22.正妻の座は渡さない
それは、私が作戦部長に決まって、間もない頃の話。
「話は聞いた。あの作戦部長は、お前に決まったようだな」
あの時のように、廊下で出会うことになったお父さんは、私にそう話しかけた。
もちろん、お父さんは私より偉いのだから、ああ言う話にも初めてから関わっていたのだろう。
「はい。そのようですが……」
「まあ、お前のことだ。少なくともだらしないことにはならないだろう」
それは果たして、褒め言葉だったのだろうか。
今振り返ってみても、私にはあまり自信がない。
お父さんは、それだけを残して、その場を離れてしまった。
私を心配することもなかったし、励ましてくれることもなかった。
よく考えてみると、それは決しておかしい反応ではない。少なくとも、お父さんにとってはそうだ。
お父さんは、私が「別の姿」になることすら、なんとも思っていなかった人だ。なのに、私にああいう責任が負われたことくらいで、大げさな反応を返すわけがない。
たぶん、お父さんにとって、私の性別とか、そういうのは何の意味もないのだろう。気にする価値すらないもの、と思われている可能性が高い。お父さんはいつも、私たち姉妹にそういう態度をとっていた。
別に、私たちを愛していないとか、そういうわけではないと思うが……。
だが、やはり、そんなことを思ってしまうと、どうしようもなく、心が辛くなる。
お父さんのことは、尊敬している。いつだってそれだけは変わらなかったはずだ。
なら、この気持ちはなんだろう。
私は、どんなふうに思えば――
――パッ!
自分がまた的を外したことに気づき、私はハッとする。
やはり、射撃の訓練の途中に、うっかり雑念が入ったことがダメだった。刹那の心のブレすら、射撃には致命的だというのに。
しっかりしろ、私。
今は久しぶりに、自分の腕を確かめるため、「組織」の建物の中にある、この射撃場までやってきたはずだ。
いちおう、外には警察ってことになっているわけだから、こういう「それっぽい」訓練もちゃんと受けている。
それところか、だいたいの場合、現場担当は引退ーつまり「卒業」すると、もちろん筆記試験などは受けることになるものの、こんなふうに警察の道を歩むことが多い。この「組織」の活動で実戦もだいぶ経験したわけだし、警察にとっては即戦力になるからだ。
私も、もちろんあっちから見ると即戦力なんだろう。今はここの仕事もあるし、学園生なのだから無理なんだけど、いつかはそのような座につくかもしれない。いや、作戦部長とか多少偉い位置にあるのだから、すでにそのようなものだと言えなくもない。
まあ、今の私にはどうでもいい話なんだけど。
ともかく、今重要なことは、訓練の質が悪くなっている、ということだ。
やはり、どれだけ撃っても、心がすっきりしない。
――今日は事務室に戻ろう。
こんな気持ちで射撃の練習なんかしていても、あまり意味はない。私はそう思った。
そんなことを思って、私が自分の事務室に戻るために廊下を歩いていた時だった。
あれ、廊下に秀樹と……誰かがいる。
えっ、あの子って、雫?!
今、二人で廊下で話し合っていた……ということなんだろうか?
……でも、一体何を?
まさか、私に関して話していたとか?
ダメだ。急に恥ずかしくなる。
何の話をしているのかはまったくわからないが、ともかく、私も急がないと……。
「だから、柾木の学園生活は、俺の方がもっと知ってるんだからね!」
「で、でも、わたし、柾木の婚約者だし!」
……え?
ようやく近くまでやってきた私は、二人の会話に目を丸くしてしまう。
な、何恥ずかしいこと言ってるかな。この二人。
ひょ、ひょっとして、これ、惚気自慢……? 私についての……?!
は、恥ずかしい。
どこか、逃げ穴はないのだろうか?
「あっ、ちょうどいいところに!」
その時、秀樹がこっちに振り向く。なぜだろう。その瞳はものすごく輝いていた。
な、なんでだろう?
まさか、本人に確認を取りたいから……とか?
「柾木、はっきり言ってやってよ。橘さん、ずっといっしょにいたわたしより、柾木のことに詳しいって!!」
「いや、別に俺はどうも……」
「ずるいよ綾観さん! 俺だって、学校での柾木のこと、誰よりも知ってるはずなのに!!」
「あのな、その、落ちついてくれ。頼むから」
本当にどうしたらいいんだろう。
これ、話になりそうにないんだけど……。
話を聞くと、昨日の夜以来、雫はどうしても私の顔が見たくなったらしい。
つまり、最近の私は秀樹にかかりっきりなんだから、やっぱり顔を見ておいた方が安心だったそうだ。だからなんとかここまでやってきたわけだが、私の事務室に来る途中に、秀樹の姿を見つけたらしい。
で、そこで過ぎ去ろうか、とも思ったものの、やっぱり柾木のことが好きな人(だと雫が勝手に決めつけた)同士として、いちおう話をつけておいた方がいい、と思って、勇気を出して、秀樹に話しかけたということだった。
「いや、ものすごく堂々としてたんだよね。綾観さん。こっちはオロオロしてたというのに、『あんたが柾木の新しいカノ……友だち?』と言ってきて」
「だって、こういうのは初めが肝心だもの」
「いや、これ、そういう話か?」
ともかく、そうやって話をすることになったけど、いざ話してみれば、秀樹の方も『俺の方が柾木に詳しいし、もっと好き』とか言い出したようだ。だから声がつい大きくなって、さっきのような会話にエスカレートしたらしい。
……あの音量で「つい大きく」なのか。
雫の話をじっと聞いていた私は、そう突っ込みたくなるのをどうにか我慢した。
だって、これ以上話がややこしくなると、こっちもすごく困る。
ただでさえ、今の状況はへんてこだというのに。
「む~。もうこんなのにも飽きちゃった。わたしが誰よりも柾木のこと好きなはずなのに、邪魔ばかり入っちゃって」
「あの、雫……?」
どうしてなのかはわからないが、雫は今の状況がすごく悔しいらしい。いや、別に怒ってるわけじゃないけど、これはその、ヤキモチなんだろうか?
それなら、愛されている方としては嬉しいと思えたら……いいんだけど。なぜだろう。むしろ今は、どこでもいいから逃げたくなった。
「だからね、もう結婚しちゃおうよ。柾木。どうせ婚約したわけだし」
「そ、その話はまた後にでも――」
「やだやだーわたし、もう大きくなったから柾木と結婚するー」
「あのな……」
どうしよう、秀樹が私をすごく睨んでいる。あまり親しくない雫を睨むことはできないから、代わりにこっちを睨んでいるようだった。
わ、私にどうしろと。
雫も、ああいうわがままを言い始めると、なかなか止めないし。
っていうか、これ、いったい何のシチュエーションなんだろう。
私でケンカする秀樹と雫って……これで良いんだろうか?
なんか、ものすごくおかしな状況みたいに思えるけど……。
そもそも、ここ、いったん会社の廊下じゃなかったっけ?
「と、ともかく、行くぞ。秀樹」
「わんわん!!」
「やばい……守らなきゃ……正妻の座……」
し、雫は一体何をぶつぶつ言ってるんだろう。
ともかく、 私は顔も上げられず、どこか誇らしげな顔をした秀樹と連れて、周りの関係者……ほとんどの大人からの好奇の視線を浴びながら、そこを離れた。
だって、ずっとそこにいたら、もっと危ないことになりそうだったし……。
ああ、ツッコミところが多すぎて、どうしたらいいのかまったくわからない。