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07. 「組織」と私

 はっきり言って、学園での出来事が、私にとっては非日常に近い。別に求めていたわけではないが、気がつけばそうなっていた。

 それが寂しくないと言ったら、嘘になる。

 だが、今の私にはやるべきことがある。そうなってしまった以上、これを避けることはできなかった。

 

 ここが、外からはただの高層ビルにしか見えない、「組織」の本拠地の一つ。

 正確に言うと、元は本当にただの関東管区警察局(が入っていた合同庁舎)だったけれど、メカの試用テスト中に「集団」の化け物が現れてからは、事実上本拠地の一つになってしまったところ。

 私は今、ここで「別の姿」として働いている。主にやっているのは、化け物を「現場担当」、つまりメカを着た戦闘担当の子たちが片づける時、どうやって効率的に片づけるのか、その作戦を練ることだ。

 元は私もただの現場担当だったけれど、いろいろあって、今のような位置につくことになった。

 他の職場なら決してありえないことだと思うけれど、これもまた、「組織」みたいな不条理なところだからできたことなのだろう。

 こっちとしては、あまり嬉しくはないが。


 そんなことを思いながら、「組織」の人たちと挨拶を交わしつつ、自分の事務室がある廊下に入ると、そこには見慣れた姿がいた。

「あ、柾木くん」

「……美由美。ここにいたのか」

 それは、ここで「メカ」のエンジニアとして働いている女の子、高梨美由美たかなし・みゆみだった。

 茶色のショートボブの髪型をした、大人びた女の子。

 あまり自分を出さないから、どう接すればいいのか迷う時もあるけど、しーちゃんのような穏やかさがあって、隣にいるだけで落ちつく子だ。ひょっとしたら、それは美由美と私の性格が正反対に近いから、かもしれない。

 美由美と私は、ここで働くことになってからの付き合いでもある。

 ありがたいことに、美由美は私によく頼ってくれるんだけど、未だに「友だち」というよりは「頼りがいのある人」みたいな印象を持っているようだった。

「えっと、もし忙しいのでしたら……」

 美由美は抑えめな性格だから、どうも空気を読みすぎてしまう。まだこっちは何も話してないのに、今は忙しいのでは、と察してくるのだ。

 そんな美由美のやさしさにはいつも助かってばかりだけど、時にはそれが心配になる。もう少し、砕けてくれてもいいのに。

「そこまで忙しいわけではないが……急な用事か?」

 でも、私だってあまり人懐っこい性格ではないから、せいぜい、こんなふうに話しかけるのが限界である。もう少し気配りのいい性格だったらよかったのに。我ながら、あまり素直になれない性格が苦しい。

 やはり美由美って、私に硬い印象を持っているのかな。美由美は私の「元の姿」もまったく知らないし、そう思われても仕方はないけど……。

 これじゃ、いつまで経っても「友だち」にはなれないな。

「い、いえ、では後に、柾木くんの執務室にお邪魔してもいいんでしょうか」

 でも、やはりこういうところが不器用な私は、美由美の申し出に、いつもより少し柔らかい口調で答えてみることしかできなかった。

「もちろん。待ってるから」

「……はい!」


 美由美と私は、学園は違うけど同い年だ。

 どうして、「組織」と縁もない美由美がここで働くことになったかというと――

 それについては、また今度、余裕のある時に話したいと思う。

 あまり美由美にとって、楽しい話でもないのだから。


「いや~。今日もモテモテだな、柾木」

 そうやって美由美と別れたら、今度は、多少軽い男子学生の声が聞こえてきた。このガキっぽい声にはものすごく聞き覚えがある。

「なんだ、慎治か」

「じゃ、誰だと思ったんだよ。まったく」

 この男は、私と同い年の茨城慎治いばらき・しんじ。美由美のように学校は別だけど、この「組織」では現場担当でいた頃からの知り合いである。

 私との関係は……いわゆる悪友かな。

 とか言ったら、昔の自分に怒られそうだけど、やはりそれ以上の言葉が思いつかない。


「訓練はまだか?」

「ま、今は休み時間だからな。こんな時くらい、羽根を伸ばさないと」

 とか言いながら、慎治は眠そうにあくびをする。だが、こいつの場合、訓練に熱心だったから疲れたわけじゃなくて、ただ、遊び呆けたおかげで寝ぼけただけだ。

「夜更かしはほどほどにしろ。お前、学園でも居眠りしまくってるんだろ」

「なんだよ柾木。自分だけ真面目なふりして。健全な学園生なら当たり前じゃないか」

「そう思ってるのはお前だけだ」

「ちっ、昔からいつも正論ばかり言って……」

 昔、つまり現場時代の頃、私はここで、慎治たち現場担当と一緒に暮らしていた。もちろん、あの頃の私に、ああいう生活は地獄でしかなかった。男があそこまで嫌いだというのに、「男」になって男の中で暮らせなんて、正気の沙汰じゃないことに決まっている。

 あの頃の自分は、いつも慎治たち同僚に、「俺は男じゃないからな」なんて言ってたっけ。もちろん、説得力なんて微塵もなかったけど。

「そういやお前、何年か前まではこんなこと言ってたな。自分は男じゃない! なんてな」

「ぷっ!」

 まるでこっちの思考を読んだようなことを言ってくる慎治のせいで、私は思わず、激しく反応しそうになる。こいつ、未だにそれを面白がっていたっけ。どうも慎治は、私のその発言を、なんていうか、昔の言葉にすると黒歴史とか、そのように捉えているようだった。

「なんだ、自分で考えてみても笑えてくるのか? そりゃそうだろ。ほらみろ、ここまで体つきがぎっしりしている野郎を誰が女だと思うんだ。まったく」

「……まあな」

 そして、こっちが私にとってはもっとも頭の痛いところだけど、こいつ、慎治は未だに、私が実は女の子であることをまったく信じていない。

 とはいえ、それはむしろ自然だ。あの機械は、実用化されると「本当」に、この世界を変えてしまう可能性がある。外に知られたら、この世がどのように変わっていくのか誰も言い切れない。だから、この「組織」でも、あの機械はまだ、秘密ということにされていた。

 そうなのに、この「見た目のように」、今はただの男である私が、実は女の子なんだ、と言っても信じてもらえるわけがない。まだ「元の姿」と近かったあの頃だって、「なんでガキっぽいやつが『男なんて全部嫌い』なんて言うんだよ。お前だってガキじゃねぇか」と何度聞かれたものか。

 慎治と私は、この組織で出会った同僚の中でいちばん親しい関係だ。つまり、見るものも、見ては困るものもだいたい見られている。そういうわけで、慎治に昔の私の話を信じてもらえるのは、今、極めて難しいことだった。

「まあ、お前がどれだけ正論を言ったって、俺はこれをちゃんと握ってるからな。お前の評判なんか、これをバラしてしまえばおしまい、ってわけだ。ということで、柾木」

「あ?」

「お前、実質社会人みたいなもんだろ? つまりな、晩飯おごってくれ」

「……お前は底なしのアホなのか、ただの年相応なのか、未だによくわからん」


「あ、柾木! こっちこっち」

 慎治と別れてから、自分の「執務室」の近くまで行くと、急に声が聞こえてきた。

 いちおう、私の「婚約者」ということになっている女の子、綾観雫あやみ・しずくだ。いいところのお嬢様、それも末っ子で、どう見てもこの「組織」の人間ではない。

 いつ見ても、その艶のある長い黒髪は非常に目立つ。制服でもよくわかるスタイルのよさ。整った顔。これに明るくてイマドキで、ちょっと気が強い性格と来ると、周りの視線を惹けないわけがなかった。女の子である私から見ても、雫は十分かわいい、と思う。

 ……こう見ると、美由美とはまったく違う性格なんだよね、雫って。いつも私にベタベタと甘えてくるし。

「今日はちょっと遅いね。なんかあったの?」

「別に。なんでもない」

「へー? 強がりとか、そういうのだったら怒るよ?」

「いや、本当に何もなかったから」

 雫は私のことになると、妙にしつこくなる。私が辛い顔をするとか、そういうのはあまり見たくないらしい。心配してくれてるってことだから、それは素直に嬉しかった。あまり表現はできてないけど。

 ところで、美由美とは違ってまったくこの「組織」と縁がなさそうな雫が、なぜここにいるのか、と言うと。

 これにはそれなりの事情があった。


「今日の柾木って冷たいなぁ。婚約もした仲だというのに」

 私がそこまで冷たく見えたか、雫は頬を膨らませながら、ジト目でこっちを見ている。雫って、すぐ感情をこうやって出すから、見ててあまり飽きない。おかげでヒヤヒヤする時もあるけど。

 雫と私も、学園は違うけど同い年で、「婚約」したことは今から二年くらい前のことだった。いちおう、雫も私の「元の姿」のことは知っている。見たことは一度もないし、口にしたことすらないけど、まったく知らない、ってわけじゃない。

 だけど、雫は本気だ。こっちに本気で惚れている。このままじゃ、本当に私は「男として」雫と結婚するハメになる……かもしれない。やっぱり雫は友だち以上には見られないから、あまり考えたくはない可能性だけど。

 そもそも、なぜ、「実は」女の子である私が、女の子である雫と、こんな形で婚約なんかをしているのだろうか。

 もちろん、これには事情があるけど、これもまた、話せば長くなってしまう。

「なになに、柾木、なにぼーっとしてるの?」

「別に、なんでもない」

「うーん? その話、さっきも聞いた」

 やはり雫は鋭い。私が今、考え込んでいたことにすぐ気づいたようだ。

「じゃ、甘えてもいいよね? するよ? いっぱい甘えるからね」

「いや、だから、他の人もいるんだろうが」

「へー柾木って照れ屋さんなんだね」

「だから、そんな話じゃなくて」

 どちらにせよ、今の雫は話を聞いてくれそうにもない。今日は少し、一人でいたい気分だったため、ここらへんで強引に話を仕切ることにした。

「ともかく、用事はないんだろ? こっちもお仕事に戻るからな」

「ちょ、柾木! わたしたち、そんな冷たい仲じゃないでしょ? もー」


 やっぱり、雫には敵わない。

 私だって、気が強いとか、そういう話はよく聞いてきたけど、雫にはつい甘くなってしまう。雫ってぐいぐい来るのが得意だから、余計にそう思えるのかもしれない。私の反応を見て、楽しんでいる節もあるし。

 まあ、強気なんて自慢だがなんだがわからないんだけど……。

 他の人ならともかく、雫にはいつも負けてばかりだ。

 振り回されるのはまったく嫌いじゃないけど、たまにはこっちのペースも考えてほしいな……。

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