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Ex02. もうひとつのイクリプス

 みんなには普通に、いいヤツのように振る舞っている。

 だが、心の中では寂しかったり、苦しかったり、そういう暗い感情も渦巻いていた。

 誰にもこんな心の中なんか、バレたくない。きっとみんな遠ざかってしまうから。

 ずっと、そんなふうに思っていた。以前彼女ができた時だって、それは変わらなかった。

 だから、これからもずっと、自分はこんなふうに生きてゆくと思ったんだ。

 ……あの子と出会う前までは。


 ――最近、好きな女の子ができた。

 その子は高坂柾木といって、俺のクラスメイト。

 こういう字面ではあるけど、れっきとした女の子である。それもむちゃくちゃかわいい。背が小さくて小柄だけど、ほっぺたがぷにぷにとして、そこがまたかわいい。

 あんまり学園には来てくれないんだけど、今、俺がいちばん好意を寄せている女の子だ。他のクラスメイトとはあまり会話を交わしてないらしくて、主に親しくなった楠木さんとだけ話している。やはり学園に来る機会はそこまでないから、そこは仕方ないみたいだ。

 まあ、高坂さんにとって、俺のイメージはまさしく最悪なわけだが……。

 それはある意味自業自得なんだから、こっちとしては何の言い訳もできない。


 あの子――高坂さんを好きになったきっかけは、いったいなんだったんだろう。

 そう思う時、いつも俺がたどり着くのは「あの時」の記憶だ。

 あれは、俺が学園2年生になってから間もない頃。

 まだ、あの頃の出来事ははっきりと思い出せる。


 あの時、俺はあまり学園に来ないクラスメイト、高坂さんに興味を抱いていた。

 とは言え、今までのようにしつこくつきまとったわけではない。ただ、あんまり学園に来ないクラスメイトだから、そこから興味を持っただけだ。

 どうして高坂さんはめったに学園に来ないんだろう?

 そんなことをぼんやりと思っていた俺は、授業を受けにつれて、高坂さんがいつも真面目に授業を聞いていて、さらに成績もいいらしいってことに気づく。

 ひょっとして、聞いてみたら教えてくれるんじゃないんだろうか。

 そんなことを思った俺は、ある日、数学を教えてもらうため、何日ぶりに登校してきた高坂さんの席へと向かった。

 やっぱり、高坂さんと話してみたいと思ったから。


「……で、これはこんな感じ。わかった?」

 あまり教室でも会話を交わさない高坂さんは、初めてやってきた俺にも親切に教えてくれた。

 よかった。高坂さんって冷たいイメージがあるから、どうしても近づくのに勇気が必要だったんだ。

 俺がそんなことを思っていた時だった。

「あんたくらいなら、こう説明するとわかるんでしょ? いつもあんた、物分りよかったから」

 なんでもないような顔で、高坂さんはさらりとそんなことを口にする。

 だが、俺にとって、その一言はあまりにも衝撃的で、予想外のものだった。

 ――高坂さんが、俺のことを認識している?

 まだ会話すら交わしてなかった、以前の頃からずっと?


 たぶん、高坂さんは授業の俺の態度とかを見て、こういうやつなんだな、と勝手に思ってくれたんだろう。

 だが、自分が高坂さんに「認識されている」こと自体に、俺は大きな衝撃を受けた。

 高坂さん、俺のこと、覚えてくれたんだ。

 あまりにも衝撃すぎたため、それからのことはぶっちゃけ、よく覚えてない。

 そもそも、高坂さんは始業式から今まで、そこまで登校して来なかったというのに。

 それでもこっちのことを覚えてくれたのが、ものすごく嬉しかった。


 ――笑ってる顔が見てみたいな。

 いつからか、俺は高坂さんのことを見るたびに、そう思うようになっていった。

 高坂さんって、いつも真面目な顔ばかりで、めったに笑ってくれない。友だちだと思われる楠木さんの前では微笑む時もあるけど、やはり、もっと精一杯の笑顔が見てみたかった。

 高坂さん、笑うと絶対にかわいいのにな……。

 はっきりいって、そんな恥ずかしいことを思うようになったのは高坂さんが初めてだった。以前付き合ってた彼女ともこんなの思わなかったのに、なんでだろう。

 ……俺、本気で高坂さんのことが好きなんだろうか。

 でも、どうしたら高坂さんと近づくことができるんだろう。

 そもそも高坂さんはあまり学園に来ないから、親しくなる機会自体がそこまでないというのに。


 結局、俺が選んだのは、どんな結果になってもいいから、一応高坂さんが「登校してくるたびに」明るく話しかけてみよう、ってことだった。

 その結果がよろしくなかったのいうことは、まあ、言うまでもない。

 高坂さん、あまり自分に気軽く話しかけるやつのことは好きじゃないらしかった。初めては少なくとも真面目に返事はしてくれたものの、次第にウザかれて、俺のことを見る目がだんだん冷たくなっていった。

 ……このアプローチじゃダメだったんだろうか。

 いつも冷たい顔をしている高坂さんを遠くから眺めながら、俺はそんなことを思ってしまう。

 だけど、こっちは一応恋愛経験もあるというのに、未だに好きな女の子にどうやって近づけばいいのかわからないくらい、ひどく不器用だったから。

 ……だから、自分が思いつく唯一のやり方で、あの子に近づくしかなかった。


 で、6月に入った今日も、俺はまた同じ過ちを繰り返す。

 登校してきて高坂さんが教室の中で見つかると、まずこうして、話しかけることから始めるんだ。

「あ、高坂さんと楠木さん」

 勇気を出して話しかけると、高坂さんがこっちに視線を向ける。

 久しぶりに会うものだから、うまく声が出ているのか、ちょっと心配だった。

「あんた、私に何か用でもあるの?」

 相変わらず、高坂さんの声は冷たい。

 やはり、俺のイメージは高坂さんにとって最悪なんだろうな。あまりにもしつこく話しかけたのが原因、だと思う。

 だが、そもそも高坂さんはいつ登校してくるのかわからないから、こっちとしては、そうするしか方法がなかった。


「高坂さん、なんか冷たいな。せっかく学園で会えたのに」

 とは言え、今、俺ができるのはこうして、少しでも多く高坂さんに話しかけることだ。

「こっちは、あんたとあまり会いたくないけど」

 もちろん、返事は冷たい。

 もっといい方法はないんだろうか。気まずくない形で、高坂さんと親しくなれる方法。

 ……少しでも、笑顔が見られる方法は。

 こんな状況になってしまったし、ひょっとしたらもう無理なのかもしれないが。

「それは酷いな。俺たち、クラスメイトだろ? ならば、こんなに話すのも悪いことはずだよ」

「それは勘違い。私はあんたにまったく用がないの。もうあっちに行ってくれない? これで今日は私の顔も見たんでしょ?」

 そこまで言って、高坂さんはこっちから視線をそらす。そしてまっすぐ、自分の席に戻ってしまった。

 ……ひょっとして、やっちゃったか?

 そんなつもりはなかったが、高坂さんにとって気持ちが悪かったら、そこで終わりだ。

 だから、俺は呼び止めることすらできず。

 そのまま、高坂さんを見送ることになったのだった。


 ――高坂さんが気になる。

 その日の授業中、俺の頭を支配したのはそういう感情だった。

 普段は真面目に授業を受けていたはずなのに、今日だけはどうしても集中できない。

 高坂さんの、あの怒った顔。

 その表情が、俺の頭を埋め尽くす。


 もう一度、ちゃんと謝りたい。

 心の底から、俺はそんなことを思っていた。

 だって、今度を逃すと、またいつ高坂さんが登校してくるかわからない。

 その間、取り消せないことになってしまったら、こちらはすごく苦しい。

 ……高坂さんの笑ってる顔がみたい。

 そういうささやかな願いも、もう叶えなくなる。


 とはいえ、果たして高坂さんは、俺の謝罪を受け入れてくれるんだろうか。

 はっきり言って、その可能性は限りなく低い。

 やはり高坂さん、こっちのことをあまりよろしく思ってないらしいし。

 だが、このままじゃいられない。

 このまま、ずっとああいう関係になってしまうのは、こっちが嫌だ。

 ものすごく自己中心な考え方だが、それでも、嫌なんだ。


 だから、やってみよう。

 授業そっちのけで、俺は心の中からそう決めたのだった。


「……よし」

 午前の授業が終わってからすぐ、俺は昼ごはんなんてまったく気にせず、教室を飛び出した。

 もちろん、目的は高坂さん。

 いつも高坂さんはこの時間くらいに下校してしまうので、謝るなら、自分の気持ちを伝えるなら今しかない。

 ――間に合ってくれ。

 廊下を思いっきり走りながら、心の中でそう祈り続ける。


 ようやくグラウンドの見えるところまで出てくると、遠くに、校門に向かって消えてゆく高坂さんの姿があった。

 これはきっと、神さまのおかげだな。

 そう思いながらも、俺は思いっきり、向こうまで届きそうな大きな声で叫ぶ。

「高坂さん!」

「な、なに?!」

 よかった。聞こえてたんだ。

 高坂さんは不思議そうな顔で、こっちを振り返った。いきなり叫んだからか、ちょっと驚いているような気もする。

 ともかく、今日こそちゃんと思いを伝えよう。

 お互い、なんとか声が届きそうな距離。俺は勇気を出して、そう話しかける。

「あの、今、帰るのか」

 いかん。自分から聞いても、少し焦っているような口調になった。

 まあ、次に高坂さんがいつ登校してくれるかわからないし、仕方ないかもしれないが……。

「帰るんだけど、何?」

 やはり、高坂さんの声は冷たい。

 すでにわかっていたことだが、俺のことは、あまりよく思われてないんだろう。

 それを今さらどうにかすることはできない。

 だけど、少しだけ、それをなんとかしてみたいと思った。

「その、ひ、ひとつ、お願いがあるんだけど」

 一度呼吸を整えてから、俺は真剣に、高坂さんの目を見つめた。

 自分から見ても、ひどく拙い言葉。

 やはり気になる女の子の前では、どうしてもこんな調子になってしまう。いつも高坂さんに軽々しく接していたのは、無意識の中で、こんな状況になることを避けるためだったのかもしれない。

「何なの? 早く言いなさい」

 高坂さんは胡散臭いって眼差しで、そう催促してきた。

 ……大丈夫なんだろうか。

 心の中で悩みながらも、俺はずっと伝えたかったことを、ようやく口にする。

「俺のこと、その、少しだけ、真面目に考えてくれないかな」


「……は?」

 やはり、と言うべきか。

 高坂さんの返事は、やけに冷たかった。

「あの、意味がよくわからないんだけど」

「言葉通りだよ。俺のこと、もうちょっと真面目に考えてくれないかな、と言う話」

 そう言いながら、俺は高坂さんに視線を合わす。

 ぶっちゃけ、怖いと言わなきゃ嘘になるが……。それでも、この場面では決して視線をそらしたくなかった。

 こちらの本気が、高坂さんに伝わってほしい。

「……どうして?」

「俺は、高坂さんの事、本当に気になってるから」

 はっきり言って、このまま高坂さんをじっと見つめたまま、自分の気持ちを伝えるのは辛い。

 情けない話ではあるが、今、俺は怖いんだ。

 だが、今度じゃないと、いつ思いを伝えられるか、よくわからない。

 だから、視線をそらすわけにはいけないんだ。

「だからお願いしたかったんだ。次に会うときは、もうちょっとだけ、ほんのちょっぴり出いいから、高坂さんの優しい声が聞きたいな、なんて――」

「あんた、私のことをまたからかうつもり?」

 高坂さんが、怒った。

 あまりにも脈絡がなさすぎる話に、ついに高坂さんが切れてしまった。

「違うよ。俺は、ただ」

「私とあなた、そんなに長い付き合いだったの?」

 そう言いながら、高坂さんはじっと立ったまま、こっちを睨む。

 ……辛い。

 やはり、俺が早まったんだろうか。だが、このままじゃ俺と高坂さん、ずっとこんな関係になってしまう。

 それは、嫌だ。

 高坂さんと、少しでもいいから、もっと親しくなりたいんだ。

「そんなわけじゃない。でも、高坂さんも覚えてるよね? 4月の頃――」

「あの頃は、あんたが私にここまで絡みこんでなかったじゃない」

 高坂さんは、そうばっさり言い切る。

 たしかに、それは間違いない。

 ……結局、全部俺のせいってことか。

 もう少し慎重な行動を取っていれば、今よりはもっと、いい結果になったんだろうか。

「私もあんたがここまですると知ったら、そんなことしなかったと思う」

「ごめん。そのつもりじゃなかった。でも、高坂さんと会える機会って、なかなかないんだから」

「そうだよね。でも、私はあなたと親しくするつもりは全くない。少なくても今はそうなの。まだ私たち、出会って2ヶ月も経ってないでしょ?」

「でも、高坂さん――」

「私、これからちょっと忙しいの」

 なんとか話を続けようとする俺の声を、高坂さんがまたばっさり切る。

 これで、終わりか?

 このままで、全部終わってしまうのか?

「だから、続きは後ってことで。それじゃ」

「ちょ、待ってくれ。高坂さんっ!!」

 だが、もう高坂さんは、俺の話を聞いていない。

 高坂さんは俺に背を向けたまま、校門に向かって歩き、やがて消えてしまった。

 ……ダメだった。

 結局、俺じゃ高坂さんと親しくなれない、そういうことなんだろうか。


「おい、秀樹。お前、大丈夫か?」

 下校の時間。教室から出ようとする俺に、よくつるんでる友だちが話しかけてくる。

「何がだ?」

「お前、さっきからずっと顔色よくないぞ。ひょっとして、また高坂さん――」

「俺は平気だ。あまり気にしないでくれ。じゃ」

「お、おい! 待ってよ!」

 そんな言葉なんてばっさりと無視して、俺は学園を後にした。

 今日くらいは一人でいさせてくれ。

 ……俺、いったいこれからどうすりゃいいのか、まったくわからないんだ。


 これでもう、終わってしまったんだろうか。

 一人で家へ戻りながら、俺はずっと、そんなことばかり考えていた。

 高坂さんの瞳、すごく冷たかったな。

 もう、今までやっていたように気軽く話しかけても、迷惑でしかないかもしれない。いや、むしろ以前からずっと、俺はそんな目で見られたんじゃないんだろうか。

 嫌だ。

 心からそう思ったものの、今の俺にはどうすればいいのか、見当もつかない。俺が知っている高坂さんはあまりにも僅かで、どうしてもこの状況から脱せるとは思えなかった。

 笑っている顔、見たかったのにな。

 少しでもいいから、距離が近づけばいいなと、心からそう願っていたのに。

「畜生!」

 自分らしくない悪口が、喉からスルスルと出てしまう。

 そんな自分のちっぽけさに、思わず涙ぐんでしまいそうな時だった。

「……あ?」

 なぜか後ろから感じられる誰かの気配。誰かが自分を狙っているような感覚。そして――

 ――意識が、なくなる。

 何がどうなっているのかすらわからず、俺の意識はそこで途切れた。


 気がついたら、見知らぬ天井があった。

 どうやら、自分は意識を失っていたらしい。なんか知らないところで横になっていて、周りには人がいっぱいいた。

 ……ちょっと、どういうことなんだ、今の状況は?

 ここは病院か何かか? そもそも、なんで俺はこんなところで横になってるんだろう。事故にでも会ったのか?

 そういやさっきの俺って、たしか、下校中に誰かに襲われて、意識が途切れてたはず……。

 頭がぐるぐるしてきたが、問題はそれだけじゃなかった。

「君、歩けるのか? 自分が誰なのか、はっきりと言えるか?」

「はい、言えますけど……あれ?」

 どこかおかしい。主に声が、いつもと違った。

 いや、考えてみたら、自分の体自体が、どこかおかしくなってる気が……。

 いったいこれは、どういう状況なんだ?


 ようやく意識を取り戻して、あそこにいた「知らない人」から聞かれたのは、俺の想像の斜め上だった。

 話を聞くと、俺は下校中になんか「反軍」なんて人たちに拉致されて、なんか変な「機械」で体を変化されたらしい。

 ……マジで?

 心からそう思ってしまったんだが、どうも今の体を見る限り、それは本当のようだ。

 いや、だって、今の自分、どう見ても「元の方」とは違う。

 そもそも自分の背はここまで低くはない。声だってこれよりはもっと低いし、それに、そもそも「女の子」ではない。

 ……これは夢か何かか。

 とも思ってみるものの、あまりにも体の感触が生々しくて、どうも夢だとは思えないのが複雑な気持ちだった。

 だから、なんで俺がこんな羽目に。

 そんなことを問い詰めたいと思うものの、誰にどうやったらいいのか、検討もつかなかった。


 今の俺って、いったいどうなってるんだろう……。

 半分諦め気味で窓の外をぼんやりと眺めながら、そんなことを思っていた時だった。

「橘、だよな」

 その時、誰かが俺のことを呼ぶ声が聞こえた。今度は誰なんだ? って眼差しで、俺はそこに視線を向ける。

 そこには、俺の同年代くらいの、スーツを着た野郎が立っていた。なぜかすごく動揺している眼差しで、こっちのことをじっと見ている。

 ……俺に用件でもあるんだろうか?

「えっと、どなたですか?」

 相変わらず慣れない声でそう聞いてみると、野郎はますます複雑そうな顔をした。

 な、なんだ。今度はいったい何の用事なんだ?!

 こっちが不審者を見るような視線でじっと見つめていると、野郎……っていうか、男は少し戸惑ってから、やがてこんなことを言ってきた。

「信じてくれないだろうが、俺が高坂だ。その、お前のクラスメイト、の」


 へ?

 最初にその話を聞いた俺の反応は、まさしくそうだった。

 高坂? つまり、クラスメイトのあの高坂さんのことか? ついさっき、冷たい別れ方をしたばかりである、あの高坂さん?

 ……そんなわけないだろ。

 っていうか、そもそも高坂さんはぷにぷにとしたかわいい女の子で、こんなゴツい……いや、そこまでたくましいって意味じゃないけど……男じゃなかったはずだ。イメージが違すぎる。

 これはいったい、どのような状況なんだ?

「高坂さんはこんな姿じゃないよ。もっと可愛いんだよ?!」

「……あ?」

 俺が思わずそんなことを口にすると、高坂と名乗った男はすごい勢いで目を丸くした。そしてすぐこっちから視線をそらして、なんていうか、……明らかに照れていた。

 あれ? これって、ひょっとしたら?

 どれだけ今の状況を怪しいと思っていた俺だとしても、さすがに今度のことで、少しだけ考えが変わる。 

 いや、どういう理屈なのかは俺にもよくわからないが……。

 目の前にいるこの男、まさか、マジで高坂さんだったり……するのか?

「べ、別にそれはどうでもいい。どうしてこうなったかと言うと……」

 照れていることをなんとか誤魔化すつもりなんだろうか。

 男、っていうか「高坂」さんは、ゆっくりと今までのことを話した。


「……へ?」

 そうして話を全部聞いたのはよかったものの、俺はその肝心の「話」が、まったく理解できなかった。

 いや、だって、あまりにも異次元すぎるんじゃないか。

「組織」に、「機械」に、「メカ」って。これって、現実世界で使われてもいい言葉なのか?

 それに、ああいう「機械」で高坂さんがこういう、ゴツい男になっていると?

 ……ダメだ。考えれば考えるほど、頭が痛くなってしまう。

 俺がそんなふうに頭を抱えていたら、男、いや、高坂……さんだと自分のことを言っている人が、急にこんなことを言い出した。

「そもそも、真面目に考えてほしい、と言ったのは橘の方だろうが」

「えっ、それ知ってんの?!」

 今度は俺の方が、目を丸くして高坂さんのことを見つめる。

 いや、だって、あれは先ほど、俺が「あの」高坂さんに話しかけたことじゃないか。それをどうして、自分がまったく知らない男が――

「ついさっきのことも忘れるバカなんているわけがないだろ。まったく」

 しかし、よく見てみると、目の前のこの男も、自分以上に動揺しているように思える。っていうか、さっきのように視線をそらしていた。自分の照れた顔を隠しているように。

 おかしい。あまりにもおかしい。

 どうして、赤の他人であるこの男が目の前で照れているというのに、そこまで気分が嫌じゃないんだろう。

「……恥ずかしい」

 そして、男は視線をそらしたまま、そうつぶやく。

 その瞬間、どう言ったらいいんだろう。俺の中ですべてが、一つの線に繋がった。


 いや、自分でもおかしいことは十分わかっている。きっとこんな感覚、誰にもわかってもらえないんだろう。

 だって、今目の前にいる「男」は、間違いなく知らない人だし、誰からどう見ても俺の知るあの「高坂さん」ではないから。

 そもそも俺の知る高坂さんと違って、目の前の人は間違いなく野郎そのものだ。体つきもそうだし、声や口調もそうだし、全部そう。

 あそこまで女の子らしかった高坂さんと比べたら、この男の印象は、まるで正反対だ。むしろ現実的に考えると、いちばん信じるべきではないものだと思うが……。

 だが、あの不器用な態度とか、いつものような真面目な印象。どこか繊細なところや、体つきが変わってもそのままであるちょっとした仕草。

 びっくりするほど、その姿は俺が知っているあの「高坂さん」と重なる。

 うまく説明することは難しいが、なぜか俺の直感が、その感覚を信じてもいい、と言っている。

 っていうか、今、ここにいる俺自身が。

 この「初めて出会った」はずの人を、「高坂さん」として扱いたいと、そう思ってるんだ。

 そもそも、自分がこんな「別の姿」になっている時点で、現実的とかどうかなんて、もうどうでもいい話だし。

 むしろ直感の方が、今なら遥かに役に立つ。間違いなく。


 気がつけば、自分はものすごくギラギラした眼差しで、高坂「さん」をじっと見つめていた。

 たぶん、周りから見ると、ずいぶんキラキラした瞳に見えたんだろう。

「ほんとうだ……ほんとうに……」

「……?」

「こ、高坂さんだ! 本物の高坂さんだ!!」

「あ?!」

 そこからはもう、迷うことなんか一つもなかった。

 高坂さんの、あの大きくてちょっと慣れない両手をぎゅっと握る。あまり考えてなかったというか、気がつけばそうしていた。

 どれだけ姿が変わっても、「高坂さん」の雰囲気だけは変わらない。

 まだ事情もよくわかってないが、今はただ、なぜかこうしていたかった。

「こ、この手は離してくれ。いきなりすぎる」

「えっ、そだっけ?」

「自覚はないのか。まったく……」

 やはりと言うべきか、この反応は紛れもない「高坂さん」そのものだった。

 とは言え、俺が知っている高坂さんは微々たるレベルだけど……。その照れくさそうに遠慮している仕草が、男だというのに実に高坂さんらしい。

 なぜかそう感じるだけで、目の前の男である高坂さんが愛しく思えてきた。

「続きは、俺の執務室で話そう。さすがにここは人が多すぎる」

 やっぱり恥ずかしくなったのか、高坂さんはそんなことを言ってくる。

 ふ、二人きり?! 

 どれだけ「別の姿」だとは言え、こっちとしてはものすごく嬉しかった。

「えっと、執務室?」

「ああ、そこまで遠くはないが……」

 これ、夢じゃないよな?

 いろいろな意味で、俺は今の出来事が現実だというのがかなり信じられなかった。


 それから俺は高坂さんの執務室に行って、詳しい状況を聞くことができた。

「組織」と「反軍」とか、あの「機械」とか、高坂さんについてとか……。

 はっきり言ってわからないことだらけだが、まあ、それはなんとかなるんだろう。

 それより、俺にとっては高坂さんについてのことを聞けたのがいちばん大事だった。

 そう、たとえば――

「それにしても驚いたな。高坂さん、男のこと嫌いだったんだ」

「あ、それか」

 少し察してはいたが、まさか本当に、高坂さんが男嫌いだったとは思わなかった。

 いや、今はそうじゃないらしいが、こうなっている高坂さんのことだし、以前には大変だったんじゃないんだろうか。

「昔の話だ。今は別にそうじゃない」

 高坂さんはこんなふうに話してくれてるけど、やはり、俺としてはちょっと心配だ。

 この「組織」なんちゃらってところでもものすごく頑張ってるらしいし、どうしても気にかかる。

 俺に何かできることはないんだろうか。

 高坂さんってやっぱり有能だから、俺の出番はあんまりないかもしれないけど。


「あとは……あ、そうだ」

「うん?」

 そんなことを思っていたら、急に高坂さんが、また複雑そうな顔をした。

 え、今度はなんだろう?

 やはり俺といっしょにいるのは嫌だ、とか?

「これからはしばらくここで暮らすわけだから、俺のこと、下の名で呼んでもいい。あまり気負わないでくれ」

「……えっ?」

 初めてそれを聞いた時、俺は自分の耳を疑った。

 そりゃそうだ。ついさっき、高坂さんはあんなに冷たい言葉を投げかけたばかりじゃないか。

 なのに、下の方で呼んでも良いって、それ、ホントか?!

「本当に? そうしてもいいの?」

「ああ」

「でも、昼には俺、近づかないでとか言われたのに」

「まあ、こんな状況なんて、想像できるわけないだろ」

 そんなことを言いながら、高坂さんはまた視線をそらした。

 まあ、たしかにそれはそうだ。高坂さんところか、俺すら考えられなかったからな、こんな状況。

 高坂さんが躊躇ってしまうのもよくわかる。

 きっと、俺のためにわざわざこうしてくれてるんだろう。

「ほ、ほんと? 名前で呼んでもいいの?!」

「だからそれで良いって……」

 とは言え、やはりどうしても信じられなかったから、俺は何度も何度も、高坂さんにそう聞いてしまった。

 いや、わかっている。ここは大人しく、高坂さんの言う通りにすればいいってことは。

 だが、こんなのときめいてしまうんだろう。

 緊張しすぎて死んでしまいそうだ。あまりにも夢にまで見た光景っていうか、なんていうか……。

「ど、どうしよ。すごく緊張するな~」

 思わずそんなことまで、自然に口から出てしまう。

 だけど今度は、きちんと口にして――


「さっきから、いったい何をじっと考えてるの?」

 その声で、俺はようやく現実に戻った。

 なぜか以前のことをずっと考え込んだせいで、柾木に心配をかけたようだ。

「せっかく暇ができたからいっしょに出かけようって、そう言ってきたのは秀樹の方じゃない」

 そうだった。

 最近はいろいろと忙しかったから、八月に入って余裕が出てきたところで、いっしょに外に出かけよう、なんてことを言ったのだった。

 ……ちょっと情けないな。

 自分からそう言い出したはずなのに、すごく柾木に迷惑をかけてしまった。


 今、自分はあの憧れの高坂さんといっしょにデートしている、ところか付き合っている、と過去の俺に言ったら、果たして信じてもらえるんだろうか。

 時折、そんなことを思ってみるが、やはり無駄な考えだと思い直す。

 人間って、過去よりは「今」の方が遥かに大事なんだから。

 今、この瞬間はきっと夢なんかじゃない。だから、消えることなんてないんだ。

 ……こんなことを言っている俺自身がいちばん信じられないんだが、これは本当のことである。


「いや、ちょっとね。俺たちが『付き合う』前のこと、思い出したんだ」

 そうトボケてみたら、柾木は半分呆れた顔をして、こっちをじっと睨んだ。

「なんでそんなこと、今思うわけ? 急に恥ずかしくなったんだけど」

「まあ、俺もな」

「だから……」

 俺たちはお互い照れたまま、そっと視線をそらす。

 それも彼氏彼女っぽい気がして、こそばゆいけど、ちょっと嬉しい。


「……ほら、ちゃんとつかんで」

 そんなことを思っていたら、急に柾木が、こっちに向けて手を差し伸べた。

「これは?」

「あんたがおかしなこと思っちゃうとこっちも恥ずかしいから、だから、その……」

 いっしょに手をつないで歩こう、って話か。

 他の恋人たちがそうしているように。


「あのさ、柾木」

「ん?」

 その小さな手を、ぎゅっと握る。

「別の姿」の方の自分並に大きなやつも、この小さくてかわいいやつも、俺はどっちでも好きだった。

「大好きだよ」

「は、恥ずかしい……」

「でも、好きなんだよ。いっぱいね」

「だから、それを何度も言うのはやめてって……」

 とは言え、こっちとしてはまだまだ物足りないんだ。

 きっと、これだけじゃ俺の心は伝わらない。

 でも、今は柾木も照れくさそうにしてるし、もういいか。


 だから、手をちゃんとつないだまま、俺たちは歩き出す。

 これからも続くはずの、奇跡のような毎日を、心から信じて。

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