十三歳⑤
俺は地面に父とガリアを寝かせ、治療を行っていた。
まずは簡単な治療魔術で二人の生命力を回復させ、それから父の流血を抑える。
父の怪我が深すぎたためか、治療魔術だけでは完全に止血することはできなかった。
元より俺にとって、治療魔術は馴染みの薄い分野だった。
興味は大きかったのだが、練習できる機会が少なかったのだ。
せいぜい家に湧く鼠を捕まえて実験してみたくらいだ。
「ア、アベルさん、言われた通り、グレーターベアの肉、切り取ってきました。その……父上は、助かるんですか?」
背後から声を掛けられ、俺は首だけで振り返る。
シビィが、真っ赤な肉を抱えて立っていた。
「……ガリアさんは、もう大丈夫なはずだ」
俺の言葉を聞き、シビィがほっとしたように息を吐く。
ガリアは地に叩き付けられたときに脳震盪を起こし、意識を失ったようだった。
目立つ外傷はなく、打ったであろう頭からも血は出ていない。
生命力の強化も行ったので、じきに目を覚ますはずだ。
ただ念のため、起きてからまた視力や握力の確認を行った方がいいだろうが。
問題なのは、父の方だ。
腹部が、グレーターベアの爪で大きく抉られている。
代わりの肉を移植し、適合させる必要がある。
こんな大怪我の治療なんて、俺はやったことがない。
一応書庫で読んで試しに魔法陣を組んだり、鼠をくっ付けたり離したりしたことはあるのだが、そこまでだ。
だが、村に連れ帰っていては身体が持ちそうにない。
この森中で、治療を行うしかないのだ。
「その肉だが……もう少し、傷口に形を合わせてくれ」
「はい! す、すいません、ちょっと大きい方がいいかと思って……」
「ストップ! それは小さ過ぎる!」
「は、はい! すいません!」
とりあえず、俺はシビィを助手にしていた。
不手際が多いが、それでもかなり助かっている。
俺は力のいる作業はまるでできない。
シビィは父親が失神したショックのせいか、俺が魔術で木々を切り倒したのを目にしたせいか、すっかりと丸くなっていた。
俺に舐められまいとしていただけで、本来こういう性格なのかもしれない。
「き、切り直しました、アベルさん。でもこれ、本当に大丈夫なんですか?」
「あ、ああ。本で読んだ通りにすれば、成功するはずだ。もっと人間に近い肉の方がいいんだろうけど……」
人間の身体に魔獣の皮膚を移植するのは、広義でのキメラに分類される。
実際、魔物の臓器や皮膚、眼球を人間に移植する実験が行われ、実際戦争で兵士として使われたこともあったらしい。
普通は医療目的の範囲ならば認められるはずだが、厳しい都市ならば立ち入り禁止になる恐れがある。
もっとも父はこの集落を出ないだろうから、それでも問題はないのだろうが。
それに、拒絶反応の心配もある。
一見成功したように見えても、後々問題が出て来るということも考えられる。
こういった緊急の必要が出て来る可能性もあるのだから、治療魔術をもっと調べておけばよかった。
あまり扱ったことのない魔術の上、対象が肉親ということもあり、どうしても手が引けてしまう。
「だ、だったら俺の腹の肉を……」
シビィは左手でグレーターベアの肉塊を抱えながら、右手で自分の腹を摘まむ。
場を和ませようと冗談を口にしたのかと思ったが、真剣な顔をしていた。
「……気持ちだけ受け取っておくから、そっちのグレーターベアの肉を頼む。あまり長引くと、まずいかもしれない」
「す、すいません……」
俺はシビィから受け取ったグレーターベアの肉を、切り株の上に乗せる。
それからナイフカバーに差していた木彫用ナイフを抜き、父の髪を十本ほど切り取って、肉の上に乗せる。
給水用の瓶を開けて水を掛けてから、肉の上に魔法陣を浮かべる。
生体魔術を用いて、グレーターベアの肉を人間に近い肉へと変化させたのだ。
それから肉を持ち上げて父の怪我の部位へと乗せ、再び魔法陣を浮かべて呪文を唱え、融合させる。
最初は微妙に色が違ったが、別の生体魔術の重ねがけを繰り返していくと、だんだんと馴染んでいった。
余談ではあるが、錬金術と生体魔術の定義は、どちらも既存の物質を使ってモノを造る魔術、またはその延長となる魔術である。両者の違いは、生きている生物に関わるものかどうかにのみ依存する。
とはいえ、その一点が大きいのだが。
とはいえ書物を読んでいる限り、魔術の細かい定義については時代や場所、翻訳の加減で定義に微妙にブレがあるようではあったが……近代の書物ならば、それなりに統一されているはずだ。
さっき俺がやったように、死体の肉を他へ適合する形へと変化させるのは、生体魔術の範囲に入る。
治療魔術の一環であり、キメラを作るための基本でもある。
俺が最近キメラに興味を持ってあれこれと調べ物や実験をしていなければ、今回の移植は成功しなかったかもしれない。
父の顔色が、大分よくなってきた。
なにはともあれ、不安だった部分も、無事に乗り越えることができた。
俺は額の脂汗を拭い、ほっと一息ついた。
最後にもう一度、治療魔術で生命力を強化しておく。
後は、後遺症が出ないことを祈るばかりだ。
集落に帰ったらまた書庫を漁らせてもらい、族長に相談もしてみよう。
身体中の力が抜け、俺は仰向けに倒れた。
足もくたくた、魔力もすっからかん。
今日が人生で一番頑張った日だろう。
明日は魔術修行もせず、一日中家で寝ている羽目になりそうだ。
疲労感に押し潰されそうだったが、やりきったおかげか、空がいつもより綺麗に見えた。
「これで、もう、大丈夫なはずだ」
「ありがとう、ありがとうございますアベルさん!」
シビィが涙を零し、目を腫らしながらそう言った。
「いや、俺も助かった。肉を切り取ってくれてありがとう。俺だけだったら、あんな固い肉は切れなかった。父を、見殺しにしていたかもしれない」
「いえ! アベルさんには、感謝してもしきれません! あの、あれこれ言って、本当にすいませんでした!」
シビィが目を瞑り、バッ、バッと手で十字を切る。
それ、謝っている感じがあまり伝わってこないのでやめてほしい。
ああ、もう! 2セットもやらなくていいんだよ!
ひょっとしてあの十字切り、キレがよくて回数が多い方がいいのだろうか。
俺にはふざけているようにしか見えないのだが。
前世の価値観が残っているせいか、未だにマーレン族の謎習慣と噛み合わないことがある。
絵本を読んでみても『あれ、なんでそこに落ち着いちゃったの?』と言いたくなるようなオチだったりする。