二千年の悲願(sideエベルハイド)
ゼシュム遺跡最奥地、エベルハイドは台座に埋め込まれていた水晶へと手を置いた。
エベルハイドのゼシュムの末裔としての魔力に呼応し、水晶が紫紺色の光を放つ。
それと共に、遺跡全体が大きく揺れ始めた。
興奮のあまり、エベルハイドの手が震えた。
ついに生涯の悲願であった、ゼシュム復興のときが来たのだ。
ゼシュム遺跡が完全に起動するよりも先にアベルが自らの許へ辿り着くのではないかと、エベルハイドはそれだけが気掛かりだった。
しかし彼は道中のゼシュム・ビーストゴーレムを突破できなかったらしく、エベルハイドのところへ姿を見せることはなかった。
魔導兵器に人間が敵うはずがないとわかってはいたが、それでもエベルハイドは安堵した。
ゼシュム・ゴーレムを複数体同時に起動されたときは理不尽さのあまりに絶望した。二百年という長い年月によって培われてきた常識が、彼の中で完全に崩壊した。そのときにあの小僧なら何をやらかしてもおかしくないと、頭と心にそう刻み込まれていた。
やがて壁に刻まれていた術式が光を帯び始め、壁が左右に分かれ、階段が現れた。
エベルハイドは、水晶に翳していた自身の手の甲を見る。
グリフォンが翼を広げている影絵が浮かび上がってきた。ゼシュムの紋章だ。
これは遺跡の支配権を得た証であり、そして同時に全世界の支配者となった証でもある。
エベルハイドは階段を駆け登った。
階段の先は、遺跡の最上階、屋上。
世界を見降ろすための特等席である。
「
エベルハイドの言葉に答え、ゼシュム遺跡――ゼシュムの浮上要塞、『神の弓』が浮かび上がり始めた。
そのままエベルハイドは、浮上要塞を東へと動かす。
まずはロマーヌの街に神の矢を放つ。あそこの街の規模なら、たったの一発で焼け野原に変えることができる。パフォーマンスとしては最適だ。
周囲に力を示して脅しを掛けて魔石を集め、神の矢を放つための魔力を蓄える。それが当面の目的であった。
エベルハイドは屋上の縁に手を掛け、地上を見下ろした。
雲の上にまで来たため、視界には霧が掛かっていた。
見渡す限りの草原、遠くに見える街、山々。これからすべてがすべて、自分のものとなる。いや、こんなちっぽけなものだけではない。ゼシュムの末裔が代を越えて恨み、妬み、恋い焦がれ続けてきた
そう考えると頭が熱くなり、笑みが漏れた。
「父よ、ゼシュムの先祖よ! 私を見ていてくだされ! ついに、我らの二千年の悲願を果たすときがきた! この私が
エベルハイドはそう叫んだ後に高笑いを止め、それから天を睨んだ。
この大空の果てに、
「待っておれ……私は、雲が手に届く高さまできたぞ。貴様らの首も、すぐそこだ」
エベルハイドが縁の外へと手を伸ばした正にそのとき、周囲の空間が歪んだ。
起動と同時に浮上要塞の周囲に自動展開されていた結界が崩壊する前兆だ。
一瞬遅れ、激しい破壊音が響く。透明化されていた魔力の膜が粉々になって気化していった。浮上要塞が、大きく揺れた。
何かから攻撃されたのだ。浮上要塞の結界を一撃で粉砕するなど、あり得ない。あってはならないことだ。
エベルハイドは、自身の血の気がさぁっと引いていくのを感じた。
まさか、と思いながら地上を見下ろす。
ゼシュム・ビーストゴーレムが、二人の人間を乗せて地上を走っているのが目に見えた。
二人の内の片割れは、生者と思えぬほど色素の薄い肌に、魔力の滾る真紅の瞳を携えている。その姿は、死して尚魔力を絶やさぬ骸、アンデッドの王、リッチに似ていた。過去、戦争家達の間で戦場の死神と畏れられていた、マーレン族の特徴だ。アベルに間違いない。
浮上要塞と並行に走っている。
速い。それも、とんでもなく速い。
明らかに従来のゼシュム・ビーストゴーレムとは比べ物にならない速さだ。
実際、先祖達が錬金して生み出した鉱石でできた強靭なボディが、速度に堪え切れず悲鳴を上げているのがわかった。
絶対におかしい。
再び周囲の空間が歪み、浮上要塞の周囲を結界が覆っていく。
浮上要塞の持つ、結界の自動修復機能だ。
それに気付き、エベルハイドは額の汗を拭う。
大丈夫だ。
結界の自動修復機能は魔力の流れに介入されるか、浮上要塞の周囲にあるすべての結界像を破壊されるかでもしなければ止まらない。
前者は魔力の流れを把握する必要があり、後者も像の位置や数を割り出す必要がある。どちらにも慎重な解析が不可欠だ。
「ふん、逃げておれば、わざわざ追うことはなかったというのに……」
浮上要塞には様々な魔導兵器を積んでいる。
神の矢を使うまでもない。
そもそも、神の矢は魔力消耗が激しすぎる。一発でも撃てば、後の計画が一気に苦しくなる。
「
その言葉に答え、浮上要塞のあちらこちらが開き、大砲が姿を見せる。
「まさか、そんなゴーレム一体でこの
生半可な要塞なら、アベルたった一人で沈めていたかもしれない。
エベルハイドは本気でそう考えていた。
だが生憎、浮上要塞は
はっきりと規模が違う。
さっきの一撃は、恐らくアベルのとっておきだったのだろう。
大した威力ではあったが、それによって壊された結界もすでに完全に修復済みである。
この結界の自動修復機能がある限り、浮上要塞が落とされることなどあり得ない。
エベルハイドがアベルへと手を向けると、すべての大砲がアベルへと照準を合わせた。
「アベルよ、さらばだ!」
エベルハイドが叫ぶのと同時に、アベルのいる方向から巨大な金属球が飛んできた。
それも一つではなく、大量に。
金属球は魔力の弾丸を呑み込み、掻き消し、それでもなお威力を落とさなかった。
浮上要塞の結界を、先頭の一撃が砕いた。
「…………」
結界を再展開する間など待つわけもなく、次から次へと金属球が飛んでくる。浮上要塞のあちこちにめり込み、抉り、穿ち、破壊した。
二千年間傷一つつかなかった壁から装甲が剥ぎ取られ、大砲が次々に粉砕され、壁には大穴が空いた。
浮上要塞のあちらこちらからどす黒い煙が上がる。兵器の暴発によるものだ。
「や、や、やめろ……私は、
ゼシュムの技術の集大成、二千年間一族が望み続け、エベルハイド自身もエルフの長い生涯のすべてをつぎ込んできた浮上要塞が、起動後十分と持たずに朽ち果てようとしていた。
エベルハイドの喉奥から、しょっぱいものが込み上げてきていた。
口を押さえながらよろめき、その場に膝をついた。
「……ゆ、夢だ。これは、ただの夢だ。そうに違いない」
いつからだ、いつから自分は夢を見ていた。
浮上要塞を起動してからか? 悪魔と呼ぶのも生温い、あのマーレンの魔術師と出会った頃からか?
いや、現実逃避している場合ではない。
神の矢だ。
神の矢で、アベルごとこの辺り一帯を更地に変える。
エベルハイドは、自分でも馬鹿げたことをしようとしているのはわかっていた。
国を落とすための兵器を個人に向けるなど、完全に無駄遣いだ。
しかし、それ以外にもう手は残されていなかった。
ここで神の矢を撃ってしまえば、後の予定が大幅に狂う。
魔導兵器の大半を壊された今、最悪の場合は完全にブラフだけで都市、国を相手取り、魔石を掻き集める羽目になる。
そんな情けない支配者など、聞いたこともない。とても成功するとは思えない。
だが、とにかく今は目の前の障害を取り除かなければならない。
「
エベルハイドは身体を起こし、そう叫んだ。