09.お父さんからの命令
少し時間が経ってから、私はお父さんに呼ばれて、執務室まで来ていた。
すでに覚悟していたことだ。「私」に絡んだ事件が起きたのに、ここの幹部であるお父さんから呼ばれないわけがない。
ところで、今の状況は果たして現実なのだろうか。
情けないことだが、未だに私は、その実感があまり沸かずにいた。
「お前も、話は聞いているだろうな」
「はい」
私が入ってくると、お父さんはすぐその話を口にした。ここまでは、想定していた通りである。
「こちらも上がってきた報告書には目を通した。橘と言ったか。これによると、彼はお前のクラスメイトのようだが」
「……はい、そうなります」
私はただ、それしか言えなかった。別に自分が責められているわけじゃないのに、「自分のせい」で起きたかもしれない事件だということだけで、心が辛くなる。
橘は、この組織とまったく関係のない人間だ。そんなやつが、こんなぶっ飛んだ事件に巻き込まれたのは、誰からどう見ても、「私」じゃなければ説明がつかない。
私が、このような状況を作ってしまったんだ。
たとえそれが、私のせいではなかったとしても。
「この事件が、あの「反軍」によって起こったというのは言うまでもないだろう。こちらにもしばらくしてから、勝手に連絡が入ってきた。あいつら、最近の「組織」と「反軍」が生ぬるいから、少しでも状況を揺らしてみたかったようだな。やられた方としてはとんだ迷惑だが」
「そうですか」
反軍の、このような動きは初めてじゃない。今までも、「状況が安定しすぎている」と勝手に思われたせいで、いつもと変わった動きが見られたことは何度かあった。とはいえ、この組織や、自分たちでもある「集団」が絡んでいない、まったくの一般人を巻き込んだのは、おそらく、今度が初めて、だと思う。私の記憶が間違っていなければ、だが。
「お前も覚えていると思うが、あいつらが一般人を巻き込んだのは今度が初めてだ。よりによって、お前と関連がある人物を選んだことは謎だが、それはおいおい明かしてゆけばいい。問題は、その一般人である橘だ。いきなりこんな争いに巻き込まれて、彼もわけがわからないと思うようになるだろう」
「そうですね。俺も、そう思います」
今、いちばんの問題だと言えるのも、それであった。
橘は、私と違ってこの「組織」の人間でもないし、もちろん、「集団」、すなわち反軍の人間でもない。せいぜい私と関係が少々ある、それくらいだ。なのに、なぜ橘はこのような目に合わなければならなかったのだろう。これも、結局は私のせいかな。
「今まで隠そうとしてきた対立が、こんなふうにバレてしまうのは心許ないが、この際、それは仕方ないことだろう。それに、橘一人ならどうにかなるはずだ。あの高梨の時にもそうだったのだろう?」
「はい。そうだろう、と思います」
美由美だって、実はこの組織と何の関係のない一般人だった。それが、ひょんな事からバレてしまい、仕方なくここでエンジニアとして働くようになった。美由美の時にもなんとかなったのだから、橘にこの事実がバレてしまっても、そこまで大きな問題ではない。代わりに、こっちの頭がかなり痛くなるだけだ。
「もちろん、橘が今までのような、平凡な日常に戻ることはできない。少なくともしばらくは、だ。今、橘を元の姿に戻すのには手数がかかる。ここの「機械」ではなく、あそこ、「反軍」の持つ機械で体が変化したはずだからな」
「あ、そういえば――」
そういや、完全に忘れていた。「知り合いである橘に、別の姿がバレる」という事実に動揺しすぎて、橘に今、戻るべきところがない、という事実を失念していたんだ。
「つまり、元の姿のデータが手に入るまで、橘はしばらくあの姿でいるしかない、ということだ。お前も経験しているからよくわかるのだろう。元のデータが見つからない今、橘の姿を戻すことはできない」
「はい、わかっています」
そう、「知っている」ところか、体で覚えているため、よく「わかっている」。今の橘のように、「外」からの機器によって姿を変えられた場合、うかつに機械を操作してしまったら大変なことになりかねない。自分の体を自ら変化させるだけに、機械の扱いは慎重であるべきだった。つまり、多少時間がかかったとしても、元のデータを解析し、その「安全が検証された」データで橘を元に戻す必要がある。
時間が、かかてしまう。
しばらく、少なくとも一ヶ月くらい、橘が元に戻ることはできないのだろう。
「だから、橘にはしばらく、この建物で過ごしてもらうことにする。こちらとしても調べるべきことはたくさんあるからだ。もちろん、いきなりこのような状況になってしまった橘のケアや、家族への連絡も共に行う。少なくとも一ヶ月くらいは、ここで暮らすことになるのだろう」
「……そうですか」
それもまた、おかしな話ではなかった。そもそも、「別の姿」になった橘が、そのまま日常に戻るのは難しい。あの機械は、まだ「外」に出てはいけないということが、関係者たちの一致した考えだった。そもそも、こんな状況になってしまったからには、さまざまな肉体的・精神的治療なども必要になるのだろう。
即ち、私はこれからあいつと同じ空間で暮らすことになるのだ。これから一ヶ月までは必ず。
それが意味することは――
「そして、橘が目覚めたら」
「はい?」
「これから柾木、お前が彼の面倒を見てやれ」
どうして今まで、その可能性についてまったく考えてなかったんだろう。
それは私にとっては、目が一気に覚めてくるような、衝撃的な話だった。
お父さんが何を言いたいのかは、よくわかる。
橘もいきなり「あんな」姿になっていて戸惑うだろうから、学園での知り合いである私が世話してあげた方がいい、って話なんだろう。
「もちろん、それだけの理由ではない」
私が思っていた通りのことを口にしてから、お父さんは話を続けた。
「なぜかはわからないが、この事件が作戦を担当しているお前、柾木を狙ったことは明らかだ。あの「反軍」はいつもわけがわからない動きばかりだから、お前を責めるのもおかしい話だろう。とはいえ、こうなった以上、当事者であるお前がこの事件を担当するのは当たり前だ」
「……」
「だから、橘に関しては以後、彼がここにいる間、お前が責任をとって管理しろ。わかったか?」
「……はい」
これまた予想通りの話を聞いて、私はそう頷いた。だが、今の私は、未来の橘くらい戸惑っている。
他でもないあの橘に、この「別の姿」がバレてしまうのだ。
それも、ついさっき、「あんなこと」まで言ってしまった相手である。
ものすごく、気まずい。
あの時には、こんなに早く、それも「別の姿」で、あいつとまた出会うとは考えもしなかった。
別に、これは橘のことが嫌いとか、そういうわけじゃない。
たしか、あいつは鬱陶しかったけれど、別に嫌いとか、そういう気持ちにはならなかった。昼の時にはかなりくどく感じてしまったんだけど、それであいつが嫌いになったとか、そんなことはない。別に好きなわけでもないけど。
っていうか、今のような状況で、それも「私のせいで」そうなったかもしれない状況で、好きとか嫌いとか、そういうのはどうでもよかった。
ただ、その、昼のような出来事があったのに、ここまで早く目を合わせるのが辛いだけだった。
あそこまでひどい対応をしてしまったというのに。
いったい私はどんな顔で、「別の姿」で目覚めた橘と会いに行けばいいのだろう。
とはいえ、これは私が責任を取るべき問題だし(私のせいではなかったとしても)、今、職場の上司でもあるお父さんの話を断るわけにはいかなかった。
今はお仕事中なのだから、仕方がない。職場というのは、組織というのはそういうものだ。私もそれはよくわかっている。
それはわかっているつもりだが、やはりどうしても、心の中ではひどく迷ってしまう。
あいつ、どんな表情で私を見るのだろう。いや、そもそもこの歪んだ「現実」を受け入れてくれるのだろうか。
自分の感情の整理すら、まともにできていない。
橘と会いに行くために廊下を歩いている時すらも、私はそう悩むしかなかった。