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十八話

 俺は錬金術の本を捲りながら、逆の手で羽ペンを動かしてメモを取っていた。

 貸し出しは制約が厳しく特別な申請を行う必要があるが、一部の書物を除いて書き写しには特に制限はない。

 要所要所気になった部分や思いついたことを綴っていた。


 魔術書はアレイ文字という専用文字で書かれているものが大半なのだが、この本もそうだった。

 ただ俺の知っているアレイ文字と異なる部分があったため、少し読み進めるのには苦労した。

 アレイ文字は地方と年代、その人の癖によって若干異なる場合が多い。

 おまけに大抵優れた魔術師ほど好き勝手に書く傾向が強いので、参考になりそうな物ほど苦労する。


「これって何を調べてるんですか?」


 メアが声を掛けてくる。

 メアは机に顎を乗せ、目を細めながら俺の読んでいる本を眺めていた。


「今集中してるから後で……」


 言い掛けて、言葉を呑み込む。

 そういえば前世で後輩が怒って帰ったのも、後輩が話しかけてくるのを延々無視して錬金術の魔術本を読んでいるときだったな。

 同じ轍は踏むまい。

 そもそも本を運んでくれたのはメアだ。


「ほら、ゼシュム遺跡の破片があっただろ。あれを何かに使えないかと思ってな」


 あの遺跡に使われていた鉱石と似た性質を持つ鉱石についても広く調べていた。

 さすがエルフの技術だけあってまったく同じ性質を持つ鉱石やその製法は見つからなかったが、利用用途は色々と浮かびつつある。

 石を削ってオーテムを作ってみるのもアリかと考えていた。


 ただ問題なのは加工技術である。

 マーレン族は木の扱いには長けているが、石となるとなかなか難しい。

 誰か手慣れた人に設計図のどん束を渡して一任したいところだ。


「ああ、あれ持ち出してましたね。何が作れそうなんですか?」


「魔力を遠くまで飛ばすのに優れてるみたいだから、杖か、魔法砲か……」


「な、なるほど。なんだか本格的そうな……」


「とはいえ、兵器に興味はないからな。空飛ぶオーテムとか、浮遊椅子とかを作りたいな」


 後は魔導携帯電話マギフォンの魔力波塔にもなりそうだ。

 これは実用化の道が見えてきた。

 資金にちょっと難があるが。


「浮遊椅子……」


「楽そうだろ? 長距離移動できるようにして、最終的にはマッサージ機能もつけたい」


「エベルハイドが化けて出てきそうですね……」


 まだあの人は死んでいないぞ。

 そのうち面会に行きたいところだ。


「しかし……ほー……。なんだかものすごく難しそうですね」


 今俺が読んでいるのはアルタミアという八十年前に死んだ有名な錬金術師が書いた本である。どうにもこの人のアレイ文字は癖が強くて読みづらい。

 書いてあることは参考になるのだが、これならどうだ、こっちはわかるか、と読み手を馬鹿にしながら試していそうな気がする。

 相当性格の悪い婆さんだったのだろう。


 いや、この内容はこう書かないとニュアンスが伝わらないことはわかる。わかるけれども、それを考慮した上で、やっぱり人に読ませることを考えて書いているとはとてもとても思えない。

 ひょっとしたらメモ書きを弟子が適当に書き写しただけなんじゃなかろうか。


 因みにアルタミアの婆さんは、最後にちょっと頭のおかしい事件を引き起こし、それに恐怖した王様から魔術師五十人を嗾かけられて塔に封印されたそうだ。

 多分駄目なタイプの天才だったのだろう。


 この本も割とさらっととんでもないこと書いてたりするのだが、こんなに保管が甘くていいんだろうか。

 俺が司書だったら燃やすか禁書指定する。

 誰も読めなかったから教会の箔付けに目立つところ置いてたんじゃなかろうかとさえ思えてくる。


「せっかくだからメアも何か面白そうな本探してきたらどうだ? 魔術師対象の専門書だから横から見てても何もわからんだろ」


「えー……メア、こうしてアベルの横でなんとなく眺めてるだけでも楽しいですよ?」


 ……横からあんまし声掛けられてたら、解読進まないんだけどな。

 かといって追い払うようなことはしたくないし。


「ほら、弓術の指南書とかあるかもよ」


「……ちょ、ちょっと探して来ます」


 メアは席を立ち、本棚が並んでいるところへと歩いて行った。

 ……今のやり口はちょっと卑怯だったか。

 い、いや、解読進まないって邪魔者扱いしてるみたいに受け取られかねないし、そっちよりは絶対いいよな?


 俺がしばらく読み進めていると、こっちに向かって歩いてくる足音が聞こえた。

 メアだろうか。

 単にこっちの机を使おうとしている人ということも考えられるが。


 足音が俺の背後で止まったため、メアだと確信した。


「なんか面白そうなの見つかっ……」


 言いながら振り返ると、修道服を着た老人がいた。

 背は曲がっておらず、歳の割にしゃきっとしている。

 いや、誰だよ。


「あ……どうも、えっと……何か御用でしょうか?」


「ほっほ、いや、若いのに勉強熱心なものじゃと思うてな。どれ、調べ物は進んでおるか?」


「は、はぁ……」


 何だこの老人は。

 ひょっとして喋り相手欲しさに教会図書館うろついて暇な人でも探してるんだろうか。

 俺今、集中してたんだけどな。


「お、おい。あの人、賢者ロウディオ様じゃないのか?」


「こちらの図書館に来られていたのか」


「ロウディオ様の目に留まるとは、なかなか将来が有望だなあの小僧」


 周囲がざわつき始める。

 この人、そんなに凄い人なのか。


 賢者というのは、独自の魔法陣を組める人間への敬称だ。


「やめたまえ。ワシはただの一介の修道士じゃよ」


 ふっと笑い、ロウディオという老人は後ろの人達へと手のひらを向ける。

 な、なんか今の言葉、ちょっと嫌味じゃないだろうか。いや、言われた側は怒ってなさそうだからいいんだろうけど。


「おお、懐かしや。ワシも若い頃は、無作為に本を積み上げたものよ。数を読んだ方が賢くなれると思うてな」


「そ、そうですか……」


「じゃが、結局それは効率が悪いのじゃよ。特に若い内は、これと決めた一冊を精読し、基礎を掴むのが先じゃ。さっきから見ておったが、そんなぱらぱらと流し読みしていても頭には入って来んぞ」


「いや、俺結構時間掛けてたつも……」


「これこれ先人の言葉には、耳を傾けるものじゃぞ。若い者は人の話を聞かんからいかん」


 今ナチュラルに俺の言葉に被せてきたぞこの爺さん。

 人の話聞いてくれよ。


「先を急いて転んでばかりでいかん。まぁ、それも人生よ。ワシにもそんな青い頃がなかったといえば嘘になる。もっともそのとき、ワシはこんなに小さな子供だったがの」


 ロウディオはすっと手を地面に翳し、したり顔で俺を見る。

 何だこの人。

 本当になんなんだ。何しに来たんだ。


「どれ、何を調べておるのかの? ワシがアドバイスをしてやろう。見せてみなさい」


 お、アドバイスをくれるのか。

 それは助かる。何だこの人とか思ってすいません。


 丁度、解読できなかった単語を飛ばしながら読んでいたところだった。

 何度も出て来る割りには何が言いたいのかさっぱりわからず足を引っ張られていて困っていたのだ。


「じゃあすいません、賢者ロウディオ様……」


「ほっほ。これこれ、ロウディオで構わんよ。ただのロウディオで。ワシなぞ、ただ歳を重ね、その間ちょっと魔術に触れていた時間が人より長いというだけの老いぼれよ。ほれ、このただの老いぼれになんでも聞いてみるといい。なんでもな」


 ……なんだろ。こう、なんとなく含みのある遜り方は。

 言い方のせいだろうか。表情のせいだろうか。


「ロウディオさん。ここの単語なんですけど……これが何を示してるのかよくわからなくて」


「むむぅ、どれじゃ? んん?」


 ロウディオが背を曲げ、ずいと首を突き出して本へと近づける。


「ふん、ふん…………ふん?」


 ロウディオの表情が凍り付いたように固まる。


「ここ……ほら、この文では魔法陣の消耗する単位時間当たりの魔力量を算出するときに使ってるじゃないですか? だからアルタミアの考えた何か独自の係数かと思ったんですけど、こっちのページにも……こっちにも出てるんですよ。まったく違う用法で。何か根本的に勘違いしてるのかなと思ったんですけど、こっちとこっちについては別の表現で言及してるから多分合ってるはずなんですよ。でもほら、こっちなんかじゃ魔力効率を上げる際の例の魔法陣の……」


 ロウディオの顔色がみるみる悪くなっていく。


「ロウディオさん?」


「お? お? おぉ……、お、おお……」


 ロウディオは汗をだらだらと流しながら、口内で短い言葉を繰り返している。


「ちょっとあの、大丈夫ですか? 水飲んだ方が……」


「……む? な、何の話じゃったかの?」


「え……? いえ、そのですからこの部分の……」


「あー! もう、もうこんな時間ではないかー!!」


 ロウディオは目を見開いて叫び、老体とは思えぬ勢いで机をぶっ叩いた。

 机の上に乗っていた本が軽く跳ねる。同じ机で本を読んでいた男の人が、何事かと本を放り投げて立ち上がった。

 この人俺より力あるんじゃなかろうか。


「す、すまんな、若き魔術師よ! ワシは忙しいものでの! 本当にすまんな!」


 そう言うとドタドタと逃げるように走って行った。

 途中で人にぶつかるのを避けようとして転びかけていたが、すばやく体勢を持ち直して走りを再開する。


 図書館内が、しんと静まり返った。

 しばらく沈黙は保たれていた。しかし誰かが何かを話し始めると、皆マナーの範囲内でちらほらと話をする者達が現れ始めた。


 俺はしばらく動けずにいたが、さっき立ち上がった男の人が座り直したのを見て、筆ペンを手に取った。

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