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一話

 俺はオーテムトロッコに乗りながら、朝を迎えた。

 山の向こうから、太陽が登ってくるのが見える。

 こういうの、旅っぽくてちょっとワクワクする。


「……ジゼル、怒ってるだろうなぁ」


 ぽつり、俺は独り言を漏らした。

 俺が集落に帰るのは、最低でも三年以上先のことになるだろう。


 俺は懐から族長の家にあった地図の写しを取り出す。

 地図によればそろそろ湖が見えてくるはずなのだが、辺り一面ただの森である。

 結構大雑把な地図しかなかったので、あまり距離感がわからない。

 一応なるべく正確そうな地図を三枚ほど写してはきたのだが、数があってもあまり参考にはならない。


 マーレン族はあまり外との交流を持つ機会が少ないため仕方がないのかもしれないが、この地図の出来はちょっといただけない。

 〇でチェックされた中になんやかんや、と描かれてある地図まである。

 他と見比べてもさして気になるものは見つからない。

 なんやかんやってなんなんだよ、と。わざわざこれを調べに遠回りするつもりもないが、ちょっと気になる。


 古い地図みたいだし、ひょっとしたら湖なんてもうとっくに埋め立てられてしまったのではなかろうか。

 そんな突拍子のないことまで考えてしまう。

 とりあえず、もう少しは直進してみることにしよう。


 俺が目指しているのは、ロマーヌという街だ。

 ロマーヌは交易が盛んであり、流れ者も多いらしい。

 治安はあまりよくないらしいが、その分キメラや危険な魔法具の規制も緩いはずだ。

 俺がマーレン族の集落から持ち込んできたものも捌きやすいだろう。

 やっぱりせっかく上京してきたのだから、様々な魔鉱石やら魔導書やらが手に入るところへ行ってみたい。

 ……もっとも、情報が古いので今どうなっているのかはちょっと怪しいのだが。


 地図の写しをしまおうとしたとき、ガタンと大きく揺れた。

 揺れのせいで手を離し、地図の写しの一枚を落としてしまった。紙は風に乗り、遠くへと飛んでいく。


「あほーあほーう」


 さっと飛んできた鳥が、紙を咥えて身を翻す。

 そのままばっさばっさと飛んでいった。


「このっ!」


 焼き鳥にしてやろうかと思ったが、目くじらを立てても仕方ない。

 どうせ地図の写しは三枚ある。

 魔術で簡単に撃ち落とせるが、しかしわざわざ戻ってまで取りに行きたくもない。


「……おいおい、しっかりしてくれよ」


 元はといえばオーテムトロッコが揺れたのが悪い。

 作ったのは俺だが。


 俺はオーテムトロッコの正面、顔の部分を軽く叩く。

 それからしゃがんでからはぁっと息を漏らすと、オーテムトロッコが再度ガクンと揺れ、ゆっくりになった。


「うん?」


 ゆっくりになったというより、動力が働かなくなったようだった。

 今走っているのは余力頼みっぽい。

 俺の危惧通りどんどんスピードを落としていき、じきに停止した。


「う、嘘だろ、おい! おい!」


 俺は叫びながら、ばしばしとオーテムトロッコの側面を叩く。


「動けっ! 動けってば! このっ! このっ! 動いてください! ちょ、お願いします!」


 まったく反応がない。

 まずい。ここは、集落からも目的地からも大分離れている。

 このまま動かなければ野垂れ死にまである。


「動いてください! すいません! さっき強気に出てすいませんでしたオーテムトロッコさん! そりゃ、揺れることくらいありますよね! 俺だってたまに揺れたくなるときありますから! 地図しっかり持ってなかった俺が悪かったんで、機嫌を直してください! 本当にすいません! 乗り心地にケチつけてすいません!」


 十字を切って謝ってみたが、当然のように反応がない。

 魔力が完全に抜けきってしまっているようだ。


 とりあえず、再度魔力を与えてみようか。

 一旦リセットして、スタートボタンを押すところから始めてみるか。

 パソコンが調子悪くなった時の基本である。これがいわゆる前世知識チートという奴だ。


পুতুল(人形よ) দখল(踊れ)


 俺が杖を振るうと、車輪がガタガタと震える。

 それから正面のオーテムの口からボフゥっと黒い煙が上がった。


「う、嘘ぉっ!? オテームトロッコさん!?」


 俺は一旦降りて、オーテムトロッコの点検を行う。

 その結果、魔力を溜め込むレッダという魔鉱石が切り抜かれ、切り抜いた部分にエミクトという別の魔鉱石が当て嵌められていることがわかった。

 エミクトは当初この部分に使おうとしていたが、一定以上の魔力が流れると性質が変わり機能しなくなってしまう欠点があるため、レッダを使うことにしたのだ。


 俺が何かの間違いで取りつけてしまった、ということは考えられない。

 わざわざ魔鉱石を切り抜いてくっ付けているのだ。

 壊すのではなくこんな手の込んだ真似をしているのは、恐らく時間差で動かなくなるようにするためだ。

 魔力フルチャージのきっかり五分の一で動かなくなるように仕組まれている。


 オーテムトロッコは俺のオリジナルだ。

 きっちりと仕組みを把握していなければ、こんなことはできない。

 族長でも、俺に気づかれずにオーテムトロッコをさっと弄るような真似は、多分できないはずだ。


「まさか、ジゼルが……」


 レッダとエミクトの魔鉱石のことは、ジゼルならば知っている。

『すぐに動かなくなると思ったら、変換された魔力がエミクトの性質を変えていたみたいだ。レッダにしたら上手く行きそうだ』と、自慢げに話した記憶がある。

 時間差云々の仕掛けができることも、何かに応用できそうなのでメモ書きしていた。

 俺がわかればいいやと端折って独自文字や記号を交えながら書いたものだが、ジゼルならばひょっとしたら解読できたのかもしれない。

 あれを覚えていれば、全体の仕組みを熟知していなくともこの程度の細工は可能である。


 レッダの魔鉱石はさして貴重なものではない。

 そのため俺もトロッコにはわざわざ積んでいない。

 ただでさえ荷物がいっぱいいっぱいなのだから、当然だ。


 もしも全体を入れ替えられていれば、集落を出る前に気付き、修理することもできただろう。

 大破させられていれば、明日に日を改めて作り直すこともできた。別の手段を講じていたかもしれない。

 ただ夜逃げした前科を作ってから材料集めのために集落に顔を出せば、それから再度集落を出るような真似はできない。

 はっきり言って、俺にそんな根性はない。


 俺の性格を見越した上で、確実に心を折りに来ている。


 いやしかし、ジゼルがこんなことをするだろうか。

 確かにこれができるのは、集落でジゼルしかいないかもしれない。

 だがジゼルの性格上、こんな回り諄く陰湿な手を使うとは考えにくい。

 ジゼルならば、俺が集落を出る気だと察していれば、その場ですぐ泣きついてきそうなものだ。


『では私は、帰りをお待ちしていますね。体調が優れないのは確かなのですから、途中で倒れないよう、お気をつけて。無理はせず、しんどかったらすぐ引き返してくださいね?』


 ふと、ジゼルの言葉が頭を過った。

 俺が族長の屋敷に向かうとき、ジゼルから掛けられた言葉だ。


「あ……」


 まさか、あれは俺が夜逃げすることを見越して言っていたのではなかろうか。


 今の距離なら、引き返せば俺の体力ならぎりぎり這って帰ることができる。

 本当にぎりぎりだが。

 荷物をすべて捨て、アベルドリンクを飲みながら歩き続ければなんとか今日中には家に辿り着けるかもしれない。


 これより距離が開いていれば、きっと体力が持たなかったはずだ。

 ぎりぎりのラインをついて魔鉱石を切り抜いて稼働時間を調整したのだろう。

 その上、『怒りませんから自棄にならずに帰ってきてくださいね?』とまで暗に言っていたのだ。


 ひょっとしたら手紙も握り潰されていて、家に帰ったら『朝からオーテムトロッコの調整に行っていたのですね。その様子だと、不具合があったみたいですが……。もう、兄様は!』なんて白々しく言って、お咎めなしにしてくれるのかもしれない。

 父にだって話をつけてくれている可能性だってある。


 多分、ここで折れて走って帰ってしまえば、俺にはもう何の気力も残らない。

 一大決心を葬られ、呑まず食わずで慣れない運動を強いられ、裏切った妹に助けられる形で帰宅するのだ。

 集落についた頃には、心身ともに消耗しきっているだろう。


 なすがままに流される。自分のことだからよくわかる。

 きっとその後、何事もなかったかのように式が開かれるのだろう。


「ぐぅうううう……」


 俺は呻きながら、地の上に伏した。

 口から煙を吐くオーテムトロッコが目についたため、思わず抱き付いた。

 情けなさで涙さえ出てきた。

 詰んだ。完全に詰んだ。


 もう駄目かと諦めかけたとき、何か生物の足音が近づいてきた。

 振り返りながら顔を上げると、荷馬車が目についた。

 大きめの台車といったような、簡素な作りのものだった。

 御者台に緑髪の若い男が座っており、困ったように笑いながらこっちを見ている。


「ちょっとー邪魔ですよー! 道端で寝るのやめてもらっていいですかー!」


 男が声を掛けてきたわけではない。台車に詰め込まれている麻袋の山から声がしたのだ。

 一瞬麻袋が喋ったのかと思いきや、袋の山の中から一人の少女が顔を出した。

 青い髪をしており、耳の上辺りから羊のような巻き角が生えている。


 マーレン族もそうだが、この世界には変わった身体特徴を持つ人間が多い。

 青い髪に、羊のような角。

 何かの本で見た特徴だったはずだが、なんという人種だったか。


「ほら、枕ならあげるんで、好きなだけ道脇で寝てください。しっしっ!」


 羊の少女が、こっちに向かって麻袋を一つ投げつけてきた。


「ちょ、ちょっとメアさん、私の商品投げないでください!」


 御者台に座っている男が、羊少女を振り返りながら悲痛気に叫ぶ。


 俺は投げつけられた麻袋を手の中で遊ばせる。

 中に入っているのは小麦か。


 彼女達は、行商人らしい。

 これはチャンスだ。

 章分けの件、数多くの御意見いただきありがとうございました。

 実は十六歳から二章へ回そうとしたのですが、変更するとどうしても幕間のタイミングが悪くなってしまい、削除して並び替えるのも栞をつけてくださっている読者の方にも不親切かなと思い、このままで行くことになりました。

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