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64.あなたの、いちばんの友だちになりたいけれど

「ところで柾木、高梨さんとのデートは上手く行った?」

「あ?」

 美智琉とカフェで話してから、次の日。

 私はなぜか、久しぶりにこの「組織」までやってきた秀樹にそんなことを聞かれていた。

「何言ってるんだ、まったく」

「え~? 以前のあれって、誰からどう見てもデートでしょ?」

「だ、だから、そんなものじゃなくて……」

 い、いや。たしかに他人から見ると、あの日のことはデート以外のなんでもないとは思う。

 たぶん、美由美も似たような感覚だったんだろう。

 だって、あの時の私、「別の姿」だったし。

 そもそも、美由美は私の「元の姿」のこと、まったく知らないし。


「へ~動揺しまくってるね、柾木って」

「う、うるさい」

 自分らしくない反応だとは思いながらも、私は秀樹から視線をそっと逸した。

 だって、こんなことに答えていたらきっとまた弄られるし。

 自分がこういう話題に弱いことは、他でもない自分がいちばんよく知っている。

「でも、可愛かったな」

「何がだ?」

 こ、今度は何の話なんだろう。

 私が聞き返すと、秀樹はどこか楽しそうな顔で、こっちをニヤニヤと眺める。

「だって、高梨さんの前にいる柾木、すごく可愛かったんだよ。初心っていうか、なんていうか」

「そ、そんなわけないだろ」

「嘘じゃないよ? 思わず綾観さんと微笑ましく遠くから眺めたかったくらい」

「……雫とそんなこと話してたのか」

「まあね~」

 す、すごく恥ずかしい。

 まさか、秀樹と雫にこんな弱点を掴まれていたとは思わなかった。

「ところで、秀樹」

「うん?」

 そういや、これはあの日からずっと聞いてみたかった。

 この機会だし、ちょっと怖いけど、一応聞いてみよう。

「お前、ひょっとして雫とずっと、俺の話ばかりしてた……のか?」

「そだけど?」

 ……ど、どうしよう。

 恥ずかしくて、死んでしまいそうだ。

「いや、べ、別に他の話題もあったんだろ。もうちょっと――」

「うーん。でも、綾観さんといっしょにいると柾木のことしか喋らなくなるんだよね」

 じっと考え込んでいた秀樹が、こっちを見上げながらそう話してくる。

「別に他のことを喋ってもよかったとは思うけどね、なぜかいっしょにいたら柾木のことしか話さなくなった。せっかく柾木のことを語れる仲間と出会ったわけだし、自然にそうなるよね」

「お、俺って、お前らにとっていったいどういう存在なんだ……?」

 急に背中が冷たくなることを感じながら、私は頭を抱える。

 この二人、仲良いことはいいと思うけど、私のことはほどほどに喋ってほしいな……。


 そんな感じにいろいろあったけど、私と美由美は以後、また二人で出かけることになった。

 今度はなんと、美由美からの申し出である。

『い、以前柾木くんといっしょに出かけて楽しかったので、ご迷惑にならなければ……』

 もちろん、私はすぐに頷いた。

 なんでここまで心がときめくのか、自分でもよくわからない。


 きっと、周りから見ると、今の私は少しおかしいんだろう。

 美由美に惚れすぎ……っていうか、思い入れがありすぎるっていうか、そんな感じに見えると思う。

 ある意味、それは私が雫に抱いている感情とも似ている。

 大切にしたい。壊したくない。笑っている顔が見てみたい。

 ――友だちに、なりたい。

 学園でのしーちゃんのような、そんな仲になりたい。


 雫の時にもそうだったか、私は友だちがほしかった。

 なんでも話せて、ありのままの自分を受け入れてくれる、そんな友だち。

 もちろん、私も誰かにとって、そんな友だちでありたい。

 今までずっと、私はそんな関係を築いたことがなかったから。

 学園のしーちゃんにさえ、私は自分の、「別の姿」について話してないんだから。


 どうして、美由美に対してこういう感情を抱いてしまうんだろう。

 実は自分でも、その理由はよくわからない。

 自分の近くにいてくれたから? 私にとって、親しみやすかったから?

 ……こんなこと、きっと美由美には失礼なんだろうな。

 別に、誰かと友だちになりたいと思うことに理由はいらないはずだけど。

 でも、私はやっぱり、「普通」じゃないから。

 だから、どうしても関係を縮めることを控えてしまう。

 美由美と近づいても大丈夫そうな、立派な「理由」をでっち上げようとしてしまう。


 私は、ずっと怖がっていた。

 ……美由美ともっと親しくなりたいって思ってたのに、大事に思いすぎたせいで、近づくのが怖くなってしまったんだ。

 まるで、割れ物に触るように。

 いつも私は、美由美にそう接してきた。

 親しくなりたいとずっと思っていたはずなのに、むしろ自分から距離を置いていた。

 もちろん、下手なことをして美由美のこと、傷つけちゃうかもしれないと思ったからでもあるけど……。

 自分みたいな、「普通じゃない」やつが美由美の友だちでいいのか、と迷ってしまったのも大きい。

 変に私と絡まって、美由美が面倒くさいことになったら嫌だ。

 それに、「本当」の私のことを知られることになったら――

 美由美は、私のことを嫌うかもしれない。

 雫の時にも似たようなことを思ったはずだけど、私、美由美に嫌われても、立ち直れる勇気なんて持ってないんだ。


 美由美、私はあなたの――

 いちばんの友だちに、なってもいいのかな。

 ……望むだけなら、バチは当たらないのかな。

 もし、それができないものだとしても、私は……。


「えっと、どうしたんですか? 柾木くん」

「あ? あ、ああ」

 そんなことを一人で考え込んでいた私は、美由美の声でようやく現実に戻った。

 私ったら、何ぼうっとしてたんだろう。

 今はせっかく、美由美といっしょに雑貨屋にやってきたというのに。

 自分って、時々こういうのがあるから困る。

「ひょ、ひょっとして、退屈だったとか……」

「そんなわけないだろ。一人でちょっと、考え込んでた」

「そ、そうだったんですか。心配しちゃいました」

 こっちを見上げながら、美由美はそんなことを口にする。

 別にそういうつもりはまったくなかったため、私は少し、申し訳ない気持ちになった。


「ここって、かわいいものが多いですね」

「そうだな」

 そうやってようやく現実に戻った私は、美由美といっしょにその雑貨屋を眺める。

 ここって、大通りを歩いていると偶然に見つけたところなんだけど……。女の子が好きそうな、かわいいものが多い。

 ……特に、絵本とか。

 雑貨屋としては珍しい品物であるような気もするけど、たぶん、ここの個性みたいなものだろう。扱いも結構大きい。

 ああいうメルヘンなものが大好きなこっちとしては、嬉しい誤算だった。

「あっ、この絵本って、すごく凝ってますね」

「ああ、それは飛び出す絵本ってやつなんだ。仕組みが凝ってるやつも多い。美由美は初見だったか?」

「はい。すごいなぁ。こんな本を作るだなんて、大変そうです」

「まあ、おかげでそこそこ値段が張るのが玉にキズだけどな。これは立ち読みもできるらしいし、ちょっと触ってみたらどうだ?」

「はい、そうしてみますね。飛び出す絵本なのに『立ち読み』と言うのもなんだか変ですけど……」

 そんなことを話し合いながら、私と美由美は様々な絵本を見て回る。自分もこういう絵本が好きで、少し持っているんだけど、知らなかった本も多いし、見ているだけで楽しかった。

「あ、柾木くん、これは……?」

「ああ、これは布でできた絵本だな。子供が噛んだり口にしたりしても大丈夫なやつだ。これはぬいぐるみもついてあるし、結構豪華だな」

「だからこういう作り方なんですね。勉強になります。みんな喜びそう。うちにも一つ欲しいなぁ……」

「これはそこまで高くないようだが、一つどうだ?」

「あ、それじゃ買ってみます。そういや、この隣にあるものは――」

「それはお風呂用の絵本だ。水に落としても大丈夫なやつだな。こういう本、初めて見たか?」

「はい。ほんとに不思議ですよね……柾木くんは物知りです」

「い、いや、これは俺の趣味であるだけだから……」

 自分も知らないうちに口数が多くなってしまって、私はつい照れてしまいそうになる。私にとってこういうのを気軽に喋られる子が、今までいなかったからなんだろう。さすがに雫の前では恥ずかしかったし。

「今の柾木くんって、ちょっとかわいい……」

「……?!」

「と思ってしまったら、ダメなんでしょうか?」

 心臓が、止まるかと思った。

 以前、秀樹に似たような感情を食らったことがあるけど、少し違う。

 不意打ちにもほどがある、と愚痴の一つでもこぼしたくなるような。

 そういう感覚が、今の私の体を駆け巡った。

「え、えっと、驚かすつもりはなかったんです。ただ、こう見ると柾木くん、結構可愛らしいところが多いな、と思ってしまいました」

「そ、そうか。褒め言葉として受け止めておこう」

 相変わらず、私の顔は赤くなったままだ。

 た、たぶん、少しくらいは誤魔化してると思うけど。

 かつて美由美の前で、自分がここまで動揺したことがあったんだろうか。

 ……まだ、心臓がドキドキする。

「なぜか心地いいっと言ったらいいんでしょうか。わたしの方も不思議な気持ちです」

「よ、よかったな、それは」

 未だにどもってしまうのを必死でなんとかしようと頑張りつつ、私はしばらく、美由美と目を合わせることができなかった。


「今日は、とても楽しかったですね」

「そうだな」

 雑貨屋で時間を過ごしてから、私と美由美は、自分のご贔屓のカフェでマカロンを口にしていた。いろとりどりのマカロンは、見るだけで人を幸せにさせる。

 まあ、昼過ぎて出かけたわけだから、お腹はそこまで空いてなかったのも理由の一つだけど……。なんとなく口が寂しいから、ついでに飲み物も注文するつもりである。

 ここのマカロンは結構値が張るため、今日は私のおごりということになった。値が張る代わりに頬がとろけるほどおいしいんだから、なんとか美由美にご馳走したくなった私のワガママである。

 美由美といっしょに甘い物を口にするのは、密かな自分の夢だったりした。

「でも、不思議ですよね。まさかマカロンにも季節限定があるだなんて」

「まあ、スイーツにはよくあることだな」

 あまりスイーツに詳しくない美由美に、私はそう話す。美由美って、マカロンを口にしたことがほぼないようだった。ましてや、季節限定たるものが存在するだなんて、考えてもみたなかったらしい。

 ちなみに、今目の前にあるのは夏限定のトロピカルマカロン。いちごやリンゴ味はもちろん、メロンやクリームソーダ味とか、そういう変わったものもあったりする。バニラやチョコはともかくとして、メロンとかは中々珍しいと言えるだろう。

「爽やかな甘さだな。色もいいし、写真を取ると映えそうだ」

「そうですね。わたしも、少し撮りたくなりました」

 私は懐の中から、カメラ用のボードを手にする。形のない「端末」は、写真を撮る時には不自由な時もあるから、そのために存在するカメラの形をしたボードだ。

 まあ、最近はいちいちボードを取り出すことが面倒とかなんとかの理由で、そのまま撮ってしまう人も多いと聞くけど……。やはり甘い物は、できる限りしっかりしたもので撮ってあげたい。かわいいし。

 それを見ていた美由美も、自分の指をマカロンの近くに持っていった。

 そして指を四角い形にして、まるで指で写真を撮るような、今になっては少し古めかしいポーズを撮る。

 あれは、「ボード」に頼らず、「端末」だけで写真を撮る時に使うジェスチャーだ。

 若干不便ではあるけど、私みたいに「ボード」を別に持っているケースではない場合、こういうジェスチャーを撮ることがある。

「これって色がきれいだから、みんなに自慢できそうですね」

「そうだろうな」

 はにかむ表情の美由美を見ながら、私はそう頷く。

 美由美はこれを撮ると、家に戻った時に、家族たちに自慢するつもりなんだ。

 あまり友だちはいないって美智琉から聞いたから、きっとそういうことなんだろう。

 でも、こんなところにあまり来る機会のない美由美だからか、今はとても楽しそうだ。

 なんとなく、イキイキしているような気がする。

 もしそうだったら、こっちはとても嬉しかった。

「ああ、そういや、ここは季節限定でメロンソーダも売っているんだが」

「お、おいしそうです……けど、柾木くんにそこまで迷惑をかけるのは――」

「大丈夫だ。俺が美由美といっしょに、飲みたいだけなんだ」

 そんなことを口にして、私はすぐ、顔が赤くなるのを感じた。

 だ、だって、こんな場面でこういうこと口にすると、下心があるとしか思えない。

 もちろん、私はその、女の子なわけだけど。

 きっと美由美の瞳には、そう映ってないはずだから。

「え、えっと……」

 案の定と言うべきか、美由美の顔も、私のように赤くなっている。

 視線を、合わせられない。

 以前、秀樹が自分のことを初心だって言ったけど、それって、根拠がまったくないわけじゃなかったんだ。

 あ、あまり認めたくはない事実だけど……。

「柾木くんがそう言うならば、わたしもお言葉に甘えようかと……」

「ありがとう」

「い、いえ! わたしこそ、嬉しいです」

 ……我ながら、すごく恥ずかしい。

 今の私たち、いったい周りからどういうふうに見えてるんだろう。


「色がきれいに出てて、とてもいい感じですね」

 撮れた写真を確認しながら、美由美はぼそっとそんなことを言った。

「そうだな。こっちも撮りがいがあったということだ」

「デザートって食べる楽しみもあるし見る楽しみもあって、すごいと思います」

「確かに、それはそうだ」

 それは、甘い物を作ったり食べたりしている時に、いつも私が思っていたことだった。

 どうして甘い物は、ここまで人を幸せにするんだろう。

 私も、この「組織」の仕事がなかったら、きっと将来はお菓子を作るお仕事に就いていたと思う。

 ……まあ、たぶんできないけど。

「そう考えると、やはり変わらないものって、ちゃんとあるような気がします」

「どういうことだ?」

 私が聞くと、少し考え込んでから、美由美は話を続けた。

「さっきの飛び出し絵本とかもそうですけど、今はだいたいみんな『端末』などで本を読みますし、紙もだいぶ減ってきたんじゃないですか」

「そうだな」

「だけど、あの飛び出し絵本の面白さだけは、『本』という形じゃなければ味わえない気がします」

 それは自分も、似たようなことを思っていた。

 もちろん、「端末」用の絵本とかもちゃんとあるし、飛び出し絵本と似たようなものも世の中にはいくつかあるけど、やはり「本」の感覚とはかなり違う気がする。

「このマカロンたちもそうだと思います。今は簡単に食事を解決できる飲み物も流行ってますが、やはりこのような甘い物は、そうには行かないんだろうって思うんですよね」

「確かに」

「そう考えると、やはり変わらないものって、あるんだなと思えるんです」

 自分のメロンソーダを口にしながら、美由美はそう話した。

 時間はそんな感じで、ゆっくりと流れてゆく。


「いつも柾木くん、わたしに優しいんですよね」

 そんな時間に身を任せていたら、急に美由美が、そんなことを話してきた。

「そ、そうか。そうかもしれないな」

「はい。綾観さんにも優しいと思いますけど、わたしが相手の場合には、特に気を使っていただいているような気がして」

「……それは自分が好きでやってることだからな。あまり気にしないでくれ」

「それはわかってます。ですけど」

 美由美の顔が、暗い。

 私から目をそらしたまま、美由美はしばらく黙り込んだ。

「こんなこと言ったら、変だと思いますが」

「別にそう思わない。話してくれ」

「わたし、やはり自分のこと、好きになれなくて」

 また、あの感覚だ。

 ずしりと、心が痛む。

「どうして柾木くんは、こんなわたしに優しくしてくれるんだろう。そんなことを思うたび、とても辛くて」

「……」

 その気持ちは、よくわかる。

 でも、今の美由美は私の話を信じてくれるんだろうか。

「他の人の好意を、素直に受け取ることができないんです」

 美由美は、苦しそうな顔をしていた。

 こっちまで辛くなりそうな声で、美由美は話を続ける。

「どうして、わたしみたいな人を好きになってくれるんだろう、って」

「美由美」

「自分で考えても、よくわからなくなって」

 私は、どうやってら美由美の力になれるんだろう。

 どう足掻いても、自分には何もできそうなくて、苦しい。


「わたしみたいな人間が、柾木くんに優しくされてもいいかな、とか」

「……」

「もし、わたしが自分のことを出すことになったら、それでも柾木くんは自分に優しくしてくれるんだろうか、とか」

「……」

「あんまり汚いところは、柾木くんに見せたくないな、とか」

「……」

「嫌われたくないな、とか」

 私はじっと、美由美の話を聞いていた。

 こういう時に、下手に慰めようとすると、たぶん逆効果だってわかるからだ。

 っていうか、他でもない自分がそう。

 私だって、美由美と似たような人間だ。

 自分のことはいろいろあって、複雑に思っている。

 秀樹が私のことを好きだと言ってくれた時、どうして自分みたいなやつが好きなんだろう、と心から思った。

 こちらだって、美由美に嫌われるのは怖い。

 汚いところなんて、恥ずかしいところなんて、絶対に見せたくない。

 ――ひょっとして、私が美由美に惹かれる理由は。

 そういう、「似たもの同士」なところだったりするんだろうか。


「せっかく自分から誘ったと言うのに、また暗いこと、言っちゃいましたね」

「大丈夫だ。むしろこっちはその、嬉しいから」

「えっ?」

 私がそう答えると、美由美は目を丸くする。そういう反応は、決しておかしなものじゃない。

「誰かに話すと引いてしまいそうなことなのに、俺のことを信じて話してくれたのが、嬉しいんだ」

「あ、そ、それは確かに、そうかもしれません」

「恥ずかしいところなんて、見せたくないことなんて、きっとみんな、持ってると思う。人によって、その扱い方はそれぞれ違うと思うが」

「……でしょうね」

「でも、これだけは言える」

 私は、勇気を出して、美由美と視線を合わせる。

 今の私も、目の前の美由美のように、すごく緊張していた。「組織」での仕事があるから、あんまりバレないとは思うけど。

「どんなに恥ずかしいことだって、汚くて醜いところだって、それこそがその人らしいところで、尊いところだと、俺は思うんだ。自分のこと、思いっきり棚に上げてるけどな」

 や、やっぱり恥ずかしい。

 こういう格好つけたことを口にするのは、あんまり慣れてないんだ。

「みんな、それがバレたら怖いのはきっと同じ。美由美や俺のものもそう。だから、それはおかしな感情じゃなくて、人間として当たり前のものだと、そう言いたかった」

「そうですか」

 私の気のせいなんだろうか。美由美の顔が、少しだけ柔らかくなった。

 これで少しでも、気が楽になってくれたらいいんだけど。

 自分ってあまり口が上手くないから、こういうのにはあまり自信がない。

 雫と美由美のおかげでなんとか人並みにはなったと思うけど、あまり人生経験もないんだし、実際はどうだろう。

「あの、まだ苦しいところはあるんですか、一つだけ、言わせてください」

「うん?」

 私が聞き返すと、美由美は真剣な顔でこっちをじっと見た。そして、ゆっくりと、そう話しかけてくる。

「わたし、柾木くんにこういうこと話して、ほんとによかったです。ほんとうに、ほんとうにありがとうございました」


「それじゃ、帰ろうか?」

「は、はいっ」

 そんな話が終わって、私たちはカフェを出てから「組織」へと向かった。

 あの日と同じ道。あの日と同じ状況。

 誰も、何も話さない。

 それだけが、「あの日」と違うところだった。


 そのような雰囲気のままで、私たちは「組織」の中に入り、自分の執務室の前までやってくる。

 別にすぐ別れてもよかったはずなのに、なぜか、気がついたらそうなっていた。

 美由美は何も話さず、こっちまでずっとついてきている。

「……」

 何か、話しかけたい。

 このまま、美由美と別れることは少し嫌だった。

 でも、何を話しかけたらいいんだろう。

 美由美の気持ちがわかっている今、下手なことを口にすることはちょっと怖い。

「今日はありがとう。美由美」

「え、えっ?」

 一応、そう話しかけてみたら、美由美はびっくりした。あまり想像してなかった発言だったらしい。

「美由美の素直な気持ち、聞かせてもらって嬉しかった。そこまで俺が頼れる存在になったのが、誇らしかったんだ」

「え、えっと、あの……」

 やはりこういうの、突然言われると戸惑うんだろうけど。

 どうしても私は、それを美由美に伝えたかった。

「だから、もし辛いことがあったら、いつでも頼ってくれ」

 でも、こっちもちょっと照れくさいから、視線はそっと逸らす。

「今日は本当に楽しかった。ゆっくり休んでほしい。それじゃ」


 そう言って、私が自分の執務室に入ろうとした時だった。

「――柾木くん」

 なにかやわらかいものが、私の懐に飛び込んできた。

 それは、ちょっと暗くてはっきりは見えてないけど、紛れもない美由美のもの。

 あたたかくて、やわらかい。

 女の子の体って、ここまで心地いいんだ。

 自分も実はああいう体だということが、ちょっと信じられない。

 ――まるで、夏の女の子をぎゅぎゅっと詰め込んだような。

 南国の果実を思わせる、刺激的で甘やかな香りが。

 今、私の鼻をしつこくくすぐっている。

 このままだったら酔ってしまいそうな、そんな気持ちが私を襲った。


「今日は、ありがとうございました」

 私がその匂いにクラクラしてると、急にそんな声が聞こえてきた。

 その美由美の声に誘われて、私はようやく正気に戻る。

「で、ではっ」

「あ、ちょっと――」

 と、声を掛ける間もなく、美由美はすぐ廊下の向こう側へと消えていった。

 きっと、美由美にとっては一生一代の大冒険だったんだろう。

 あそこまで素早く消えてゆく美由美なんか、今まで見たこともない。

 ……美由美だって、きっと照れてるんだ。


 どうしてだろう。

 美由美が消えていった廊下をぼんやりと眺めていた私は、なぜか、自分の口からメロンの味がすることを感じた。

 別に、ほっぺにチュとか、そういうことはされてないのに。

 どうして、ここまで口の中が甘やかなんだろう――

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