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23.今度は秀樹の家に行くことになった

「……ここなのか?」

「うん! ここが俺んち。柾木は初めてだよね?」

「そりゃ当たり前だと思うが……」

 次の日。

 私は生まれて初めて、秀樹の家の前にやってきた。秀樹にものすごい勢いで「いっしょに行こうよ~」と誘われたのが原因である。

 最近、秀樹は状況も安定されてきたため、「別の姿」ではあるが、私といっしょならしばらく家に戻っていてもいい、という許可をもらった。それで、どうしても私といっしょに行きたいと秀樹が言ってきたものだから、自分もここにいるわけだ。

 まあ、どうせ自分も行くのは変わらないけど、秀樹の誘いがなかなか強烈で……。これって、昨日の雫との出会いが影響しているのかな。

「これで俺も柾木のこと、家に迎えたんだから……綾観さんに負けてないよね?」

「……あ?」

 どうしよう。

 このケンカ、しばらく落ちつきそうにない。

 昨日の夜は雫も「橘さんに負けるだなんて、くやしいっ!!」とか言ってきたし、私、どうすれば……。


 それはそれとして、初めて秀樹の家を訪れると思ったら、すごく緊張してきた。

 あまりそういうフリはしてないけど、他人の家にやってくるなんて、ものすごく久しぶり。それも異性……である秀樹の家なら、なおさらだ。

 ……自分が、秀樹の家に来ることになるだなんて。

 これ、一週間くらい前の自分に教えたら、どんな顔するんだろう。

 最近、こんなことを、とてもよく考えはじめたような気がする。

「じゃ、待っててね、柾木。すぐベルを鳴らすから」

 そんなことを言って、秀樹は近くのベルをぐっと押す。そしたら、すぐ中からすごい音がしてきて、ドアがばっと、勢いよく開いた。

「秀樹ちゃん! 平気だった? お姉ちゃんのこと、恋しくなかったの?!」

 そこから飛び出して来たのは、ものすごくやさしそうな印象の女の人。

 優しいっていうか、お姉ちゃんより多少のんきな印象を持つ人だった。歳はお姉ちゃんと同じくらいかな。なんとなく秀樹の姉だというのが納得できる、そんな人だと思えた。

 のほほんとして、ゆるやかな雰囲気。

 うちのお姉ちゃんより、のんびりしていて、ものすごくいい人だな、って感じがした。

「は、始めまして。秀樹のことでお世話になっております、高坂柾木といいます」

「あらあら、貴方が秀樹のお友だち? わたしは橘ゆかり。よろしくね」

「む~。姉貴のことはもういいから、早く入ろうよ」

 どうしたんだろう、秀樹が口をとがらせている。

 なぜかはわからないが、いつもの態度とは違う気がした。

「はいはい、秀樹ちゃんも中に入りましょうね」

「はいはい」

 こ、これで大丈夫なんだろうか。

 なんか、ちょっとおかしい気もするんだけど……。


「さあ、いっしょに食べましょう」

「ありがとうございます。いただきます」

 その日の晩ごはんは、秀樹の家で取ることになった。

 ゆかりさんの手作りごはんは、お姉ちゃんにも負けないくらい、やわらかくてすごくおいしかった。私も少し手伝ったけれど、ゆかりさんの口にあったらしく、「おいしいねぇ」と言ってもらった。

 まるでお姉ちゃんとの食事のように、ゆるやかと過ぎてゆく時間。

 私はその感覚に、どこか安心していた。

「秀樹ちゃんのこと、構ってくれてほんとうにありがとね、柾木さん」

「い、いえ、どういたしまして」

 私が遠慮していると、秀樹はどこかムッとした顔になった。え、なんでだろう。なんか間違えた?

「そんなの、姉貴から言わなくてもいいだろ。俺のことだからさ」

「あら、そうなの?」

「そうそう。いつも子供扱いして」

 あれ、今、秀樹、ゆかりさんに拗ねている?

 おかしいっていうか、そういや、さっきも秀樹はゆかりさんに対してああいう態度だった。

 どうしよう、ちょっとかわいい。

 これって、つんつんしている、ということであってるよね?

「秀樹ちゃんはこんなところが可愛いんだから」

「べ、別に姉貴にかわいく見えたくてこうしてるんじゃない」

 やっぱり、これはつんつんしている態度だ。

 秀樹って、いつも私に甘えてきたり大人びたり爽やかだったりするんだけど、こんな態度も取るんだ。秀樹なら、誰にでも素直な態度を取るんだろうと、てっきりそう思っていた。

「ま、柾木もあまり誤解しないでね。いつもこんなふうに姉貴と過ごしてるわけじゃないから」

「あ、ああ」

 でも、こんな秀樹の姿、嫌いじゃない。むしろ好きだ。

 なんと言えばいいんだろうか、自分との思わぬ共通点を見つけたというか。上手く言えないけど、今の私はそんな気持ちだった。

 どうしよう、吹いてしまいそうだ。

 きっと、秀樹はそんなの、ものすごく嫌がるんだろうけど。

「む~~。柾木って、今のことめっちゃ誤解してるじゃん。こんなつもりじゃなかったのに」

「よかったね。秀樹ちゃん」

「どこがだよ~」

 でも、このやわらかな雰囲気は、すごく好きだ。秀樹はこんなところで育ってきたんだな、と自然に頷ける。

「そういや、秀樹ちゃん、柾木さんにも話していいかな?」

 その時、ゆかりさんが急にそんなことを言ってきた。秀樹はなんでもない顔で、すぐ頷く。

「まあ、柾木んちの事情も聞いたわけだし、隠すことでもないだろ」

「そうだよね。それじゃ柾木さん、うちの話、聞いてくれる?」

 なんだろう。そこまで改めて話すことなのかな。

 でも、「私の家の事情」とか言っていたのが、ちょっと気になる。まさか、秀樹の家も――

「わたしたちの両親、もういないの。秀樹が子供の頃にいなくなって」

「……あ、そうなんですか」

 ああ、そういうことか。

 さっき、食事をしながら私の家の事情をつい口にしてしまったからか、ゆかりさんはそっちの事情を語ろうと思い立ったらしい。

「そう。交通事故でね、お父さんもお母さんも、いなくなったの」

「まあ、今になってはちょっと悔しいけどな」

 その気持ちはよくわかる。それはまだ、道路での自動運転が義務化されなかった頃の話だったのだろう。たぶん、秀樹と私が幼稚園の頃の話かな。

 今ならば、このような世の中になっているんだから、人間による交通事故とか、滅多に起きない。だから、今から振り返ってみると、「もうちょっとで、そんな事故に合わなくて済んだハズなのに」みたいな、惜しい気持ちになるのも仕方ないと言える。

 でも、そうだったのか。

 今までの秀樹は、そんな素振りなど、これっぽっちも見せてなかった。

「まあ、もう大丈夫だよ。柾木だって美咲さんといっしょに暮らしてたんだろ? 同じようなものだって」

「いや、それほどでも……」

 滅多に戻っては来なかったけど、私の方はお父さんがいたし、そう簡単に言い切れることでもないと思う。

 こんなの、比べることに何の意味もないはずだけど……。

 きっと、秀樹だって、辛い時が幾つかあったのだろう。今は私もいるし、姉であるゆかりさんもいるから、わざと強いフリをしてみせているだけだ。

 だから、ここは私も気づいていないフリをするのが、きっと礼儀だと思う。秀樹が私の時に、そうしてくれたように。

「だからね」

 その時、ゆかりさんがまたそんなことを言った。いつもよりも更にやさしい声のような気がする。私にはまだ、よくわからないけれど。

「秀樹ちゃんのこと、これからもよろしくね」

「む~姉貴! 俺は子供じゃないって言ったんだろ?!」

 秀樹はまだ拗ねてみせたが、それがゆかりさんの本心であることは、私にもよく伝わってきた。きっと、それはあの時、美咲お姉ちゃんの抱いていた気持ちと同じなんだろう。ゆかりさんは誰よりも、秀樹のことを大切に思っているのだ。

「はい」

 だから、私は迷いなく、そう答える。

 秀樹はものすごく悔しいって顔で、私のことをじっと睨んでいた。


「じゃーん。ここが俺の部屋!」

「なんでそこまで偉そうなんだ」

 そうして夕食を終わらせてから、私は二階にある秀樹の部屋にやってきた。秀樹は久しぶりに自分の部屋に戻れて嬉しかったのか、すぐベッドに飛び込んでゴロゴロしている。

「ああ~やわらかい~~。自分ん部屋の布団サイコー」

「まったく」

 それを呆れつつ眺めていた私は、ふと、秀樹の部屋が思いの外綺麗なことに驚く。慎治のことをずっと見ていたせいか、男の部屋は、もっと汚い印象があった。モノが散らかってるとか、そういう感じで。

「わりと片づけられてるな」

「そう? 別に普通だと思うけど」

 そう答えた秀樹は、しばらくしてから、ジト目でこっちをじっと見つめる。なんか、ものすごく不満があるような顔だった。

「ひょっとして、俺ってそこまでだらしないやつに見えたわけ?」

「いや、別にそういうわけじゃ……」

「しくしく」

 なぜだろう。秀樹はものすごく、がっかりしていた。これってそこまで傷つくようなものかな。まあ、私の偏見だったってことだから、それはもういいんだけど。

「でも俺、匂い臭いなぁ」

 しばらく布団に飛び込んだまま、枕に顔を埋めていた秀樹は、ふと、そんなことを口にする。まあ、よく考えると、ここに染み込んでいるのは男の匂いだから、今の秀樹がそう感じるのもおかしくはない。

 こうしてゆっくりと床に座っていれば、なぜか、秀樹らしさがこっちまで伝わっているような気がする。部屋にはあまりモノが置かれてなかったけど、だからこそ、好きなモノが目立っている。たとえば、ギターとか……。

 ……えっ、ギター?

「あ、知らなかった? 俺って、ギター弾けるんだよね。バンドとか、そういうの好きなんだ」

「そうだったのか」

 意外っていうか、それは考えてもみなかった。秀樹って、私にはまだわからないところが多いんだな。いまさらだけど。

「あ、そだ。柾木もいつかバンド、やってみない? ボーカルとかで」

「お、俺が?」

「うん、以前の柾木の歌声、かなりイケてたし」

「あの声で、か……」

 あの時のことは、今思い出してもかなり恥ずかしい。夜更かしの時に歌った子守唄なんて、できる限りは思い出したくないものだ。

 それに、その歌でバンドの、それもボーカルに誘われるだなんて。

 恥ずかしい。照れくさい。そんなの、思い浮かべだだけで死ぬ。

「まあ、今の俺は、柾木がここにいてくれるだけで十分幸せだけどね」

「そ、そうか」

「うん! まるで夢みたい。これってホントに現実なのかな~」

 そんなことを言われて、私は目も合わせなくなってしまった。

 べ、別に、そこまで感動しなくてもいいと思うんだけど。

「別に、女の子……っていうか、ここに来たことは俺だけじゃないと思うが」

「あ、そうだ」

 それを聞くと、秀樹は急に真面目な顔になる。どうしたんだろう? 何か恐れているような気もするけど……。

「えっと、怒らない?」

「何がだ?」

「いや、別に昔の話なんだけど……俺、一年前くらいに、付き合ってた子いるんだ。クラスメイトの女子で」

「あ、そうなのか」

 それも初耳だ。でも、別に嫌な気持ちではない。私だって、ちょっと変わってる事情だけど、雫がいるわけだし。

 だから、別に、残念だとか、そういう気持ちはまったくない。本当だ。

「だいたい二週間くらい付き合って別れたかな。その時、あれやこれややってたんだ。キスとか、そういうの」

「そうなのか」

「……怒らない?」

「別に、俺も雫とああいうことしたし、平気だろ」

「あ、綾觀さんと?!」

 あっ、つい言ってしまった。別にここまで言う必用はなかったのに。

 今度は、こっちの方が頭を上げなくなってしまった。

 まあ、想定くらいは秀樹もしていたと思うけど、恥ずかしいっていうか、なんていうか……。

「あ、そういや言ってたね。あはは、あははは」

「あははは……」

 ダメだ。変な空気になっている。

 二人しかないこの部屋で、ああいう話題はさすがに危なかった。

 ど、どうしよう。なんとかした方がいいかも……。

「でもね、あの時のこと、いい経験になったと今では思ってる」

「え?」

「誰かと付き合う時の気持ちっていうか、そういうのを学んだ。誰かを大切にすること、と言えばいいかな。ともかく、それがよくわかったよ」

「そうなのか」

「そうそう。この姿とか、両親の件もそんな感じだよ。女の子ってこんなふうに感じるんだーとか、こうなって気がついたの、案外多かったりする」

 すごいな、と私は思った。

 だって、私たちくらいなら、まだ誰かと付き合って別れたとしても、そこまですごいことは思わない。

 でも、秀樹は違う。自分の過ちとか、間違えたことをちゃんと反省しているんだ。もし自分だったとしても、そこまではできそうにない。

 それに、今のように望まなかった状況に置かれても、こんなふうにポジティブに受け入れたりするし。昔の私と比べると大違いだ。

 私は素直に、秀樹に感心していた。

 以前の私は、秀樹のことをちょっと軽い男だと思っていたけど、今はそうじゃない。

 それはあくまで、私の偏った考えでしかなかったんだ。



「でもお前、本当に大丈夫なのか?」

「ん?」

 気がつけば、私は秀樹にそんなことを聞いていた。もちろん、さっきのこともそうだけど、秀樹って、なんでもないフリっていうか、そういうのが上手い気がしたからだ。

 ああいうこと、やっぱり長くやっていたら疲れてしまう。

 どうしてなのかはわからないが、私はそんなことを心配していた。

「さっきにもそうだけど、秀樹ってすぐなんでもないフリをするんだろ。強がりとか、そういうわけじゃないのか、と聞いてるんだ」

「なんだ、そういうこと」

 秀樹はそう笑い飛ばしていたが、やはり私はそれが心配だった。自分だって、似た経験をしてきたわけなのだから。そういうのが辛いって、自分でもよくわかっているのだ。

 つまり、他人事には思えない。

「別に気にしなくてもいいって。俺は平気だからさ」

「そうだったらいいが」

「飽きちゃったし、もうその話は終わり。わかった?」

 秀樹はそう言い切ったけど、やはり、気にかかる。わざと元気なフリをしてるけど、今の秀樹が強がっているのは、私から見て明らかだった。

 とはいえ、これ以上踏み込むのもあまりよくないと思う。自分だって、そういう経験はあるのだから。

 だから、今はこのまま流した方がいいかもしれない。

 秀樹にはやっぱり、元気でいてほしいけど。

「それはどうでもいいけどさ、柾木って今日、うちで寝てくんだよね? せっかくだしさ」

「まあ、そうなるんだろうな」

 そもそも、もう夜だ。だいぶ遅い。今日はそこまで忙しくもないし、たぶん、このまま秀樹の家でお世話になるんだろう。

 とはいえ、今のような姿である私がこの部屋で眠れるわけでもなく、たぶん居間あたりで寝ることになると思うけど。秀樹の家にはあまり空き部屋とかもないらしく、外部からやってきた私が眠るためには、やはり居間しかないようだった。

「えっ、でも、本当にあそこでいいの?」

「別にいいだろ。布団も貸していただけるわけだし」

「でも、でも~」

 私がそんなことを口にすると、秀樹はだいぶ困った顔をする。とはいえ、私たち、別に付き合ってるわけじゃないし、いっしょに寝るのはやはり危険だ。主に私の心臓が。

「別に、ここは秀樹の家だから、俺はここでいいだろ? じゃ、おやすみ」

「でも~~」

 私はそんな秀樹を見ぬふりして、敷かれた布団の上で眠りにつく。秀樹はやはり、何か不満げな顔で私を見下ろしていたが、やがて諦めたか、ブツブツしながら部屋へと戻っていった。


 次の日の朝。私はまだ見慣れてない秀樹の家のキッチンで、ゆかりさんの朝ごはんをいただく。

「昨日は大変だったね、柾木さん。目覚めはどうだった?」

「あ、平気です。お気遣い、どうもありがとうございます」

「おお、礼儀正しいっ! さすが、秀樹ちゃんの見込んだ子だね~」

「姉貴、そういう言い方はやめろよ。恥ずかしいっ」

 そんな会話が繰り返されている間、私はゆっくりとゆかりさんの卵焼きを口にする。おいしかった。お姉ちゃんにも食べさせてあげたい。

「とてもおいしいですね」

「あらあら~」

「ま、うちの姉貴も、料理はうまいからな。それはそれとして……」

 そんなことを言いながら、秀樹はこっちを見る。なんかニヤニヤしている顔だった。

「柾木の寝顔、かわいかったなぁ」

「な、なんのことだ?」

 ま、まさか、自分の寝顔、見られてた?!

 いや、よく考えると初めてじゃないけど……でも、恥ずかしいことは恥ずかしい。

「なんかね、元の方の寝顔を見てるような気がしてね、ずっと眺めてた」

「……あ?!」

 なんか、私、今、ものすごく秀樹に遊ばれているような気がする。

 そこまで昨日のことが悔しかったのかな。ただ私は、眠れるところだったら居間でもどこでもよかったのに。

 っていうか、そこまで眺められたのに、起きなかったんだ、私。

 最近、そこまで疲れてたのかな……。

「ふふっ」

 そんな私たちを、ゆかりさんが微笑まそうに眺めている。

 こ、今度はなんだろう。何かおかしなところでもあったかな……?

「ふたりとも、とても仲がいいね。お姉ちゃんはうれしいな」

「きゅ、急に何言い出すんだよ、姉貴!!」

 これは予想外だったのか、秀樹がまた、ゆかりさんに向かって拗ねてみせる。やはりこういう秀樹を見ると、ものすごくかわいく感じられた。

 こういう話を聞くのは、ちょっと恥ずかしいけど。

 でも、ここで変なことを言ったら、まだからかわれそうだし。

「ふふ、そう言って、すっかり仲良くなっちゃって~」

「柾木はその気なんかないってば! 聞いてる、姉貴?」

 いつものような、穏やかな朝。

 いつもとは違う、賑やかな朝食の時間が過ぎていった。

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