11.下の名で呼んでもいいって、言っちゃった
「さあ、そこに座ってくれ」
自分の執務室に戻って、再び、私たちは顔を合わせる。
今からだ。
橘にとっても、私にとっても、一番頭が痛くなってくるのは。
「まず、さっきの続きだが……」
とはいえ、このまま何もせずにはいられないので、私は橘に、さっきの「事情」についてもっと詳しく話した。
橘はいったい何に巻き込まれてこうなってしまったのか。
「組織」や「反軍」はいったい何なのか。
そもそも、なんで「女の子」であるはずの「高坂さん」が、こんな野郎になっているのか。
幸い、今日は急な仕事もなかったため、あるくらいゆっくりと説明することができた。
……これを橘がどう受け入れるか、はまったく別の問題なんだけど。
「……わかんない」
やはりと言うべきか。
私の説明を聞き終えた橘は、まずそんなことを口にした。
「いや、理解はしたつもりだけど、いろいろわかんないとこだらけで……そもそも、なんで組織と反軍?はあんなことやってるの?」
「まあ、大人の事情というやつで……」
改めて外部の人間である橘にそう聞かれ、私はどう答えばいいのか途端に暮れた。この閉ざされた不条理な世界に浸れていると、自分の過ごしているところが「異常」であることをよく忘れる。
「うんと、俺がいちおう整理してみるね」
「どうぞ」
橘も、このままじゃいけないと思ったからか、自分からそれを申し出た。
「えっと、まず組織や反軍……すなわち集団?は世界を股にかける大きな思想の集まりみたいなもので、お互いがこの世界をこれからどうにかするため争っている、であってる?」
「ああ」
橘って、やはり把握力が良いな。私にも受け入れ難かったことを、ここまですんなりと掴み取っている。
「それで、高坂さんのいるところが組織で、あっちが反軍。世界をこのままにさせたいのが高坂さんの方で、逆に、世界を今すぐにでも変化させようとするのが反軍、だよね」
「正解だ。変化ところか、革命、いや、変革レベルだがな」
反軍が望むことは、単なる世界の変化、ではない。まるで産業革命が起きた時のように、大きなパラダイムシフトが起こる時のように、「全てを覆す」レベルの変化を起こそうとしているのだ。それもあるくらい時間をおいてからではなく、「できる限り、今、すぐ」に。
私から見れば、もはやそれは変化、進歩というより、強制的な天地開闢に近い。過激派にもほどがある。
あっちはもちろんとして、「こっち」である「組織」がここまで硬い態度を見せているのも、それが理由だった。もし、あちらがまだ「時間をおいて」と思っていたとしたら、ここまで大きな騒ぎにはなっていなかった、かもしれない。でも、相手は「今まで良しとされてきた常識ごと」、全てを変えてしまうつもりなのだ。
まあ、私はしょせん、影響力なんて限られているただの作戦部長だけど。そこらへんはお父さんのような、「組織」の幹部に当てはまる人たちの課題だ。「組織」と言っても、ただこの国が「組織」と同じ意見なんだから、警察の者、かつ偉い位置にあるお父さんもそこの所属になっただけだが。
「じゃ、高坂さんも、高坂さんのお父さんもみんな『組織』の一員だよね」
「ああ、そうなる」
でも、これは私の考えだが、たぶんお父さんは自分の立場を自由に選べたとしても、今のように「組織」の方にいたと思う。
「で、俺はあの『反軍』なんちゃらのせいでこんなことになったと」
「……ああ」
まずい。また思い出してしまった。
この状況が、そもそも私のせいで起きてしまったということを。
もちろん自分が悪いわけじゃないけど、それもまた、間違いない事実である。
「あ、ごめん! 高坂さんを責めてるわけじゃないよ。その、そう思ってるらしくて」
「いや、心配しなくてもいいから」
しまった。また橘に気づかれた。
これはどうしようもないことなんだから、早くなんとか割り切らないと。
「でもな、ちょっとややこしいんだよね、これ。組織と集団と、どっちがどっちだが忘れちゃう」
「あ、それか」
橘の話は、決しておかしいことではない。なにせ、名前すらあやふやな集まりなのだ。ややこしくない方がおかしい。
だが、これを覚えるのは思いの外、簡単だ。
「こう覚えるといい。名前が一つなのがうちの『組織』で、ここで名前が二つあるのが向こうの『集団』及び『反軍』だ、さっきよりはわかりやすいだろ?」
「あ、ちょっとはそうかも」
よかった。
これで、橘が変に悩むことも少しは減るのだろう。
……自分で考えてみても、訳はわからないけれど。
「そんで、ここにはなんと、その争いのためのメカがあるとか!」
「なんで急に目がキラキラしてるんだ」
「当たり前だろ? メカだよメカ! 男のロマンだよ?!」
「いや、ただのパワードスーツだが……」
この話題になると、私はどうも、テンションが若干低くなってしまう。
慎治にせよ、他の現場担当にせよ、おかしなことに、このメカの話になると、みんな目を輝かせる。はっきり言って、あまり面白みもない軍用装備に過ぎないのに、みんなこれになると一気に盛り上がってしまう。
なんでだろう。
本当の男なんかじゃない私には、たぶん一生わからないんだろうな。
「へ……」
そんな私を、橘が妙な視線でじっと見ている。
なんでだろう。私、そこまで考え込んでいたのだろうか。
「どうした?」
「あ、いや、やっぱり高坂さんだよな、と思って」
「……何が?」
「喋り方とか、姿はたしかに違うけど。今、俺の目の前にいるのは、自分の知ってる高坂さんに間違いない。改めてそう思ったよ」
「あ、……そうか」
なんか、その話を聞くと照れくさくなる。
今の私は、いつもの「高坂さん」に比べると違うところばかりだ。口調や仕草も、もちろん違う。そもそも、この姿でいつものような口調とか仕草だと気持ち悪くなってしまうから、口調などを変えているのは、当たり前だった。
だから、どれだけあの「高坂さん」と同一人物であるとは言え、今、こんな姿をしている私が、どれほど橘の役に立つのだろうか、とも思ったけど……。
――少しは、役に立ったかな。
そう思ってもらえると、こっちも助かる。
「それに、よく見ると似てるしね」
「何がだ?」
そう言ってから、橘は、もう一度、私の顔をじっと見つめた。
「雰囲気だよ、雰囲気。高坂さん、やっぱりその空気は変わってない。俺はそう思うな」
「……そうか」
それも、ありがたい話だった。
まったく別人としか見えないというより、そっちの方が嬉しい。
「でも俺、一つだけ、まったくわからないんだよね」
「今度は何だ?」
私がそう聞いてみると、橘は少し迷ってから、やがてそう言い出した。
「いや、どう考えても理解ができなくてさ……その反軍?と組織ってケンカしてるんだろ。あちらが化け物っぽいのを送って、こっちが迎える、と」
「ああ」
なぜだろう、あまり良くない予感がする。
――いや、予感っていうか、これは確信だ。
「高坂さんに話を聞いてみても、これだけは到底わかんなくてね。どうも変というかなんていうか……。ともかく、なんで反軍という奴らは、いつもその化け物が殺害されると言うのに、そこまで無駄なことを続けてるの? DNAとか変えて適当に化け物作るのも、わざわざそれを遠隔で送ってくるのも、手間がかかるんだろ? お金だって必要なんだろうし」
「……そうだな」
やはり、と私は思う。
普通の人なら、今までの話を聞いて、まずそこに突っ込まないわけがない。
そもそも、これはまるで子供のいたずらみたいなものだ。おままごと、だと言ってもいい。なぜ良い歳した大人たちがそんなおかしなことをやっているのか、気になってくるはずだ。
だが、ここの「中の人」である私としては、あまりそういう話はしたくない。
できる限り、これは避けたい話題だった。
「なんでなんだ? 高坂さん」
でも、やはりこの場合には話したほうがいいだろう。
どうせ、ここのおかしいところは、これからもたくさん目につくはずだから。
だけど、これもまた、「現実」の一つなのだ。
「それは簡単だ」
「え?」
だから、私は答える。自分が知っている通りに。
「さっきも言ったんだろ? 組織の目標は『できる限り、この世界をこのままにしておくこと』だ。そして反軍は違う。『できる限り、今すぐ、この世界を大きく変えること』。もちろん、どうやって変えてゆくのかは『反軍』の中でも意見が別れているだろうけど、当面はその目標のために協力しているわけだ」
「へ……」
「もちろん、組織もそう。『どこまで常識を守るべきか』はそれぞれ考えが違うと思うが、まずは似た思惑を持った仲間同士で協力しようとしている。ここで意見違いでケンカしたとしても、結局、向こうが得をするだけだから」
「つまり?」
「ものすごく単純な話だということだ。今まで『組織』と『反軍』が、橘のような一般人には悟られないために、『目立たない』やり方を選んでいたのは、『自分たちの目標を確実に達成するため』だ。組織に属している者も、反軍に属している者も、お互いが『強い』というのはよくわかっている。もし、お互いの正体がバレたり、武力で殴り合うことになったとしたら、もちろんそれだけでも大変だが、それ以前に、目標を叶えるのが極めて難しくなる」
「そうなの?」
「ああ、組織もそうだが、反軍の方もそうだ。普通に何事もなく、自分たちの望むままに世界がすぐ変わってくれる方が都合がいいからな。それに、武力が目立つようになると、反軍の方も危ない。もちろん、組織だって無事ではないだろうけど」
「そうなんだ」
つまり、この話を整理すると、武力を使ったり、「外にバレてしまって」事態が大きくなってしまったら、お互いにとって不利、だということだ。戦争なんかはもってのほかで、あまりうるさくなってしまうと不安要素が増える。できるだけ「今のとおり」で、目標を叶えようとする方が遥かにいい。そういう考えだった。
「で、さっきの話の続きだが、もちろん、今のまま穏やかな時間が続くわけにもいかない。組織にとっては問題ないが、あちら、『反軍』には問題になるわけだ。だから、今までもあちらがちょっかいを出してきたことは何度かあった。生ぬるい今の状況を少しでも揺れすために、な」
「……つまり?」
「ここまで聞いたらわかるだろ? つまり、今度だってそうだ、ということだ。もちろん、橘の言っているとおり、いちいち化け物を作ったり、こっちに送ってきたりするのは大変だろう。それはそれを迎えているこっちも同じだ。あの化け物の相手をする現場担当だって、お金もかかるし、手間だってかかる。あちらは、それを狙ってるんだ」
「え?」
「少しでもいいから、相手の体力を減らしたり、余裕を奪ったりできればそれで良し。ついでに、これを適材適所に利用するだけで、交渉もうまくいく。『今、世界が変わらずにあること』くらい美味しい取引材料はないんだから。むしろこの平和を崩すと、あちらは交渉に使えるものが何もなくなる」
あまりにも長くなってしまったため、今度は意識して、一息ついてから話を続けた。
「だからわざと、『焦らない』方針を取ってるんだ、向こうは。メカを装備した『組織』の現場担当が、外に漏らさずに片づけられるようなレベルの『化け物』を綿密に計算して送っているのも、そのためだ」
「そうなんだ……」
自分で言いながらも、何度も頭が痛くなってしまう。果たして、これで橘はうまく理解してくれるのだろうか。結局、ここで覚えておくべきことは一つしかない。お互いに有利な環境であるならば、それが不条理なのかどうかはまったく関係がない、ってことだ。
「何度も言うが、ここで重要なのは、『目標を確実に、そして早く叶える』ことだ。ただそれだけのために、この歪んだ環境ができあがってるんだ」
「えっと……」
「かっこ良くない理由で、ごめん」
「い、いや、それじゃなくて!!」
そう、ここまで「格好いい」建物で、スーツを着て、あの不気味な化け物(映画とかのような桁違いの強さではないにせよ)と戦っているというのに、これって、遠くから見ると、ものすごく「かっこ悪い」。っていうか、滑稽だ。
はっきり言って、今、ここで行われていることのほとんどは無駄である。それはこの建物じゃなくて、「反軍」にさりげなく攻撃されている他の「組織」のところも同じだ。やっていることも見ると、完全に子供の遊び。それがある意味、世界規模で行われているというからタチが悪い。
「できる限り、この世界をこのままにしておきたい」と願う組織と、逆に、「できる限り、この世界を覆したい」と願う反軍……つまり、「集団」。
それらが、また「できる限り、被害は最小限にしたい」、「容易くいきたい」と思っているとしたら、このような不条理な状態も当たり前だと言えるのだろう。
まるで、情報機関の者が、大きな夢を抱いて入ってきたというのに、暗い部屋でインターネットの掲示板に他人の悪口ばかり書かされるような、どうしようもないやるせなさ。
今、ここでずっと働いている私は、ときおり、そのような気持ちに襲われたりする。
「と、ともかく、あいつらのせいで俺はこうなって、元に戻るためには時間が必要なんだよね?」
「ああ」
橘も空気を変えたかったのか、すぐそうやって別の話題を持ち出した。
「今の俺って、高坂さんと同じ機械のせいで、こうなってると聞いたんだ。じゃ、俺は大丈夫……なんだよね? ちゃんと元に戻れる?」
「大丈夫だ。解析さえ終わればすぐ戻れる。俺が保証する」
やはり、橘としてはそれが心配だったんだろう。私だってよくわかる。あの機械は人間の身体を、ほぼまるごと「別の姿」に変えてしまうから。
自分だって、何年もあの機械のお世話になっているけど、入る時には不安になりがちだ。どうしてこういう技術が成立するのかさえ、そこらへんに疎い私にはよくわからない。自分が「別のもの」になっていく感覚なんて、何度経験しても、とうてい慣れそうにない。
だから、橘の今の気持ちは、こちらもすごくわかっている……つもりだった。私は経験が多少あるわけだから、橘の感じている「未知なる」恐怖と比べることはできないけど。
「……本当にほんとう?」
「ああ」
それでも、今の私は、何度もそう頷くしかない。
それで少しでも、橘の不安が紛らされるならば。
「そもそも、さっきの話の中には俺のこともあったんだろ? 俺が、自分についてそう軽く嘘をつきそうな人間に見えるのか?」
「いや、違う。たしかに、高坂さんの言うとおりだ」
橘はその話にすんなり頷いてくれたけど、なぜだろう、すごく照れくさい。
私が嘘をつかない人間だというのをわかってくれたことは嬉しいけど、あまりにもスムーズな反応だったため、少し驚いた。
まあ、今、重要なことはそっちじゃないんだけど。
「高坂さんも大変だなぁ」
「別に、子供じゃないから問題ない」
なぜか橘がそんなことを言ってきたため、軽く答えてやった。
まさか、クラスメイトに自分の正体がバレるとか思わなかったため、今のような状況がすごくこそばゆい。
それも、よりによってあの橘にバレてしまうだなんて。
世の中、本当にどうなるかわからないもんだ。
「それにしても驚いたな。高坂さん、男のこと嫌いだったんだ」
「……あ、それか」
そういや、さっきそんなこともさらっと話したっけ。もう私にとって、それは「昔」のことなんだから。
「昔の話だ。今は別にそうじゃない」
もちろん、まだ複雑な感情まで抱かなくなったと言ったら嘘になる。ただし今の私は、以前のように、子供の頃のような「男嫌い」ではなかった。
ただ、昔の自分に、時折すごく後ろめたい感情を持ってしまうことがある、それだけだった。
それ以外には、ほんとうに、何もない。
……そう、何もだ。
ともかくこんな感じで、橘と私の話は締められていった。
あとは、もし言い残したことがあったら、それを今のうちに話しておいた方がいい。それくらいだった。
「あとは……あ、そうだ」
「うん?」
考えてみたら、まだ言い残していたことがあった。
――これを、昼にあれほどひどくあしらった自分から口にするだなんて。
ものすごく気まずいけど、仕方ない。
あくまでも橘……
……こいつの、安定のためだ。
「これからはしばらくここで暮らすわけだから、俺のこと、下の名で呼んでもいい。あまり気負わないでくれ」
「……えっ?」
しばらくしてから、やっと私の言っていることがわかったのか、橘は目を丸くした。自分から言うのもなんだけど、昼にあんなこと言っていたやつがいきなりこう出てくると、私でも驚く。
「本当に? そうしていいの?」
「ああ」
「でも、昼には俺、もう近づかないでって言われたのに」
「まあ、その、こんな状況なんて、想像できるわけないだろ」
思わず視線を逸らしながら、私はそんなことを口にする。
でも、それは本当だった。おかげで今、私は昼とひっくり返った態度を取らざるを得ない。いったいなんの状況なんだろう。これは。
こりゃ、橘に「信じてほしい」と言う方がどうかしている。
私も、この組織や私にまつわる事情より、まさかこの「急に変わった態度」の方が胡散臭く思われるとは考えもしなかった。
こっちだって、実はかなり迷っている。
……こんなことを自ら口にしている、自分自身について。
でも、やはり今はそうするべきだと私は思った。
なんだかんだ言って、橘がこのような目に会ったのは私のせいだ。こっちが昼にものすごく怒ったのは確かだけど、今はそれところじゃない。
ついでに、橘は今、情緒が安定していない。いきなりあんな姿になってしまったから、当たり前だ。だから、誰でも「安心できる人」が近くにいるだけで、すごく落ちつけるようになる。
そして、今、ここでそれができるのは、たったひとり、私、高坂柾木一人しかいない。
それだけで、私が態度を変える……というか、柔らかくする理由は十分だった。
「ほ、ほんと? 名前で呼んでもいいの?!」
「だから、それで良いって……」
さっきからそう言っているのに、橘は何度もそう聞いてくる。そこまで信じられなかったんだろうか。まあ、気持ちは十分わかるけど。
別に、心を許したからではない。見知らぬところで心細そうだから、こうしただけだ。
……なのに、なんでこいつは、こんな些細なことにここまで喜ぶのだろう。
『ど、どうしよ。すごく緊張するな~』みたいなことまで口にしながら。
「じゃ、これからはそういうことで。……秀樹」
「あ、ありがと、柾木!!」
ここまでぱっと笑顔を浮かべて。
どうしてこれが、ここまで嬉しいのだろう。
「う、嬉しいな。俺の名前、覚えてくれてたんだ」
「べ、別になんでもない。今日の話はこれで終わりだ。もうそろそろ寝てくれ」
だから私は、今の自分がすごく動揺していることを、必死にごまかす。
だって、たち……いや、秀樹は。
私がこんなこと思っているって気づくと、すごく甘えてくることに決まっているから。