<< 前へ次へ >>  更新
8/460

七歳①

 神託札による念視訓練を始めてから、一年が経った。

 俺は七歳、ジゼルは五歳になった。



 今では神託札の裏を睨みながら念じれば、脳裏に朧気ながら表のイメージが見えてくる。

 神託札当てなら百発百中である。

 どうやらこれはマーレン族の大人でもなかなかできる者はいないらしい。

 小さい頃から修行を続けていてよかった。生まれつき才能もあったのかもしれない。


 とはいえこれは神託札自体が魔力を持っているからであり、壁を透視したりすることはできない。

 実用性云々ではなく、単に魔術の修行としてのものである。


 水浴びや着替えを覗いたり……なんてことはできない。

 呪文や魔法陣を用いることで可能にする手段もあるらしいが、俺にはまだそういった魔術は扱うことができない。


প্রেত(光よ) আঁকা(描け)


 俺は魔術の本を片手に、宙に手を伸ばす。

 これは大気にいる精霊に呼びかけて魔術を起こす手伝いをしてもらうための精霊語、いわゆる呪文である。


 複雑な魔術は自らの魔力を原動力にし、呪文で精霊に呼びかけ、魔法陣で精霊へ複雑な指示を出すことでようやく成立するものもあるらしい。


 ざっくりいうと、魔力だけでできることは単純なものが多いのだ。

 それが呪文を用いて精霊に干渉することで、発火などの現象を起こすことができる。

 更には魔法陣を描くことで、その現象を自在に操ることができる。


 例外はあるが、基本的にこうなっている。

 簡単にいえば、魔力が賃金、呪文が口頭命令、魔法陣が設計図である。


 今の呪文は、魔法陣を描くための呪文だ。

 頭にある図形を精霊の手を借りて宙に転写することができる。

 これ自身は光を集めるだけの単純な魔術であるため、魔法陣は不要である。


 普通にインクで描いても効力はあるのだが、慣れればこっちの方がずっと速い。

 とはいえその精度と速度は術者の力量に依存するため、練習は不可欠であるが。


 もっとも今回はただの練習であるため、描くのは魔法陣ではない。

 ジゼルの顔である。

 十分ほどかけ、頬の艶から髪の質感、かなり細部まで宙に描いた。


 成功して良かった。

 この前に呪文で宙にジゼルの顔を描いたときは横に伸びてデブになってしまい、ジゼルが泣いてしまったのだ。

 オーテムのモデルにされるのはよくても、デブに描かれるのは嫌らしい。

 半端に原型が残っているからキツかったのかもしれない。


 ふぅ、妹の遊び相手と修行、どっちもこなさなければならないのがお兄ちゃんの辛いところだぜ。

 いや、俺も楽しいからいいんだけど。


「すごい、私そっくりです!」


 ジゼルが嬉しそうにきゃっきゃっと騒ぐ。

 俺はその様子を見て満足してから、魔力を止める。

 ふっと、宙に浮いていたジゼルの絵が空気に混ざるように消える。


「あっ……」


 寂しげにジゼルが呟く。

 許せ、ジゼル。図形の維持にも結構な魔力を使うんだ。


 しかし、ジゼルの顔を描くのに十分か。

 もちろん単純な図形なら十秒程度で転写することもできるが、これで魔法を使ったとしても実用性に欠けるのではないだろうか。


 火の玉ひとつ撃ち出すのにもかなり手間がかかる。

 なんせ宙に魔法陣を描くために呪文を唱えてから、また火を起こすために呪文を唱えなければならないのだ。


প্রেত(光よ) আঁকা(描け)


 俺は唱えながら宙に右の手を翳し、魔術の本に描かれている魔法陣を見つめる。

 火を球状に抑え込み、撃ち出すための魔法陣だ。

 火を生み出すわけではなく、あくまで火の通り道を作るためのものだ。発火させるための呪文を別に唱える必要がある。


 精霊というのは、融通が利かないものなのだ。

 呪文を理解しているようではあるが、生物といえるかどうかは怪しい。

 とても意志があるとは思えない。条件反射的に従っているだけなのではないだろうか。


 本によれば精霊とは、土地や物に宿った生物の思念や生物の魂の断片が混じったものであるらしい。

 濃度に若干の差異はあるものの、精霊のいない地は存在しないと本には書かれていた。


শিখা(炎よ) এই হাত(球を象れ)


 木に引火しないよう、威力を最小限に抑えないとな。


 俺の手から生まれた炎は球状になった。俺はそれを、真っ直ぐに撃ち出す。

 地に着弾してから形を崩して爆ぜ、すぐに消えた。


「わ、わぁっ! すごい!」


 ジゼルに火玉を撃つ魔術の行使を見せるのは今回が初めてだ。

 方向を制御するのが難しかったから、今までは一人の時間が取れるときにだけ練習していたのだ。怪我をさせるのが怖かった。

 

 ジゼルは俺の魔術を見てはしゃいでいるが、俺はこの魔術に満足してはいなかった。


「う~ん……」


 今の俺のレベルでは、全工程に二十秒近く要する。


 俺のファンタジー観だと、呪文を唱えている間にゴブリン的な奴にリンチにされそうだ。

 具体的に考えてみるとなかなか夢がない。

 弓矢か何かの方がよっぱど実用的に思える。


 鍛錬を積めばもっと素早く撃てるだろうが、そもそもの話、狩りに必要な程度であれば弓矢で事足りるのではないだろうか。

 昔は戦争なるものがあったそうだが、今の集落を見ている限り、その面影はほとんどない。

 人と人とで魔法を撃ち合うようなことは、この集落に籠っている限りなさそうだ。

 おまけに普通に誰もが使えるのなら、手品にもなりはしない。

 あ、あれ、ひょっとして、だから皆そこまで魔術に力入れてないのか?


 い、いや、そんなことないよな。

 だって、魔法だぞ魔法。

 俺の幼少をすべて注ぎ込んでいるんだぞ。


 ……深く考えるのはやめよう。

 いや、きっと、何かの役には立つはずだ。

 どの道、俺はもう引き返せないんだ。

 魔術を極めるしかない。


 しかし、家にある本だけでは限界は近そうだ。

 基本を固めるのはいいが、もっと色々なことをしてみたい。

 本だけでは理解しきれない部分や疑問も多い。そろそろ魔術の師匠が欲しい。

 父に相談してみるか。

<< 前へ次へ >>目次  更新