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幕間 とある黒魔術研究部の話

「えっと……どういうこと?」


 放課後の部室。

 俺は机を挟み、後輩のいーちゃんと向き合っていた。


 机の上には、いーちゃんの独特な丸文字で『退部届』とだけ書かれた簡素な封筒が置かれている。


「……いえ、もう、ウチ、この部活辞めようかなーって」


 いーちゃんはバツが悪そうに言い、人差し指で髪先を弄る。


「いやいや! この部活、俺とお前しかいないんだぞ! なんとか先生に頭下げて廃部を保留にしてもらって……それで、来年から頑張って行こうって……そういう話になってるところだったじゃん。主に俺の中で」


 決意してはいたが、喋ってはいなかったな。

 自己完結していた。俺の悪い癖だ。


「ぶっちゃけ、ここまでガチなとこだとは思ってなかったと言いますか……だって、黒魔術研究部でしょ? 絶対こう、もっと集まって駄弁るだけのところじゃんって思っちゃうわけじゃないっすか? センパイもウチの入部前にはそんな感じのこと言ってたじゃないっすか? もうこれ詐欺の領域ですよね。クーリングオフ効いちゃいますよ。厚生労働省がウチの味方です」


 いーちゃんは言いながら、我が部の本棚を指差す。

 俺や先輩の山さんが海外から取り寄せた怪しい本がぎっちり詰まっている。


 因みに山さんは、受験勉強のためにふた月ほど前に退部した。


「ガチではないだろ。だってほら、全国大会とか出てないし」


 とりあえず軽口を叩いてみる。

 説得は重い空気を取り払ってからだ。

 ここで砕けた雰囲気に持っていければ、なぁなぁで誤魔化せる。


「いや、ガチですよガチ。黒魔術研究部でガチはガチで危ない所っす。よからぬ宗教の元っす。本来なら学校側が率先して潰すべきっす」


 ボケがスルーされた上、具体的な部の非難に移ってきやがった。

 駄目だ。この子、完全にやめるつもりだ。


「だらだらと一年近く続けちゃったけどー、やっぱーナシかなぁって……」


 この子は俺みたいな魔術中毒者と違って、至って健常人だ。

 俺がノリノリで魔法陣描いてるときにも凄く冷たい目をしていたりする。

 やっぱり部を続けさせるのは無理があったか。


 しかし、簡単に諦めてはならない。

 何か、何かとっかかりはないものか。


 なんでまた急に辞めるなんて言い出したのだろうか。

 最近部を休みがちだったとか、そんなことはなかったはずだ。

 普通辞めたいと思っていれば、ゆっくりと顔を出さなくなっていくものだ。


 確かにこの子の肌には合わなかっただろうが、割りかし彼女も物によってはノリノリなときがあった。

 少なくとも、俺の目にはそう映っていた。


 何か、退部を決意するに至った決定的なきっかけがあるのかもしれない。

 それさえわかれば説得の余地が見えてくるはずだ。


「……それにセンパイ、入部当初は優しかったのに、最近『錬金術ができそうな気がする。割とマジで』とか言って変なことばっかりやってて、ぜんぜん構ってくれないですし……。いや、それは関係ないっていうかぁ、あるけど……そのぅ、何と言いますか……そういうところも考えてくれたら、ウチも考えないでもないでもないって言いますかぁ……えっと……」


 言葉尻を濁しながらそう言う。


 最近、話しかけられても無視して純金の生成に精を出していた。

 ついこの間もやたらとスマホの画面を見せつけてくるので『ちょっと今気逸らさせないで』と真顔で言うと、『もう一人でやったらいいじゃないっすか!』と怒鳴られたこともあった。

 ひょっとしたらあれがまずかったのではないかと脳裏を過ったが、本人の口から否定されてしまった。

 なんだ、関係ないのか。

 しかしだとすると、いよいよもって何が原因なのかわからない。


 いや、心当たりがひとつだけある。

 そういえば最近、山さんが退部したばかりじゃないか。

 なんだこいつ、山さんのことが好きだったのか。


 『右手は恋人、左手は愛人、そんでもって俺は浮気性』なんて面白くもなんともない下世話なだけの冗談を頻繁に飛ばしていた山さんにも、ついに人生の春がやって来たか。


 確かいーちゃんは山さんのことを『いつか逮捕されそう』とか『たまに変な臭いがする』とか、『デリカシーがない』『生理的に辛い』などなど散々な評価を下していて俺も言い過ぎだと思いつつもまぁ一部もっともだ本人にも改善を促すべき部分があると思っていたが、あれは好意の裏返しだったのか。


「ああ、あれか! 山さんか、山さんだな! お前、山さんのこと好きだったんだな! わかった、じゃあ俺が仲を取り持ってやるから……」


 いーちゃんはバンっと机を叩き、席を立った。


「それじゃあ、もうウチ帰りますね」


 目も声も冷たい。

 いーちゃんはひょいと鞄を持ち上げ、そのまま出口へと向かっていく。

 やっぱり山さんではなかったらしい。正直、俺もそんな気はしていた。


「ま、待てよ! えっと、ほら、ノブナガの世話はどうするんだよ!」


 俺は言いながら窓際まで走り、植木鉢を抱えていーちゃんの前へと戻る。


 これは『世にも奇妙な喋る植物の種』という触れ込みでネット販売されていたものである。

 いーちゃんに世話を任せていた。

 ノブナガという名も歴史好きな彼女が付けたものだ。


「ほら、ノブナガも言ってるぞ。一緒に天下取ろうって!」


 俺はノブナガをぐいぐい前に出しながらいーちゃんへと呼びかける。


「ちょ、マジでウザイっす! ああ、もう、スカートに土かかった! センパイの馬鹿! そんなもん、喋るわけないじゃないっすか!」


 ドン、といーちゃんが押してくる。

 その勢いで俺はよろめき、ノブナガを床に落としてしまった。


「ほんのうじっ!」


 ガシャンと、植木鉢が割れる。

 ノブナガは焼き討ちされた。おのれ光秀。


 いーちゃんはちょっと申し訳なさげに眉を顰めながらも、すぐに目線を逸らして部室を出て行った。


「おい、待てって!」


 俺は部室の冷蔵庫を開けてペットボトルを取り出し、中身を捨ててよく洗ってから半分に切った。底にコンパスで小さな穴をいくつか開ける。

 それから床に散らばっている土を、箒と塵取りで集めてペットボトルの下半分に入れる。

 簡易植木鉢のできあがりである。その中にノブナガを植え直し、ベランダに置いた。

 もちろん、床は雑巾で拭いた。

 退部届をファイルに丁寧に仕舞い、窓を閉めて電気を消し、扉の鍵を閉めて職員室に返してからいーちゃんを追った。


 俺は無駄に几帳面な節があった。

 終わった今となっては、すぐに追いかけるべきであったと思う。


 走っていーちゃんを追い掛ける。

 ようやく追いついたときには、校門前の歩道であった。結構近かった。

 なぜか信号は青なのに横断歩道の前で立ち止まっていた。

 ひょっとしたら信号の変化に気付いていないのかもしれない。あいつ、コンタクト忘れたのかな。


「おい、待てよ!」


「……遅くないっすか?」


「鍵閉め忘れて生徒会から虐められるのはもう嫌だからな」


 数か月前、鍵の不始末を理由のひとつに挙げて生徒会長が我らの黒魔術研究部を潰そうと仕掛けてきたことがあった。

 俺はあの手この手で逃れようともがいたのだが、そのせいで無駄に争いの規模が膨れ上がり、学校中を巻き込んだ不毛な争いへと発展し、最後にはお互い河原で泣きながら殴り合うまでに至った。

 その結果、俺と生徒会長、互いにどちらも決して小さくない(社会的な)傷を負い、やがてそれは勝者なき争いとして語り継がれていくのだがそんな話は今どうでもいいか。


「だいたいセンパイ、部潰されたくないから引き止めてるだけっすよね? 別に、ウチじゃなくてもいいんじゃないっすか! そんなに部が大事っすか!」


「いや、でも……まぁ……そりゃ……ね? 大事だけど……」


 一年仲良くやって来たのだから、いーちゃんがいなくなったら寂しい。

 そうは思ったのだが、今頭を下げているのは確かに部を潰されたくないのが主な理由なので、全否定もし辛い。

 ここで嘘を吐けばひょっとしたらいい感じに纏まってくれるのかもしれないが、それは誠実ではないだろう。

 部が大事なのは覆しようのない真理である。

 俺は黒魔術研究部がなくなったら高校を辞める自信がある。

 最悪の場合は籍だけでも置いてもらおうと思っていたのだが、この空気ではそれも言い出し辛い。


 俺が言い淀んだのを見て、いーちゃんは目を細める。


「じゃ、もう、届けは渡しましたので。今までありがとうございましたっす」


 いーちゃんはすっと身を翻し、横断歩道へと向かう。

 歩行者信号が、赤に変わったところだった。


「お、おい、待て!」


「ふんっ!」


 俺の呼びかけを無視し、いーちゃんは足を速める。

 信号に意識が行っていない。


「ちょっと! 本当にヤバイって!」


 俺が手を伸ばして肩を掴むが、素早く振り払われてしまう。

 いーちゃんはそのまま、横断歩道へと飛び出してしまった。

 と、大きなクラクションが鳴った。いーちゃんが、顔を右に向ける。


「あ……」


 大型トラックが、いーちゃんへと迫っていた。


 気が付くと、俺は飛び出していた。


 身体に強烈な衝撃を受け、視界が暗転する。

 熱い。身体中が熱い。

 なんとか目を開けるが、視界が酷くぼやける。

 目というより、脳が駄目になっているようだった。


 辺りが騒めき始めてくる。煩いなぁと、他人事のように考えていた。

 誰かが、俺に抱き付いている。


「――――ヤ、イヤァッ! ごめんなさい、ごめんなさい! ウチのせいで、こんな……」


 途切れ途切れながらに、いーちゃんの声が聞こえる。


 よかった。アイツ、助かったのか。

 飛び込んでどっちも死んでちゃ、格好つかないもんな。


 そんな思考を最期に、意識が途切れた。

 次話から二章の都会編になります。

 ただ家出騒動が半端な状態で分けている形になっているので、後で十六歳①から二章分に組み込むことになるかもしれません。

 十六歳①以降を二章に回した方がいいか、このままでいいか、ご意見いただけるとありがたいです。

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