七歳④
族長はオーテムに囲まれた部屋で、椅子に座って本を読んでいた。
艶を失いつつある髪、深く刻まれた皺。
それでも百五十歳であることを考慮すれば、どう考えたって若すぎる容姿をしていた。
大柄の身体を見るに、さほど筋肉が衰えているようにも思えない。
屋敷からほとんど出ない生活を送っているはずだというのに、よく筋力の維持ができているものだ。
父からの狩りの誘いを理由をつけて断って魔術修行に励んでいる虚弱体質な俺からしてみれば、ぜひとも参考にしたいものだ。
族長は百五十歳だが、マーレン族が特別長寿なわけではない。
魔術や呪術を駆使し、歳を取るのを遅らせているのだ。
筋力の維持もその一環だろう。
マーレン族の寿命は、普通ならば八十年程度である。
俺の前世の常人とさして変わりない。
この集落の文明は未発達であるが、簡単な魔術である程度の健康の維持はできるため、老衰の基準が高いのだ。
もっとも魔術で対処しきれない病魔はあるし、魔物や災害による被害もある。
平均寿命で比べれば、日本よりも大きく下回る。
族長は分厚い本から顔を上げ、片眼鏡の上部を指で押さえながら俺を睨む。
「……フィロと、はて、誰であったか」
族長は目を細め、訝し気にそう口にした。
行事等で形式的な挨拶を交わしたことしかなかったので、俺のことは覚えていないようだ。
儀式で顔を合わせたのも半年ほど前のことであるし、それも当然であろう。
「アベル・ベレークです。こちらは妹のジゼルです。急な訪問をお許しください。どうしても頼みたいことがございまして」
俺がすっと頭を下げると、ジゼルも慌てて俺の真似をする。
「ふん、ゼレ坊の息子か。話はフィロからよく聞いておる。随分、孫娘と仲良……」
「そ、祖父様!」
族長が何か言い掛けたところで、フィロが声を荒げてそれを止める。
族長は面倒そうに目を細め、フィロを睨む。
フィロがその視線に委縮したように半歩退いたところで「まぁ、よいか」と言って話を切り替える。
「して、アベル。ワシに何を頼みたいと申す」
「実は自分、魔術の修行に行き詰っていまして。族長様に時間があるとき、ご教授いただければと……」
「ふん、小僧はワシが余程暇に見えるらしいな」
族長は憎々し気に言い、首をゆっくりと横に振る。
そんな子供相手に、意地悪な解釈しなくてもいいだろ……。
なんだ、ひょっとしたら、元から俺は印象悪いのかもしれない。
元より俺が偏った生活をしているせいで悪いように噂になっていることは知っている。
それに、フィロがあれこれと捻じ曲げて吹き込んでいてもおかしくはない。
「ハッ! 祖父様に会いたいというから何の用かと思ったら、魔術を教えてほしかったのかい。祖父様とほとんど面識もない癖に、いきなりさぁ教えろだなんて、図々しい奴だなぁキミは。なんだったらボクが祖父様から習って、それをアベルに教えてやってもいいけど……ま、まぁ、態度次第というか、誠意次第というか……」
お前は何様なんだと。
しかし確かにこの感触を見るに、焦って失敗したかもしれない。
母親の方が物腰柔らかで今すぐにでもどうぞと言ってくれたから甘えてしまったが、やはり事前に伝えて都合のいい時間を聞いてから来るべきだったか。
マーレン族間での距離感がまだ上手く掴めていなかった。
「フィロよ」
族長が口を開く。
「は、はい、祖父様!」
「少し席を外せ」
がくっと、フィロが前に倒れかけた。
なんとか身体を持ち直し、族長へと食い下がる。
「え……で、でも……ほら……アベルが何か、祖父様に失礼を働くかもしれませんし! そ、それにアベルが……アベルが……」
「外せ」
「………………はい」
フィロは首を項垂れさせ、しょんぼりと部屋を出て行った。
二、三度ほどこちらを振り返っていたが、族長が眉間に皺を寄せると足を速めた。
まぁ、フィロがいると話が進まないからな……。
当然といえば当然の判断だろう。
この結果を見るに、結局あいつ、族長の態度を軟化させるという意味ではびっくりするほど役に立たなかったな。
「ふん……このワシに魔術を習いたい、か。小僧に軽々しく頼まれて動くほど、ワシの腰は軽くない」
「駄目……ということですか?」
「すぐに音を上げられては時間の無駄じゃ。小僧に根性があるとは思えんな。ワシとて、老い先短い身じゃからの」
げぇ……敵意剥き出しだ。
はっきりいって、歳を引き合いに出されても反応に困る。
そんなこと、百五十も生きていたらわかるだろうに。
立場が近いものならまだしも、族長とただのガキだ。
歳ではなく余命のことを言っているから、そんなことはないですよと言ってやればいいのか。
しかし下手にフォローを入れても、捻じ曲げて嫌味だと解釈してきそうだ。
わざと俺を追い詰めようとしていないかこの爺さん。
いや、さすがに考え過ぎだ。
見かけがちょっと怖いのと噂があまりよくないので、身構えすぎているな。
「いえいえ、族長様はまだまだ元気でいらっしゃるではありませんか」
にこやかに笑いながら俺は答える。
うん、これならいける。満点だ。
歳を取っている、という点には触れずに上手く躱してやった。
と、思ったのだが、
「ふん、年寄りだと思って気を遣いおって」
気を遣わせたのはお前だろうがと、喉まで出かかった言葉を呑み込む。
今のはいったいなんだ、回避しきったと思ったら強引に殺しに来た。
普通に返せば不躾な奴よで、避けて返してもこの有様か。
どんな返答を期待してたんだこの爺さん。
フィロを追っ払ってくれたから、結構考えてくれているのかとも思ったのだが……この調子だと、難しそうだ。
むしろ子供をいびるところを孫に見られたくなかったから追い出した線まである。
師匠には他を当たった方がいいかもしれない。
「それで……あの、今回の話は、やはり駄目でしょうか……?」
「ふん、気が短い奴よ。駄目とは言っておらんじゃろうが」
言ってるよ。
爺さんの態度が雄弁に物語ってるよ。
「で、では、教えていただけるのですか?」
「教えてやるとも言っておらんじゃろうが。急かすでない小僧」
なんだこの手のひら返し。
じゃあどっちなんだ。
「……そうじゃのう、まずは、小僧がどの程度本気かを見させてもらおう。明日の朝、また来るがいい」
……それって、実質的に弟子入り認定なのでは。
元より普通に教えて、本気じゃないと思った時点で切ればいいだけの話なんだし。
なんだろう。
目的は達成できて明日から晴れて族長の弟子入りだというのに、なぜか物凄く腑に落ちないものを感じる。
とりあえずはそれで話がついたということで、今日のところは帰ることにした。
族長の屋敷を出て、ジゼルと二人帰路を歩く。
「あの、にいさま……」
「族長の血筋、ツンデレが多いのかもしれないな」
「ツンデレ?」
「いや、なんでもない」
多分、ここにはない概念だろう。
因みに族長ことツンデレ爺さんは、翌日から何事もなかったかのように魔術を教えてくれた。
屋敷を訪れたとき、あまりの準備の良さに驚いたくらいである。
実は族長、弟子が欲しかったのではなかろうか。