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二話

 森に入ったところで、早速真っ黒な体表を持つ熊を見つけた。

 地面にしゃがみ、川から取ってきたらしい魚を喰っている。

 黒熊は魚の頭しか喰わないらしく、身体の部位をその辺りに投げ捨てていた。


「……あれ、冒険者支援所で噂になってた奴じゃないですか?」


 メアが声を潜めながら、そう言った。

 確かに冒険者支援所で聞いた、『頭喰らいの黒き悪鬼』という仰々しい呼び名のつけられていた魔獣の特徴と一致している。

 発見から日が経っておらず、まだ過去の報告例との照合が進んでいないのか、正式名称はわかっていない様子だった。


 恐らく珍しいタイプの変異種なのだろう。

 ユニコーンの大量発生といい、何か魔力場を狂わせるようなものでもあるのかもしれない。


 とにかく、この黒熊は討伐要請の出ていた魔獣だ。

 それなりの報酬金が期待できる。


「冒険者が二人くらい喰われてるんでしたっけ……。うわぁ、早速変なのと出くわしちゃいましたね、幸先悪う……。足は遅いらしいですから、見つからない内に逃げま……」


বাতাস(風よ)ফলক(刃を象れ)」」


 俺が振った杖の先端から放たれた魔力が風を操り、刃を象る。


「グァ……?」


 こちらを振り返った熊の頭が、綺麗に飛んだ。


「グレイベアより硬そうだな。これだから変異種は……」


 なんてことない駆け出し用の狩り場に、唐突にバケモノが現れるのだ。

 冒険者達からとっては悪夢でしかない。

 パーティー壊滅の一番の理由が変異種の出現、二番目が魔獣災害モンスターパニックだといわれている。


 この魔獣は足が遅いので大規模な被害は出ていなかったようではあるが、それでもわかっているだけで既に二人死んでいる。

 時期が被っていたはずだから、ユニコーン狙いの冒険者がついでに仕留めてくれていれば良かったのに。


「…………」


 メアは絶句したまま、首なし熊を眺めていた。


「そういえばメア、さっき何か言い出そうとしていなかったか?」


「い、いえ、何も! アベルには、不要な警告でした……」


「そうか。討伐部位は、耳でいいんだったかな」


 俺は黒熊の頭を転がし、側頭部を手で押さえ、耳の根元に木彫ナイフの刃を当てる。


「ア、アベル……」


「うん?」


 メアから声を掛けられ、俺は振り返る。


「メア……その、やっぱり……お荷物になってますよね? 戦えないし……これといって何もできないし……」


「い、いやいや、そんなこと……」


 そんな申し訳なさそうに言われても困る。

 金銭面的に負い目があるのはこっちだから、下手に出られても辛いものがある。


 それに、メアにもやってもらってることはいっぱいある。

 荷物持ちとか……えっと、後は……に、荷物持ちとか……。

 こ、今度、余裕があったらメアにも魔術とか教えてみるかな。


 俺は木彫ナイフに力を加え、黒熊の耳を削ごうとした。

 硬い。滅茶苦茶硬い。

 魔獣が死ねば身体を硬質化させている魔力作用が途切れるはずなのに、ぜんぜん切れない。


 木彫ナイフの柄は世界樹製であり、強大な魔力を持ってはいる。

 木の魔力の波長を嗅ぎ分け、それに合わせる力がある。

 しかし、あくまでも木専門のナイフである。魔獣相手にすれば、ただの普通の刃である。


 耳は風の魔術でも切断はできそうだが、毛皮も剥いでおきたかった。

 しかし、風の刃はさすがにそこまで微調整はできない。

 この熊の皮なら、何かに使えそうだと思ったんだが……。


「メア! メアにやらせてください! それならメアでもできるかもしれません!」


 俺が黒熊の頭を押さえながら悩んでいると、メアが必死にそう売り込んできた。


「い、いや、俺だってそこまで筋肉がないわけじゃないぞ。確かにちょっと体力はないかもしれないが、多分それは魔力の消耗とスタミナに何か関係があるんだと思う。筋力は問題ないからな! 寝る前に二、三回は腕立て伏せするし……」


 メアの勢いに負けて木彫ナイフを渡しはしたものの、さすがに無理だろうと考えていた。

 俺だって自分の弱点はわかっているし、分析し、自分なりに対策を練っているのだ。

 筋トレとかで。


 ステータス開示の魔術を使って確かめるとほとんど数値が伸びていなかったが、きっと俺の魔術に問題があるのだろう。

 あの魔術を開発したのはもう何年も前になるが、ステータス開示の魔術には欠点が多い。


 ステータスに筋トレの成果がほとんど反映されないし、自分の魔力値を調べようとすると表示がバグるようになってしまった。

 どちらも理由がわからないのでまったく手の付けようがない。

 やはり『生物の能力値を数値化する』という概念自体が間違いだったのだろう。

 一応開発を進めてはいるが、欠点の改善ができない以上、実用化は難しそうだ。


 俺はジゼルに腕相撲で勝負したことがある。

 十分に渡る激戦の末、筋力の数値で劣るはずの俺が勝利をもぎ取ったのだ。

 これもいまいちステータス開示の魔術を信用できない理由の一つである。


 ジゼルはにこにこと笑っていて俺は汗塗れではあったが、勝ちは勝ちだ。

 決してジゼルが兄を立てようと手を抜いたわけではないはずだ。多分。

 だから俺だってさすがに、同年代の女の子と比べれば……。


「アベル! 切れましたっ! ちょっと苦労したけど、なんとか切れましたよアベル!」


「え、あ、ああ、そう……」


「皮も剥いでおいた方がいいですか?」


「うん、お願い……」


 俺はメアの指示を受け、風の魔術で黒熊の身体を大まかに裂く。

 メアは裂け目を起点に黒熊の皮を剥いでいく。

 マイゼンがハウンドの毛皮を剥ぐのをしっかりと見ていたらしく、手順と要領はわかっているようだった。

 俺はあまり見ていなかったが、メアは自分のできることを探して色々と観察していたのかもしれない。

 量が量なので少し苦労しているようで、脂と血の刃毀れのせいか最後の方はガタガタになっていたが、どうにか皮剥ぎが完了した。


 多少なりとも金は入ったのだし、今後のためにもメア用の解体ナイフと研ぎ石を買った方がいいかもしれない。

 後、木彫ナイフの刃の部分も交換しておきたいな。

 柄がせっかく世界樹なのに、刃が安いオンボロというのはいただけない。

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