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55.さよなら、わたしの初恋

「戻って、来たね」

「ああ」


 どれくらい時間が経ったんだろう。

 もう周りも暗くなり始めた頃、私と雫は、自分の執務室に戻っていた。

 雨はすっかり止んでいて、周りはとても静かである。

 まあ、この執務室って、防音がしっかりしてあるから当たり前だけど。


「暖かったよね、シャワー」

「雫も俺も、ずっと雨に打たれていたからな。服が乾くまで、近くのカフェで雨宿りしていたわけだが」

「やっぱり風邪、かかるかな?」

「いちおう、体を温めていたら大丈夫だろうとは思う。なんだかんだ言って、雨に打たれていたのは何十分くらいだったし……」

 とか言ってみたものの、やっぱり心配になるのは仕方ない。

 それはもうどうしようもないことなので、できる限り前向きに考えていきたいところだけど。

「……」

「……」

 会話が、途切れた。

 さっきああいうことがあったからか、雫とどうやって話せばいいのか、よくわからない。

 天気とか、さっきの雨については話し終わっちゃったし。

 ……もう、こんな時間も最後なのかもしれないのに。

「えっと」

 雫もそれに焦っていたのか、しばらく迷う様子を見せてから、こんなことを口にした。

「柾木って、やっぱり優しいよね」

「そうか?」

「だって、最後くらい、厳しくしてもよかったのに。わたし、ずっと甘えてばかりだったから」

「別にいいだろ。甘えたって」

「だから、わたしのことを甘やかしすぎると――」

「雫は、別に甘えてもいいと思う」

「えっ?」

 私の話を聞くと、雫は驚いた。なぜか、私の話がすごくありえないものだと思っていたらしい。

「以前から思ってたけど、雫、甘えるの、罪とかそういう感じで思ってるんだろ? 別に、それは罪でもわがままでもない。雫には十分、その資格があるんだ」

「で、でも、自分勝手すぎるし……」

「少なくても俺は、今までまったくそんなこと、思ってない。別に誰かに頼ったりしてもいいんだろ? 誰かに優しくされたいって、人なら誰でもそんなこと、思ってるんだろ?」

 もちろん、これも人によってそれぞれだとは思うが、少なくても「優しくされたい、愛されたい」が罪であるってことはないはずだ。

 他でもない私だって、いつもそんなことを求めている。

 ……雫から優しくされたり、愛されるのは、私にとって、何よりもうれしいことだった。

「べ、別に、わたしはそんなこと思ってたんじゃ――」

 そんなことを言いながら、雫は私から視線を逸らす。

 私はそんな雫に、やさしく話しかけた。

「何度でもいうが、俺は嫌々で雫と婚約したわけじゃない。もちろん、雫の体を目当てに婚約したわけでもないが……そんな形でも、雫のそばにいられたら幸せだった。自分の意思で、そう決めたんだ」

「柾木……」

 これだけは、何度だって胸を張って言える。

 私は雫のことが、心の底から好きだった。

 たしかに、恋人になりたいのか、と言われると困るけれど。それでも、そんな形を借りてまでそばにいたいと思うくらいは、雫のことが大好きだった。

 今の雫は、私のことをどう思っているんだろう。

「元の姿」がバレた今、雫は私にどんな感情を抱いているのだろう。

 ――こんなことになってしまって、やっぱり後悔、してるのかな。


「たしかに、そうだよね」

 しばらくしてから、雫は恥ずかしそうにそう笑ってみせた。照れてる雫も、やっぱりかわいい。

「わたし、思い込みがちだから、そんなことやっちゃったのかも。柾木の言うとおりだと思うよ」

「雫」

「だって、柾木はいつもわたしのこと、いちばんに思ってくれたもんね」

 そんなことを聞くと、どこか寂しい気持ちになってしまう。

 もう雫が、私の手の届かない場所に行ってしまった気がして。

 わかっていたのに、そのつもりだったのに、それがとても辛い。


「えっとね、わたしが『別れよう』なんて言って、驚いた?」

「……ああ」

 私は、頷く。

 別に、こうなることはわかっていた。でも、こうなってしまうことが、とても辛かった。

「悲しかった? 寂しいって、思ってくれた?」

「もちろんだ」

「嬉しいなぁ」

 そんなことを言いながら、雫は微笑んだ。

 ちょっと、こちらが悔しくなるくらい、はにかんだ笑顔である。

「柾木って、本当にわたしのこと、好きだったんだ」

「……」

「愛して、くれてたんだ」

 自分の顔だって、つい赤くなる。

 どう考えてみても、これから別れようとする恋人同士の会話ではない。


「自分だって、ちゃんと知ってた。そろそろ柾木のこと、卒業する時だって」

 今日の雫は、あまり弱いところを見せようとしない。強がりというか、やせ我慢みたいな感じがした。

「柾木が橘さんと付き合い始めて、ああ、もうわたしはここらへんで身を引くべきなんだろうな、って思ったの。だって、ずっとわたしがこうしていたら、柾木も困るんだろうし」

「……」

 ここで、私はどういう反応を見せたらいいんだろう。

 たぶん、それが答えようのない質問だとわかりつつも、私は悩まざるを得なかった。

「でも、そんなことわかってたというのに、わたし、どうすればいいのかわかんなかった。柾木と今までの関係でいられないとしたら、どんな関係でいればいいのか、わかんなかったの」

「……雫」

「わたし、柾木が遠くなるのは嫌で。よそよそしくなるのも嫌で。でも考えてみたら、わたし、柾木のこと何一つ知らなくて」

「……」

「それを知らされるたびに、苦しくて、切なくて……自分はどうすればいいんだろ、って……」

 雫の声が、どんどん小さくなる。

 きっと、今の雫はものすごく辛いんだ。

 あまりにも辛くて、声をなんとか絞り出してるんだ。


「そんな時にね、わたし、はじめて柾木の『元の姿』を見て、あ、もうダメだ、って思っちゃった」

 雫はそう言いながら、こちらから視線を逸らす。

 いよいよ、限界のようだった。

「だって、柾木が許してくれても自分が許せそうになかったもの。あんな、自分と同じくらいの年の、それもここまでかわいらしくて、ちっちゃい女の子に、なに背負わせてたんだろ……ってね」

「そんなこと、別に心配しなくてもよかったのに」

 私はそんなこと、全部承知の上だったのだから。

 辛いときはあったけれど、後悔したことなんか、一度もなかった。

「柾木ならそう言うことに決まってるよ。でも、わたしが辛かった理由はそれだけじゃない。わたしだって女の子なんだから、柾木の気持ち、わかっちゃったんだもん」

「……そうか」

「絶対に苦しかったり、辛かったりしたんだろうに。わたしのために、全部我慢してくれたんでしょ? 今までの柾木の仕草とか、好きなものとか、そういうのを振り返ってみると、あまりにもしっくり来て泣いちゃった」

「それは俺の問題だろ」

「柾木の問題なら、わたしの問題でもあるんだもの」

「……」

 参った。

 やっぱり、一生かけても雫には勝てそうにない。

「でも、自分の部屋に戻って考えていたら、わたし、いつの間にか冷静になってた。たぶん、いつかはこうなること、覚悟してたからだと思う」

「そう、なのか」

「柾木はひょっとして、あの日のこと、ひどいことをやってしまった、なんて思ってるかもしれない。でも、わたしはむしろ、やっとこの日が来たか、みたいな気分だった」

 ……本当に、一生をかけても勝てそうにないな。

 雫って、どれだけ私の心、読んでいるんだろう。


 私がそんなことを思う間にも、雫は淡々とした口調で話を続ける。

「あの日の夜、ずっと考えてたんだ。わたしにとって、高坂柾木という人間はどんな存在なんだろ……なんて」

「……」

「姿が変わったくらいで、感想が違ってくるのも変な話だと思うけど……やっぱり、今までどおりに体を重ね続けるのは無理かな。だって、もう頭に強く残ってるんだもの。柾木の、元の姿」

「……そうか」

 それは、すでに覚悟していた。

 あの反応から見て、雫がこう出るだろうってことは、想像に難くない。

「わたしにとって、柾木はかけがえのない、誰よりも大切な人だよ。たぶん柾木も、わたしのこと、大事に思ってるよね。それだけはちゃんとわかってる」

「ああ」

「でも、いったいわたしは、柾木とどんなふうにいたかったのかな?」

 苦笑いしている雫が、どうも痛々しい。

 それをどうにかできない私も、悔しくて仕方がなかった。

 でも、どうしたらよかったんだろう。

 私たち、よく考えてみたら、出会いから「普通」とだいぶ変わってたし。

「あはは、わたし、なんか情けないよね。自分が好きな人について抱いてる感情すら、こんなにうまく言えないんだよ」

「そんなわけ、ない」

「こんなにも長く、深く愛していたのに。どうして感情って、ここまでややこしいんだろ……」

「……」

 雫が、私から目を伏せる。

 その仕草だけで、雫の持つ複雑な感情が、全部伝わってきた。

 私たちはこんなふうに、よく二人きりの時間を過ごしていたけれど。

 それは果たして、世間から見ると「男女ならでは」の空気になっていたのだろうか。

 やはり、どこか違うような気がする。

 まあ、私にはやはり、よく見えてこないから言えようがないんだけど……。


「たしかに、あの時に見た柾木の『元の姿』って、わたしの想像とはだいぶ違ったけど、別に、嫌になったとか、そういうのはまったくなかった」

 雫は、語り続ける。

「家に戻ってから、今までの柾木の行動とか、仕草とか、そういうので『こんな人かな』と改めて想像してみたんだけど……まったく嫌いじゃないし、そうなれるわけもないよ。だって、わたしの愛する人だもの」

「雫」

「たぶん柾木は、『元の姿』がバレたらよそよそしくなるかも、って思ってるんだろうけど、わたし、そんなつもりなんてまったくないからね。戸惑いはもちろんあるけど、それはそれ、これはこれ」

 どうしよう。たまらなく嬉しい。

 私がずっと心配していたことを、雫はその一言で蹴っ飛ばした。

「もちろん、これからのわたしたちの関係がどうなっていくのかはちょっと怖いけど……婚約者でなくたって、柾木はわたしの大切な人なの」

「そうなのか」

「うん。うまくは言えないけどね。わたしの気持ち、どう伝えたらいいんだろ……自分でもわかんないや」

 申し訳なさそうな顔で、曖昧な口調で、雫はそんなことを伝えてくる。

 きっと、ものすごく悩んでいたことに違いない。

 雫が私のことを大切に思う気持ちは、十分、伝わってきた。


「わたし、柾木と付き合って、変わっていくのをずっと見てた」

 まるで独り言のように、雫は話を紡ぐ。

「これもちょっと、どう話せばいいのかよくわかんないけど……。初めて見た柾木って、どこか女の子っぽい顔だったし、すごく幼い感じだった。でも、時間が経てば経つほど、だんだん大人びてきて、心の中でずっと狼狽えてたの」

 ……そういや、お姉ちゃんもそんなこと、言ってたっけ。

 やはり私、「あの頃」とはだいぶ変わっているのかな。

「いや、大人びてたというのはちょっと違うね。つまりね、少しづつ『男』になっていったって話だよ。柾木が頼もしくなってくれるのは嬉しかったけど、わたしから遠ざかる気もして、ちょっと寂しかったな」

「そうだったのか」

「うん。ようやくそれにも慣れそうになった時に、柾木の『元の姿』、見ちゃったんだ。あの時、柾木が変わっていったことがどんな意味なのか、わかっちゃったの」

「……」

 なぜだろう、自分まで怖くなってしまう。

 雫は私の、深くて暗いところまでしっかりと見ていてくれたんだ。私が知らないフリをしていた、あの深淵のことまで。

「そこまで考えると、もうこれ以上はダメだな、と自然に思えるようになってて。もちろん言ってたとおり、これだけじゃないんだけど……。やはり柾木、今まで見てきたことを考えると、女の子はああいう対象には見られないよね」

「……雫も、そうだったよな」

「うん。だから柾木は、わたしにとって特別な存在だったんだ。矛盾されてるけど、ほんとだよ」

「大丈夫。知ってる」

「ありがと。だからこそ、ここまで悩んで、苦しんでると思う。どうすればいいのか、わからないから」

 それだって、わかっている。

 雫が私のことを近くで見ていたように、こっちだって、雫のことを隣でずっと見守っていたんだ。

「でも、昔からずっと感じてたんだ。柾木の『好き』とわたしの『好き』は、きっと違うものなんだろうって。普通の『好き』じゃないのは確かだけど、それでも違うんだろうな、って……」

「……」

 あまりにも図星すぎるその話に、私はどう答えたらいいのか、わからなくなる。

 人の感情って、本当に難しい。

 私ですら、雫のことを「恋人」として見ることは難しいと思っていたくせに、こうやって雫から別れを申し出されると、どこか寂しくてたまらなくなる。

 ……矛盾ばかりだ。

 人って、やっぱりそういうものなのかな。雫も、こんなことを思っているのかな。


「なんか、すごくまとまりのない話になっちゃったけど……」

 そんなことを口にしながら、雫は私の方に視線を向ける。これからの話が、いちばん重要だというように。

「たった一つだけ、ブレないものもあったよ。柾木は、わたしにとっていちばん大切な人だということ」

「それは、嬉しいな」

「うん。どう足掻いても、これは変わりそうにないんだよね」

 雫は淡々と、そんなことを語る。

 こっちの気のせいか、その顔がとても誇らしく見えてきた。

「その話なんだけど、わたし、あの時柾木の言ってたこと、よくわかるよ。どれだけ『別の姿』だったとはいえ、わたしも柾木のことに気づけないのは、とても悲しい」

「雫」

「わたしが知らないところで、柾木がそんな理由で泣いてたとしたら、自分のこと、許せるかどうか、ちょっとわからない」

 雫の口調が、また強くなってきた。

 いつものような、ブレない芯を感じる。

「つまり、言いたかったことは……あまり自分のこと、責めないでほしいの。たしかにショックではあったけど、いづれは通るべき道だったし、わたし、後悔してないから」

「そうか」

「これで柾木が少しでも笑ってくれたら、わたしはそれでいいよ。柾木には幸せになってほしいから。別にわたしと付き合ってたら不幸ってわけじゃなくてね」

「わかってる、そんなことは」

「今のわたしより、柾木を幸せにしてあげられるのは、きっと橘さんだな、って思っただけだよ」

「……」

「だって、柾木が体を求めるのは橘さんだけだし、あの『別の姿』をはじめてわかってあげられたのもそうなんだから」

「雫……」

「も、もちろん、わたしはできるなら、ずっと柾木の婚約者でいたいけどね」

 雫はまた、強がるような口調になった。

「でも、やっぱり橘さんなら柾木のこと、わたしに負けないくらい愛してくれるんだろうなぁ。くやしいけど」

 ひょっとしたら、今の強がりは、自分の寂しさを隠すための意地っ張りなのかもしれない。それもまた、雫らしかった。


「こんなこと言って強がってるけど、わたし、実は全然自信なんかないんだよね」

 雫はポロッと、そんなことを漏らす。やはりずっと、強がることはできなかったようだった。

「誰かを好きになるのも、自分で前に進むのも、全部怖い。わたしって、また一人で歩き出せるかな? 転んだりしないかな? 怖い、怖いよ」

 私には、そう震えている雫に見覚えがあった。だって、それは以前、わたしに甘える前の雫の姿だったから。

 差があるとしたら、今の雫は、私に心を許しているということくらい。

 元から、雫はそんな子だった。

 周りのことがよく見えているから、必死に元気なフリをして、弱いところはあまり見せようとしない。

 だって、そうしちゃったら、周りが心配してしまうんだから。

 ……私の前だけ、雫は素の姿でいられるんだ。

 家族でも、クラスメイトでもなくて、私にだけ、雫は弱いところを見せてくれたんだ。

「もうちょっとだけ弱音を吐くとね、わたし、やっぱり柾木のこと、引き止めたいんだ。でも、それができない」

 雫の話は、どんどん深くなってゆく。

 たぶん、ずっと私には話さないようにしていた、心の奥の暗いところまで来ている。

「ここまで好きなのに、引き止めることができないんだよ。それに、引き止めるのが正しいのかすら、よくわからない」

 そのたどたどしい口調は、まるで迷っている雫その自体のようで。

 私は黙って、ただそれを聞いていることしかできなかった。

「自分が求めてたのはきっと脆い砂の城で、魔法はもう、解けかかっていて」

 ぽつりぽつりと、雫はそんなことを話す。

「だからわたし、何もできずに、ただ、それを見守ることしかできないんだ」

 たぶん、雫は初めてからわかっていたんだろう。

 自分の抱いていた感情が、それくらい危ないバランスで成立していたということを。


「でも、やっぱり、明日から彼氏彼女はおしまい」

 まるでこの状況を仕切ろうともするように、雫は明るい口調でそう言い出す。

 そんなことを言っているというのに、雫は微笑んでいた。

 勇気を抱いて、私を振っていた。

「しばらくはこっちも心の整理が必要なんだから、あんまり来られなくなると思うよ。まあ、もう彼女でもなんでもないけどね」

「……雫」

「で、でも、絶対にまた、柾木に会いに来るから。今までの関係じゃなくてもいいならね」

「もちろんだ。俺だって、雫と会えなくなったら寂しい」

「えへへ、うれしいなぁ」

 はにかむ雫の顔が、今はどこか寂しく見える。

 だって、今の雫、きっと強がってるから。私に悲しい顔を見せないよう、頑張ってるから。

 そんな態度、雫には似合わないっていうのに。

 いつも雫には、心の底から笑っていてほしいのに。


 ならば、やっぱりここは、私が先に動くべきだろう。

「あの、雫」

 声が、震える。

 果たして、雫は私の提案を受け入れてくれるんだろうか。

「最後までなら、まだ彼氏彼女でいられる」って、そう思ってくれるかな。

 余計なお世話とか、そんな感じで受け止めちゃったらどうしよう……。

「最後でいいなら、もう一度、えっちなこと、しようか」

「えっちなこと……?」

「ああ、俺と、雫が」

 そんなことを口走っている間にも、私は迷っている。

 雫、いったいこれをどう受け止めてくれるんだろう。普通の恋人同士だったら、今、私は殴られても文句一つ言えない。

 でも、私たちはあまりにも変わっているから。

 ……むしろこうした方が、お互いにとって良さそうな気がしてきた。

「まだ、俺たちは婚約してるはずだから」

 つい逸したくなる視線を、必死で雫に向ける。私の本気を、雫にもわかってほしかったから。

 ――繋がりたい。

 私たちにしかできない、私たちのやり方で。

 他の人からするとおかしく見えるかもしれないけど、私たちには、それが正しいやり方だったんだ。

 

「それって、余裕があるから、なのかな?」

 私の話を聞いていた雫は、しばらくじっとしてから、ゆっくりと私に話しかけてきた。

「うん?」

「もし、わたしと繋がったことで柾木が考え直すとしたら、そんなこと、言わなかったんだろうね」

 寂しそうな顔で、雫がそんなことを口にする。

 でも、嫌がる表情じゃない。

 なぜだろう、雫はずっと、私のそのセリフを待っていたような気がした。

「わたしがそんな提案、拒否するわけないのに」

 欲しそうな顔で、でも、とても切ない顔で、私からそっと、視線を逸らす。

「できるわけ、ないのに」


「――雫」

「わたし、やっと気づいたよ」

 そんなことを口にする雫は、とても綺麗で。

 すぐ前にいるというのに、手が届かなさそうな、そんな気がしたんだ。

「好きな人は、体でもなんでも使ってまで、ここに繋ぎ止めたいものなんだね」

 まるで何か悟ったような顔で、雫は、微笑みながらも、寂しそうな視線をこっちに向ける。

「『好き』が違うという時点で、それがどれだけ意味のないことかわかってるのに、一抹の希望にすがりたくなるものなんだね……」

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