九歳①
族長から一流の魔術師と認定されてから、一年が経った。
俺九歳、ジゼルは七歳になる。
最近では狩りなどの手伝いをさせられることが増え、魔術修行に当てられる時間がめっきり減ってしまった。
父の魔術への理解の浅さが憎い。
俺の代わりにオーテムに狩りをさせようとあれこれ試しているのだが、なかなか上手くいかない。
さすがにスムーズに狩りをさせるまでの対応動作を組み込むのは難しい。
俺がオーテムの横に張りついて魔術を掛け直し続ければ可能ではあるが、結局それに時間が取られるので本末転倒である。
疑似知能を持たせる方法もあるらしいのだが、この集落では圧倒的に素材が足りない。
いつかこの集落を出てより多くの知識を得て、様々なことをしてみたいものだ。
いや、俺がここまで魔術の修行に専念できたのは、この集落に娯楽が少なかったから、という点が大きい。
案外、街に出たら魔術の腕は一気に衰えてしまうかもしれない。
そもそも、マーレン族は基本的にこの集落を出てはいけない、という決まりになっているらしい。
どうやらマーレン族の集落は、日本でいうところの忍者の隠れ里的なもののようだ。
いざ国で戦争などの大きな事件が起きたとき、王都の方から使者が送られてきて、マーレン族もそれに参戦するということになっているのだそうだ。
国の秘密兵器、ということらしい。
事情を知る一部からは怪しげな魔術と不気味な人形を操る集団として呪族と呼ばれ、畏れられているのだとか。
もっとも、最後に参戦の要請があったのは、百年近く前のことらしい。
今では交霊術や儀式、占いや神降ろしにしか魔術を使わないマーレン族も多い。
昔はもっと魔術が盛んだったが今ではすっかり衰えてしまったと、族長もそう嘆いていた。
俺もどうせならば、もうちょっとドンパチやっている時代に生まれればよかったと思わないでもない。
今が平和だから、そういえるだけのことなのかもしれないが。
はっきりいって、俺は一生この集落で暮らすというつもりはない。
ここにはゴーレムの素材も錬金術の素材もない。
本を見ている限り、この世界には様々な物がある。
俺だってもっと、本格的なキメラやホムンクルスを作ってみたい。
オーテムだけでは満足できない。
俗世から隔離されているから、魔術技術だって大幅に遅れているかもしれない。
そう考えたらいてもたってもいられない。
こんな閉じたところよりも、魔法を活かせるところが他にあるはずだ。
「兄様、父様が狩りについて来いと……」
俺は本から目を離し、声の方へと顔を向ける。
ジゼルが申し訳なさそうな顔をして立っていた。
「う~ん……俺、そっちの才能はないと思うんだけどなぁ」
せめて魔術を使わせてくれたら誰よりも多く獲物を狩れる自信があるのだが、父はあくまでも弓を使えというのだ。
この使い方も覚えておいた方がいい、何かの役に立つ、と。
父は頭が硬い。
マーレンの歴史からいっても、魔術で狩りを行っていた時期の方が長いはずなのだが。
族長のいうことには、八十年ほど前までは弓は魔術の上手く使えない未熟者が持つ武器だったそうだ。
今ではすっかり平和ボケしてしまい、魔術で狩りを行う者の方が変わり物だとか、暴発したら危ないのではないかと言われるようになってしまっているのだが。
俺が小さい頃は、魔術に興味を示したら父も母も大喜びしてくれたのだが……最近は、どうにかして魔術から引き離そうとしている節がある。
きっと、そういうラインをとっくに越えてしまったのだろう。
ライターはあったら便利だが、火炎放射器は一般家庭に必要ない。
ちょっと大げさな表現ではあるが、つまりはそういうことなのだろう。
自覚はあるが、今更足を止める気にはならない。
今世ではずっと魔術の修行に懸けて生きてきたのだ。
今更それを否定されたら、俺の人生はジゼルしか残らない。
それはそれで悪くない気もするが、とにかく魔術を捨てるつもりはない。
「わかった。この章が読み終わったら、準備を整えるよ」
俺は言いながら、再び本へと目線を落とす。
ジゼルは呆れたように笑ってから、横から本を覗いてくる。
本の中を見たジゼルは、ぽかんと口を開ける。
「これ……何文字ですか?」
「アレイ文字だ。魔法陣の図形の意味について書いているのは、これしかなくってさ」
今俺が手にしているのは、魔術の本の中でも難解なものだ。
アレイ文字という、魔術書専用の特殊文字が用いられている。
アレイ文字は、普通ならば複数の文字で表現すべきことを一つの文字に纏めている。
いいきってしまうと少し語弊はあるのだが、前世でいうところの速記術に近いものがある。
文字ひとつひとつにかなりの情報量が詰まっているため、アレイ文字をマスターした時点で、魔術に関する知識をかなり持っていることになる。
因みに文字上だけのものであり、発音などは存在しない。
本来、魔法陣に関して詳しく記述すれば、とても本数冊程度で語れるものではない。
それをひとつひとつの文字に情報量を持たせることで無理矢理可能にしているのが、この魔術書なのだ。
そこまでして一冊に纏めなくともいいのではないかと思うかもしれないが、アレイ文字を使い熟すこと自体が魔術の鍛錬にもなる。
集中力や情報整理能力は、魔術の基礎力である。
一通り覚えるのには時間がかかるが、一度完全にマスターしてしまえば、一生涯で書物から頭に詰め込める知識量を大幅に引き上げることができるだろう。
因みに父はアレイ文字の存在を知っている程度だったので、族長に頼み込んで教えてもらうことにした。
最初はアレイ文字の簡易版で誤魔化されそうになったが、喰い下がってなんとか正式なアレイ文字を教えてもらうことにした。
一年たった今では、アレイ文字の基礎はだいたい読めるようになってきた。
このペースだと応用を完全にマスターするには後五年以上は掛かりそうだが、これでも奇跡的なスピードらしい。
「おおアベルよ、そこにいたかジゼルに呼ばせていたはずなのだが……」
父が家から出てきた。
父は俺の傍にジゼルの姿を見つけると、溜め息を吐く。
「まったく、ジゼルは兄に甘いな」
見つかってしまったか。
俺はページ数を確認してから、本を閉じる。
「も、申し訳ございません、父様。でも、兄様は魔術の……」
俺は立ち上がりながらジゼルへ手を伸ばし、言葉を制する。
「申し訳ございません。中途半端なページだったもので、つい」
ジゼルが眉を寄せ、不満そうに俺を見る。
俺も父に文句が言いたい気持ちはあるが、体力づくりも大事だ。
育ててもらっている身でもあるのだし、趣味ばかりというわけにもいかない。