19.ついに自分の家にまで招いてしまった
「へーここが柾木の家?」
平日の午後。私は秀樹を連れて、久しぶりに自分の家に戻っていた。
最近は余裕のある方だとは言え、秀樹まで連れてくる必要はなかったけど……。以前、秀樹が漏らしていた話がずっと気にかかっていて、結局、家に招くことにした。
……以前にも似たようなことを考えていた気がするけど、これが一週間の前に、「もう関わらないでほしい」とか言っていた人の取るべき行動なのか。
まあ、もういいけど……。考えれば考えるほど、自分が何かに負けているような気がする。
自分の家はいつものように、人気もなく、とても静かだった。そもそも、ここは街から見て郊外に当てはまるところだから、人がいないのも自然なんだけど。まわりは緑が豊かで、見ているだけで気持ちが落ちつくところでもある。
「大きいな~。柾木って、すごいところに住んでるんだね」
「いや、別にそれほどでも……」
たしか、普通の家よりは大きいけど(こんな郊外じゃないと建てられないくらいに)、そもそも、ここはお父さんが警察の幹部だから住めるところであって、別に高坂家がすごいお金持ちであるわけではない。あまり目立つところだと困るし、ついでに警備に気をつける必要もあったから、むかしから縁のあるここに住んでいるだけだ。
とはいえ、初めてここに訪れた人なら、誤解してしまうのも仕方がない。そもそも、雫の家は、ここよりも遥かに大きいわけだけど……。
「じゃ、そろそろ中に入るからな」
「はーい」
秀樹が頷くと、私は玄関まで歩いていって、近くにあるベルを鳴らす。そうすると、騒がしい音とともに、家の中からお姉ちゃんが現れた。
「おかえり、柾木ちゃん」
「ああ、ただいま。姉貴」
久しぶりに顔を見たということもあって、私はお姉ちゃんと挨拶を交わす。秀樹はそんなお姉ちゃんを、何かに惚れたようにじっと見ていた。
「美人だなぁ……」
まあ、その気持ちはわかる。自分の女の子であるつもりだけど、お姉ちゃんは綺麗だし、優しいし、女性の魅力に満ちている。
でも、なぜか、それが気に食わない。
なんでだろう。お姉ちゃんは私の自慢でもあるのに。
「あら、柾木ちゃん。今度は友だちも連れてきたの?」
私がそんなことをぼんやりと考えていると、迎えてくれたお姉ちゃんが突然、そんなことを言ってきた。お、お姉ちゃんったら、私が事情もちゃんと説明したはずなのに!
「いや、その……」
「あ、いつも柾木ちゃんの言っていたあの子かしら。わたし、ずっと会いたかったんだよね」
「え、僕のこと、知ってますか?!」
お姉ちゃんがそんなことを口にすると、秀樹の目が丸くなる。私はますます、頭が上げられなくなってしまった。こんなことをバレるなんて。恥ずかしくて死んでしまいそう。
「べ、別に毎日言ってたわけでもないだろ?」
とはいえ、よく考えると、秀樹がこうなってしまったあの日の朝にも、私はお姉ちゃんに秀樹のことを話していたのだった。
……ダメだ。こうなると反論できない。
「ちょ、ちょっと待って。ほんとに? 俺のこと、話してたんだ」
「いや、そ、そうじゃなくて……」
あの時には、こんな状況になるなんて、考えもしてなかったのに。
私はお姉ちゃんの前で、頭も上げられず、なんとか視線を逸らすしかなかった。
「へ~。やっぱり中も広いんだ」
初めて私の家にやってきたからか、秀樹はキョロキョロしながらあっちこっちを見ている。それがまた犬っぽくて、私はついじっと眺めてしまった。
それはともかく、せっかくここまで来てくれたのに、何も出さないというのは面白くない。
秀樹が好きな食べ物が何かは、まだ私にもよくわからないけど……。今度は、自分の好きな食べ物でも作ってみよう。
「ちょっと待ってくれ。すぐ何か作るから」
と伝えておいて、私は支度をしてから、キッチンへ向かう。
今日は軽く、パンケーキでも作ってみるつもりだ。自分も好きだからいつもよく作っていたため、作るのにはあまり時間もかからなかった。
「え、これ食べていいの?」
「そりゃ、食べてもらうために作ったから当たり前だろ」
私が額に手を持っていくと、秀樹はまるで宝石でも眺めているように、それをじっと見ている。それからポークを手にして、メイプルシロップといっしょにパンケーキを口にした。
「お、美味しい! 超甘い! すごい!!」
「いや、わ、わかったから……」
そのストレートすぎる感想に、私はまた照れそうになる。ここまで素直すぎる反応だと、嬉しくはあるけど、どこかこそばゆい。
「べ、別に、野郎の作ったスイーツがそこまで甘いわけ……」
「へ? 柾木の作ったパンケーキだろ? そんなん、おいしいに決まってるじゃん」
ダメだ。我慢できない。
私はなんとか秀樹から視線を逸しずつ、自分用のパンケーキを口にした。
なんだかんだ言って、我ながら甘く出来上がったと思う。秀樹の口にも合うようで、それはとても嬉しい。
「でもすごいなー。元の姿とは手の大きさとか、いろいろと違うだろ?」
「まあな」
自分の作ったパンケーキを頬張りながら、私は答えた。はっきり言って、秀樹には見苦しい光景だとは思うが、甘いものは大好きだから、仕方がない。
でも、冗談抜きで、初めての時にはものすごく大変だった。
元に戻る時間すらない時には、なんとか手作りのスイーツだけは口にしたくて自分で作っていたんだけど、体が慣れないもんだから、どうすればいいのか、慌てる時が多かった。そもそも、視野だって違うし、手の大きさとかももちろん違うから、試行錯誤しない方がおかしい。
だが、今は慣れてきたため、そんな戸惑いも減りつつある。どっちの姿でもスイーツ作りが慣れてきたというか、自分にとっては美味しく仕上げることができた。
さっき、秀樹には照れくさかったため素っ気ない答えをしてしまったけど、そういうわけで、そこを褒めてもらえたのは素直に嬉しい。
「柾木ちゃんはお菓子づくりが本当に上手いの。わたしにも追いかけられないくらい」
いっしょにいたお姉ちゃんは、そんなことを言いながらくすくすと笑った。
だ、ダメだ。また恥ずかしくなってくる。
「ふ、普通の料理は姉貴の方がうまいだろ」
「でも、このパンケーキ、ホントにおいしいよ?」
今度は秀樹が、不意打ちをかけてきた。ああ、ほんとうに、こんな時にはどうすればいいんだろう。
「か、か、勝手にしろ」
結局、私はまた、素直じゃない返事をしてしまった。
別に、嬉しくないわけじゃないのに。
私がお姉ちゃんに勝てる、数少ないところの一つだから、むしろすごく嬉しいのに。
……いつも思うんだけど、素直じゃないんだな、私。
「おお、ここが柾木の部屋!」
「うるさい」
そうしてパンケーキを食べ終わってから、私は秀樹を連れて、自分の部屋にやってきた。この部屋を目にするのも、ずいぶん久しぶりである気がする。
変わってないな、ここも。
部屋のあっちこっちには、自分が好きで買ったり、雫がプレゼントしてくれた様々なぬいぐるみが置かれている。雫はいつもうさぎのぬいぐるみを贈ってくれるので、自分の買ったものと見分けるのは簡単だ。
――そして、このかわいい部屋にはそぐわない、「男」の匂い。
今の自分は、ああいう匂いに鈍くなっているためよくわからないけど、やっぱり、「今」の秀樹には伝わってくるようだった。
「うわ、いきなり匂いがっ」
「……ごめん」
なぜだろう。別に謝ることでもないのに、自然にそんなことを言ってしまった。
……やっぱり、今は私がこの部屋に負い目を感じているからかな。
はっきり言って、この姿でここにいるたび、私はよく、「ここに自分は似合わないのでは」と思ってしまう。
疲れた時には、元に戻らずこの「別の姿」のままベッドで寝てしまうことも多いからか、私はこの部屋を見渡して、そんなことを真剣に考えることがよくあった。
今は余裕もあるし、そろそろ元に戻った方がいいかな。
「じゃ、ちょっと失礼する」
「ん?」
秀樹と自分の部屋を後にして、私はいつもの「あの」部屋に向かう。
ここからは慣れたものだ。機械の置かれたところまで歩いていって、それを作動させる。しばらく時間が経ったら、そこには「元に戻った」私がいた。
いつもの、見慣れた「本当」の私の姿。
そ、そういえば、こうなってから元の姿で秀樹と出会うなんて、たしか、初めてのはず……?
どうしよう、急に怖くなってきた。
とはいえ、秀樹も待っているはずだから、私も急がないと。
「ま、ま、柾木?!」
「べ、別にそこまで驚かないでほしいけど……」
やっぱりと言うべきか、私が「元の姿」で現れると、秀樹はものすごくびっくりした。まあ、そうだろうけど……。こっちとしては、かなり照れくさい。
「お、俺って、今、夢を見てるわけじゃないんだ……」
「それじゃ、今までの出来事は全部、私の嘘だと思ってたの?!」
「違うよ。でも、こう見るといろいろ実感するなー」
私が呆れてみせると、秀樹は目を丸くしながらもそんなことを話す。まあ、わからないわけではない。こんなの、今までどうやって信じてくれてたのか、今だに謎だし。
「とはいえ、そこまで驚くことでもないのに」
「え、柾木さん、怒った?」
「……別に」
なんか心がバレてしまったような気がして、私はついそっぽを向く。
やっぱり、元の姿で秀樹と喋るのは照れくさい。自分たちがここまで親しい関係になったことが、肌で感じられるからだ。
一週間くらい前の自分のこれを教えてあげたら、どんな顔をするんだろう。
別に付き合っているわけでもないのに、私は恥ずかしくて、逃げ出したくなってしまった。
やっぱり、匂いがちょっと強いかな。
元の姿に戻ってみて、私はそれを実感した。
自分の……っていうか、「別の姿」の時の匂いが、染み込んでいる。
これじゃ、秀樹が驚いたのも当たり前だ。
っていうか、今まで秀樹はこんな匂いをずっと吸っていたのか。
「は、恥ずかしい」
あまりにも照れくさくて、私は視線を落としてしまった。もちろん、これも自分の匂いであったことは間違いないが、それでも、恥ずかしいことは恥ずかしい。
もちろん、今さら誤魔化すつもりはまったくないけど。これも、なんだかんだ言って私の一部だ。
「でも、本当に俺、柾木の部屋にいるんだな~。嬉しいや」
「だから、そこまで感動しなくても……」
また呆れてみせつつ、私は秀樹が、自分の部屋を眺めている様子を見守る。女の子の部屋に来たのは今度が初めてかな? そんなこと、私が知るわけないけど、秀樹は熱心に、自分の部屋を観察している。別に、嫌な気持ちじゃないけど……やっぱり、照れくさかった。
「あれ?」
その時だった。
秀樹はさっきとは明らかに違う様子で、何かを見つけたような顔をする。
って、ちょっと、それはバレたらまずい。
だって、それ、私の――。
「えっと……これ、えっちな本?」
ああ、結局バレちゃった。
今度こそ、私は恥ずかしくて、消えてしまいたくなる。
女の子の一人として、ここまで屈辱と言えるものもないだろう。別に秀樹のせいではないんだけど。
「す、すまん。つい見つけちゃった。これ、柾木の……?」
「……うん」
相変わらず、視線を合わせられないまま、私は頷く。
そう、そのエロ本……っていうか、紙がだいぶ減ってしまった今でも、まだ絶滅せずにどうにか生き残っているアレは、私のものだ。
そこに載ってあるのは、みんな揃って、その、胸の大きくて、とりわけスタイルがいい女の子たち。
なぜそんな女の子ばかりかというと、まあ、それが私の……その、好物なんだからだ。
ああいう好みは男が持つことがほとんどで、女の子が好きでこういうのを手にするのは、ものすごく珍しいことだろう。
もし、私が「恋愛対象」として女の子を好んでいたら、また話は別だったかもしれない。
だけど、私はやっぱり、恋愛対象としては異性である男が好きだ。
以前、男がそこまで嫌いだった頃にも、それは変わらなかったはずだった。
だが、それは紛れもなく、私の持ち物、でもある。
……これがバレるんだったら、まだ「別の姿」でいた方がマシだった。
今そんなことを思っても、だいぶ遅いけど。
「笑えるよね?」
「うん?」
「私が、こんなもの、自分の意思で持っていること」
まるで自嘲するように、私はそんなことを口にする。
「私があんなものを見ながら、自分のこと慰めているだなんて、ね」
それもまた、紛れもない事実だった。
ここまで来たら、もう予想もついていると思ったため、言い訳をするつもりはまったくない。
そもそも、子供の頃、私はお姉ちゃんといっしょにお風呂に入ってる時、その大きい胸にドキドキしていた。
あの時にはまだ、自分を誤魔化すことができたけど、大きくなるにつれて、それも難しくなってしまった。
やっぱり、大きな胸とかが、私にはぐっと来るみたい。まあ、自分の胸まで大きい必要はないと思うけど、雫のような大きな胸は、私にとってとても魅力的なものだった。
だから、一人で自分を慰める時、特に「別の姿」では、よくそのような本や写真などに、お世話になった。
これはずっと前からのことで、慎治とか、現場時代からのみんなもだいたい知っている。
雫とえっちなことをやる時に、ときおり罪悪感を覚えてしまうのも、これが原因だった。
……自分が、雫のことを利用しているように思えたから。
つまり、私は、雫に申し訳ない、とずっと思っていたわけだ。
ともかく、こんな女なら、秀樹が幻滅するのも当然だよね。
私がそんなことを思っていた時だった。
「……え?」
私は、まったく予想してなかった行為に驚く。秀樹が、私を優しく抱きしめてくれたのだ。
「別に大丈夫だよ、そんなの。そこまで俺に話してくれて、本当にありがとね」
「あ、あの、その……」
私は、さっきよりも強く、どうすればいいのか、慌ててしまう。
今の私は、ここまで優しくされてもいいのだろうか。
あまりにも驚いたため、私はまともに考えることができなかった。
むしろ幻滅ところか、笑われることまで覚悟していたのに。
今、自分が感じている秀樹のやわらかさや、あたたかさは、間違いなく、本物である。
「ひ、秀樹は私のこと、その、変態だとは思わないの?」
「別に。女の子だって、大きなおっぱい好きでいいわけだし」
「そ、そこまで言わなくても……」
ますます恥ずかしくなってきて、私は必死に視線を逸らす。
でも、その答えは、間違いなく私の支えになった。
「……ありがとう」
だから、消えてしまいそうな気分になりながらも、私は勇気を出して、そう答える。
今は、私より一回り大きい、「別の姿」の秀樹の暖かさを味わいながら。