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10.かわいいなんて、そんな

 連絡通りに調査室まで行ってみれば。

 そこには、変わり果てた……つまり「別の姿」である、橘がいた。


 「別の姿」を見たのはさっきが初めてだけど、そこで橘を見つけるのは難しくなかった。他のひとだっているというのに、橘の姿は、すぐ目の中に入ってくる。

 いつもよりも、一回り小さくなった背中。

 橘は、一見爽やかそうなイメージなんだけど、よく見てみると、思ったよりはガタイがいいというのが私の印象だった。他の学園生の男子と比べると平均より少し優れた体格と言ったところか。背も高い方だったし、たぶん、運動神経も悪い方じゃないと思う。

 なのに、今の橘は、目に見えるほど「小さく」なっている。

 もちろん、小さくなっているとはいえ、さすがに私のようにちっちゃくはないけど(未だに150を超えていない女子学生なんて、私くらいじゃないだろうか)、以前と比べたら、か弱い体つきになったのは一目瞭然だ。私の見間違いじゃなければ、たぶん、髪の毛も若干伸びている。肌だって目立つくらいに白い。

 橘はすでに、私服に着替えていた(単なる白いTシャツとジーンズなので、誰かにもらったものだろうけど)。椅子に座ったまま、近くにある窓に視線を落としている。

 その顔はここからよく見えないが、どこか寂しそうな雰囲気が漂っていた。

 私で大丈夫なんだろうか。

 それがまた心配になってくるが、それでも今は、橘にゆっくりと近づいてゆく。


「橘、だよな」

 未だに震えそうな声をなんとか整えながら、やっとそれを口にした。橘は、昼と違って、まったく他人に向けるような視線で、こっちを見ている。

「えっと、どなたですか?」

 いきなり自分の前に立って、複雑な顔をした野郎が気になったからか、橘が恐る恐る、そう聞いてきた。やはりと言うべきか、いつもより声も高い。

 そうだよね。答えなければいけないんだよね。

 私はこの事件の責任を取るべき者だから。

 だから、私は覚悟を持って、橘に話しかけなければならない。

「信じてくれないだろうが、俺が高坂だ。その、お前のクラスメイト、の」


 でも、初めて私の話を聞いた橘の反応は、想像の斜め上だった。

「高坂さんはこんな姿じゃないよ。もっと可愛いんだよ?!」

「……あ?」

 しまった。何を言えばいいのか、まったくわからなくなった。

 かわいいって、誰が、私が?!

 もちろん、さすがに「今」の姿の話ではないと思うが、それでも、自分がかわいいと言われるだなんて、考えたこともない。

 あんまり性格もかわいくないし、強気なんだから、ああいうのをお姉ちゃん以外に聞くことはたぶんないだろう、とずっと思ってきた。

 なのに、自分がかわいい、だなんて。

 今は「別の姿」だし、この私があの「高坂さん」だって認められたわけでもないのに、なぜか、ひどく動揺してしまった。

 いや、たしかに誰かに聞きたい言葉ではあったんだけど……ちょっと、今はそれじゃなくて!

「べ、別にそれはどうでもいい。どうしてこうなったかと言うと……」

 う、うっかり忘れてしまうところだった。

 気を戻して、私は今までの出来事を、軽く橘に説明する。


「……へ?」

 やっぱりと言うか、橘はまったく信じられない、という顔をした。だが、ここまでは予想の内だ。

 今、橘の見せる反応は当たり前である。

 かつて、私がお姉ちゃんに見せた反応と、まったく同じだ。

 私としては、それでも信じてほしい、と言い続けるしかないかもしれないけど……。

 とはいえ、さすがにそればっかりだとこっちも腹が立ってくるので、ここはちょっと大胆に行ってみてもいいだろう。

「そもそも、真面目に考えてほしい、と言ったのは橘の方だろうが」

「えっ、それ知ってんの?!」

 ここまで聞くと、橘の目が丸くなる。さすがにこの発言には驚いたようだ。まったく知らない人が、昼に「高坂さん」に話しかけたことを覚えているなんて、普通は考えないだろう。

 でも、今、いちばん心臓がどきどきしているのは、橘じゃなくて、たぶん、私の方だ。

 あの昼の、とても気まずい話を、まさか自分から言い出すだなんて。もちろん、橘に私が「あの」高坂さんと認めさせるためには仕方ないことなんだけど……。

「ついさっきのことも忘れるバカなんているわけがないだろ。まったく」

 あの頃には、こんなことになるなんて、思いもしなかった。本当に、穴でもあったら入りたい。今の私って、本当に……。

「……恥ずかしい」

 思わず、そうぼそっとつぶやいてしまった。

 あの時のことを自分から口にするのが、ここまで照れくさいとは考えもしなかった。


 だけど、自分が思わずそう言ってしまったとたん、急に橘の瞳がきらめいた。なぜか目を輝かせながら、私のことをじっと見ている。

「ほんとうだ……ほんとうに……」

「……?」

「こ、高坂さんだ! 本物の高坂さんだ!!」

「あ?!」

 突っ込む余裕すら与えずに、そのまま橘は私の両手を強くつかむ。あまりにもとっさの出来事で、私は何も反応することができなかった。

 ダメだ。顔が赤くなる。あまりにも急すぎた。別に「異性」への免疫がないわけじゃないけど、その、これはちょっと……。

「こ、この手は離してくれ。いきなりすぎる」

「えっ、そだっけ?」

「自覚はないのか。まったく……」

 なんとか両手を離してから、私は軽いため息をつく。

 まったくわからない。なぜそのつぶやき一つだけで、私があの「高坂さん」だと認めたのだろう。

 今の状況がそうさせているかもしれないが、やはり、私には橘がまったく理解できそうになかった。

 そもそも、橘ってこういうキャラだっけ?

 なんか、私の知っている橘とは違う気がする。 


「続きは、俺の執務室で話そう。さすがにここは人が多すぎる」

 周りをざっと見ながら、私はそう言った。ここは人がよく通るから、落ちついて話すのが難しい。やはり、これからの話は私の執務室の方がいいだろう、と思った。

「えっと、執務室?」

「ああ、そこまで遠くはないが……」

 よかった。

 どうやら橘も、そっちの方がいいと思ってくれたらしい。


 廊下を歩きながら、隣で並ぶ橘に視線を落とす。

 「落とす」と言った言葉自体が、今、私たちの関係をよく表しているような気がした。

 そう、実際の私たちとは、背の差すら違っているんだ。

 だからなんだろうか、どこか、橘がいつもより、あなり元気がないように見えた。

 やはり、どこか心細いのだろうか。

 横目でもわかるくらい、今の橘はずいぶん弱くなっていた。

 さっきまではこちらの手に負えないくらいはしゃいでいた気がするけど、今はおとなしくて、いつもの橘よりも沈んで見える。

 やはり、いつもの橘とは違う感じだったさっきの態度は、何もわからない状況で、知っている人である私の名前が出てきたからかな。それで、思わず気が緩んだとか。


 とはいえ、あの橘がここまで弱くなるとは思わなかった。

 もちろん、今のような状況で元気ばかりあっても心配だが、ここまで落ち込んでいるともっと心配だ。これからどうすればいいだろうか、ついそんなことに考えを巡らせてしまう。

 ――やはり、今は自分の感情より、もっと優先するべきものがある。

 今、必要なのは橘の絶対的な安定だ。私が戸惑うばかりでいるより、そっちの方が遥かに重要である。

 自分のせいでこんなことになっているのに、ここで昼のように冷たく接することはあまりにも可哀想だ。人間として、あまりそういう行動は取りたくない。

 それに、今、橘がとても心配だ。

 この事件が、「私が悪かったから」起きたものじゃないとしても、やはり、今の橘は放っておけない。

 じゃ、私がそばで、面倒を見たほうがいいだろう。

 今、橘がこの見知らぬ場所で唯一知っている存在が、ここにいる私なのだから。

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