前へ次へ
66/90

70.そして、私たちは

 美智琉と再び出会ったのは、それから少し日が経った時だった。

 ――今度こそ美由美の兄弟たちにお菓子をちゃんと渡そう。

 そんなことを思いながら大通りを歩いていると、ふと、図ったように美智琉と出くわすことになったんだ。

「ところで、それからそっちは大丈夫だったか?」

 すべてを語った私がそう聞くと、美智琉は複雑そうな顔をした。

「いや、こっちとしてはどうも……あの日、あの人って帰ってこなかったですし」

「だが、あの時には間違いなく美由美の家の前に――」

 今度は私の方が複雑そうな顔になったが、美智琉の方はなぜか、かなり吹っ切れた表情に変わる。

「まあ、別にいいんじゃないですか。あの人も、何か考えるものがあったんでしょう」

「本当にそれでよかったんだろうか……」

「少なくとも、あたしはそれでいいと思いますよ。あの姉さんが、ようやく自分を通したんですから」

 そんなことを口にする美智琉の顔は、不思議に明るく見えた。

 もちろん、これはただ、私の見間違いかもしれないけど。


「そういや、今日は渡すものがある」

「えっ? またお菓子ですか?!」

 目を丸くする美智琉のことは見ぬふりをして、私は懐の中から、すでに用意していた「あれ」を手にとった。

「さあ、今度はみんなのものと、美智琉のものを別に用意したからな。ちゃんと渡してやってくれ」

「い、いや、だから。これ、お菓子ですよね?」

「ああ、今度はマカロンも少々入ってある」

「え――?!」

 やっぱりと言うべきか、美智琉は面白いほど大げさで驚いてみせた。これくらいリアクションが大きいと、私も足りない時間を捻り出して、これを作ってきたがいがあったと言える。

「ま、マカロンって。あれ、個人で作れるもんですか?!」

「そりゃそうだろ。ゆっくり味わってくれ。こっちとしては心を込めて作ったからな」

「は、はあ……」

 未だに信じられないって顔をしながらも、美智琉はその袋を受け取る。まあ、さすがにお菓子を口にするのは、私と別れた後になるかな。今度のことで美智琉、ずいぶん悔しがってるんだろうし。

「って、用事はこれだけですか?」

「そうだな。これを渡しに美由美の家に行くところだったが、お前に渡したし、もうその必要はなくなったからな」

「やっぱりおかしな人ですね、高坂さんって」

「言ってろ」

 まるでずっと昔から続いていたような、この掛け合い。

 ちょっとトゲトゲしいところはあるけど、こういう雰囲気も、嫌いじゃない。

「ともかく、何もかも解決、ってことでいいんですよね?」

「ああ、そう取ってもらえても構わない」

「そうか。そうですか~……」

 そこあで言って、美智琉はじっとこっちのことを見つめる。まるで私の心の底を確かめようとするような、鋭い視線だった。

 だから、こっちも逸らさずに、そのまま視線を受け取る。

 自分の本当の心を、ちゃんと美智琉にも伝える。

「まあ、そういうことなら」

 ようやくこっちの本心をわかってくれたか、美智琉がこっちから、そっと視線を逸した。

「これからも姉さんのこと、よろしくお願いしますね。以前のように、変に距離をおいたりしちゃ許しませんよ」

「はいはい」

 私が適当に頷いて見せると、美智琉は明らかに悔しがる顔をした。まあ、美智琉と私の関係って、これくらいがちょうどいいかもしれない。

「もちろん、調子に乗ってお姉ちゃんのことを言いなりにするのも……はっ?」

「……お姉ちゃん?」

 急にしまったって顔をする美智琉に、私は思考が停止することを感じた。

 今、美智琉ってなんて言ったんだろ……お姉ちゃん?

 いつもなら、美智琉は美由美のことを「姉さん」と呼んだはずなのに?

「お前、ひょっとして、今までずっと背伸び――」

「うう~~~~っ!!」

 私が指摘すると、美智琉は悔しくて仕方がないって顔で、こっちを見ながら体を震える。そして、こっちをものすごい勢いで睨みながら、周りにも余裕に聞かれそうな声で、こんなことを言い放した。

「こ、これで勝った気にならないでくださいね~!!」

「お、おい、ちょっと――」

 私の声をまるっきり無視して、美智琉は光の速さでそこから消えてゆく。こういうのもなんだけど、まるで悪役の退場みたい。

 ……本当に、美智琉ってひどいレベルで不器用だな。私のように。

「なんで二人共、ここまで素直じゃないんだ……」

 本当にどこかの誰かさんみたいだな、美智琉って。

 そこに一人残された私は、そんなことをつぶやきながら頭を抱えるしかなかった。


「ふむふむ、つまりめでたしめでたし、だと」

 私が次回の休日の予定を伝えると、秀樹はそんなことと口にしながら意味深に頷く。

「なんでお前が自慢そうなんだ」

「ん? だって、柾木に新しい友だちができると嬉しいじゃん」

「い、いや、美由美とは以前から親しかった……はずだし……」

 ダメだ。自分の声がどんどん小さくなっていく。

 やはり、あの日の出来事は、私の美由美の関係を大きく変えたんだろうな。

「でも、ほんとによかったよ。これで、柾木が気を置けずに接する人がまた一人増えた」

「だから、なんで秀樹が……」

「だって、柾木が笑ってる顔、見たいんだもん」

「本当に、お前って……」

 恥ずかしい。

 なんで自分事でもないのに、秀樹はここまで私のこと、考えてくれるんだろう。

 私は秀樹の彼女だから?

 普通の彼氏彼女も、ここまでするのかな?

「でも、これで高梨さんも無事柾木さん好き好き倶楽部に入れたわけだね」

「ちょっと、それってなんだ?!」

 さらりとすごいことを言う秀樹に私が目を丸くすると、その当事者はニヤニヤとこっちを見ながら笑ってみせた。

「俺と、綾観さんと、今度のことで高梨さん。三人で柾木のいいとこトーク、たくさんできるといいね」

「だから、なんでそんな恥ずかしいことを――」

「柾木が大好きだからだよ。みんな」

「みんな?」

「そう。いつかまた、柾木まで四人で集まってワイワイできたらいいな」

「まったく、もう……」

 やはり、こういう時にはいつも秀樹に振り回されっぱなしだ。

 どうしても、勝つことができない。

 ……でも、いいか。

 私だって、みんなと仲良く過ごしたいって望んでるから。


「あ、柾木くん」

 そうしてやってきた、「次回の休日」。

 以前にもやってきた大きな公園に足を入れると、美由美がこっちに向かって、手を振っていた。

 今度は美由美の方が先についていたらしい。

 天気もとても良くて、7月の最後の土曜日という日付にぴったりだった。


「ごめん、先に来てたのか」

「大丈夫です。わたしが待ちきれなくて、こうして早く来てただけですから」

 私が頭を下げると、美由美が照れた顔でそう言ってくれる。そこまで私とのお出かけを待ちわびていたということが、とても、とても嬉しく思えた。

「ようやくやって来ましたね。柾木くんと、もう一度テニスで勝負する日が」

「ああ……そうだな」

 またいっしょに出かけようって話になった時、美智琉はまっすぐにあの時の勝負のことを言い出した。どうしても美由美は、あの日の続きをしたいらしい。

「もちろん、テニスだけじゃなくて……終わったらおいしいデザートとかも、ぜひお願いしたいです」

「わかった。いちばん甘いところに案内しよう」

「以前よりもっとおいしいところ、でしょうか?」

「ああ、そうかもな」

 そんなことを口にする自分の声は、とても、とても軽い。

 以前のように、美由美の顔色を伺うような、そんな遠慮したものとは違う。


「そういや、最近美智琉と偶然顔を合わせたが」

 私は以前、美智琉が「お姉ちゃん」と口にしたことを美由美に話した。

「あ、そういえば最近、わたしのこと『姉さん』って呼ぶんですよね。美智琉って」

「やはり、以前はお姉ちゃんとかだったのか?」

「はい。最近はずっと姉さんって呼ぶから、わたしも忘れてました」

 やはり、あれは美智琉の背伸びだったか。

 割とかわいいところもあるよね……って、私が言っても良いセリフではない気がする。


「わたし、まだ柾木くんのこと、よくわからないかもしれません」

 こっちをじっと見ながら、美由美はそんなことを言ってきた。

「まだ柾木くんの『別の姿』、目にしてないんですしね」

「そこまで、見たいのか」

「柾木くんの好きな時で構いません。わたしはいつだって、待ってますから」

 あの日。美由美と私の関係が少し近くなって、私たちがああいうことをやった日。

 私は、いつか美由美に自分の「元の姿」を見せようと、心から決めた。

 美由美もこうやって頷いてくれてるけど、私としては、まるでしーちゃんに「元の姿」で会うような怖さがあって、まだ勇気が出ない。

 でも、いつかはきっと、「元の姿」で美由美と出かける日が来るんだろう。

 以前ならきっと、そんな未来は信じられなかったはずだけど。今は少しだけ、その未来が現実になっているような気がする。


「でも、今日は少しだけ、お預けです」

 私がそんなことを想いを寄せていると、急に美由美が、にっこりと笑ってみせた。

 その小悪魔的な笑顔が、美由美には似合わなさそうに見えて、実によく似合っている。

 ……ダメだ。こんな笑顔、いくら自分が女の子だとは言え、逆らえない。

「わたし、やはりどうしても、『別の姿』の方の柾木くんに勝ってみたいですから」

「美由美って、やはりずいぶん負けず嫌いだな」

「ふふっ。わたしは美智琉の姉ですから、別におかしくはないと思いますけどね?」

 確かに、それはそうだった。

 あの美智琉だって、この大人びた美由美と血がつながった家族なんだ。

「今度こそ、負けませんから」

 そう言いながら、美由美はまた、いたずらっぽく微笑む。

 ……ぐっとくる。

 今の美由美、女の子から見るてもすごくかわいい。


「それじゃ、急ぎましょうか」

「そこまで急がなくてもいいんだろ。まったく」

 気がつけば、私は美由美に腕を引っ張られていた。

 いつもと違う、「グイグイ来る」美由美の態度が、なぜかすごく嬉しく思える。

 私たち、以前より親しくなったのかな。

 これまで過ごした二年くらいの時間より、これから過ごす長い日々がもっと楽しくありますように。

 心からそっと、そう祈ってみる。


「あ、そうだ。柾木くん」

「ん?」

 急に美由美が呼んできたため、私はようやく、現実に戻る。

 美由美はこっちをじっと見ながら、やさしく微笑んでいた。

「あの、伝え忘れたことがありまして」

「なんだ?」

 そう聞くと、美由美は少し間をおいて、私の腕から手を離す。代わりに、私の両手をちゃんとつかんで、こっちを見てから、そう話しかけた。

「――大好きです。柾木くん」

 その笑顔は、真夏の太陽よりもまぶしく輝いていて。

「ああ。……ありがとう。美由美」

 私はただ、そう頷くしかなかった。

前へ次へ目次