十八話 ゼシュム遺跡⑨
グリフォン像の解析作業を続けるうち、気が付けば調査隊の人間は皆寝袋を取り出して眠りについていた。
見張り番を任されていたらしいマイゼンが、欠伸混じりに通路の方を眺めていた。
あいつ、いつの間にか自然と馴染んでいるな。
目が合うと、マイゼンは身体を起こす。
「アベル、周囲を注意しておいてくれ。僕はちょっと、薬草を毟ってくる」
薬草? ……ああ、トイレか。
前世のお花摘みみたいなものだ。
別に普通に言えよ。お前は乙女か。
「ああ、行ってこい」
マイゼンからグリフォン像へと目線を戻す。
エベルハイドが、トントンと自らの眉間を叩いていた。
解析作業は集中力がいる。その分、精神の疲労も激しい。
エベルハイドも歳だ。
俺は懐から小瓶を取り出し、エベルハイドへと差し出す。
「どうぞ」
「む、これはなんだ?」
「俺の作ったポーションです。眠気が飛ぶし、集中力も上がりますよ」
エベルハイドは受け取ってから、複雑そうな表情を浮かべていた。
恐る恐ると蓋を開け、手で仰いで臭いを嗅ぐ。
「……使用規制の植物を二種以上使っておるな。知っておるとは思うが、一応言っておこう。こういった類の薬品は、許可のある者が作った物でなければ、基本的にほとんどの街で持ち込みや所持が禁止されておる」
「え、マジですか……」
普通に知らなかった……。
え、これ、捨てた方がいいの?
アベルポーションまだまだ予備があるんだけど。
だ、大丈夫だよな。関税用の荷物検査も、そこまで厳密じゃなかったし……。
「ホブゴブリンだぁっ! 皆、起きてくれぇっ!」
マイゼンが叫びながら戻ってきた。
マイゼンの声を聞き、調査隊達が目を覚ましていく。
「数は、幾つだ?」
起き上がった調査隊の一人が尋ねる。
「わ、わからない! 十五以上はいた! こちらに向かってきていた、すぐに来るはずだ!」
「そんな馬鹿な! 簡単にではあるものの、一通り遺跡は見たはずだ。十を越えるゴブリンが隠れるスペースなど……」
ホブゴブリン、D級モンスターだ。
一番オーソドックスなゴブリンは1メートル前後の体長しかないが、ホブゴブリンは人間サイズである。
子鬼というよりは、鬼といった雰囲気だ。
体表も緑ではなく、黄色に近い肌色をしている。
「恐らく、森に隠れていたのだろう。我々が遺跡に入るのを見て、寝込みを襲うタイミングを見計らっていたのだ。ゴブリンの考えそうなことだ」
他の調査隊員が慌てる中、エベルハイドだけは落ち着いた調子でそう言っていた。
「なるほど、さすがエベルハイドさん!」
「やはり貴様は実践に欠けるな、アベルよ」
「これから精進いたします」
「何を落ち着いておられるのですかエベルハイド様! とっとと逃げますよ! 私達が、道を作りますので!」
調査隊員がエベルハイドへと詰め寄る。
「貴様ら如きに案ぜられる身ではない。ホブゴブリン程度、どうにか討ち滅ぼせ。今逃げたとしても、後々うろつかれては邪魔で敵わぬ。そのためについてきたのではなかったのか」
「じゅ、十五は、少々厳しいかと……。早期発見できたのでしたら、ここは一旦……」
調査隊の兵は全員で十二人だ。
マイゼンのあの口振りだと、ホブゴブリンは二十近くはいてもおかしくない。
ホブゴブリンは、多分一対一ならマイゼンより強い。
「軟弱者共が! どけ、私が前列に立ち、ホブゴブリンの動きを止める。数が半数に減ったら退却に出るだろうから、相手の動きが変わったら守りを捨てて一気に攻勢に出ろ。討ち漏らすなよ!」
「え、し、しかし……しかし……領主様からは、ウェゲナー様とエベルハイド様の安全を優先しろと……」
「しかしも何もあるかぁっ! 早く周囲の者にも指示を出せ!」
「は、はい!」
エベルハイドはホブゴブリンが来るであろう方に数歩進み、それからこちらを振り返った。
「アベル、解析を続けておけ」
「俺もそっちに向かわなくて大丈夫ですか?」
「必要ない」
やだ、この人心強い……。
ちょっとでも解析を進めておかなければ。
「あ、と、エベルハイドさん」
「む?」
「三体ほど生け捕りにしておいてくれませんか?」
「何をするつもりだ?」
「いえ、色々な方向から結界の解除を試したいので……見当違いかもしれませんが、一応。可能だったらでいいんですけど」
「……まぁ、無意味ではないか。任せておけ」
エベルハイドはそう答えると俺に背を向け、調査隊の後に続いて歩いて行った。
「ど、どうしたというのだ? 逃げぬのか?」
今起きたらしいウェゲナーが、近くの調査隊員を捕まえる。
「申し訳ございません……その、エベルハイド様が戦うと……」
「ほえぇっ!? 冗談ではない! わわ、私は逃げるぞ! 私に護衛をつけろ!」
「し、しかし、分散して下手に少人数で逃げるよりも、奥で待っていただいていた方が……。他の通路も押さえられている可能性があります」
「ならば全員で逃げればよいではないか! エベルハイド殿が残りたいと言うのならば、おいていけばいい!」
「しかし、しかし……」
「エベルハイドは、このウェゲナーの命よりも重いと? こ、このことは領主様に報告するぞ! よいのか!?」
ウェゲナーがそう怒鳴ったとき、通路の奥からホブゴブリンの集団が現れた。
「臆するな、ゆけぇっ! おい右端の男、棍棒に気を取られ過ぎるな! 基本であろうが!」
エベルハイドの怒声を合図に、戦闘が始まった。
「あ!? も、もう来た! 申し訳ございませんウェゲナー様、お叱りは後で聞きますので!」
「ちょ、ま、待って! 待機するにしても、私に護衛とかいないのか! お、おい!」
ウェゲナーが戦場へ走って行った調査隊員の背に手を伸ばす。
それからがっくりと地面に膝をついた。
……本当にこの人、何しに来たんだ。
メアは、カンテラを抱えて眠っている。
背には俺が調査隊員から借りた毛布が掛かっている。
今の騒動でも起きなかったらしい。
……俺が寝るまで起きているとか言っていたような気がするが、すっかりと熟睡している。
「
「フモォッ! ギィッ!」
エベルハイドの呪文とホブゴブリンの悲鳴が遺跡に響く。
メアがはっとしたように肩を揺らし、薄目を開ける。
「メ、メア、寝てませんでしたよ。ちょっと意識遠のいてただけですから! ほんのちょっと!」
「……おう、そうか。そのまま遠のけたままでも別に大丈夫だったんだけど」
「寝てませんでしたけど……その、何かあったんですか?」
「いや、問題なさそう」
「そ、そうですか」
危なそうなら手出ししようと思っていたが、今のところその必要はなさそうだ。
と、俺のところへウェゲナーが近づいてきた。
「な、なんですか? 俺の解析のやり方に、何かまた文句でも……」
「きき、貴様に、このウェゲナーを守る大儀をやろう。光栄に思うのだぞ、野良魔術師よ」
「…………」
……この人、本当になんなんだ。