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十五歳⑭

 何か、現状の打開策を練らねばならない。

 なんとしても、あのノズウェルを叩き伏せなければ俺の腹の虫が治まらない。


 これだけ安くしてもこないのだから、値段云々をこれ以上弄っても仕方がない。

 カルコ家の影響力の大きさが予想外だったことと、ノズウェルのなりふり構わない言動が災いした。

 こうも表立って脅しを掛けてくるとは思わなかった。

 何か、別の方向からのアプローチが必要だ。



 俺は香煙葉ピィープの葉を指先で潰して自前のキセルへと入れる。

 普通なら一枚でいいところを三枚突っ込み、魔術で火をつける。


「どうしたのですか兄様?」


「煙を飛ばしたら客引きになるかと思ってな」


 俺の作った香煙葉ピィープは、特に匂いに自信がある。

 青いオーテムの力で気を引いている今ならば、こうした些細な作戦でも大きな効果があるはずだ。

 決定打にはならないだろうが、まずは揺さぶりを掛ける。


 魔術で風を起こし、煙を操って行列を万遍なく通過させる。

 何人かがちらりとこちらを見て動こうとし、それからノズウェルを見て足を止めた。

 やはりカルコ家という名のストッパーが大きいが、効果はある。マイナスにはなっていない。続けよう。


 土台を強固にしておけば、空気が変われば一気に流れるはずだ。

 向こうの手際の悪さのせいで、列の進まなさに苛立ってる人も多い。

 ちょっとしたきっかけで、崩れる機会が来る。


 また一人の男が列を外れ、こちらに向かってくる。

 ひとり崩れれば、続く人間は現れるはずだ。

 が、男は途中でノズウェルの方を見て、足を止める。


 このままでは駄目だ。

 後にまだ何か、後押ししてくれるものがほしい。


 俺はちらりと、ノズウェルの露店へ目をやる。


「ノ、ノズウェルさん……俺ちょっと、敵の視察に……」


 取り巻きのノッポが、鼻を鳴らしながらふらふらと屋台を出ようとする。

 ノズウェルは素早くノッポの首を掴んで引き戻していた。

 よしよし、崩れろ崩れろ。


 しかし、やっぱり足りない。

 土台は充分なはずだ。後は一つ、きっかけが欲しい。

 数人でいい。それだけで、大分流れが変わるはずだ。


「おう、いたいた! おーい」


 ガリアの声が聞こえてきた。

 いや、ガリアだけではない。彼に続いて、俺の成人の儀に参加していた人が次から次へと姿を見せる。

 父や族長もいた。

 二十人近くいる。


「例の香煙葉ピィープを売ってくれ!」

「まさか交換広場でアベルを見ることになるとはな。こういったことには興味がないと思っていたが」

「なんで列がないんだ? ひょっとして売り切れたのか、おい!」

「俺の分は残してあるのだろうな」


 全体の空気が変わった。

 一人や二人なら抜け辛いが、あれだけいれば紛れるのでは、と思ったのだろう。

 ノズウェルが大股で歩きながら、露店から出て来る。


「おい! お前ら、わかって……」


「安心してくださーい! まだまだありますよー!」


 俺が大声で叫ぶと、ノズウェルの露店に並んでいた列が崩れ始めた。

 五分の一近くが、一気にわっと移動した。

 それに釣られ、更に後続が現れる。


「おいっ! ふ、ふざけるな! おいっ! か、顔、覚えたからな! 全員パパに報告してやるからな!」


 これだけ人数が流れたら、どうしようもないだろう。

 顔なんて覚えられるわけがない。

 誰ももう、聞いてはいなかった。

 ノズウェルは顔を赤くしながら呆然と立ち尽くし、チビに引き摺られて自陣へと戻っていく。


「凄いぞ、こっちなら同じ費用で十倍は手に入るぞ!」

「あっちは価値も把握してないのに族長の魔鉱石も禁止だったからな。おまけに神経質で、ぜんっぜん進まないし」


 どんどんと客が詰め寄ってくる。

 さっきまでのことを思えば、夢でも見ているかのようだ。

 ぼうっとしているところに「早くくれ」と声を掛けられた。

 俺は大慌てで魔鉱石を受け取り、香煙葉ピィープを渡す。


「百束くれ! いや、二百!」

「おい、もっと高くしろ! 俺が買えなくなるだろうが!」


 確かに百単位で買われていけば、一瞬でなくなってしまう。

 今回は二千束程度しか用意していない。

 これで充分だと思っていたのだが、ここでは香煙葉ピィープを貨幣や資産として持つ人も多い。

 値段を変えるよりも、買える個数に制限を掛けた方がいい。

 俺はなるべく浅く広くしたいのだ。


「すいません、一人十束まででお願いします!」


 次から次へと交換を成立させていく。

 持ってこられたものの相場がわからなければ、向こうの言い分を通してしまえばいい。

 こっちは元より価値を守りたいわけではない。


 利益だってそこまで追求はしていなかったが、そっちの方も順調だった。

 後ろに次から次へと肉やら果物、布やら壺やらが積み上げられていく。

 錬金術用に欲しかった希少金属も山盛りである。


 スペースが足りないので、子供を雇って絨毯を五枚ほど買い足した。

 正直笑いが止まらない。もう一生狩りに行く気にはなれない。

 ただ、どうやって持って帰ろう。


「ノズウェルさん、まずいですよ! 相場を下げましょう! 十倍差じゃ無理です!」


 珍しく、取り巻きのチビがノズウェルに強く出ている。


「ぼぼ、僕に指図する気か! リエッタ家の分際で!」


「それどころではありませんよ! このままだととんでもないことになりますよ!」


「だ、だって……絶対に、価値をこの水準で保てって……パパが……パパが言ったし……。下手にいじくったら、パパが怒るし……」


「売れなかったら問題外でしょう!」


「だだ、だって……だって……パパが……」


 ノズウェルが取り巻きのチビに怒鳴られて小さくなっている。

 珍しいこともあるものだ。

 あの泣きそうな顔を見れただけで今回仕掛けた甲斐があった。

 勝負あったな。


 しかし不安なことに、あちらにノッポの姿が見えない。

 あの様子を見るに、ノズウェルより取り巻き二人の方が強敵かもしれない。

 何か策を練っているのだとすれば、注意しなければならない。


 売ったそばから、辺りで吸い始める人が出て来る。

 匂いを嗅いで待ちきれなくなっていたらしい。


「凄い、全然違うぞ!」

「俺が今まで吸っていたのは腐葉土だった」

「もうこれ以外吸えないな。安いからいいが」


 あちらこちらの評判を聞き、どんどんこちらの列に人が加わっていく。

 ノズウェルの列と、こっちの列の長さが逆転した。

 向こうに残っている人も、本当にこっちでいいのかとそわそわしているようだった。


 これでは全然数が足りないかもしれない。


「シビィ、今干している分も回収して来てくれ。厳選で撥ねた分も、値を下げて並べよう」


「わ、わかりました!」


 俺達のやり取りを見てあまり数がないのだと悟ったらしく、ノズウェルの列が一気にこちらへ雪崩れ込んできた。

 ついに誰も残らなかった。


 列の後ろの方にノッポがいた。

 姿が見えないと思ったらこっちに並んでいた。

 嬉しそうな表情で自軍の香煙葉ピィープを抱えている。

 まさか、あれで交換するつもりか。


 まぁ、いいか。

 面白そうだから交換に応じてやろう。

 あの笑顔を裏切るのも酷だ。

 えっと、相場的にはあれ一束でこっちは十束出せばいいのか?


 俺が笑顔で交渉を続けていると、列に沿ってこちらへ向かってくる男が見えた。


 歳は四十前後だろうか。

 鼻が高く、尖った印象の顔だった。

 物静かな歩き方だったが、どこか威圧的に思えた。

 蛇のような目をしており、そしてノズウェルと似た髪型をしていた。

 不意に嫌な予感がした。


「手が空いたので、見に来てやった。上出来だ、ノズウェル。まぁ、俺の作った葉が良かったのだろうがな。しかし、ここまで伸びるとは思わなかった。随分と賑やかじゃないか」


 間違いない。

 カルコ家の頭、ノズウェルの親父だ。

 ボスが出てきてしまった。


 ノズウェルはただのやらしいぼんぼんだが、この男は違う。

 この集落の黒い噂は、ほとんどこの男に繋がる。

 族長もかなりいいようにやられてきたと零していた。

 こういった争いでの搦め手もいくつか持っていることだろう。

 気は抜けない。


 ノズウェルの父は、そのまま俺の前にまで来た。


「ノズウェル、お前はこういったことに慣れてはいないだろうが、順調なようで安心したぞ。どうだ? 初めてやってみた感覚は?」


「……すいません、俺はノズウェルじゃないです?」


「ん?」


 ノズウェルの父は目線を落として俺を睨む。

 ポケットから眼鏡を取り出し、俺を凝視する。


 あまり目が良くないらしい。

 行列の先にノズウェルがいると信じていたようだ。


「……ノズウェルに、店番を頼まれたのか?」


「ノズウェルさんはあっちです。俺はアベルです」


「……アベルだと?」


 ノズウェルの父は、ノズウェルへと目を向ける。

 ノズウェルは今、死んだような目で空を見ながら口を開けている。

 客は一人も並んでいない。


 ノズウェルの父はそれを見て現状を察したらしく、顔を大きく歪ませた。

 俺へと目線を戻す。

 

「アベル!? まさか貴様、ベレーク家のアベルか!?」


 ノズウェルの父は顔を真っ赤に染めてそう叫ぶ。

 それからもう一度ノズウェルを見て、高笑いを上げた。


「ハァーハッハ! ハッハッハッハッハッハァッ!」


 天を仰ぎながら、手を叩いて笑う。


「ハァーハッハ! ハァーハッハァー! そうか、そうかぁっ! ハッハッハッハァッ! ヒーハァッハァッ!」


 ……そろそろ交渉の邪魔だから、どこかに行ってほしい。

 ひょっとしてこういう妨害なんだろうかと思っていると、ノズウェルの父の顔色がまた一転した。


「ハッハッハ…………あ」


 ノズウェルの父が、自身の鼻を押さえる。

 血がどっぷりと吹き出していた。興奮し過ぎて鼻血を出したらしい。

 というか、俺の服にもちょっと掛かった。ばっちい。なんでこの親子は俺に体液を掛けたがるんだ。


 ノズウェル父の手が、みるみるうちに赤くなっていく。

 そしてそのまま、糸の切れた人形のようにばたんとその場に倒れた。


「パパ……? パ、パパァー!!」


 交換広場に、ノズウェルの悲鳴が響き渡った。

 ……ただの貧血だとは思うが、一応治療魔術を掛けておくか。

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