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プロローグ

 俺は顔を上げ、目を擦る。

 頬に涎がついていた。どうやら机に突っ伏して眠っていたらしい。

 また本を読んでいる途中に意識が飛んでしまったか。


 不健康なことだが、それを咎めてくれる人はいない。

 俺が物心ついた頃にすでに母親はおらず、父親は俺が小さい頃にナイフで刺されて死んだ。

 俺を引き取ってくれた祖父も去年老衰で死んだため、今では一人暮らしだ。


 父は業界ではそこそこ名の知れた手品師で、旅行好きの変人だった。

 子供を置いて勝手にふらふら海外へ行って、意味のわからんお土産を買って俺の機嫌を取ろうとする駄目親父だった。


 『俺は本物の魔術師だ!』というのが仕事中の父の決め台詞だった。

 パフォーマンスの一環でサクラにナイフを持たせて自分に刺させる手品をしていたらしいのだが、それを見て興奮した客のひとりが、自前のナイフで父に切り掛かったらしい。

 それから意識が戻らず、あっさりぽっくりである。

 小さい頃の俺は父を本物の魔術師だと信じていたから、いつかどこからか帰ってくるものだと信じていた。

 俺が『父さんはいつ帰ってくるの?』と聞けば、爺ちゃんは黙ったまま目を細め、俺の頭を撫でていた。

 今思えば、憐れまれていたのだろう。


 俺は読みかけだった本の表紙へと目をやる。

 『中世黒魔術大全』

 認めたくないが、俺がこの手の胡散臭いものに興味を持つようになったのは、間違いなく父のお土産のせいだろう。


 この怪しい本に限らず、胡散臭い黒魔術キットが俺の家にはたくさんある。

 魔法なんてないに決まってる、でもあったらいいな、なんてことを思い続けてもう十七歳になる。

 昔なら夢見がちなガキで済んだものの、今ではすっかり世間様から厨二病呼ばわりされている。

 学校のクラスでも話の合う相手などいるわけもなく、珍しい虫でも見るような目で見られ、疎外されている。

 

 知人と呼べるのは黒魔術研究部の面子くらいなのだが、受験勉強のために先輩の山さんが引退し、今では後輩のいーちゃんと俺の二人しかいない。

 つまり、実質的にいーちゃんが俺の唯一の話相手である。寂しいことに。

 因みに学校の規定に則り、来年に入部希望者が現れなければ我が黒魔術研究部は晴れて廃部となる。悪は滅びる。


 黒魔術研究部は俺の唯一の居場所である。

 なんとしても守らねばならない。

 そろそろ新入生の勧誘方法について、いーちゃんと会議を開かねばなるまい。

 もしも俺がネットで買い漁った黒魔術キットの中に、ひとつでも本物と呼べるものがあれば我が部にも入部希望者が現れることだろうに。いや、そんなもの、あるはずないとわかってはいるのだが。



 事件が起こったのは、放課後であった。


「……いえ、もう、ウチ、この部活辞めようかなーって」


 放課後、信頼していた後輩からばっさりと退部届を叩き付けられた。

 今思えば、美人で人当たりもよく、基本的に常識人であったいーちゃんが今の今までこの変人部にいてくれたことが奇跡であったのだろう。 


 しかしそうは思っても、部の現状を考えれば、簡単に納得のできるものではない。


 とりあえず休部か、それが駄目なら人数かさましのために籍だけでも置いてくれと交渉したかった。

 しかし、いーちゃんは取りつく島もなかった。

 こちらが動揺から立ち直って話を進めようとしたときには、すでに部室を去っていった後だった。


 なんとか校門前で追いついたのだが、そこでも話し合いはまともにできなかった。

 気まずい空気の中、いーちゃんは俺から逃げるように急に歩き出し、横断歩道を渡ろうとする。

 信号は、赤だった。

 多分、俺に気を取られ、信号が変わったことに気付かなかったのだろう。


 折悪く、大きなトラックが通過しようとしていたところだった。


 気が付くと、俺は飛び出していた。

 身体に強烈な衝撃を受け、視界が暗転する。


 熱い。身体中が熱い。

 なんとか目を開けるが、視界が酷くぼやける。

 目というより、脳が駄目になっているようだった。


 辺りが騒めき始めてくる。煩いなぁと、他人事のように考えていた。

 誰かが、俺に抱き付いている。


「――――ヤ、イヤァッ! ごめんなさい、ごめんなさい! ウチのせいで、こんな……」


 途切れ途切れながらに、後輩の声が聞こえる。


 よかった。アイツ、助かったのか。

 飛び込んでどっちも死んでちゃ、格好つかないもんな。


 学校の人気者より、日陰者の俺が死んだ方が悲しむ人も少ないだろう。

 幸いというのもおかしな話だが、俺には肉親もいない。知人だってほとんどいない。


 心残りだって、最近凝っていた錬金術の歴史の調査が半端だったことと、ネットで海外から取り寄せた『ドラゴンの爪』が今日届くはずだったってくらいである。我ながら悲しくなる。

 将来の夢だって、なにもない。


 そんな思考を最後に、意識が途切れた。

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