには怖い。フェリをぶつけて逃げ出したい。
でも、ここが正念場なんだ。
でなきゃビビリの俺はいつまで経っても搾取される側だ。
ひ弱な俺はいつか死んじまう。
俺はこのクソピンクゴリラを乗り越えて——童貞だって卒業してやる。
「1千4百万イェン、このギルドに……いや、本部長にお渡しします」
「……あ?」
「俺が『龍舞』に持っていっても『一度出した金を受け取れるか』と断られるのが関の山でしょう。であれば俺からは本部長に
「…………」
本部長はソファに背を預け、アゴをさすりだした。「ほう?」みたいな顔をしてる。
本部長からしたら臨時収入の1千4百万がポケットに入ってくる。
俺としてはなにかあったときに「アレはクソピンクゴリラに払ったから」と言い訳ができる。なんもないだろうけどさ。
「それで、2点譲っていただきたいことを話しても?」
「……言ってみろ」
金に目がくらんだか。
「1点目、利子はつけないで欲しいんです。さすがにこれだけの大金で利子がついたら利子を返すために働くどころか、利子すら払えなくなっちまいます」
「……まあ、そうかもしれねえな」
そうかも、じゃねえよ。お前「利子」って言葉聞いた瞬間「おっ、その手があったか」って顔しただろ。
「証文を交わした貸金じゃないっすからね。そこはお願いしますよ」
「わかってる、わかってる。細かいことをうるせえな」
細かくねえよ。めちゃくちゃ大事なところだろ。
「2点目です」
俺はごくりとつばを呑んだ。
今、思いついたアイディアだ。
だけどこれは——どうなんだ。
ひょっとしたらブチ切れられるかもしれない。
でもこれがなけりゃ、1千4百万イェンもの金を返せるわけがない。
「……俺がギルドを設立する許可をください」
言った瞬間、この部屋の空気が変わった。
ッバァァァンッ!
なにが起きたのか一瞬わからなかった。
俺と本部長の間にあるローテーブルに本部長の手刀が振り下ろされ、木っ端微塵に粉砕されたのだと気づくのには数秒必要だった。
「……ダフニアァ」
あ、やべえ、これはいちばん言っちゃいけないフレーズだったかもしれん。
ゴリラが、霊長類を卒業して悪鬼にランクアップしている。
「ち、違います! これは金儲けの話なんですよ! 1千4百万イェン返したら、すぐに解散しますから!!」
俺は両手を前に突き出して、頭を下げながら叫んだ。
頭を下げたのは謝罪の意味じゃない。
怖いからだ。顔が。鬼の顔が。
「……話してみろ。もし納得できねえ話の筋だったら……お前の顔は、このテーブルと同じ運命になるぞ」
テーブルと人の頭を同列に扱うなよ!
そう叫びたかったけど、俺が言うべきは金儲けの話だ。
俺がやるべき……いや、たぶん俺にしかできない金儲けの話だ。
「実は、こう考えたんです」
俺は話し出した。
話し始めると必死になって、鬼の顔を見ることができた。
鬼は、聞いているうちにだんだん邪気が抜けてゴリラへと戻っていく。
それは吉兆だ。俺の話に「一理ある」と思っている証拠だから——。
(こういうときには発動しないのかよ!)
食器棚に映る俺の髪の毛は、いつもの冴えない鳶色のままだ。
ビビリ、ひ弱、童貞と三拍子そろった俺から「幸運」スキルを取ったらどうなっちまうんだよ、と思わないでもないけれど、そんな俺でも必死になればそこそこ説得力のある話ができるのだと——わかった。
まあ、本部長を説得できたとしても、粉々になったテーブルは俺が片づけなきゃいけないんだろうけれども。
世の中は、理不尽である。
次話、エピローグです。
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