五話
荷馬車での移動から三日が経った。
俺は荷馬車の上で、メアにオーテムを彫らせていた。
「そこ、ささくれができてるぞ! あー違う! 角の辺りにナイフを入れるときは、その持ち方じゃなくて……こう……」
「はいっ! はいっ! アベル師匠!」
メアはあまり器用には見えなかったが、熱心だからか上達が早い。
最初は飽きっぽいのかすぐに集中力が切れていたが、俺がガルムを両断してからずっとこんな調子だ。
よほどガルムが怖かったのか異様に持ち上げられたので、照れ隠しで『小さい頃からオーテム彫ってたおかげだな。マーレン族ならだいたい皆できる』と言ったのを真に受けたのかもしれない。
まぁ、オーテム彫りが魔術上達の基礎になるのは本当のことだ。
「ようやく見えてきたよ。あれが、ロマーヌの街だ」
ジェームに声を掛けられ、俺はメアから街へと視線を移す。
水路に囲まれた街が見えてきた。
街門を越え、噴水のある広場の近くで荷馬車が停まった。
広場では、真っ白なタイルが下に敷き詰められている。整備が行き届いているな。
石造りの建物が並んでおり、なかなか綺麗な景観だった。ゴミが捨てられている様子もない。
無法街だと本では読んだのだが、すっかり変わってしまっているようだった。
「ええ~! ジェームさん、別行動なんですかぁ!」
「あはは……いや、私も用事があってね。君達は街に不慣れだろうから付き添ってはあげたいんだけど」
ここで別行動か。
そりゃそうだ。ジェームは行商のために旅をしているのだ。
俺やメアがその役に立てるとも思えない。
「しばらくはこの街にいるつもりだから、また困っていそうだったら声を掛けさせてもらうよ」
「お世話になりました、ジェームさん」
「いや、私も助かりました。アベルさんがいなかったら、ガルムに喰い殺されていたかもしれません」
ジェームはすっと、俺へ手を伸ばしてくる。
俺はその手を握り返し、笑い合った。
……この人、イケメンなんだけどなんか笑顔が怖いな。どこがってわけじゃないんだけど。
「ええ、でも……でも……」
メアは、未だに戸惑っているようだった。
ずっとジェームに引っ付いていくつもりだったのかもしれない。
「あー、そうです! メアがこれで小麦全部買ってあげます! これで暇になりましたね!」
メアはさも名案とばかりにそう言い、懐から小袋を取り出す。
お前にそんな金があるのかと思いきや、小袋の中から金細工の首輪や指輪が覗いているのが見えた。
ああいったものの相場は知らないが、軽く百万円くらいするのではなかろうか。
い、家出娘の癖に……!
俺の集落にもああいうのがあったら交換していたのに。
あれが村を出るときに掴んできた、メアの親のへそくりとやらか。
血眼になって捜されてるんじゃないのか。
ジェームがそれを受け取るはずもなく、苦笑しながら荷馬車に乗り込む。
最後に「ではまたいずれ」と言いながら、手を振って去って行った。
がっくりと、メアがその場に膝をつく。
「お、おい、そんなに落ち込むなって……」
俺が声を掛けると、メアはびくりと身体を震わせ、ばっと起き上がった。
「アベルはいなくなりませんですよね? ね? ほら、メア、オーテム彫りもぜんっぜん上達してませんし! ませんし!」
ぐっと肩を掴み、顔を近づけてくる。
「え? あ、ああ、うん。俺もこっちに顔見知りとかいないし、その方が助かる……かな?」
「本当ですよね? そ、そうだ、何か欲しいものとかありませんか? メア、お金ならありますから! ほら、ほらほら、これ、どっかで買い取ってもらえば……!」
……厳しい環境ながらに明るく育ったんだと思ってたけど、ああ、この子、駄目な子だ。
「いや、そういうのは今後の関係に尾を引くからやめた方が……」
しばらくは、俺が付き添って様子を見ておいた方が良さそうだな。
悪い男に騙されて一瞬で全財産持っていかれそうな脆さがある。
一時間後。
俺は商店街にある『キメラの尾』という店で、一つの商品に釘づけになっていた。
『キメラの尾』では、錬金術の素材や魔術の触媒になるような商品を中心に取り扱っている。
ゴーレムのコアの一般的な主材料である金属、魔力を込めると火精霊を集める性質のある宝玉。
後者は、杖なんかに取りつけて魔術の威力の底上げに使うのだろう。
欲しい。それらも勿論欲しい。
だが、俺の気を強く引いたのは別のものだ。
「へぇ、お客さん、お目が高いわね。長く置いてはいるけれど、それに興味を惹いた人なんて、なかなかいなかったわ。ましてや、真っ先に飛びつくような人なんかは、ね。本当は、ウチみたいなケチな店ではまず扱わない代物よ」
店主らしき人が話しかけてくる。
大きな尖がり帽子を被った、金髪の女だ。
ちょっと帽子が大きすぎてぶかぶかっぽいことを除けば、典型的な魔女っぽい服装をしていた。
俺の目線の先にあるのは、大きな丸太である。
薄っすらと青い光に包まれている。保管のための結界だろう。
「だよな! 普通、こんな街端の小さな店に置いておいていいようなものじゃないだろ! 結界が張ってあるみたいだけど、万全ではないし。ああ、劣化しちゃってるんだろうなぁ、あれ。もっと結界張るのにお金かけられなかったのか? まぁ……この店じゃ、これが限界か」
「私の店に文句でも?」
「痛い痛い痛い! 耳引っ張らないで! ごめん、謝るから! つい興奮して!」
ウチみたいなケチな店って自分で言ってたのに!
いや、人から言われるのと自分で言うのはまた違うっていうのはわかるけども。
メアも、俺の見ている商品へと顔を近づける。
「なんですか、これ? そんなにいい木の幹なんですか?」
「いや、幹じゃない。世界樹の枝だ」
俺は耳を擦りながら、メアへと教えてやる。
世界樹というのは、魔の森と呼ばれる大森林の最奥地にある巨大な木である。
世界樹の持つ魔力故、世界樹の周囲には強靭な魔獣達がいると聞いている。
俺も実物を見たのは初めてだが、世界樹の枝で間違いないだろう。
これだけ強靭な魔力を持つ木など、この世で他にあるとは思えない。
「どこからこんなもの手に入れたんですか?」
「……五年ほど前に、この街に住む有名なパーティーが魔の森に踏み込んだのよ。入ったのは四人で、生きて帰ってきたのがただの一人だったわ。
その一人も途中で魔獣に幻覚を見せられたらしくて、武器や防具をほっぽり出して、裸で丸太を担いで森浅くを歩いているところを他の冒険者に保護されたのよ。すぐにお金を作りたかったらしくて、顔見知りだった私の店に安くで提供してくれたわ」
……な、なんだか気の毒。
幻覚さえ見せられなければ、きっと他にもっと使用用途の多い素材やらなんやらが手に入っていたことだろうに。
確かに世界樹の枝なんて、気軽に捌けるものではないだろう。
本人に使い道がなければ、安値でもとっとと手放してしまった方がいいか。
実際ここの店主が五年も置いて劣化させ続けていることを思えば、持て余しているのは明らかであるし。
もっと積極的に金持ちに宣伝できる場があれば別だろうが、そんなコネもないだろう。
……これでオーテムを作ったら、凄いのができるんだろうなぁ。
俺は世界樹の枝を、じっと見つめていた。
きっと相当に物欲しげな目をしていたのだろう。店主がちょっと引いていた。
劣化している上、このまま店に置いておいてもずるずると価値が下がることは明らかである。
店主としても早く捌きたいが、売れる目途はない。
これだけ交渉の利く条件で世界樹の枝がぽんと置いているのは、千載一遇の好機だろう。
これを逃せば、もう二度と手に入らないだろう。
惜しむべくは、今の俺にまともな財産がないことだ。
もし、もし俺に纏まった金があれば、なんら躊躇わずに交渉に当たっただろうに。
家があれば、迷わずに売り飛ばしたはずだ。
それだけの価値があるし、きっちりと使えば絶対に元は取れる。
俺にはその自信があった。
俺が歯噛みしていると、とんとんと肩が叩かれる。
「そんなに欲しいんですか? メアが買ってあげましょうか、メアが!」
「い、いや、でも、そういう金銭的な貸しを作るのはよくないし……」
世界樹の枝は、かなりの値が張るはずだ。
メアの掴んできた親のへそくりで足りるかどうか、怪しい。
そもそもそんな巨額、もらうわけにはいかない。
「いえいえ、貸しなんかじゃありませんよ。アベルがいなかったら荷馬車が危なかったって、ジェームさんも言ってましたし!」
「いや……でも……」
やっぱり後々尾を引きそうで……。
「ほらほら、オーテム彫りのことだって教えてもらってますし! 全然貸しなんかじゃありませんよ!」
「…………」
貸しじゃ、ない……?
そうか、これでむしろ対等か。これで貸し借りなしってことだな、うん。
い、いや、流されるな。そんなはずがない。
「すいません、これで足りますか」
「うーん、まぁ、保管状態がよくないのを突かれているし……妥協しても……。こっちも、このまま売れないと困るし」
俺が悩んでいる間に交渉が終わろうしていた。
「ちょ、ちょっと!」
「ん、なんですか?」
メアが俺を振り返る。
「…………あの、借金って形で、お願いします」
俺は、心が弱かった。
俺の言葉を聞き、メアは店主へと向き直る。
「では、アベルもそう言っているので」
店主とメアは、言質を取ったと言わんがばかりにそそくさと素早く交渉を進めていく。
それをいいことに、黙ってしまった自分が憎い。
返せる……よな?
う、うん。返せるだろう、多分。
なんならオーテムを彫ってから魔術に詳しい人に見せれば、転売できる自信だってある。大丈夫だ。