二十一話 ゼシュム遺跡⑫
俺はゴブ島の肩を撫でる。
ゴブ島の身体の痙攣が伝わってくる。
グリフォン像の台に添えられてたゴブ島の手からも、見る見るうちに握力が弱まって行く。
「ゴブ島! まだ死ぬなよ、ゴブ島!」
俺は心中に留めていたゴブ島の名を、思わず声に出してしまっていた。
だがしかし、そんな些事に気を配っている余裕はない。今は、ゴブ島の危機だ。
「諦めろ、このゴブリンはもう駄目だ。一度引き返すしかない」
エベルハイドがばっさりと言う。
「そ、そんな……俺、遺跡の探索が終わったらゴブ島をペットにするって……」
これが最後の結界だ。
これさえ解けば、ゴブ島を連れて帰れるはずだと、そう信じて俺は頑張ってきたのだ。
「それは諦めろ、許可の申請が厄介だ。これだけ改造を施したゴブリンが体力を回復すれば、何をやらかすかわかったものではない」
それから少し間を開けて、「あと、愛着を持っておるようだが絶対に懐かんからな」と付け加えた。
「そんな……ゴブ島……ゴブ島は、無駄死になのか……」
「そのゴブリンの死も、無駄ではない。ここまで順調に解析が進むとは思っておらんかった。そのゴブジ……ゴブリンの死も、立派に解析に貢献している。次ならば突破できるだろう。私だけならば、早くても十年は掛かっておっただろう」
エベルハイドが慰めるように言う。
俺はがっくりと肩を落とした。
「だ、大丈夫ですよ! ゴブジマだってきっと、アベルの役に立てて良かったって思ってます!」
メアが俺の肩に手を置き、そう慰めてくれた。
「……そ、そうかな?」
「ええ! きっとそうです!」
俺は、地に這うゴブ島の顔へと目を向ける。
ゴブ島は白目を充血させ、思いっ切り俺を睨んでいた。
「なぁ、やっぱり、違うんじゃ……」
「む、ゴブリンの魔力の流れが回復したぞ。貴様の顔を見て息を吹き返したようだ」
「良かったですねアベル! ゴブジマも、アベルの顔を見て頑張らなきゃって……」
「なぁ、やっぱり、違うんじゃないのか? 俺、滅茶苦茶睨まれてるんだけど……」
「気にするでない。所詮はただの人喰い鬼だ。情を持っても何もいいことはないぞ」
エベルハイドが俺の言葉をばっさりと切り捨てる。
「と……それどころではない。最後の封印が、解ける。小娘、退け。おい領主の兵共、グリフォン像を囲め」
「え、ど、どうなさいましたか?」
調査隊の人達が、訝しがりながらグリフォン像へと近づく。
俺は半歩下がって杖を構えた。
グリフォン像が真っ赤に発光し、表面に罅が入る。
次の瞬間、像が身体を振るった。辺りに石の欠片が飛び散る。
像が、本物のグリフォンへと変わった。
大きな鷹の頭に、ライオンの下半身。
尾の先から頭の先まで足せば、三メートル近くある。
こんなガチな化け物、この世界でもお目に掛かったことはなかった。
「ガァァアアアアアッッッ!」
前世では胡散臭い本やゲームの中でしか見たことなかった伝説の存在が、俺の前で咆哮を上げる。
声で空間が歪んだような、そんな錯覚さえ感じる。
石像のときとは全然違う、圧倒的な存在感。
グリフォンは台座を降り、すぐ下にいたゴブ島を大きな足で踏みにじった。
ゴブ島はあっさりとミンチになった。
「ゴブ島ぁあああああっ!!」
俺は飛び出そうとしたが、エベルハイドに制された。
「その程度のことで動揺するな。冷静に動け」
「そ、その程度……は、はい……」
今は確かに、動揺している場合ではない。
「ちょっ、ちょっと待ってくださいエベルハイド様! こんなの聞いてませんよ!?」
調査隊の人が、剣を構えながらも悲鳴を上げる。
「あ……悪い、俺らの会話、横から聞いてたらだいたい察するかと……」
「貴様らしかわからんわぁっ!」
答えた俺に対し、ウェゲナーが吠えた。
「グリフォンは、B級下位に入る魔獣だ。この通路では翼の利点は活かしきれんだろうが……決して正面に立つな。上手く散り、人数差を活かして立ち回れ。アベルはもう五歩引いて、グリフォンの攻撃後の隙を突いて左翼を落とせ。これが、この遺跡の最後の番人だ。気を抜くなよ」
エベルハイドが的確な指示をくれる。
助かった、このままだと何も考えずに魔術を連打するところだった。
やはりこの辺りは経験の差か。
俺は言われた通り、きっちりと五歩下がる。
よし、グリフォンの攻撃を待って、左翼の根元に魔術攻撃だな。
俺の横を抜け、調査隊の人が前に出て行った。
グリフォンの目が、エベルハイドを睨む。
『
頭に声が響く。
まるで脳に直接呼びかけられたようだった。
魔獣の一部や高位の悪魔は、精霊語を解する。
知識としては知っていたが、経験するのは初めてだ。
実際受けてみると、凄まじいプレッシャーを感じる。
『
ごきり、グリフォンが首を回す。
『
ぶるり、身体が震えた。
俺だけじゃない。調査隊やマイゼンも、今の一声だけですっかり気を削がれてしまったようだった。
俺は自分を落ち着かせるため、頬を軽く指で叩いた。
「
エベルハイドの指先から出た光が広がり、グリフォンを縛ろうとする。
グリフォンが翼を広げ、姿勢を低くして右へと飛んだ。
「うわぁあああああっ!」
調査隊の一人が、我武者羅に剣を振るった。
『
グリフォンの前足の鉤爪が、剣先を撫でた。
刃はあっさりとへし折れ、調査隊の一人を弾き飛ばした。
そこで気圧されていた俺も、我に返った。
そうだ、攻撃の隙を突いて左翼を落とすんだ。
グリフォンはこちらを向いてはいない。
少し出遅れたが、死角ではある。牽制にはなるはずだ。
「
俺はグリフォンの左翼へ向け、杖を振るう。
杖から出た魔力が空気と交じり、刃となった。
グリフォンは素早くこちらに向き直った。
『
予想以上に動きが速い。
グリフォンは翼で前方を覆い、身体を庇う。
駄目だ、焦った。
精霊語を解する魔獣が生まれるのは、進化の途上に精霊の影響を強く受けたからだといわれている。
その裏付けとして精霊に近い性質を持っており、更にベースとなった精霊の強く関与する魔力には強い耐性を持っている。
なんで俺は、風の魔術を撃った。
咄嗟になると、ここまで頭が回らないものなのか。
実戦経験の薄さは、予想以上に根が深い。
俺は自分に苛立ち、唇を噛んだ。
『
次の瞬間、血飛沫が上がった。
「ガァァァアアアアッ!?」
グリフォンが素で叫び、倒れた。
そのままジタバタとその場でのた打ち回る。
切れかかっていた血塗れの翼が落ち、羽が辺りに舞っていた。
「……む?」
エベルハイドが、腕を上げた姿勢で止まった。
他の調査隊も同様、剣を構えたまま固まっていた。
そのまま、数秒ほど時間が止まった。
だが皆、思い出したようにグリフォンを囲み、剣を振るい始めた。
……そこまで心配しなくて良かったな。