04. 学園の中の迷子
「しーちゃん」
学園についてから、私はすぐ、しーちゃんのところに行った。
最近、中々話す機会がなかったから、しーちゃんが元気にしてたかどうか気になっていたところだった。
「うん。柾木ちゃん。お久しぶり」
しーちゃんは、いつものようにそう言ってくれる。
あ。よかった。
やっぱり、しーちゃんはいつでも、私のことをあたたかく迎えてくれる。
「うん。元気にしてた? 私がいなくて、大丈夫だったの?」
「そんな、ひどい。わたしは大丈夫だったよ。子供じゃあるまいし」
「ならよかった。最近は連絡も取れなかったからね。私、とても心配で」
「ほんとに大丈夫だよ。柾木ちゃんは心配性なんだから」
この子の名前は楠木詩音と言って、私の少ない友達の一人である。
学園には中々来れないから、しーちゃんのような子には本当に助けられている。
しーちゃんは「他にも友達はいるから」と言ってくれるんだけど、やっぱり私がいないと、どこか寂しがってそうに思えた。
だから、今、この時間は、私にとって、とても大切なものだったりする。
「それで、連絡、いつもしてくれてありがとう」
「うん。別に手間じゃなかったから、平気」
しーちゃんは照れ笑いながら、そう答えてくれた。
学園の連絡や大切なことは、もちろん「端末」で見られるけど、それだけではよくわからないことも多い。私のように、いつも学園にいられないのなら尚更だ。
そんな時、いつもしーちゃんは私のことを助けてくれた。私は何もしてやれないのに、しーちゃんは本当に優しい。
「いつもありがとう。これ、大変なんでしょ?」
「それでもないの。これくらい平気だってば」
「ごめん。いつか私、ちゃんと恩返しするから」
「大丈夫だって、今日、昼ごはん一緒に食べるくらいで」
照れながらそんな事を口にすると、しーちゃんはあはは、と笑いながら手を振ってくれた。
ありがとう。しーちゃん。
私って、友だちって呼べるかどうなのかも怪しいのに、いつもこんな風に助けてくれて――
「あ、高坂さんに楠木さん」
その時、突然、以前聞いたことのある爽やかな声が聞こえてきた。
その声の方に振り向いてみると、やっぱり、あんまり会いたくない奴がそこにいた。
私のクラスメイトである、橘と言う男だった。どこか人気者っぽいイメージで、あえていうと爽やか系かな。ちょっとお茶目には見えるけど、よく見ると、大人びたところもある。背が高くて性格も明るく、みんなに愛されると思われる、そんな奴だった。
でも、なぜか私はこいつがあまり気に入らない。
……確か、下の名前は秀樹っていったかな。
まあ、私にとってはどうでもいいことなんだけど。
「あんた、私に何か用でもあるの?」
私はそいつを見ながら、冷たい声でそう言った。
この橘っていう男は、いつも私が学園に来るたびに、このようにしつこく話かけてくる。
ほかのクラスメイトたちはそうしないのに、何故かこの男だけはニコニコ笑いながら、私にちょっかいを出してくるのだ。
正直、かなりいらつく。
なんでこいつは、ただの他人である私にこんなにしつこくするんだろう。
今朝お姉ちゃんにも言ったけど、私は決してこいつが好きなわけじゃない。
なんだか私のことを弄ぶような口調だし、いつもチャラチャラしてるし、どこか気に入らないところだらけだ。
それに、以前席替えをしてからは私が橘の後ろの方になったため、授業に集中しようとすれば、斜め側ではあるものの、その後ろ姿が目に入るのもちょっと腹立つ。
「高坂さん、なんか冷たいな。せっかく学園で会えたのに」
「こっちは、あんたとあまり会いたくないけど」
「それは酷いな。俺たち、クラスメイトだろ? ならば、こうしてお喋りするのも悪くないと思うけど」
「それはあなたの勘違い。私はあんたにまったく用がないの。もうあっちに行ってくれない? これで今日は私の顔も見たんでしょ?」
それから私は、橘を無視して自分の席に戻った。
しーちゃんも見慣れた風景なんだからか、苦笑いだけを浮かべるだけだった。
橘の奴は、まあ、どうでもいい。
私は、あんなやつ、ぜんぜん好きじゃないんだから。
そんな感じで、今日の授業は終わった。
久しぶりに学園に来たことはよかったんだけど、やっぱり集中ができないのはちょっと困る。
それに、席替えしてからは橘の後ろ姿が目に入る時もあるから、必死で目をそらさないといけないし。まあ、橘が座っているところは窓の近くなんだから、無視しようとすれば簡単ではあるけれど……。
でも、もういい。
今日は学園に来られたから、それでいいんだ。
こんな機会、本当に多くはないんだから。
私はそう思いながら、家に帰るためグラウンドに向かって歩いていた。
6月の空は今日も綺麗で、私と言う存在がちっぽけに感じられるくらいだった。
空を見ると、いつも落ちつく。
だから、空をぼっと眺めているのは好きだった。
「高坂さん!」
そんな事を思っていた私は、突然聞こえてきた「あいつ」の声にびっくりした。
「な、なに?!」
慌てて振り返ると、そこには、あの声の主、橘がいた。
――あいつ、なんで今日はここまでしつこいの?
いつもなら、昼ごはんの頃に私にちょっかいを出してきて、私が無視して、それで終わりなのに。
「あの、今、帰るのか」
橘はいつもと違って、なんだか戸惑っているような口調だった。
その姿は本当に情けなくて、私が知っている橘だとは、ちょっと思えなかった。
「帰るんだけど、何?」
私が冷たい声でそう言うと、橘は一度深呼吸して、こっちを真剣に見つめた。
「その、ひ、ひとつ、お願いがあるんだけど」
なんか、凄くたどたどしい。
いつものんきで軽い、あの橘らしくない。
「何なの? 早く言ってよ」
そう促すと、彼は困った顔で、こんなことを言い出す。
「俺のこと、その、少しだけ、真面目に考えてくれないかな」
「……は?」
一瞬、なんと返せばいいのかわからなかった。
「あの、意味がよくわからないんだけど」
「言葉通りだよ。俺のこと、もうちょっと真面目に考えてくれないかな、と言う話」
そう言いながらも、橘は、一瞬も私から視線を逸らせなかった。
その態度は、確かに「あの」橘とは思われない、すごく真面目なものだった。
「……どうして?」
「俺は、高坂さんの事、本当に気になってるから」
そう言いながら、橘は私をじっと見つめる。
「だからお願いしたかったんだ。次に会うときは、もうちょっとだけ、ほんのちょっぴり出いいから、高坂さんの優しい声が聞きたいな、なんて――」
「あんた、私のことをまたからかうつもり?」
たんだん訳が分からなくなる橘の話を切って、私は冷たい声でそう言った。
「違うよ。俺は、ただ」
「私とあなたって、そんなに長い付き合いだった?」
私はそう言いながら、橘を睨んだ。
橘は、ちょっと赤くなった顔で、視線は逸らさず、私を見つめている。
「そんなわけじゃない。でも、高坂さんも覚えてるよね? 4月の頃――」
「あの頃は、あんたが私にここまで絡みこんでなかったじゃない」
私ははっきりと、それを口にした。
なんでこの男は、そんなくだらない理由で、私にここまでしつこくするんだろう。
こんなこと、ただの下心に決まってるのに。
「私もあんたがここまですると知ったら、そんなことしなかったと思う」
「ごめん。そのつもりじゃなかった。でも、高坂さんと会える機会って、なかなかないんだから」
「そうだよね。でも、私はあなたと親しくするつもりは全くない。少なくても今はそうなの。まだ私たち、出会って2ヶ月も経ってないでしょ?」
「でも、高坂さん――」
「私、これからちょっと忙しいの」
再び話しかけてきた橘を、私は完全に無視した。もう、何を話しても無駄だったからだ。
「だから、続きは後ってことで。それじゃ」
「ちょ、待ってくれ。高坂さんっ!!」
私はうるさい橘を置いといて、 再び校門に向かって歩き出した。
――本当に、わけがわからない。
何であの橘というやつは、私にそこまでこだわるんだろう?
本当に私に惚れたから、なんだろうか?
そうだったら不思議だ。
私のような可愛げのない女の子を、なぜそこまで好いてくれるのだろう。
さっきはあんなこと言ってしまったんだけど、別に、橘のことが嫌いってわけじゃない。
子供の頃にはたしかに、男なんてみんな嫌いだった。だが、いろいろな事情を抱えている今の私に、男嫌いなんてできるはずがない。
それはもう、ほんとうに昔の話だ。
なのに、なぜ私は、橘を目にするたびにここまでいらつくのだろう。嫌いなのかと言われると、別にそんなわけでもないのに。