七話
塗料を無事に買った後、宿へと戻った。
宿の食堂で、スープとパンの簡単な夕食を食べた。
スープはとろみが妙に強いが、コーンスープに似ていた。
こっちの世界でトウモロコシは見たことがなかったが、あることにはあるようだ。
似て非なるものの可能性もあるが。
部屋へと入ってから、俺はベッドに腰を掛ける。
俺が座ったすぐ後ろへと、メアがダイブした。
そのままベッドの上で横になる。滑らかな動きだった。
……こっち、俺のベッドにしようと思ってたんだけど。
まぁ、寝るときに退けばいいか。
「そんなにベッドが珍しいのか」
「そりゃもう、そうですよ! いつも、メアだけ床に布でしたから!」
俺はつい顔を顰める。
あっさりと言ってくれるけど、それって結構えげつないからな。
俺は風の魔術を用い、世界樹の枝から一部を切り取る。
木彫ナイフで形を整えてから、術式を刻んでいく。
「なーにやってるんですかアベル?」
メアは身体を起こさず、顔だけを上げて俺を見る。
「俺の持っているナイフは、マーレン族の集落の周辺にある木の持つ魔力に呼応するように作られていてな。世界樹でオーテムを作るためには、世界樹に合うように作り直す必要がある」
こんなふうにちょっと形を整えて文字を刻むくらいならば勿論可能であるが、オーテムを彫るのであれば、体力が足りなくなってしまう。
それにオーテムには精密性が求められる。
力任せで刻んではいけないのだ。
だから、木彫ナイフから作る必要がある。
世界樹で作ったナイフの柄ができあがった。
早速高級塗料を用い、パーツの一つ一つへと塗っていく。
既存の木彫ナイフをばらして刃の部分を取り出し、世界樹で作ったナイフの柄へと組み込んだ。
留め具をしっかりと嵌め込み、固定する。
これで木彫ナイフ(世界樹用)の出来上がりだ。
これならあらゆる魔力を持った木を切断することができるだろう。
柄の持つ魔力が高いため、色々な付加能力を持たせることができた。
ただの木にここまでの術式を刻めば、すぐさま大破していたはずだ。
これだけでも、そこそこ高価な魔法具として扱われるはずだ。
肝心な刃の部分がマーレン族集落で出回っている廉価品なのはちょっといただけないが。
俺は木屑を掻き集め、ごみ箱へと捨てた。
それから世界樹の枝を抱える。
「じゃあちょっと、外に行ってオーテムを彫ってくる」
「えー! もう今日はいいじゃないですか。ゆっくり休むって話だったじゃないですかぁ」
メアは身体を起こし、枕を抱きかかえる。
「明日の宿代、もう残ってないだろ?」
「宿のランク下げれば後二日くらいは大丈夫ですって。しっかり休んで、明日から頑張りましょう!」
「いや、でも……」
「寝なかったら何のために宿取ったんですか。勿体ないですよ、ほら」
宿代も出してもらっている身としては、それを言われると辛い。
一旦はベッドで横になった振りをして、メアが寝たのを見計らってこっそりと毛布を払い除ける。
アベルドリンクを一気飲みし、眠気を吹き飛ばす。
木彫ナイフと世界樹の枝を抱えて宿の外へと出た。
大きな石があったのでそこに座り、世界樹の枝を彫っていく。
刃を入れる度、凄まじい魔力を感じる。これが世界樹の力か。
色々と試してみる価値がありそうだ。
俺は一旦作業の手を止めて部屋へと戻り、紙と羽ペンを掴んで外へと出た。
紙に設計図を描き直し、刻む術式の候補を横に並べていく。
日が昇ってきた頃、オーテムが完成した。
世界樹を用い、高級塗料を惜しみなく使った一品である。
操作性抜群の上、多種多様な結界を張ることもできる。
俺が今までに作ったことのあるオーテムのいい所取りである。
おまけにわざわざ持ち運びせずとも、魔法陣を使えばいつでも手元へ転移させることができる。
本来ならば転移の魔術は、距離の三乗に比例した膨大な魔力を消耗する。
だがどうやら世界樹には、転移魔術による魔力の消耗を抑える力があることがわかった。
色々と試した甲斐があったものだ。
世界樹の周辺で暮らす魔獣の中には転移魔術を扱えるものがいると、そう本で読んだことがあった。
ひょっとしたら世界樹の性質と何か関係があるのかもしれない。
俺はオーテムを抱え、部屋へと戻った。
懐から鍵を取り出し、扉を開ける。
「メア、メア! 見てくれ! 世界樹のオーテムが完成したぞ!」
「あ、戻ってきた。やっぱり外に出てたんですね」
ほっとしたようにメアが言う。
「い、いや、ちょっと朝早くに目が冴えてな」
「いやーもう、メア、本当にびっくりました。朝起きたらどこにも見当たらなくて、アベルの大事にしてた世界樹とナイフもセットでなくなってるから、てっきり借金返せないと思い詰めて夜逃げしたんじゃないかと……」
さすがにそこまで畜生に落ちぶれた覚えはない。
「見ろよ、このオーテム。マーレン族なら、喉から手が出る程欲しがる逸品だぞ」
間違いなく、俺の過去最高傑作である。
「メアにはよくわからないんですけど……それ、何に使えるんですか?」
「かなり精密な操作は必要だが、制御できれば何にでも使うことができる。指示さえ的確に出すことができれば、魔獣と戦うことだってできるはずだ」
「こ、この木彫り人形が魔獣と戦えるんですか?」
「ああ、攻撃を避けてタックルしたり、火を吹いたり、なんだってできる」
「火を吹いたり!? ちょ、ちょっと想像ができないんですけど……」
「いい塗料を使っているから、劣化はもうほとんどしないはずだ。後はなんとか食い繋ぎながら、ゆっくりとこれを買ってくれる魔術師を探せば……いい、儲けに……」
俺は自分の手で抱えたオーテムを見つめる。
生活のためには、このオーテムを手放さなければならない。
一瞬売り飛ばしてから手元に転移するという手を考えたが、さすがにそれはまずいだろう。
胸の奥が熱くなる。
せめて、せめて、大事に扱ってくれる人の手に渡ればいいのだが。
名前をつけなくてよかった。
愛着が湧けば湧くほど、別れは悲しくなるものだ。
「そこまで辛いんだったら手放さなくてもいいんですよ? 別にそんな、メアは急いで返してほしいなんて思ってませんし、借金という形にして欲しいと言ったのもアベルですし……」
「俺は、これが彫れただけで満足だ……。ちゃんと価値のわかってくれる人が使ってくれるんだったら、もう、それ以上は、もう……」
「そ、そんな顔して言ってても説得力ありませんよ」
俺はよっぽど険しい顔をしているらしい。
今ならば、手塩にかけて育ててきた娘が見知らぬ男と結婚するときの親の気持ちがわかりそうな気がする。
「あれだけ凄い魔術使えたんですから、何かと稼げる手段はありますって! と、とりあえずそれは置きましょう! そんな悲しそうな顔しなくても大丈夫ですから! ほら、ほら、元気出してくださいって!」
「……気持ちは嬉しいんだが、ここで甘えたらこのまま一生ずるずる行きそうな気がする」
「そんな思い詰めた表情しないでくださいってば!」