26.決断の時
「柾木、ここがわかんないんだけどさー」
その日、私は自分の執務室で、秀樹に勉強を教えていた。
秀樹もしばらく学園に行ってないし、私も今日はまだ余裕があったため、こうしていっしょに勉強することにしたのだ。
まあ、もう二人きりでいることにもだいぶ慣れたけど、最近は自分の気持ちに気づいたからか、こうしていることが妙に照れくさい。
別に、秀樹に勉強を教えるのは今度がはじめてじゃないんだけど。
たぶん、以前、あまり秀樹のことを良く思ってなかった時に、向こうから頼まれて勉強を教えたことがあったはずだ。
もうちょっと昔のことだから、私もよくは覚えてないけれど……。
「柾木って、成績良い方だったよね」
そんなことを思っていたら、急に秀樹から、そのように話しかけられた。
「ま、まあ、悪くはないが」
たしかに、自分の成績はそこまで悪くない。こんなふうに、秀樹に勉強を頼まれるくらいは良い方……だと思う。あまり自信はないけど。
「特に英語とか。以前聞かせてもらったけど、すごくない?」
「いや、別に、ちょっとした意思疎通ができるくらいだが……」
「だーかーら! そこがすごいんだよ。うらやましいなー」
ダメだ。また、恥ずかしくなってしまう。
秀樹って、褒めることがものすごく上手いんだけど、それが時にはこそばゆくなるっていうか、なんていうか……。
そんなことを話したりしつつ、勉強会は穏やかに過ぎていった。
私も秀樹も、勉強には真面目に取りかかる性格だからか、執務室はとても静かである。そもそも、自分だってあまり学園に行けていないから、ちゃんと勉強する必要があるし、無駄なことはしたくなかった。
……そうだというのに、なぜか、目の前からすごい視線を感じる。頭を上げてみると、秀樹がこっちを顔をじっと見つめていた。
「何だ?」
そう聞いてみたら、秀樹は急にハッとする。まるで現実に戻されたような顔だった。な、なんだろう。何か変なことでも……?
「あ、ごめん。ちょっと見惚れていたよ」
「ぷっ!!」
な、何、今の、いったい何?!
こ、これはいったい何の攻撃なんだろう。あまりにも不意打ちすぎて、どう反応すればいいのかわからない。
「お、お前、今、なんて……なんと言った?!」
「え、これ、そこまで動揺すること?」
ダメだ。秀樹は今、ものすごくキョトンとした顔である。
た、たしかに、そこまでびっくりすることではなかったかもしれないけど……。
でも、今までだって秀樹にいろいろ言われたわけだが、ここまで心臓が止まりそうになったのは、今度が初めてだった。
「あの、柾木さん? なんでそこまで俯いていらっしゃるんですか?!」
「さ、察してくれ。こういう時もある……」
あまりにも恥ずかしかったため、私は未だに、顔すらまともに上げられずにいた。
お、落ちつけ自分。これはちょっとした……そう、ちょっとしたジョークだ。秀樹なりの、いつもの話し方なんだ。だから、そこまで動揺しなくても――
「だ、だが、そういう言い回しはいったいどこで――」
「あ、ネットで見つけたよ。いやー昔のネットは、探ってると面白いセリフに出くわすねぇ。だからちょっと使ってみた」
「ちょっと使ってみた、って……」
こっちはここまで振り回されっぱなしだというのに、秀樹にとっては、ただの「ちょっと試しに」だったんだ。いや、いつものことではあるけど。
「とはいえ、その、今の俺の姿なんて、見ても面白くないだろ? 秀樹って男なわけだし……」
「え、そうか? 別にそうでもないけど」
私がようやく頭を上げると、秀樹は平然とそんなことを口にする。
「今の表情は元の方と似てるなーとか、こんな風に違って見えるんだーとか、けっこう面白いから。あと、想像する楽しさってものがあるし。元の姿ならどんな感じだったんだろーなんてね」
「そ、そうか……」
自分には到底わかりそうになかったが、私はともかく、そう答えた。
心臓が、危ないくらいドキドキしている。
このまま、止まってしまったらどうしよう、と思えるくらいに。
――このままじゃダメだ。
秀樹が事務室から帰った後、私はひとりで、そんなことを考えた。
だって、このままじゃ、本当に、私が我慢できない。秀樹ってストレート過ぎるっていうか、いつもこんなふうに、私のことが好きだって言ってくるんだ。
こっちがどれくらい、それに一喜一憂しているのかはまったく知らずに。
このままじゃ、自分は耐えられなくて、死ぬ。なんとなくそんな気がする。あまりにも子供っぽい話だけど、事実だ。
これなら、どれだけ恥ずかしくても、自分から告白してしまった方がマシだ。
どうせ、このままじゃ、秀樹はどれくらい時が過ぎても、私が自分のことを好きでいるだなんて、思いもしない。
以前、その件で拗ねていたことはなんとかなったけど、やっぱり秀樹って、私は絶対に自分に惚れないとか、そんなふうに思い込んでいるはずだ。
だから、こっちから行動を起こすのは、当たり前の話である。自分だって、こんな苦しい思いをするなら、早くこの気持ちを打ち明けて、楽になりたかった。
もちろん、怖くないわけがない。秀樹は、私のことを頼ってくれてるし、甘えてくれてるけど、それが果たして、私と同じ「好き」なのかはわからない。変に関係がこじれることだって、もちろんあり得るだろう。
でも、このままじゃ――
――このままじゃ、私が、もうダメになってしまう。
ひょっとして、私は。
自分はそこまで否定していたのだけど、初めてから秀樹のことが好きだったり、したのだろうか――