七歳③
翌日、俺はジゼルと共に族長の屋敷へと向かった。
族長に師匠になってくれと頼むことに抵抗感がないわけではない。
族長とはあまり面識はないし、正直おっかない。
それでも魔術の師匠として、この集落で族長以上の適任はいないだろう。
指導はかなり厳しいだろうが、それについてはドンと来いだ。
木でできた柵の中に入ろうとしたところで、後ろから声が投げ掛けられてくる。
「おや、なんだ、オーテム狂のアベルじゃないかい。一体どうしたんだい、ボクの屋敷に来るなんてさぁ」
声の主へと顔を向ければ、俺と同じ歳のマーレン族の少女が立っていた。
気の強そうな鋭い赤目が俺へと向けられている。
胸元の前で組まれている両腕が、彼女の自信家気質な性格を反映させているようだった。
先だけ束ねられているボリューミーな長髪が風に煽られ、不敵に揺れる。
族長の孫娘、フィロだ。
面倒臭い奴に見つかった。
「て、撤回してください! にいさまは、オーテム狂なんかではありません! とうさまの説得の甲斐あって、最近は日に二つ以上オーテムを作ることはありません! ちゃんと私にだって構ってくれます! そうですよね、にいさま!」
いや、それ、裏を返したら以前までオーテム狂だったっていうことだよな。
お前、そんなふうに俺のことを見ていたのか。
お兄ちゃんはちょっとショックだぞ。
「それをオーテム狂というんだよ」
フィロは醒めた目で言った。
「安心しろ。俺はお前に会いに来たつもりはまったくないから」
「なっ!? べっ、別にそんなことは期待していないし、望んでもいない! っていうか、ボクはそういう意味合いで言ったんじゃないし! 変なことを言うな!」
フィロは顔を真っ赤にしてそう喚く。
組んでいた腕を解き、俺へと人差し指を突き付けてくる。
子供はからかいやすくていい。
「だ、だいたい、アベルがオーテムにしか興奮しない変態だということは知っているからな! そんな手には乗るものかッ!」
ぶん殴ってやろうか。
なんだ、俺はそういうふうに見られているのか?
誰だ、そんなとんでもない大嘘ばら撒いた大馬鹿野郎は。
「俺はお前の爺ちゃんに会いに来たの」
「祖父様のことを軽々しく呼ぶな、オーテム狂! 族長様と呼べ!」
「大丈夫、お祖父様の前ではちゃんとそう呼ばせていただくことにするから」
マーレン族は肉親に対しても言葉が硬いので、息が詰まりそうになる。
ガキ同士で話すときくらい、もっと軽い気持ちでいたい。
「おお、お前がッ、ボクの祖父様のことを祖父様と呼ぶな! な、なんだ、何様のつもりだぁっ! ボ、ボクは、お前のお嫁さんになってやる気なんて、これっぽっちもないからな! ぜんっぜんお前のことなんて好きじゃないからな!」
「そういう意味じゃない! 呼び方似せて皮肉ってみただけだから!」
反応に困るから、変な深読みは止めていただきたい。
もういい、フィロの前では族長様と呼ぶことにしよう。
フィロと話していると心底疲れる。
「そういうわけで、俺は族長様に会ってくるから」
「フン、やれやれ、何の用だかわかったものじゃないね。まぁ、いいさ、別にボクはアベルが何をしたいかなんて、これっぽっちも興味はないしね。せいぜい、粗相がないよう気をつけることだ」
俺は顔を屋敷へと向けながら、手で軽くシッシとフィロを追い払う。
それから歩き始めると、なぜか足音が三人分聞こえてくる。
振り返ると、きっちりフィロまでついてきていた。
「……フィロ、お前には関係ないだろ」
「なっ!ボクは帰ろうとしてるだけだ! な、なんだいその目は! ボクがアベルについていこうとしてるみたいな、そんな言い草はやめろ! いいか! ここは! ボクの家だぞ! いつ帰ろうと自由だろうが!」
悪い奴ではないんだけど、なんというかなぁ……。
とはいえ、俺は族長と顔を合わせたことが少ない。
フィロがいた方が多少は話が進めやすいのかもしれない。
いるならいるで、別に無理に理由をつけて追い払う必要はないだろう。
いや、どこかに行ってくれるのならそれに越したことはないのだが。
屋敷に入る。
玄関先で、フィロの母親と顔を合わせた。
簡単な挨拶を済ましてから、族長様に会いたいという趣旨を伝える。
「どうぞどうぞ。族長様は、今日はお暇なはずですから。そうだ、せっかくだからフィロちゃん、案内してあげて」
「ボクがですか、母様。ま、まぁ、仕方ありませんね。この流れだと、そうなりますか。仕方ない、本当は嫌だけど、ボクが案内してあげるよ。本当は嫌だけど」
フィロは溜め息を挟んでから、わざとらしく言う。
「お手間を取らせて、申し訳ございませんフィロ様。案内、よろしくお願いします」
俺は態度を変え、慇懃にそう言って頭を下げる。
「ちょ、調子が狂うなぁ……」
大人を前にしたときは、この態度を一貫することにしている。
こっちの方が受けがいいのだ。
「ごめんなさいね、アベル君。フィロちゃん、素直じゃなくて。この子、根はいい子だから仲良くしてあげてくれると……」
「母様!」
フィロが頬を赤くし、歯を喰いしばりながら声を荒げる。
くすくすと笑いながら、フィロの母親は別の部屋へと去って行った。
フィロがこほんと咳払いをし、歩き出す。
「ほ、ほら! 何をぼさっと立っているんだ!」
フィロを先頭に廊下を歩き、族長がいる奥の部屋を目指す。
族長はかなり偏屈な人だったと記憶している。
今日はアポだけ取って帰るくらいのつもりだったのだが、あっさりと案内されたところを見るに、そんなものは必要なさそうだ。
族長っていったって、狩りは若いものが行く。
ここ最近、大きな事件も起きていない。大して忙しいこともないのだろう。
それに、こっちは七歳児だ。
ここはそう大規模な集落でもないし、親戚の孫が遊びに来たくらいの感覚なのかもしれない。
「まったく、母様も軽い。まぁ、ボクがついているしね。わざわざこのボクが自分の時間を割いて付き添ってあげるのだから、感謝してほしいものだよ。キミが祖父様に何を頼みたいのかは知らないけど、ボクの顔を潰すような真似はしないでくれよ? もしも失礼があったらボクがキミを叩き出すから、わかっているな?」
フィロはこちらを振り返って早口で言い、また顔をすぐ前へと戻す。
お前、ただ帰るところだったんじゃないのかと、そう言ってやりたくなる。
まぁ、野暮なツッコミを入れるのはやめておこう。
族長だって人間だ。
自分の孫を前にすれば、多少は態度が軟化することもあるかもしれない。
マイナスにはそうそう働かないだろう。