70.そして、私たちは
美智琉と再び出会ったのは、それから少し日が経った時だった。
――今度こそ美由美の兄弟たちにお菓子をちゃんと渡そう。
そんなことを思いながら大通りを歩いていると、ふと、図ったように美智琉と出くわすことになったんだ。
「ところで、それからそっちは大丈夫だったか?」
すべてを語った私がそう聞くと、美智琉は複雑そうな顔をした。
「いや、こっちとしてはどうも……あの日、あの人って帰ってこなかったですし」
「だが、あの時には間違いなく美由美の家の前に――」
今度は私の方が複雑そうな顔になったが、美智琉の方はなぜか、かなり吹っ切れた表情に変わる。
「まあ、別にいいんじゃないですか。あの人も、何か考えるものがあったんでしょう」
「本当にそれでよかったんだろうか……」
「少なくとも、あたしはそれでいいと思いますよ。あの姉さんが、ようやく自分を通したんですから」
そんなことを口にする美智琉の顔は、不思議に明るく見えた。
もちろん、これはただ、私の見間違いかもしれないけど。
「そういや、今日は渡すものがある」
「えっ? またお菓子ですか?!」
目を丸くする美智琉のことは見ぬふりをして、私は懐の中から、すでに用意していた「あれ」を手にとった。
「さあ、今度はみんなのものと、美智琉のものを別に用意したからな。ちゃんと渡してやってくれ」
「い、いや、だから。これ、お菓子ですよね?」
「ああ、今度はマカロンも少々入ってある」
「え――?!」
やっぱりと言うべきか、美智琉は面白いほど大げさで驚いてみせた。これくらいリアクションが大きいと、私も足りない時間を捻り出して、これを作ってきたがいがあったと言える。
「ま、マカロンって。あれ、個人で作れるもんですか?!」
「そりゃそうだろ。ゆっくり味わってくれ。こっちとしては心を込めて作ったからな」
「は、はあ……」
未だに信じられないって顔をしながらも、美智琉はその袋を受け取る。まあ、さすがにお菓子を口にするのは、私と別れた後になるかな。今度のことで美智琉、ずいぶん悔しがってるんだろうし。
「って、用事はこれだけですか?」
「そうだな。これを渡しに美由美の家に行くところだったが、お前に渡したし、もうその必要はなくなったからな」
「やっぱりおかしな人ですね、高坂さんって」
「言ってろ」
まるでずっと昔から続いていたような、この掛け合い。
ちょっとトゲトゲしいところはあるけど、こういう雰囲気も、嫌いじゃない。
「ともかく、何もかも解決、ってことでいいんですよね?」
「ああ、そう取ってもらえても構わない」
「そうか。そうですか~……」
そこあで言って、美智琉はじっとこっちのことを見つめる。まるで私の心の底を確かめようとするような、鋭い視線だった。
だから、こっちも逸らさずに、そのまま視線を受け取る。
自分の本当の心を、ちゃんと美智琉にも伝える。
「まあ、そういうことなら」
ようやくこっちの本心をわかってくれたか、美智琉がこっちから、そっと視線を逸した。
「これからも姉さんのこと、よろしくお願いしますね。以前のように、変に距離をおいたりしちゃ許しませんよ」
「はいはい」
私が適当に頷いて見せると、美智琉は明らかに悔しがる顔をした。まあ、美智琉と私の関係って、これくらいがちょうどいいかもしれない。
「もちろん、調子に乗ってお姉ちゃんのことを言いなりにするのも……はっ?」
「……お姉ちゃん?」
急にしまったって顔をする美智琉に、私は思考が停止することを感じた。
今、美智琉ってなんて言ったんだろ……お姉ちゃん?
いつもなら、美智琉は美由美のことを「姉さん」と呼んだはずなのに?
「お前、ひょっとして、今までずっと背伸び――」
「うう~~~~っ!!」
私が指摘すると、美智琉は悔しくて仕方がないって顔で、こっちを見ながら体を震える。そして、こっちをものすごい勢いで睨みながら、周りにも余裕に聞かれそうな声で、こんなことを言い放した。
「こ、これで勝った気にならないでくださいね~!!」
「お、おい、ちょっと――」
私の声をまるっきり無視して、美智琉は光の速さでそこから消えてゆく。こういうのもなんだけど、まるで悪役の退場みたい。
……本当に、美智琉ってひどいレベルで不器用だな。私のように。
「なんで二人共、ここまで素直じゃないんだ……」
本当にどこかの誰かさんみたいだな、美智琉って。
そこに一人残された私は、そんなことをつぶやきながら頭を抱えるしかなかった。
「ふむふむ、つまりめでたしめでたし、だと」
私が次回の休日の予定を伝えると、秀樹はそんなことと口にしながら意味深に頷く。
「なんでお前が自慢そうなんだ」
「ん? だって、柾木に新しい友だちができると嬉しいじゃん」
「い、いや、美由美とは以前から親しかった……はずだし……」
ダメだ。自分の声がどんどん小さくなっていく。
やはり、あの日の出来事は、私の美由美の関係を大きく変えたんだろうな。
「でも、ほんとによかったよ。これで、柾木が気を置けずに接する人がまた一人増えた」
「だから、なんで秀樹が……」
「だって、柾木が笑ってる顔、見たいんだもん」
「本当に、お前って……」
恥ずかしい。
なんで自分事でもないのに、秀樹はここまで私のこと、考えてくれるんだろう。
私は秀樹の彼女だから?
普通の彼氏彼女も、ここまでするのかな?
「でも、これで高梨さんも無事柾木さん好き好き倶楽部に入れたわけだね」
「ちょっと、それってなんだ?!」
さらりとすごいことを言う秀樹に私が目を丸くすると、その当事者はニヤニヤとこっちを見ながら笑ってみせた。
「俺と、綾観さんと、今度のことで高梨さん。三人で柾木のいいとこトーク、たくさんできるといいね」
「だから、なんでそんな恥ずかしいことを――」
「柾木が大好きだからだよ。みんな」
「みんな?」
「そう。いつかまた、柾木まで四人で集まってワイワイできたらいいな」
「まったく、もう……」
やはり、こういう時にはいつも秀樹に振り回されっぱなしだ。
どうしても、勝つことができない。
……でも、いいか。
私だって、みんなと仲良く過ごしたいって望んでるから。
「あ、柾木くん」
そうしてやってきた、「次回の休日」。
以前にもやってきた大きな公園に足を入れると、美由美がこっちに向かって、手を振っていた。
今度は美由美の方が先についていたらしい。
天気もとても良くて、7月の最後の土曜日という日付にぴったりだった。
「ごめん、先に来てたのか」
「大丈夫です。わたしが待ちきれなくて、こうして早く来てただけですから」
私が頭を下げると、美由美が照れた顔でそう言ってくれる。そこまで私とのお出かけを待ちわびていたということが、とても、とても嬉しく思えた。
「ようやくやって来ましたね。柾木くんと、もう一度テニスで勝負する日が」
「ああ……そうだな」
またいっしょに出かけようって話になった時、美智琉はまっすぐにあの時の勝負のことを言い出した。どうしても美由美は、あの日の続きをしたいらしい。
「もちろん、テニスだけじゃなくて……終わったらおいしいデザートとかも、ぜひお願いしたいです」
「わかった。いちばん甘いところに案内しよう」
「以前よりもっとおいしいところ、でしょうか?」
「ああ、そうかもな」
そんなことを口にする自分の声は、とても、とても軽い。
以前のように、美由美の顔色を伺うような、そんな遠慮したものとは違う。
「そういや、最近美智琉と偶然顔を合わせたが」
私は以前、美智琉が「お姉ちゃん」と口にしたことを美由美に話した。
「あ、そういえば最近、わたしのこと『姉さん』って呼ぶんですよね。美智琉って」
「やはり、以前はお姉ちゃんとかだったのか?」
「はい。最近はずっと姉さんって呼ぶから、わたしも忘れてました」
やはり、あれは美智琉の背伸びだったか。
割とかわいいところもあるよね……って、私が言っても良いセリフではない気がする。
「わたし、まだ柾木くんのこと、よくわからないかもしれません」
こっちをじっと見ながら、美由美はそんなことを言ってきた。
「まだ柾木くんの『別の姿』、目にしてないんですしね」
「そこまで、見たいのか」
「柾木くんの好きな時で構いません。わたしはいつだって、待ってますから」
あの日。美由美と私の関係が少し近くなって、私たちがああいうことをやった日。
私は、いつか美由美に自分の「元の姿」を見せようと、心から決めた。
美由美もこうやって頷いてくれてるけど、私としては、まるでしーちゃんに「元の姿」で会うような怖さがあって、まだ勇気が出ない。
でも、いつかはきっと、「元の姿」で美由美と出かける日が来るんだろう。
以前ならきっと、そんな未来は信じられなかったはずだけど。今は少しだけ、その未来が現実になっているような気がする。
「でも、今日は少しだけ、お預けです」
私がそんなことを想いを寄せていると、急に美由美が、にっこりと笑ってみせた。
その小悪魔的な笑顔が、美由美には似合わなさそうに見えて、実によく似合っている。
……ダメだ。こんな笑顔、いくら自分が女の子だとは言え、逆らえない。
「わたし、やはりどうしても、『別の姿』の方の柾木くんに勝ってみたいですから」
「美由美って、やはりずいぶん負けず嫌いだな」
「ふふっ。わたしは美智琉の姉ですから、別におかしくはないと思いますけどね?」
確かに、それはそうだった。
あの美智琉だって、この大人びた美由美と血がつながった家族なんだ。
「今度こそ、負けませんから」
そう言いながら、美由美はまた、いたずらっぽく微笑む。
……ぐっとくる。
今の美由美、女の子から見るてもすごくかわいい。
「それじゃ、急ぎましょうか」
「そこまで急がなくてもいいんだろ。まったく」
気がつけば、私は美由美に腕を引っ張られていた。
いつもと違う、「グイグイ来る」美由美の態度が、なぜかすごく嬉しく思える。
私たち、以前より親しくなったのかな。
これまで過ごした二年くらいの時間より、これから過ごす長い日々がもっと楽しくありますように。
心からそっと、そう祈ってみる。
「あ、そうだ。柾木くん」
「ん?」
急に美由美が呼んできたため、私はようやく、現実に戻る。
美由美はこっちをじっと見ながら、やさしく微笑んでいた。
「あの、伝え忘れたことがありまして」
「なんだ?」
そう聞くと、美由美は少し間をおいて、私の腕から手を離す。代わりに、私の両手をちゃんとつかんで、こっちを見てから、そう話しかけた。
「――大好きです。柾木くん」
その笑顔は、真夏の太陽よりもまぶしく輝いていて。
「ああ。……ありがとう。美由美」
私はただ、そう頷くしかなかった。