45.いつものような、時間
「ねえ、今度の休日に、またデートしようか」
次の日、いっしょに執務室で時間を過ごしていたら、雫がそんなことを話しかけてきた。
「デートか?」
「うん、やっぱり最近、あんまり柾木とふたりっきりで過ごせなかったんだから」
たしかに、それはそうだった。最近は秀樹にかかりっきりだったから、雫といっしょにいる時間もだいぶ減っていたんだ。
元ならば、今より雫と二人で過ごした時間ももっと多かったはず。一応、婚約者ってことになっているわけだから、私と雫は、時間があればデートしたり、プレゼントをしたりすることも多かった。私にとっては、やっぱり友だちと過ごすような感覚に近かったけど。
「そういや、今年の誕生日プレゼント、やっぱりマフラーでいい?」
「もう12月の話をするのか、雫は」
「だって、ゆっくりと進めた方が間に合うしね」
とはいえ、さすがに半年も早いのはやり過ぎだよ、雫……みたいなことでも口にしようかと思ったが、やはり、雫のはにかむ顔を邪魔するのは気にかかったから、やめることにした。
ちなみに、雫は仲良くなってからずっと、毎年誕生日にはマフラーを自ら編んでくれている。初めては誕生日じゃなくて、もっと別の日だった気もするけれど、今年で三回くらいかな。
あの時にもらったいろとりどりのマフラーは、今でも私の部屋の片隅にしっかりと保管されている。さすがに今は夏だから、見えないところにしまっておいたけれど……。それでも、大切にしているのは確かだ。
私って、こんなにもらってばかりで大丈夫なのかな。ちょっと心配だ。
いや、こっちだって暇があって家に戻れたりする時には、雫の好きなお菓子を焼いたりするし、今年の冬には自分も何か編みたいと思ってるけれど。
「そういや、最近は柾木のお菓子、あんま食べてないかも」
「今週末でも焼こうか? 雫は甘いクッキーと紅茶、好きなんだろ?」
「うん、でもあんま無理しないでね。柾木の作るお菓子は大好きなんだけど、無理しちゃ困るから」
そう言いながら、雫はニコッと笑ってみせた。この強気ながら甘えん坊な微笑みには、やっぱり勝てそうにない。
自分だって、女の子のはずなのに。
どうして雫のように、こんなに可愛い態度が取れないんだろう。
そうして時間は過ぎ、ようやくやってきた休日。
私は久しぶりに、雫とデートに出かける準備をしていた。
……他のカップルとは、ずいぶん違う手順だろうと思う。
だが、雫が「やっぱり昼ごはんは、柾木と二人で食べたいな。誰にも邪魔されないところで」とか言ってきたため、結局、私たちはここ、自分の執務室で手作り弁当を食べることになったわけだ。
もちろん、私の弁当は雫の手作りである。
は、恥ずかしいな。こういうの、自分の口ではとうてい言えない。
「今度の差し入れ、けっこう気合入れたよ? 栄養のバランスとか、柾木の好みとか」
「いや、今日のやつは差し入れっていうよりデートのあれだろ」
「あ、そだっけ。まあ、いいや。どうせ柾木が食べるのは間違いないでしょ」
雫は大雑把な態度でそんなことを言いながら、いつものように、弁当を私に渡す。クマの形をした、二段の弁当箱だ。
で、それを開けてみたら……。
「ほら、今度の弁当もいい感じだよね?」
雫がこっちに持ってくるのは、いつだって手作り弁当だ。雫もそこまですごく料理が上手いわけではないが(とは言え、同年代の女の子よりは遥かに手慣れている)、私と打ち解けてからは、こんなふうに手作りごはんを振る舞ってくれることが多い。
まあ、私だって、お菓子じゃない方の料理はそこまで得意じゃないけどね。お姉ちゃんが得意すぎて、あまり作らなくなったというか、なんていうか。
とにかく、今はそんなことより雫のお弁当だ。
今日の雫の弁当は、いつものようで、少しだけ見た目が違う感じだった。まず、弁当箱の半分くらいを食っているミニかつ。まんまるになっていて、とてもかわいい。たぶん冷凍のやつだと思うけれど、量もすごく多くて、これを食べるだけですぐお腹が膨れそうだった。一口サイズなのだから、食べやすいのも助かる。
それから目に入ってくるのは、ふわふわでとろけそうな卵焼き。たぶん、中にはチーズが入っているらしく、とても美味そうに見える。チーズだけではなく、卵焼きの中には刻んだにんじんや玉ねぎなども入っていて、なんとなくカラフルな印象だった。
あと、残りのスペースはさつまいもで出来たサラダと、雫らしいうさぎりんごの飾り切りで埋まっている。ご飯だっていっぱい入ってあって、眺めているだけでお腹が空いてくるのを感じるくらいだ。
「どう? いつものように、柾木が好きな食べ物で攻めてみたけど……」
「とてもいい感じだ。その、ありがとう」
「えへへ、どういたしまして」
私の答えを聞くと、雫は照れた顔で微笑む。やっぱり、雫ってお弁当の準備で大変だったんだろうな、と思った。だって、今日は私だけじゃなくて、自分用も作ってきたはずだし。
ものすごく手間がかかったはずなのに、雫は私の前で、そんな素振りをまったく見せない。卵焼きとか、実際に作ってみるとけっこう大変だというのに。これを雫は、ほぼ全部自分の手で作ったんだ。
やっぱり、こういうところは女の子として尊敬してしまう。
そんなことを思いながら、私は雫の作ってくれたお弁当を口にしてみた。
「……うまい」
「ほんと? おいしい?」
「当たり前だろ。雫の弁当がうまくない時なんて、一度もなかった」
「そうなんだ。これでわたしも立派な新妻かな~」
私の何気ない一言に、雫はここまで喜んでくれる。
誰も近寄らない私の執務室。二人だけのおだやかな時間が、ここにあった。
そうやって、昼ごはんの時間が終わってから。
「お~。今日は街も人でいっぱいだね。やっぱ晴れてるからかな」
「だろうな。ここまで暑いというのに」
私と雫は、予定通り「組織」を抜けて、大通りまでやってきていた。
別に私は、雫が好きなところならどこでもいいんだけど、雫は「柾木との関係を見せつけたいんだもの」なんて言って、こんなふうに大通りに出ることが多い。
私としては、行き交う人が多くてちょっと心配だけど……雫も楽しんでいるようだし、今日はこれでいいかな。
「こうしてると、急にクラスメイトと出くわしたりして~」
「あ、そういや雫、クラスで俺のこと、けっこう喋ってるようだな」
「うん、素敵な彼氏は自慢しなきゃ損だし」
そう、すでに雫はクラスや友だちに、私という「婚約者の異性」がいるってことをバラしている。それも、ものすごく楽しげに。
「だって、みんなうらやましがるんだよ? そんな彼氏がいるだなんて、雫ってすごい! ってね」
「こっちとしては、かなり恥ずかしいんだが……」
自分としては、あそこまで自慢されるとたしかに嬉しい時もあるけれど、やっぱり照れくさいという感情が先にくる。まあ、女の子としてそういう気持ちはよくわかるが。
「でもね、かっこいい婚約者がいると自慢したくなるんでしょ? 今日も柾木がお菓子作ってくれたーとか、かわいいぬいぐるみをプレゼントしてくれたーとか」
「そうなのか」
「うんうん。わたしにはここまで素敵な彼氏がいるんだって、みんなにもっともっと言いたいんだよ」
私と雫は通っている学園が違うため、自分ののろけ話をされる場面にはまだ出くわしてない。だが、今そんなことを言っている雫の顔は、とても幸せそうだった。
私のことを話すのが、そこまで嬉しいのだろうか。
だったら、やっぱり恥ずかしいのは変わらないけど、ちょっとだけ嬉しく思う。
「それに、みんながうらやましがるのも仕方ないよね。柾木のように、お菓子作ってくれたり、かわいいぬいぐるみのことが好きだったりする男の子、あんまりいないんだよ」
「そ、そうか」
そんな話を聞くと、こっちはどう答えればいいのか、まったくわからない。
だって、雫は今、見て見ぬふりをしているわけだけど、私はやっぱり、「本当の男」じゃないから。
「うん、だから、ここまで素敵な彼氏と出会って、わたしはすごく幸せ」
雫はそう言いながら、こっちに腕を絡めてくる。
それがくすぐったくて、そしてちょっぴり苦しくて、私は思わず、雫から少し視線をそらしてしまった。
それからも、雫は私にぴったりくっついたまま、さまざまなことを話してくる。
学院での出来事、いつもの友だち、好きな授業、そして、どれだけ私のことが好きなのか、みたいなことを。
雫の通っている学院は、ものすごいお嬢様学校で有名だ。私も行ってみたことはあまりないが、ともかく大きいところだという印象は未だにちゃんと残っている。
当たり前だけど、雫はクラスでも指折される人気者だった。みんなからもよく頼られているし、友だちだって多い。もちろん、成績もすごくいいし、運動神経もいい方だ。こう見ると、つぐつぐ私とは違うところにいる女の子だな……みたいなことを思ってしまう。明るいし、人当たりもいいし、そりゃ人気者になるのも当然だ。
雫はそこまで友だちが多いわけだから、いつもみんなとどこかに出かけたり、美味しいものを食べに行ったりしているようだ。もちろん、今どきの女の子なんだから、友だちの恋愛話にも興味津々である。みんなともよく、そういう話で盛り上がるようだ。雫の彼氏自慢……っていうか、私の話がよく上がる理由もそれである。そもそも、みんなせがむわけだから、私の話題を避けることはどうせできないんだ。
……とは言え、さすがに雫は私のことを話題にしすぎるんだから、最近はその友だちも半分呆れ気味のようだが。
「みんなわかってないんだよね~。そもそも、わたしって柾木のこと、学院では昼食の時と、休み時間の時と、帰る時くらいしか話してないよ?」
「それ、ほぼ全部だろ」
「え、そだっけ?」
私が突っ込むと、雫は今初めてそれに気づいたような、キョトンとした瞳になった。
雫ったら、私のこと、喋りすぎ。
それに、その調子からすると、どうせ外で遊んでいる時には、ほぼいつも私のことを口にしているんだろうし。そりゃみんな、飽きちゃうわけだ。
っていうか、こうして雫の話を聞いているだけで、その場面がだいたい思い浮かべる。
雫ったら、ものすごくおしゃべり好きなんだから。
……ただし、雫が自分の過去のことを誰かに打ち明けたとか、そういうのはまったく聞いた覚えがないんだけど。
それからも、雫とさまざまなところを回る。
当たり前のように、ホラー映画もいっしょに見たし、甘い物もたくさん食べた。
よく考えると、雫ってホラー映画にまったく怖がらないのに、いつも私と「もっと近づくため」に自らああいう映画を見に行くわけだから、ちょっと変だ。
かわいいものがいっぱいあるところ、つまり雑貨屋に行くのもいつものルートである。私も雫も、かわいいものにはだいぶ目がない。甘い物がそうだったように、私もこの「別の姿」でああいうかわいいものを見て回るのは、だいぶ得意になった。
いろとりどりのマカロン。かわいいうさぎさんのぬいぐるみ。メルヘンな絵本に、なぜかものすごく似合わないホラー映画のパンフレット。
……まあ、最後のやつは雫が大切に保管してくれるんだろう。そもそも、今のような世の中、まだパンフレットが残っているのは「これを見たという記念品」になるからなんだし。
「ねえ、柾木。今度は服でも見てみようか?」
そんなことを思っていたら、急に雫が、こんなことを言い出してきた。
「服か」
「うん、あのね、久しぶりに柾木に服を選んでもらえたくて」
「俺に?」
「以前のやつ、ちっちゃくなってしまったんだよね。もう着れないよ」
そう言いながら、雫は少し寂しそうな顔をする。
私はいつも、雫のこういう顔に弱かった。こんな時の雫には、ついつい甘くなってしまう。
「……一度だけだからな」
だって、もう周りは暗くなり始めてる。
雫といっしょにあっちこっちを回っていたら、もうこんな時間になってしまったようだ。
「うーん、これなんてどうかな?」
「はっきり言って、雫はなんでもわりと似合うとは思うが……」
そうしてあらゆる洋服を見て回った私たちだが、なかなかいい感じの服は見つからなかった。
雫もかなりオシャレさんだし、私もあまり女の子の服を選ぶ機会がないから、どうしても前に進めない。
いや、雫の方はともかくとして、私の方は女の子としてどうだろう、と思わなくもないが。
やっぱり、最近は「別の姿」でいることが多かったし、そもそもあまり自分の服に気をつける方でもなく、ついでに同性の友だちもそこまでいない私に、今のような状況は荷が重かった。
雫みたいな、綺麗でなんでも似合う女の子の服を選ぶだなんて、恐れ多い。
まあ、雫ならわりとなんでも喜んでくれそうだけど、せっかくだし、私もいい服を選んであげたかった。
……やっぱり、私には無理なのかな。
こんな、黒ロリとか、変な服ばかり家で着ている女の子には。
私がそんなことを思っていた時だった。
――これなんて、どうだろう。
店の隅っこで見つけた、素朴なブラウンのワンピース。ちなみに、あそこに掛かっている様子から見ると、たぶん白いシャツなどの上に重ねて着るやつだ。
雫ってどちらかというと、ジーンズとか、すっきりしたスカートとか、とにかく、そんな服をよく選ぶ印象があった。かっこいいっていうか、おしゃれっていうか。どちらかというと、私とは少し正反対って感じ。ラフな服を好んで着るのは似てるけど、その雰囲気が違う、みたいな。
でも、こういう渋いっていうか、落ちついた色も十分似合うと、前からずっと思っていた。
これ、かなりいい感じになるんじゃないだろうか。
やっぱり自分の見る目はあんまり頼れないと思うけれど、一度、雫に話してみることにしよう。
「雫、これならどうだ?」
「へー柾木って、こういう服が好きなんだ」
「い、いや、雫に似合う気がしただけで……」
なぜだろう。私は思わず、雫から視線をそらしていた。べ、別に恥ずかしいものでもなんでもないはずなのに。おかしいな。
「じゃ、着てみるから、待っててね」
「ああ」
私が選んだ服を手にして、雫は脱衣室へと消えていった。ど、どうなるんだろう。似合うんだろうか。ドキドキする心臓をなんとか抑え込んで、私は外でひたすら雫を待つ。
そうやって、しばらく時間が経った後。
「じゃじゃーん、どう、似合う?」
私の選んだ服を身にまとった雫が、やっと脱衣室から出てきた。
……き、綺麗。
いつものような雫であるはずなのに、なぜか、ものすごく特別に感じる。
雫とももう、だいぶ長い付き合いになっていると思っていたのに……まだまだ、私の知らない雫の姿があったんだ。ちょっと驚き。
「えへへ、柾木が選んでくれたからもっとかわいく見えてるかも。どう? わたし、かわいい?」
「ああ、かわいい……っていうか、とてもいい感じだと、思う」
「ほんと? やった~~!」
私の感想を聞くと、雫は空でも飛ぶ勢いで大いに喜んだ。その輝いている瞳を見ると、こっちまでつい嬉しくなってしまう。
かわいい子をもっとかわいく見せられて、本当によかった。
ちょっと怖かったのも事実だが、雫が喜んでいる様子を見て、私はようやく、ひそかに胸を撫で下ろす。
「今日は楽しかったね、柾木」
帰り道、こっちを振り向きながら、雫はそんなことを話しかけた。
「ああ」
「おかげでまた、かわいい服、増えちゃった」
そう言いながら、雫は少し舌を出す。その顔も小悪魔的にかわいくて、同じ女の子だというのに、惚れてしまいそうだ。
「わたし、やっぱり柾木みたいな彼氏がいて、幸せ者だね」
「またそういう話を……」
「だって、本当だもの。毎日喋ってても飽きが来ないくらい」
そんなことを聞かれると、こっちはどう答えたらいいのか、まったくわからない。私はこのまま、ずっと雫の彼氏にはいられないのだ。
「わたしね、柾木みたいな彼氏がいて、本当によかった」
「……ああ」
「まるで夢みたい。わたしの気持ち、いつも察してくれて、好きなものも似てて。実はわたしより勝手なところあるのに、いつもわたしに合わせてくれてて」
「……」
「理想の彼氏すぎる、とでも言えばいいかな? わたしに都合が良すぎる気がして。えへへっ」
「……よかったな、それは」
それは、残酷だ。
私はずっと、雫にとって、そんな「彼氏」でいたいと思っていた。
そのような存在でありたい、と思ってたんだ。
私が、それでしか雫の側にいられないのならば。
自分がそんなことを考えていると、ふと雫が、こっちに振り向いた。
「あ、そだ。柾木、わたしの手、つかむ?」
「あ……ああ」
「ふふっ、こういうの、好き」
今はこうして繋がっているけれど、私たち、いつまでこのままでいられるのだろうか。
雫がさりげなく差し伸べたその手をゆっくりと掴みながら、私は一人で、そんなことを考えていた。