十六歳③
朝、目が覚める。
毛布を捲るが、ジゼルが纏わりついていることはなかった。
先に食卓へ行ったらしい。
いつもなら俺より先に目が覚めたらべったりくっついていることなのに、珍しい。
昨晩、俺は眠りにつくのが遅かった。
オーテムトロッコの改善案を纏めるのに忙しかったのだ。
昨晩の父とのやりとりを思い返すとなかなか寝付けなかったので、どうせならばと作業に熱中していたという点もあるのだが……。
とにかく、今日はどうするか。
集落のしきたりに無駄に煩い父のことだ。
本当に今日から、俺とジゼルの結婚式の準備を進める気に違いない。
なんとか阻止しなくては。
まずジゼルは結婚のことを知っているのだろうか。
確かに俺は前世の価値観のせいで、すんなりとこちらの常識が入って来ないことも多い。
前世と風習の異なっているこの集落でも、周囲の常識をまったく集めず魔術にのみ力を注いで十六年間生きてきた。
普通の生活の知恵なら聞かずともどうとでもなるから余計にそうだったのかもしれない。
それでも基本的に、俺とジゼルの親から受け取っているマーレン族の風習、常識についての情報量は大差ないはずだ。
だから俺が知らなかったと言うことは、ジゼルも知らないと考えていいだろう。
ジゼルだってそんな、兄と結婚は嫌だろう。
まずジゼルにこのことを知らせ、仲間に引き入れる必要がある。
なんなら一芝居打ってもらって、ちょっと周囲が引くくらいの不仲を演じてみるのもありかもしれない。
こいつら二人にしたら殺し合い起きるんじゃね、くらいの印象を周囲に与えられれば、結婚云々どころでもなくなってしまうはずだ。
過去のマーレン族の歴史も漁って、兄妹婚のしきたりの強制力を調べておく必要もあるな。
すでに俺は兄妹婚のしきたりが守られなかった例を一つ知っている。
そう、ノズウェルの両親だ。
今更どの面下げてという話だが、カルコ家に一度足を運んでみるのも悪くないかもしれない。
シビィだって、俺にその気がないと知ってからジゼルにアプローチを掛けているくらいだ。
必ず遵守されるしきたりだというのならば、ああはしないだろう。
何か、隙があるはずだ。
なんとしてでもそこを突き、絶対にこの結婚を阻止する。
「よしっ」
俺はベッドから降りて、部屋の窓へと向かう。
朝日が目に染みる。
目を瞑り、「我らマーレンの先祖の霊に祈りを」と言って左手で宙に十字を切った。
この習慣にはしっかり馴染んでいるんだけどな。
寝間着から服を着替え、食卓へと向かう。
「おはようございます、父様、母様。ジゼル、今日は先に……」
俺はジゼルへと目を向ける。
ジゼルはかぁっと頬を赤く染め、そっと顔を逸らした。
「お、おはようございます兄様……」
なんだか嫌な予感がする。
まさか、俺が起きるのが遅れた間にジゼルへ話を通したのではないだろうか。
俺はさっと、父へと目を向ける。
父も俺から顔を逸らした。
「で、では俺は、族長様の所へ行ってくる」
父はそそくさと立ち上がり、家を出ていこうとする。
「ちょ、ちょっと! 待ってください父様!」
「悪いが忙しいのだ。帰ってきてからにしてくれ。
「父様! 父様ぁー!」
俺の呼びかけを無視し、父は走って逃げていった。
追い掛けようかとも思ったのだが、追い付ける気がしなかった。
逃げられたか。
……しかし、また
利権云々については族長の方に丸投げしてしまえば、結果的に集落のためになるよう動かしてくれるだろうと俺は信じているのだが、ウチの父は案外そういうところに煩いらしい。
族長に鬱陶しがられていないかどうか不安だ。今度、謝っておこう。
元より俺が成人の儀を終えてから大々的に出したものだし、あまり父が首を突っ込むところでもないと思うんだけどな。
これ、第二のカルコ家ルートに入りつつあるんじゃないのか?
俺の魔術一辺倒の暮らしに横槍を入れてくることはなくなったのだが、毎日狩りに行っていた頃の父の方が生き生きしていたように思うので、ちょっと寂しくもある。
いや、まぁ、今はそれどころじゃないんだけど。
父が出ていってから朝食をさっと食べ、ジゼルを連れてオーテムトロッコのある庭へと向かう。
庭に出てから周囲を見回し、人の姿がないことを確認する。
「ジゼル、父から何を聞いたんだ?」
「え、えっと……い、いえ……なな、何も……。そそ、そんなことより、早く森に行きましょう! そ、そうです! オーテムトロッコの動くところ、見てみたいです! ですから……」
ここまであからさまに動揺しているのは初めて見た。
「そうか、ジゼルも隠し事をするようになったのか……。ちょっと寂しいな」
「い、いえ! 違うんです! 父様から、兄様には黙っておけと言われていただけで……」
よし、ちょろい。
「で、何の話だったんだ?」
「も、もっと直前に話した方が、兄様がお喜びになると父様が……」
ジゼルは身を縮め、袖で顔を隠しながら言う。
袖の上から、ジゼルの目がちらりと俺の表情を窺っていた。
俺はあからさまに悲しそうな顔をしてみせた。
「じ、実は、三日後に私と兄様の……その、結婚式を執り行うと……」
よし、ちょろ……え、三日後?
他家も呼ぶだろうに。さすがに急ぎ過ぎなのでは。
よっぽど俺が余計なことをするのが怖かったらしい。
ジゼルもそこまで取り乱していない。急に兄と結婚させられると聞けば、もっとパニックになるのではないだろうか。
やっぱりジゼルは、近親婚の風習を知っていたのか。
今あらためて式のことを聞かされたから、ちょっと照れているというだけのふうにさえ見える。
……なんだか、風向きが物凄く悪くなってきた気がする。
い、いや、そんなことはないはずだ。
「あ、ああ、三日後……か。うん、それで俺はそれを阻止するため、いくつか策を練ってきた。これを軸に考えながら、この集落の歴史を調べ……」
「式の衣装を母様に見せていたのですが、とても、とても美しくて……! あんな綺麗で華やかなもの、私などに似合うのでしょうか? い、いえ! こんな気持ちではいけませんよね! わわ、私、兄様に見劣りしない立派な花嫁になってみせますから!」
「うん?」
何か今、全然噛み合っていなかったような気がする。
「ごご、ごめんなさい! もう少し先のことだと思っていたので、私も心の準備ができていなかったもので、なんだか変に意識してしまって! 緊張と言いますか、興奮と言いますか……い、いえ、そんな、そういった変な意味ではなくて……。あ、で、でも、えっと……結婚すると、やっぱりその……えっちなことも……」
あ、これ、駄目な奴だ。
「でも、兄様はさすがです。急に聞いても、そんなに落ち着かれているなんて」
「あ、ああ、いや、父の様子が妙だったから、そんなところかと……。それでその、話しておきたいことが……」
「話しておきたいこと、ですか? な、なんでしょうか?」
「えっと、その……式の……」
ジゼルが大きな目を瞬かせ、じっと俺を見る。
ジゼルの指先は、落ち着きなく動いていた。これからへの期待と、急に状況が変わることへの不安でいっぱいなのだろう。
「阻止……えっと……」
言えない。
言えるはずがない。
「兄様? ど、どうなさいましたか?」
「……きょ、今日はちょっと体調が悪いかもしれない。部屋に籠って寝込む。シビィが来るだろうが、そう言って追い返しておいてくれ」
「に、兄様? 大丈夫ですか? でしたら、私も添い寝いたしま……」
「悪いがちょっと、一人にしてくれ。どうにも、人の声が頭に響く。えっと、その……あれだ、一日寝たら治るはずだ」
「………にいさま?」
俺はさっと家に戻り、自室に入る。
それからオーテムを配置して結界を張り、外から入ってこれないようにする。
とりあえず、落ち着こう。
落ち着いて今後のことを考えよう。