82.会議のこと
「報告は以上になります」
そう口にして、私は椅子に腰を下ろした。いつもながら、「組織」の幹部たちが一斉に集まった会議の時には緊張してしまう。
飯塚との話し合いの後、私が「組織」へ戻ると、すぐ緊急会議が始まった。どうやら、私が「組織」に戻ってくるタイミングを計っていたらしい。
ともかく、私はその場で、さっきの飯塚とのやり取りをすべて話した。
飯塚が自分に興味を持ったということ、自分を「反軍」の方に引きずり込もうとしていたこと、そして――
ああいうのを全部口にするのが辛くなかったと言ったら、それはきっと嘘になるんだろう。
でも、私は力を絞り出して、それらをすべて話し切った。
……私は、社会人だから。
どれだけ若いと言っても、私はここで、しっかりと社会人をやっているわけだから。
実は、さっきのことがずっと頭に残っていて、どうしても会議に集中できなかった。
――そんな人、いるわけないじゃない。
ああ言う話をいかにも「普通」である女性から聞かれると、はっきり言って、立ち直れない。胸が苦しくて、今すぐにでも張り裂けてしまいそうだった。
だって、自分がまるごと否定されてしまったものなんだから。
辛い、苦しい、吐き出したい――でも、こんな気持ちなんて、きっと誰にもわかってもらえない。
こういう感情に陥ることは、久しぶりだ。
秀樹と付き合ってから、雫と打ち解けてから、こんな感情、あまり味わうこともなかったというのに。
今、ここに集まっているのは「組織」――つまり、日本にとって「組織」の幹部たち全員。
いや、正確には「日本政府側」の「組織」の幹部だから、日本には位置しているものの、政府とは距離を置いている他の「組織」寄りのところの人間はいないんだけど……そういうややこしい事情はこの際置いといて。
暗い会議室の中で、全員が丸いテーブルに座ったまま、真ん中に置かれた会議用の「端末」の画面と自分用の「端末」に目を落としつつ、会議に臨んでいる。
余計な光などはまったくおらず、「端末」の画面しか目に入らないため、会議に集中できるのはとてもいいことだと思うが、まだこの環境には慣れていない。
ここにいるのは幹部たちだけだから、会議に参加している人間もみな部長以上の肩書きである。私のような作戦部長以外にも、さまざまな部長たちが「偉い人」の中に混じっているわけだ。
この「偉い人」っていうか、「ここ」の「組織」の幹部は他のところとは少し変わっているから、少しだけ説明すると……。
まず、私のような「部長」クラスが幹部の下っ端である。ここの人間は「組織」の一員になる前には警察の者だったわけだから、ここでの「部長」は、本来ならば巡査部長に当てはまる。私ももし、「組織」の一員ではなく、この場所にふさわしい警察の者として考えるなら巡査部長ということになるんだろう。巡査部長を務めるには若すぎる、っていう事実はともかくとして。
で、作戦部長、訓練部長などの巡査部長クラスの幹部より偉い人間は、元々警察としたら警視長に当てはまる。いきなりぶっ飛んだ形になってしまったが、「組織」は未だに一般には秘密ということになっているわけだから、私の直属の上司もそれに相応しい肩書きの人間になってしまったんだ。これが多分、外からだとかなりおかしく見えるところだと思う。
……「反軍」のおかげで、こっちもこういう歪んだ形になってしまった。何年前だったら考えもできなかったことが、今になっては当たり前になっている。仕方のないことだ。
つまり、ここにいる人はいろいろな意味で、紛れもなく「偉い人」である。
だから、緊張してしまうのは仕方がない。あまりそういうことを表に出すのもよろしくはないけれど。
「興味を見せたと?」
「……はい」
その声に、私は静かに頷く。あれは警視長――この「組織」では課長となる上司の声だ。やはり元警察本部の部長だからか、とても威厳のある声で、どうしても答えるのに戸惑ってしまう。
こんな理由で自分に興味を持たれたなんて、あまり口にはしたくなかった。それも、あまり面識のない大勢の幹部たちの前で。
もちろん、こうやって「別の姿」で、幹部たちと顔を合わせたことは今度が初めてじゃない。そこまで機会があったわけじゃないが、こういう場面は何度もあった。
なのにどうしてか、今日はものすごく胸苦しく感じてしまう。基本的にここにいる課長クラスの幹部は私の上司に当てはまるけど、お父さんを除いて、顔を合わせたり、話し合ったりする機会は滅多にないからそう感じてしまうのかもしれない。
落ちつけ、私。
自分も一応幹部ってわけだから、こういう場面には慣れておかないとダメなんだ。
「その話によると、あちら――『反軍』から高坂部長が興味を持たれたのは、そのバックグラウンドのせい、ってことか」
「はい、そうなります」
相変わらず苦しい心をなんとか抑え込んでから、私はどうにか答えた。
だって、こういうこと、自分の口で説明するのが非常に辛い。
「自分のせいで『反軍』を引きずることになりました」とか、どういう面して説明したらいいんだろう。
それも、他でもない自分の父親がいるところで。
自分が変わった人間なんだから、こうなってしまいました、と告白するのは。
……いや、よく考えると、これは私のせいじゃないってわかってはいるけど。
「まあ、それもおかしい話ではない」
その時、聞き慣れた声が向こう側から聞こえてきた。
「どれだけ実戦経験が豊富だとしても、高坂部長はまだ若い。だから、敵としてはそこが脆いと思っていたのだろう。『反軍』がそこに目をつけたのも納得だ」
そう口にしたのは、他でもないお父さん。
自分の娘……いや、この場合には息子か……ともかく、自分の子供のことをここまで淡々と口にできるのは、ある意味すごいと思う。
とは言え、今の私とお父さんは上司と部下の関係だし、ああいう言い方で何一つ間違っていないけれど。
「あいつら『反軍』も、我らのことを相手にするのは疲れるものだろう。結構負担も高いはずだ。だから、今度のように敵視する『組織』から優秀な人材を引き抜こうとするのは自然な流れだとも言える。それで、高坂部長」
「は、はい」
どうしよう。思わずどもってしまった。
こういう公的な場でお父さんに「部下」として扱われると、どうしてもたじろいでしまう。もちろん他の人にはバレないように気をつけてるつもりだけど……。
「もちろん、『反軍』の甘い誘いには乗らなかったんだろうな」
「はい。そのまま聞いていられなかったため、あるくらい時間が過ぎてから撤収しました」
……これは、半分くらい嘘だ。
実は、私が飯塚の話にもう耐えられなくて、そのまま場を後にしただけなんだ。
もちろん、反軍の手に乗るつもりはまったくなかったが。
どうしても嘘をついているような気がして、気が休まらない。
「ならいい。それなら何の問題もないはずだ」
だが、お父さんのその一言で、私はようやくホッとすることができた。
やはりお父さんに睨まれるのは辛いし、こういう反応の方が遥かに助かる。まさかここまですんなりと信じてもらえるとは思わなかったが。
「で、これからはどうすればいいんだ?」
お父さんとは別のところで、今度は他の課長の声が聞こえてきた。イライラしているっていうか、あらゆる意味で焦っている声で、この場のことを考えるとあまり冷静ではない。
だが確かに、今、いちばんの問題はそこだろう。
私はあそこ――「反軍」と話をしてきたわけだが、結局得たものなんか、何もない。あちらが私に興味を持っているということ――わかったのは、それくらいだ。
で、これがわかった今、我々はどうしたらいいのか。
そんなことなんて、誰も知らない。
さっき話してきた自分だって、これからどうなるのかはまったく読めなかった。以前にもこういう形のスカウトは時々あったらしいが、私のような「変わった人間」が巻き込まれたのは初めてだから、これから向こうがどう出るかは少し読めない。
……頭が痛い。
あそこ、「反軍」との話し合いなんか、いつもこういうもんだけど。
「まったく、あいつらはいつもそうだ」
それが苛立たしかったんだろうか、課長の中の一人が、突然そう声を高めた。
「いつもいつも、『反軍』のやつらは訳がわからない。この世を変えるんだのなんだの。到底理解できないことばかり口にして、我らを翻弄してやがる」
その声に答えるように、あっちこっちで「そうだ、そうだ」という声が聞こえてくる。やはり、みんな「反軍」のやり方にはイライラしているようだ。特に、ここで「組織」の幹部と呼ばれている者たちはみな変化など求めてないわけだから、なおさらそういう気持ちが強まっているんだろう。
その気持ちは、わからなくもない。
今、「組織」に賛同する人間にとって、「反軍」のやっていることはただの目障り、いや、世界に向けた反逆のようなものだ。今までの秩序正しい世界を破壊しまくる危険なやつら。きっと、「組織」のみんなは「反軍」のことをそんなふうに思っているんだろう。
「ただでさえ厄介なやつらなのに、人類に危険な化け物まで作りやがって。自分たちの勝手な望みのため、この世の中を滅ぼす可能性を高めている。最悪だ」
そういうやつらをすぐ片づけられず、こうやって子供じみたやり方で迎えるしかない自分に、苛立つのもおかしくない。
どうしようもない、現実。
世の中には、そういう不条理なことが多すぎた。
「何が『この世界は大きく変わらなければならない』だ! 勝手なことばかり言いやがって。結局、お前らは何も考えてない大馬鹿であるだけだ! 今すぐ世界を大きく変えなければならないだなんて、そんなホイホイと世界が変わってくれるか!」
ついに、向こうから別の激しい怒りが聞こえてきた。
きっと、今まで「反軍」がやってきた理不尽な仕打ちに耐えられなくなった幹部たちが、今、抑え込んでいた感情を暴露しているんだろう。
「世界なんて、そう簡単には変わらない! どういうつもりなのかは知らないが、急にすべてを覆したとしても、結局反感を買って元通りになるのがオチだ! 強制的に世の中を変えてしまっても、得られるものなど何もないと言うのに!」
「あいつらがああいうことに気づくわけがないじゃないですか。いつものことですよ」
「いや、敵だってアレに気づいているかもしれない。ただ、自分たちの目的のため、見て見ぬふりをしているだけで――」
しばらく、会議のことはそっちのけてそういう会話が繰り替えられる。ある意味、こういう場だからこそできる偉い人たちの愚痴だ。
わかっている。みんなこういう状況に疲れているということは。
……どうやったらこれが解決できるのかなんて、誰も知らないということも。
私がそんな考えに思いを寄せていた時――
「つまり、全ての原因は高坂……高坂部長のせいじゃないか」
その時、急にそんな声が聞こえてきた。
ここで「高坂部長」としたら、その意味は一つしかない。
……ここにいる、自分のことだ。
お父さんである高坂一也ではなく、私、高坂柾木のことを意味しているわけだ。お父さんは、ここでは「高坂課長」と呼ばれているわけだから。
「君さえ普通だったら、我らは今、こんなくだらないことで頭を悩ませる必要もなかったわけだ。そうだろ?」
「それは……」
どうしてこういう流れになったんだろう。
たしかに、「反軍」は私の変わった事情に目をつけていたわけだが、それとこれとはどういう関係が――
「だから、ああいうのはよくないって言ったんじゃないですが」
また、向こうからそれに同調する声が聞こえてきた。今になっては自分の同じ立場の部長ですら、そういうことを口にしている。
「ああいう若い子に作戦部長とか、そういうことをやらせるのは無茶だって」
「そうそう。いつかはこんなことが起こるって、考えておくべきだったんですよ」
はっきり言って、そう言われるとこっちからは返す言葉もない。何の言い訳もできないからだ。
「ぶっちゃけ、訳ありのやつをこういう役職につけてはいけないと思っていたんです。いつどんな形でこっちに戻ってくるかわからないですからね」
「そうそう。どれだけ経験豊富だとしても、こういうのを言いがかりに『反軍』から責められるのは想像できたんじゃないですか」
もう止められないくらい、あっちこっちで声が飛び交っている。それもすべて、ここにいる自分のついての話だ。
自分が、変わっているから。
自分だって、望んでこの場にいて、部長なんかの肩書きを持っているわけじゃないのに。あくまで勝手に、そう言われただけなのに。
――あなたは利用されていただけだから。
だが、飯塚の話は断じて違う。
今の私は、自分から望んで、自分なりの考えを持ってここにいるんだ。
それだと言うのに、いつになったらここにいる「組織」の人間たちは、私を同等な存在として見てくれるんだろう?
やはり、私じゃダメなんだろうか?
こんなに変な人間じゃ、こういう場には相応しくないんだろうか?
「はっきり言って、高坂部長はこっちが強引に引き込んだようなものですし、そういう人間が部長みたいな肩書きだったら、狙われても仕方ないですよ」
私のことを放っといたまま、話は勝手に進んでゆく。私のことを話しているというのに、こちらに意見を聞いてくる人など、どこにもいなかった。
「それに、高坂部長って実は『元の姿』があるんじゃないですか。本人が前にいるのにこんなの言うのも何だけど、あっちからは絶対に無理やりって思われてるはずです。今ここにいる本人も、内心嫌がっているはずだし」
「そうだ。よく考えてみたらひどいんじゃないか。あの時には仕方がなかったとは言え、嫌がる女の子に何させてたんだ、まったく」
「そうですよ。あちらから何を言われるかわからないというのに、訳ありな高坂を幹部にしてしまったのが――」
「黙れ」
それを聞いて、私は驚く。
静かにそれを口にしたのは、他でもない、私のお父さんだった。
「もしあいつが実力不足だったら、それは認めよう。だが、そんなバカげた理由であいつが相応しくないと言うなら――それは却下だ」
「ですが――」
「無駄に場の熱が上がってしまったな。この会議は以上だ」
他の幹部たちも渋い顔をする中、お父さんはいつものような厳しい顔で、そう言い切った。
「ちょっと、高坂課長――」
「こんな空気ではまともに議論なんかできそうにない。今日はこれにて解散した方がいいだろう。異議はあるか?」
他の幹部たちが慌てている間にも、お父さんの声はまったく揺るがない。
その声に押されたのか、次第に声を上げる幹部の数は減っていって、最後には誰も声を上げないようになった。
終わりだ。
私は、こうしてこのいたたまれない現場から自由になった。
……自由になったはず、なんだが。
私は未だに、自分があれからどうやって執務室に戻ったか、はっきりと覚えていない。