20.ついに自分の家にまで招いてしまった (2)
「そういや、機械はどこにあるの?」
秀樹からそんなことを聞かれた私は、もう一度、あの機械のある部屋までやってきた。もちろん、なぜかキラキラした目の秀樹といっしょだ。
この部屋は、家にある他の部屋よりも一回り大きい。それなのに、その半分くらいをあの大きな機械が占めているため、そこまで大きくは見えないのが不思議だった。
「ふむふむ、これがあの機械か……思ったより素っ気ないな」
初めて、「機械」を目の前にした秀樹は、そのような言葉で第一印象を語った。
「でも、柾木は実際にアレで元の姿になってるんだよね。あれ、姿が変わるまでどれくらいかかるの?」
「まあ、最近は機械の性能もよくなってきたわけだから、長くて五分くらいだけど……秀樹もそれくらい、私のことを部屋で待ってたんでしょ?」
「あ、そういや」
もちろん、この機械が開発されてすぐ、「姿が変わる」のに五分しかかからなかったってわけではない。以前には十分、下手すると十五分は軽くかかったようだ。実際に、私より先にこの機械のお世話になったお姉ちゃんは、そのせいで家にいても元に戻れない時がよくあった。
それはそれとして、秀樹といっしょにこの機械をじっと見ていると、妙に恥ずかしい。
「でも不思議だな。科学の力っていうのはよくわからんー」
そんなことを口にしながら、秀樹はあの機械を触ってみたり、遠くからじっと見たりしている。今は元の姿に戻れないとはいえ、自分をこんな「別の姿」にした機械には興味があるらしい。
「ますます謎に思えてきた。これ、入るだけで認識してくれるの?」
「うん」
機械の「入り口」を見ながら、秀樹がそう聞いてくる。秀樹はこの機械を見るのが初めてだから、好奇心が生まれたのもおかしくはない。これがどう動くのか、それが不思議でたまらないのだろう。
私にとっては、すでに見慣れた機械でしかないんだけど。
秀樹にとっては、これが初めての「不思議」なんだ。
人を、人ならざるものに変えると言ってもおかしくはない機械だというのに、怖くはないのだろうか。
私はまた、よけいな心配をしてしまう。
「うわっ、うまそう!!」
「ふふ、ゆっくり食べてね」
「お姉ちゃん、以前よりも料理、上手くなってる……」
それから、私は秀樹、そしてお姉ちゃんといっしょに晩ごはんを食べる。
お姉ちゃんの手作り料理がたっぷり味わえる、とても大切な時間でもあった。私も家にいる時には、いつもお姉ちゃんの料理を楽しみにしている。
でも、なんでだろう。
せっかくお姉ちゃんの作った料理なのに、今日は少しムカついてしまう。
……やっぱり、自分の料理がお姉ちゃんより上手くないことが気にかかっているのかな。
お姉ちゃんに普通の料理に勝つのはもう諦めたのに、今は秀樹がいっしょだからか、変に意識してしまった。
「そういや、わたしのこと、橘くんに話した?」
「あ、そうだった」
お姉ちゃんの声に、私はようやく我に戻る。そういや、秀樹もお姉ちゃんが、「別の姿」で、「組織」で働いていたことを知っているんだった。
「えっ、なに? 俺、まだ知らないことあるの?!」
「別にそこまで慌てなくても……以前にも話したんだから」
私が苦笑いをする中、お姉ちゃんは自分のことを掻い摘んで秀樹に話す。ぼんやりとそれを聞いていた秀樹は、だんだん目が点になっていった。
「ま、マジですか……」
「信じられないのも当たり前だから、気にしないでね」
「もうお姉ちゃん、別の姿にはあまりならないし……」
とはいえ、初めてこれを聞かされた秀樹が、ここまで驚くのもおかしくはない。
お姉ちゃんにも「別の姿」があったり、私たち姉妹の間にあんなことがあったり……とか、普段は考えすらしないはずだから。
「あ、思い出した。慎治のやつ、まだお姉ちゃんのこと、男の中の男とか、そう思ってるらしくて」
「あら、そう?」
普通の人なら卒倒してもおかしくないぶっ飛んだ話に、お姉ちゃんはただくすくすと笑う。もちろん、となりでその話を聞いていた秀樹は、ものすごくビビっていた。
「あ、あいつ、美咲さんになんてこと……」
「慎治くんはまっすぐなところがいいんだよね。私のことも、現場時代にはよく慕ってくれたし」
「まあ、本人はその慕ってる先輩の正体も全力で否定するんだろうけど……」
お姉ちゃんにとって、現場時代、つまり「組織」にいた頃の記憶はそこまで悪くない。お姉ちゃんだって、お父さんに言われて仕方なく「別の姿」になったのだ。なのに、私と違って、お姉ちゃんはそれをすんなりと受け入れた。
もちろん、お姉ちゃんだって、つらい気持ちはきっとあったんだろうけど……。
私は未だに、お姉ちゃんにきちんと、あの時のことを謝っていない。
いつかは、謝りたいと思ってるけど。
そのいつかは、果たして「いつ」やってくるのだろう。
「え、それじゃ、柾木のお母さんは……」
その時、秀樹はお姉ちゃんに、私たち家族のことを聞かれていた。お姉ちゃんのことだから、秀樹がおかしいと思う前に、あらかじめ話しておいた方がいい、と思ってくれたのだろう。
「うん、昔に家を出ていったの。だから、ここに住んでるのは私たち姉妹と、お父さんだけ」
「あ、そうだったんだ」
秀樹もどこかおかしいと思っていたのか、納得したように頷く。だって、私は今まで、「お母さん」のことを秀樹に話したことがまったくない。
お母さんのことを話したり、聞かれたりするのは、まだ、慣れてなかった。
もうお母さんがいなくなって、だいぶ経っているはずなのに。
「だから、これからも柾木ちゃんのことをよろしくね。ちょっと素直じゃないところはあるけど、とても可愛い女の子なの」
「え、えっ?!」
なのに、急にお姉ちゃんからあんなことを言われて、私は穴があるなら、今すぐにでも隠れたい気持ちになった。
こっちはここまで慌てているというのに、秀樹ったら。
「はいっ!!」
と、勢いよく返事をしている。それも、ものすごく喜んで。
だから、となりにいる私のことくらい、少しは察してくれると嬉しいけど……。
いつも自分は、こんなふうにやられたばかりなんだな。
お姉ちゃんはこんな時、ものすごく、ずるい。
それから部屋に戻ってくると、端末に慎治から連絡が届いていた。
急な出来事でない限り、こういう連絡がある時には、私の用事が終わってからお知らせすることになっている。これもその一つだ。
さて、これは電話か。あまり重要なものではないと思うけど、軽く出てみようか。
『どうした?』
私が慎治に連絡すると、となりにいた秀樹はびっくりする。「端末」から聞こえる私の声が、「別の姿」の方であるから驚いたのだろう。
まあ、これは単に、自分の今の声を変換しただけだけど。急な連絡が電話でかかってくる時が多いから、私にとっては仕方のないことでもある。
『なんだ、柾木。お前が見つからないから聞いてみたら、今日は家に戻ってるって?』
『ああ、橘のことも考えてな。外に出してあげようと思って』
『こいつ、やっぱり女たらしじゃないか』
『だから、それはやめろとどれほど……』
私たちがそうやって電話していると、となりにいる秀樹が、不思議だという顔でそれをじっと見ている。もちろん、端末が不思議、というわけではなくて、この様子自体が不思議だと思っているのだろう。
「別の姿」の声で、男言葉を使いながら通話する女の子の自分。まあ、おかしいと思うのも無理ではない。
『あの、電話切ったんだけど』
私は、もう電話を切ったのにもかかわらず、こっちをじっと見ている秀樹に振り向く。
あれ、自分の声が低い……っていうか、まさか、まだ声の変換を切ってない?!
「あ、わわ……こ、これはちょっとしたミスだから……」
「ふむふむ、これはこれで結構そそるなぁ」
「あ、あの、秀樹?」
「柾木がそうやって喋るのも、なんとなくおもろいな、と思って」
「へ、変なこと言わないでほしいけど」
どうしよう、またすごく逃げたくなってしまった。
こんなことになってから、秀樹にはいつも恥ずかしい姿ばかり見せているような気がする。
「でも、こう、改めて見るとすごいなぁ。柾木の部屋には、難しそうな本がいっぱいあるんだ」
「あ、うん。そ、そうかもね」
たしか、まだ学園生に過ぎない女の子の部屋には、ちょっとアンバランスな本もよく見つかるだろう、と思う。
これは元から興味があったというより、こうなってから、特に作戦部長なんかをやることになってから読み始めたものだ。
だって、自分はこの世界の中に生きているのに、その世界に振り回されっぱなしじゃ話にならない。
少しでも、自分で判断し決められるくらい、この世界の仕組みを知りたいと、心からそう思った。
今のような時代、電子書籍という選択肢もあるんだけど、なぜか私には、紙の本の方がしっくり来る。
それに、貴重な資料と来たら、まだ紙の本でしか得られないケースもあるため、私はこうやって、自分に必要な本を並べるのが好きだった。
もちろん、ああいう本だけじゃなくて、メルヘンな絵本とか、お菓子の本とか、自分の好きな本もいっぱいある。
ここにある本たちは、みんな、私の宝物だ。
「柾木は勉強熱心だなぁ」
秀樹はそんなことを口にしながら、一人で頷く。
これって、そこまですごいものかな。
私はただ、自分がやりたいようにやっているだけなんだけど。
それからは、夜も深くなったため、私たちはそろそろ、眠りにつくことにした。
……もちろん、私たちがいっしょに寝るわけではない。秀樹はこの家に余るほどある、来客用の部屋で過ごすことになる。ここは無駄に広いため、ああいう空き部屋は山ほどあった。
「むーいっしょに寝たいー」
「あんたは子供なの? 変なことは言わないでほしいけど」
よく考えてみると、少なくとも「今」は、いっしょに寝ても問題はない。今の秀樹は「別の姿」だし。
でも、それは私が恥ずかしかった。
考えるだけで、熱が出てしまいそう。
「と、ともかく、今日はぐっすり寝てて。明日、私が起こしに行くかもしれないから」
「ホントに?」
「……ひょっとしたら」
私がそう言ったのにもかかわらず、秀樹はものすごくウキウキしていた。そ、そこまで私に起こされるのが楽しみなんだろうか。自分にはよくわからない。
「だ、だから、おやすみ」
「うん!」
そうやってようやく一人になると、なぜだろう、急に寂しくなってしまった。
いつもとなりで騒いでいる秀樹がいなくなったからかな。
……わからない。
なんで私は、今、ここまで秀樹のことを意識しているのだろう。
そんな夜も明けて、朝がやってきた。
昨日言っていたように、私はいつもより早く起きて、秀樹の寝ている部屋へと向かう。
そういや、私、今まで秀樹の寝顔とか、見たことなかったっけ。
ちょっと、照れくさくなる。
別に、自分の寝顔でもないと言うのに。
「えっと……」
部屋に入ってみれば、秀樹がスヤスヤと、いびきもせずにぐっすり眠っている。久々のやわらかなベッドだったからかな、だいぶ深い眠りに落ちていた。
もちろん、その姿は、まだ紛れもない「別」のもの。以前、私が覚えていた秀樹の印象よりは、はるかにゆるゆるしている。ほっぺたもやわらかそうで、ぷにぷにしたくなるくらいだった。私も女の子だというのに、それが少し悔しい。
でも、不思議なことに、その顔つきには、元の姿の名残もちゃんとあるような気がした。
こう見ると、秀樹もなかなか可愛さがあるっていうか……変だな。
私がぼんやりと、そんなことを思っていた時だった。
「んん……えっ、柾木?」
急に目覚めた秀樹は、私のことを見てびっくりした。そりゃ、朝に起きてすぐ私の顔が目に入ったら、驚くのもおかしくないけど……。
「ほ、ホントに起こしに来てくれたんだ! ありがと! 愛してる!!」
「べ、別にそこまで言わなくても……」
この人は朝から、いったい何を言ってるんだろう?
私は半分呆れつつ、そんな秀樹に急に抱きしめられて困惑するしかなかった。