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四歳

 更に二年の月日が流れ、俺は四歳になった。

 俺はすっかりマーレン族としての生活が板についていた。

 今では昔なら味が薄すぎて実質水だと思っていたホワイトスープも美味しく感じるようになってきたし、熱した蛇の血もがぶがぶ飲めるようになった。

 食卓に豚の頭が並ぼうと何とも思わない。


 色素の薄い親族と自分の外見もとっくに見慣れているし、趣味はオーテム作りだった。

 おまけに毎朝、神窓に向かって祈りを捧げている。

 これはもう、むしろ元の生活に戻るのが困難かもしれない。


 マーレン族として長く生活を送っているうち、ここは地球ではないと、俺はそう本格的に決めつけ始めていた。


 俺は空へと向けていた目線を下げ、手に抱えている丸太へと移す。

 今日も俺は家横の庭で、丸太の表面をナイフで彫ってオーテムを作っていた。


 木彫用ナイフにはマーレン族に伝わる術式が書かれており、集落周辺の木が持っている魔力と呼応し、子供の力でも楽に彫ることができるようになっているのだ。


「にーさま、にーさま、ジゼルと遊んでくださいまし」


 妹のジゼルが服の裾を引っ張ってくる。


 ジゼルは俺と二歳違いである。つまり、彼女は二歳だ。

 母親似で目が大きく、長い睫毛はその特徴的な目を強調していた。

 髪や皮膚が白く、目が赤いことはいうまでもない。

 マーレン族の幻想的な美しさと幼さを持つジゼルは、まるで西洋人形のようだった。

 特に寝ているのを見ていると、本当に人形なのではないかと思えてくる。


 両親はやたらとジゼルの世話を俺に任せてくる。

 兄とはいえ、俺もまだ四歳だ。

 ちょっと押し付け過ぎなのではと考えてしまうのは、日本人的思考が残っているが故の、マーレン族の考え方とのズレなのだろうか。


 両親もさほど忙しいというふうには見えないし、ジゼルに愛情を注いでいないというわけでもなさそうだ。

 俺とジゼルがじゃれ合っているのを陰から見て、父母二人して微笑んでいるのを見つけたことがある。

 兄妹仲を深めてほしい、ということなのだろうか。


「にーさま? 聞いておられるのですか、にーさま」


「今はオーテム作りに集中しているんだ。これが出来上がったら相手をしてやる」


「……なぜ、にーさまはそこまでオーテムに凝っておられるのです?」


「オーテムというより、その先に興味があるんだよ」


「その先……?」


「ああ、オーテムは魔術修行の基礎の基礎とされているからな。兄ちゃんは、魔術の方に興味があるの」


 そう、なんとこの部族、俺が前世で求めてやまなかった魔術を扱うことができるのだ。

 いや、父の話から察するには、きっと世界的に魔術というものの存在が認知されている。

 これこそ俺がここは地球ではないと決めつけるに至った、最大の要因である。


 俺が初めて魔術の存在を確信したときには、思わず興奮のあまり部屋中を駆け回ったものだ。

 転生と来て、魔術の実在する異世界?

 まるでライトノベルやネット小説のようではないか。


 因みに『ステータスオープン!』と叫んでみても、何も出なかった。

 残念だ。

 母が不思議そうに俺を見ていて、ちょっと泣きそうになった。


 父から何度か儀式や魔術の話を聞かされたときはまさかそんなとは思ったが、実際目前にしてしまったのだから信じざるを得ない。

 念視やテレパシーのような手品臭いものから、ちょっとした怪我の治療までできる。


 俺は驚き、何か種があるに違いないと必死にあれこれ父に疑問をぶつけたが、不審な点などどこにもなかった。

 魔術があるのだと、俺がそう結論付けるのにさして時間は掛からなかった。


 父からしてみれば、むしろここまで疑われるのが驚きだったらしい。

 俺からしてみればその感覚が理解できないものだったが、しかしそれもそうか。幼い頃からこういった価値観の中で暮らしていれば、それが普通だ。


 前世であれだけ魔術を渇望しておきながら、実際目前にすれば疑い倒す。

 俺は案外、常識人だったらしい。


 最初に『見てみよアベル、これが魔術だ』と得意気に怪我を治してくれる父を見たとき、俺は言葉を失うほどびっくりした。

 魔術の存在にも驚いたが、宴会芸でも披露するかのようなその軽いノリに驚いた。

 ジゼルなんて、魔法を見てもきゃっきゃっとはしゃぐだけだった。玩具を見せられたときとさして反応が変わらなかったのだ。


「どうしてにーさまがそこまで魔術に御熱心なのか、ジゼルには理解できません」


 ジゼルは頬を膨らまし、そう言った。

 軽くあしらわれ、拗ねているのだろう。


 しかしこの発言に関しても、俺からしてみればどうしてそこまで無関心なのかと逆に問い返したい。

 問い詰めたい。

 泣くまで問い詰めたい。


 魔法だ。魔法があるのだ。

 摩訶不思議ファンタジー現象が俺の手元にあるのだ。

 これに熱心にならずして、何に熱心になれというのだ。

 ジゼルにとって魔法の存在がなまじ常識となっているため、その価値が分かっていないのだ。


 両親にも困ったものだ。

 せめて俺が魔術修行に入れ込んでいる間は、ジゼルの面倒を見ていてくれればいいのに。

 俺が魔術修行に精を出すことは、父とて喜んでいたはずなのだが。


 この部族は、魔術に関する意識が低すぎる。

 せっかく魔術があるのだ。修行次第でなんでもできる。

 一分一秒を惜しんで鍛錬に励むべきであろうに。

 

「にーさま、にーさま、そういえば昨日、かあさまに連れられ外に出たとき、フィロ様がミアウルフを連れているのを見たのです。ジゼルもミアウルフが飼いたいです」


 ジゼルは話題を変えてきた。こっちなら俺の気を引けるかもと考えているのだろう。

 フィロというのはマーレン族の族長の孫娘だ。

 いや、ひ孫娘だったか。この世界では、孫とひ孫を区別する言葉がないようなので、どうにも感覚が狂う。


 フィロは見栄っ張りの意地っ張りである上、よく突っかかってくるのであまり好きではない。


 ミアウルフというのは小型種の狼だ。

 毛が白くて目が赤く、マーレン族と外見特徴が酷似している。

 基本的に温厚的で従順な性格であるため、マーレン族では手なづけて狩りのお供にすることが多い。


「そういうことは父様に言ってくれ」


「むぅ……」


 俺の興味を引きたかったのだろうが、悪いが今はオーテム作りに集中したいのだ。


 オーテム作りが魔術の基礎修行となる理由は簡単かつ合理的だ。

 簡単にいってしまえば、集中力、空間把握能力、色彩感覚、想像力を磨くことができるのだ。そしてこれらは、魔術を扱う上でとても重要な要素であるらしい。


 石や鉱物から作るオーテムもあるらしいが、基本的に魔術の基礎修行としてオーテムを作る場合、その主材料は木である。

 木は魔力を通しやすく、また自然的な生命力と深く関わることが魔力向上にも繋がるのだとか。

 家にある分厚い本に、これと同様のことが回り諄い言い回しで勿体つけて書かれていた。


 父曰く、このマーレン族集落の近辺に生えている木は魔力を帯びており、そのことも修行者の魔力を引き上げてくれているのだとか。

 こんな優れた条件の許で魔術修行ができるのだ。

 手を抜いて堪るものか。


 なんとかジゼルを大人しくさせることはできないものだろうか。

 ああ、そうだ。名案を思い付いた。


「そうだジゼル、お前をオーテムのモデルにしてやろう」


「ほ、ほんとうですか、にーさま!」


 手をパタパタと動かし、嬉しがるジゼル。

 ちょろい。最初からこう言えばよかった。


「そこの石に座ってくれ。うん、いい。これならジゼルの顔がよく見える。あまり動かないでくれよ」


「はいっ! はいっ!」


 さっきまで慌ただしくバタバタしていたときとは打って変わり、ぴしっと背筋を伸ばして石に座るジゼル。

 まるで写真でも撮るかのような硬さだ。苦し気だけど、息まで止めてないか。

 作り終わる頃にはジゼルの体力がバテていそうだ。


 とはいってもオーテムなんて飾り程度に目や口、鼻があるだけで、特定の人間に似せられるようなものではないんだけどな。

 ジゼルを誤魔化せる程度に、似ている個所を作らなければならない。


 ナイフで木を彫りながら、何か似せられるポイントはないかと度々ジゼルへ目線を向ける。

 その度ジゼルは白い頬を朱に染め、少し恥ずかしそうに俯く。

 ちょっとじろじろと見すぎたかな。


 結果はいつも通り、オーテム特有の濃い不細工顔になってしまいジゼルの要素など欠片もなかったが……まぁ、ジゼルが喜んでいるようなので問題はないだろう。

 不細工なオーテムを抱き上げ、はしゃぎながら俺に礼を言うジゼルを見ていると……こう、なんとなく腑に落ちないような気もする。

 いや、納得してくれているのならそれでいいのだけれども。


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