八話
再び俺とメアは森へと狩りに来ていた。
街で買いたい物や作りたい物はあるが、何をするにも金は必要だ。
それにこのペースなら、メアへの借金もすぐに返済できそうだ。
こういったことはできる限り手早く済ませておいた方がいい。
なぁなぁで済ませてずるずると引っ張っているわけにはいかないのだ。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「ア、アベル、なんか無理してませんか? 休憩しましょうよ休憩。メアもちょっと……喉渇いてきたような気がしなくも……」
「い、いや、無理しないと体力はつかないから……」
がくがくと笑う膝を気力で押し殺し、前へ前へと進む。
俺だって自分の弱点は嫌というほど自覚しているし、たまにこうして気が向いたときに、ちゃんと身体を虐め抜いて鍛えようとしているのだ。だいたいひと月に三日くらい。
今日はそういう気が向く日だった。
なんだか一歩歩くごとに筋肉がついていくような、そんな錯覚がするのだ。
「ア、アベル? む、無理しないでくださいね? 駄目だと思ったらメアに言ってくださいね?」
「なんのこれしき……」
ぶちんと何かが切れたような激痛が脹脛に走り、思わず俺はその場に倒れ込んだ。
「いだだだだだだだだっ!」
信じられないような激痛だ。
目の奥が引き絞られるように液体が溢れ出してくる。
「いやぁぁあアベルゥー!! どど、どうしたんですかぁああ!!」
急に倒れた俺を見て、メアが叫ぶ。
「痛いっ! 痛いっ! 痛いぃいい! ま、魔獣だ! 魔獣の攻撃だ! いや、この特異な攻撃、ひょっとしたら悪魔かもしれない!」
おかしいとは思っていた。
ユニコーンの
いくら魔獣の生体が読みづらいとはいえ、こうも異常事態が続くものではない。
何らかの魔力場を狂わせている要因があるのではないかと考えていたが、悪魔が住み着いてこの森の一部をダンジョン化しようとしているのだと考えれば納得が行く。
「俺が接近されても違和感を持てなかったってことは、かなり高位の悪魔だ! 俺を置いて逃げろっ! 足を持っていかれるぞ!」
「い、嫌ですっ! そんなの絶対できませんっ!」
「馬鹿っ! 殺されるぞ!」
「アベルを見捨てるくらいならメアも死にますうっ!」
メアが泣き崩れ、その場に屈む。
それから俺の頭を抱えて泣き叫んだ。
二人してわんわん喚き倒した後、五分程経ってから魔獣でも悪魔でもなんでもなく、ただのこむら返りであったことが発覚した。
本当に怖いものは災害や悪魔ではなく、人間の奥底にあるものなのかもしれない。
俺は死の縁まで見かけたが、メアに足のつま先を曲げてもらうことでなんとか事なきを得た。
こむら返りは、足をぴんと延ばした状態で指先を曲げれば治まる。
前世の記憶があって良かった。命拾いした。
「……アベルは、悪魔より足を吊る方が怖いんですか?」
「……割と本気でそうかもしれない」
俺は声を荒げながら、そう言い切った。
悪魔だったら魔術を撃ち込めば死ぬだろう。
身体の故障は魔力的な前兆なしに急に発生するものだから、ものによっては今回のように後手に回ることになってしまうときも多々ある。
魔術で緩和はできるだろうが、体調が崩されてしまえばそれが上手く行かないことも考えられる。
「メアもう、本当に、死ぬほどびっくりしたんですからね。ここからはゆっくり休みながら行きましょう。アベルはどーして今日はそんなに張り切ってたんですか? うりうり」
メアが俺の足の指先をぐねぐねと回しながら言う。
普段人から滅多に触られないところなので、くすぐったいからそろそろ放してほしい。
ちょっと、足の裏はやめてくださいメアさん。
「いや……なんか、今の俺、筋肉凄くないか? ついに急成長したっていうか、今までの苦労が報われたっていうか……」
俺は首を持ち上げ、自分の脹脛の辺りを指で示す。
「え? こ、これはその、触ってもいいということですか? 触ってもいいんですか?」
「……なんか邪なこと考えてないか?」
メアがぺたぺたと俺の足を触る。
それから納得したようにこくりと頷いた。
「あのぅ……言い辛いんですけど、これ、腫れてるだけだと思います……」
「…………」
しばしの休息を挟んだ後、再出発することにした。
元々食糧やらはメアに預けており俺の分の荷物はかなり少なめになっていたのだが、それもメアが黙って担いでくれた。正直、ありがたい。
「引き返さなくて大丈夫ですか? お金も余裕ができましたし、そこまで急がなくても……」
「やりたいこととかいっぱいあるし……それに、借金早めに返しておきたいし……」
メアの母親の貴金属品……暫定価格、100万ゴールド。
『キメラの尾』の店主が物々交換を引き受けてくれたときに査定してくれた額ではあるが、本当に100万ゴールドだったかどうかは怪しい。
交渉を有利に進めようと大法螺吹かれた可能性だってあるし、今考えてみるとあの店主自体そこまで目利きができる方にも思えない。
自分も厳しい状態なのに生活資金源を全部放り出してオーテムに貢献してくれたのだ。利子なしというわけにもいかないだろう。
いったいいくら返せばいいのか正直もう見当もつかない。
あのときの自分を割と強めに殴りたい。
あれがなければエベルハイドの催眠魔術、黒い霧を穏便に無効化することができなかったので、結果としては良かったのかもしれないが……。
世界樹のオーテムがなければ、力技で応じるしかなかった。
広範囲風魔術全力で黒い霧を吹き飛ばしていたはずだ。そうすれば多分通路が崩壊して、誰かが大怪我を負っていたはずだ。
エベルハイドもまず助からなかっただろう。
「どうしてアベルはそうも急いで清算したがるんですか? メアいつも、いいって言ってるのに……」
「さすがに借金背負って平気なほど神経図太くないっていうか……」
「ひ、ひょっとしてメアが役立たずだから、すぐ別れられるようにしておきたいんですか? そうなんですか? メ、メア、解体も弓も頑張ってマスターしますから! ですから、ですから、捨てないでください……」
俺の袖をぎゅっと握り、不安気に顔を覗き込んでくる。
唇がわなわなと震えている。
「お、落ち着けって。誰もそんなこと言ってないから、な?」
どうにもトラウマスイッチがあるらしい。
ドゥーム族については過去の簡単な歴史しか知らないが、そんなにメアの故郷は酷いところだったのだろうか。
本人の口から聞くのは躊躇いがある。
実際にドゥーム族の集落を訪れてメアを連れ出してきたジェームなら知っているのだろうか。